論考

Thesis

-塾主の声を聞け-(松下政経塾 塾主講話 全六集より)

一年間の研修期間で、多くの経験を通して様々なことを学ぶことができたが、未だ迷いも多い。個別研修をスタートさせるこの時期こそ「確たる信念に基づいた将来の方向性」を見出す時期だと見定め、いま一度、「建塾の原点」に立ち返り、「我々政経塾生は何をなすべきなのか」という問いに対し、亡き塾主の言葉に耳を傾けた。

1 「脱依頼心」 (塾主講話 第一集『建塾の理念』より)

人間「道を究めたい」と願えば、「良き師に出会いたい」と思うのは当然のことである。道半ばの自分に対して、高い次元から適切な示唆を与え、教え導いてくれる「師」の存在は、何者にも代えがたく有難いものである。だが有難い故に、自分が心底「この人だ!」と思えるような師に巡り合えないのが通常で、もしかすると限られた一生の出会いのうちに、そのような師に巡り合うことができること自体、奇跡であるのかもしれない。

私もまた、すばらしき師を求め巡り合えないでいる迷える求道者の一人であった。そんな私の考えを払拭してくれたのは、幸之助塾主の言葉だった。それは、松下政経塾第一期生に対して講話をしている映像記録を拝見していた時のことだった。絞りだすようなしわがれ声で、塾主は次のようにおっしゃった。

「師を持たずして、自らその道に達するということや。誰からも教わらんつもりでやらなあかん。」

塾主は、刀鍛冶の例を引き合いに出した。要約すると、教え上手の刀匠の鍛冶場からは、数多くの一人前の鍛冶屋が生まれるが、決して名人は出ない。名人は、何も教えてくれない刀匠の鍛冶場から生まれる。それは教え方の上手下手が問題なのではなく、名人となるには、自らが学びとることが必要であり、過保護に面倒をみるとその自主性を欠いてしまう、という内容だった。確かに、剣聖 宮本武蔵は、生涯師匠を持たなかった。自らの力で努力し、自分の中に師を求め、そしてついに、道に達したのである。塾主はこの建塾にあたり、「政治の世界の『宮本武蔵』を育てたい」とおっしゃっていた。少数でもいいから、「政治の名人・達人」を育てたかったのである。

そこで塾主が塾生達に送った言葉は、「依頼心から脱せよ」というものだった。人間ともすると、他人を当てにして事の成功を為そうとする。塾という看板、多くの先達、応援してくれる支援者。確かに有難いものではあるが、決して、それに頼ってはならないということである。松下政経塾「五誓」にあるように、

一 自主自立の事
他を頼り人をあてにしていては事は進まない。自らの力で自らの足で歩いてこそ、他の共鳴も得られ、知恵も力も集まって良き成果がもたらされる。

この言葉の真意は、「他人や社会的信用に対しての依頼心を棄て、自分の力だけを頑なに信じて、無我夢中に道を切り開いていく、その後ろにこそ道ができて行く」そのことを示唆してくれているのである。

政経塾の門を叩き道を求めたからには、依頼心を脱し、名人の域に達するまで、ひたむきに己が力と天命を信じてきっていきたい。

2 「志を固める」 (塾主講話 第二集『志』より)

塾主いわく、「志を固めよ。そして、いったん踏み出したからには決して辞めないことが肝心である」。

志というものは「立てる」もので、「固める」ものであるということには考えがおよばなかった。しかし、誰しも経験があろうが、「よしこの道で行こう」と決心したにもかかわらず、先行きの不安や立ちはだかる障害に心が揺らぎ、「本当はこの道ではないのかも知れぬ」という迷いが生じる。我々塾生においても例外にあらず、研修を積んでゆく過程の中で、多くのものを見聞きし学んでいくと、ついつい初心を忘れがちになり、目先の成果が上がる方へと移り気が生じる。

塾主は、御自身の会社経営の経験上の成功の秘訣を「諦めなかった」ことであるとおっしゃった。

「途中挫折や障害もあったが、自分にはこの道しかないと思い定め、他の道を考えることを一度としてやらなかった。決して諦めなかったおかげで、現在までやってこれた。自分には「学」が無かったのが良かったのや。なまじ知識や学問があると、やる前から結果を予測し諦めてしまうからいかん。」

このことから、私は志には二段階あるのだなと思い到った。第一の段階は、志を立て行動を起こす「立志」の段階。そして第二の段階は、その志を懐にしっかと結わえつけ、「何が起ころうと決して離しはすまい」と覚悟を決める「固志」の段階である。松下政経塾「五誓」にある、

一 素志貫徹の事
常に志を抱きつつ、懸命に為すべきを為すならば、いかなる困難に出会うとも、道は必ず開けてくる。成功の要諦は成功するまで続けるところにある。

毎朝唱和している第一の誓いであるが、冒頭の「常に」の言葉に、実は深い意味があったのだ。

また、志についてもう一つ大切なことに思い至った。それは、塾主が「自分に代わって、日本のために尽くす若者の出現」を心底望んでいたということである。つまり、塾主の志を継承することも、我々塾生にとって大切な使命なのである。

政経塾には、多種多様な経験を持つ人材が集い、それぞれにテーマと志を持って日々の研修に励んでいる。しかし、我々は亡き塾主の想いをどれほど汲めているだろうかと反省する毎日である。塾主の声が聞こえるようだ。
「個人的な希望を一歩踏み越えて、未来の世界のために自分に何ができるかを考えなあかん」と。

3 「時期を誤らない」 (塾主講話 第三集『建塾の理念』より)

「自分自身で考えよ」というのが政経塾のスタンスであるから、塾主は塾生に対し、具体的に「このような政治家を目指せ」ということはあまりおっしゃられなかったようだ。しかし、本講話の中で、塾生に対し政経塾出身の政治家としてのスタンスを二点要望されているので取り上げる。

一点目は、「塾出身政治家は『言い出しべぇ』の一人たれ」ということだ。政界に限らず経済界でもいいから、しっかりとした理念に基づいた方向性を、自ら示す旗頭になれというのである。そうすれば、おのずと共感し、行動を共に旗揚げをする者達が全国に出るだろうということだった。しかし、言い出しべぇというものは非常に責任が重い。成功すれば皆「俺が言い出しべぇだ」などとうそぶくものだが、事が失敗に終われば、皆責任を取りたがらず、「言い出しべぇは誰だ」ということになる。このことから、塾主が求めた「言い出しべぇ」には、もう一つの意味があるような気がする。それは、「誰もが本当は思っていても、言えば旗色が悪くなるから言えないようなことに対して、捨てるものなど端からない政経塾出身政治家こそが、真の憂国の想いを抱いて、あえて火中の栗を拾え」ということではあるまいか。そういえば、佐賀鍋島藩に伝わる『葉隠』の一説に、「御奉公の極致は、『浪人』か『切腹』にあい定まれり」というものがある。つまり、真の「忠義」を貫けば上に煙たがられ、あるいは政敵より陥れられ、詰まる結果、「落選」や「辞職」といった憂き目を見るのが当然であり、しかしそれこそが、忠義の証しであると思い定めよという言葉である。失うものの多い世襲議員には、真似できるものではあるまい。

二点目は、もう少し政治手法的なことである。それは、「時代や状況に即した方針の変更の時期を誤ることなかれ」ということである。小泉元首相の「改革なくして成長なし」ではないが、塾主はその経営観において「人類の歴史は修正改訂の歴史である。状況の変化に即した修正のないところに進歩はない」と、徹底した改革派であった。具体例では憲法問題に関しても、いまから30年近くも前に、まだ憲法問題を議論することすらタブーであった時代から「改憲論」派であり、「憲法も不磨の大典であってはならず、10年に一度位は変える機会を持つべきである」と公言していた。このような大きな変革を断行するときも、言い出しべぇと同様に反対勢力の抵抗が予想される。だからこそ、大抵の政治家は、できるだけ政党間の衝突を避けるように根回しに時間をかけ、場合によっては、先送りにしたり棚上げにしたりして、時が醸成するのを待つのである。しかし、現在の日本が抱える案件の中には、「まったなし」というものも少なくない。そういう案件を障害や抵抗を乗り越えて、体を張り、全てを投げ打って断行できる政治家こそが、「真の国士」というものだろう。「時期を誤らないために、常住坐臥『捨て身』で生きよ」と、塾主から「国士としての覚悟」を突き付けられているように感じるといっては言い過ぎか。

4 「心配こそが社長の仕事」 (塾主講話 第四集『発想の転換』より)

「社長は会社の事を、社員の誰よりも一番心配している。しかしそれが社長の仕事であって、心配するのが嫌になったら辞めたらいい」

長年の会社経営の中で、塾主自ら培ったリーダー観であると思う。実際に塾主は、「心配で胸がつかえて、ご飯が食べられない、食べてもおいしくない、という状態が続く」ということがあったようだ。

そこで、改めて自分を振り返ってみると、この国の将来を真剣に憂い、「なんとかせねば」という熱い想いと志だけ持参して政経塾の門を叩きはしたが、自分はいったいどれ程、この国の行く末を心配しているのだろうか。確かに、日々を平平凡凡と暮らしている世間の若者達に比べれば、多少なりとも考えてはいるという自負はあるし、国家への憂いも大なるものがある。しかし、「心配で胸がつかえ、食事もまずいくらいに心配しているだろうか」あるいは、「寸刻も安心できずに、眠れない日があるだろうか」と自問自答してしまうのである。

日本が歩んできた時代の中で、国家の危機というべき分水嶺には、必ずこの国を憂い、一命を投げ打って国家の礎となった国士達の存在があった。私の敬愛する吉田松陰先生、西郷南州翁などが、国を想う気持ちはいかほどであったことだろうと考えると、身を隠してしまいたいほど恥ずかしくなってしまう。私など足元も及ばないほどに、国の行く末を憂慮し、身がよじれるほどに煩悶しただろうことは想像に難くない。

つまり、塾主が示されたリーダー観は、会社における社長としての心構えであろうけれども、会社を国家におきかえれば、「政治家を目指す者の最低限の資格」とも言えるのではないだろうかと思う。「誰よりもこの国を愛し、誰よりも子どもたちの未来を案じ、誰よりも真っ先に身を投げ打つ覚悟がある人物だけが目指すことを許される社会的立場。それが、政治家なのだ」と言われたように思えてならない。

毎日の日々の中で、塾主は塾生に対し「早くせんと間に合わんぞ」としきりにおっしゃっていたというのを聞いたことがある。先日、塾の食堂で夕食をいただいている時に、関塾長も我々に対してしきりと「このままでは、日本はダメになってしまう。君らそんなにのんびりしていたら間に合わんぞ」と塾主と同様におっしゃっていたことが思い起こされた。

そうだ、のんびりしている時間はないのだ。「そのうちに」では遅いのだ。もっと、もっとあせらなければならない。もっと、もっと真剣に悩み、憂いそして悶えなければならない。

5 「素直の初段」 (塾主講話 第五集『人生と理想』より)

塾主の人間道のテーマに、「素直」という言葉がある。塾主は、塾生に対する講話の中でも、この素直という心の状態の重要性を繰り返し話されていた。政経塾敷地内の茶室「松心庵」の床の間には、今でも塾主直筆の「素直」の掛け軸が掛かっている。講話の中で塾主は、「素直とは、何事にも捉われず、融通無碍になる心の状態だ」として、「なろうなろうと心掛けても30年かかり、融通無碍の状態になったところでやっと『素直初段』や」と言っている。この言葉からも、塾主の倫理観や人間観が見て取れるように、素直という言葉は、「禅宗」でいう悟りの状態に近いのではないかとも思う。それを良く表している言葉に、「素直な心は、自分を強く正しく聡明にする。聡明の極致は神や。だから素直は神に通じる道なんや」とある。素直とは、辞書にある意味よりももっと深い。塾主がおっしゃるその意味を正確に把握しようと思えば、著書の『人間を考える』に書かれている、塾主の「宇宙観・人間観」を完全に血肉としなければならない。

しかし、初段となるために30年かかるとは、何と根気のいる心の修行だろうか。塾にて研修をしている身においても、確かに素直になれぬことが多い。私心、他人の評価、研修成果への焦りや物事に対する負の感情等から、ともすると、心が捉われの状態へと陥り易いのが現実である。塾主著書『素直な心になるために』には、素直な心を養うための実践方法が記されている。日々の研修の中で、今一度自分の行動に照らし合わせて実践する努力をしていきたい。

「素直な心を養う実践十カ条」

一 素直な心になりたいと「強く願う」こと。
二 絶えず「自己観照」を心がけ、心身を正していくこと。
三 毎日の行いを「日々反省」して、改めていくこと。
四 日常絶えず口に出して「唱えあう」こと。
五 心して「自然と親しみ」自然の働きに学んでいくこと。
六 おりにふれ「先人に学ぶ」こと。
七 それを養う実践を「常識化する」こと。
八 素直な心になるための決意を「忘れないための工夫」をすること。
九 お互いに「実践体験の内容を発表しあう」こと。
十 互いに素直な心を養う「グループとして」協力し合うこと。

6 「大忍」 (塾主講話 第六集『21世紀はアジアの時代』より)

塾主は、未来の世界の様相を「21世紀は必ずアジアに繁栄が訪れる時代となるはずだ」とおっしゃっていた。それは、科学的根拠やデータに基づくものでなく、塾主の直観に基づく仮説で、「文明の発展・繁栄の中心がエジプト→ローマ→ヨーロッパ全域→アメリカと地球を西周りに移ってきた。よって次はアメリカ大陸からアジアに繁栄の中心が移行してくるはずで、日本とか中国が必ず反映する番に違いない。」というものであった。しかし、明確な根拠を持たない直観の割に、21世紀を迎えた現代において、仮説はおお旨予言どおりになっている。そんな中、塾主は「日本の使命は世界繁栄の盟主となることで、政経塾出身者は、主体性を持って新しい世界を創造し、新しい国家運営を創造することこそ使命である」ともおっしゃっていた。

しかし、ともすると、我々は現状の問題点にばかり目を奪われ、対処療法的な手法や枠組みばかりを追い求めているようなきらいがある。政経塾の研修においても、評価を気にするあまり、何か形に現れるような成果ばかりを追い求め、小さくまとまってはいまいかと反省する日々である。同じようなことは政経塾出身政治家となった以降、より問われることだろう。目の前に現れている社会問題ばかりに捉われてしまうと、その枠を飛び越えて、誰もが考えもしなかったような新たなものを創造することなどできやしない。

そのように考えると日常の研修においても、「現地現場主義」だからと言って、先進事例や現場の活動、先駆者の意見に触れ過ぎると、それに捉われてしまい、自ら考え新たなものも産み出そうという「産みの苦しみ」を無意識に避けてしまうように感じるのである。

政経塾では、卒塾生に対し「大忍」と書された皿を贈呈している。これは、塾主が御健在であった時代からの慣習であり、それには、以下のような意味が込められているのだという。

「政経塾に集いし者は、日本の今の政治を良くするというスケールに収まらず、新世界を作り出すつもりでやらなければならない。しかし、そのためには大いなる産みの苦しみを経て、志のためにじっと耐え忍ばなければならない時期がある。その苦しみを乗り越えて、日本と世界の未来を自らの力で創造せよ。」

残り二年の研修を終えると、私も念願の「大忍」の皿を拝受させていただくことになる。その時までに志を固め、揺るがない信念と使命感を、自らの心に彫り刻むことをしなくてはならない。そして「塾主、もう心配いりませんよ。私が塾主に代わって日本を興します」と、塾主の墓前に報告できるようにならなくては、何のための政経塾か、何が政経塾生か。

亡き塾主の想いを受け継ぐ使命と責任、そして覚悟を、深く心に刻みつけ、明日からの一日一日の研修に打ち込もう。

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宇都隆史の論考

Thesis

Takashi Uto

松下政経塾 本館

第28期

宇都 隆史

うと・たかし

前参議院議員

Mission

「日本独自の政治理念に基づく、外交・安全保障体制の確立」

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