Thesis
広島の原爆記念資料館、大阪のピースおおさか、韓国の独立記念館、ベトナムの戦争証跡博物館、カンボジアのトゥール・スレン博物館、キリングフィールドなど、アジア各国で、紛争に関する資料館を巡ってきた。人類の残虐さ、紛争の悲しさなどが脳裏に焼き付けられる。同時に相手に対する憎悪や悲痛な叫びも感じ取ることができる。
我々はこれらの資料館への訪問から何を感じ取り、何を学ぶのであろうか。そしてそもそもこれら資料館の設立の意図は何なのであろうか。韓国の独立記念館では出口付近にこのような記載がしてあることを記憶している。「この記念館は日本人の過去の行いを責めるためのものではない。過去をしっかりと記録にとどめ、未来の相互発展を目指すための展示である」(注1)。もちろんそうであろう。仮に、一方的に相手国を非難することを目的としているのであれば、信頼醸成に対する大きな罪であるからだ。独立記念館の日本語パンフレットには「独立記念館は、自主と独立を守り通した韓民族の歴史と文化、特に、国難克服史及び日本帝国主義の侵略に対抗した独立運動、そして国家発展に関する資料を収集、展示、研究することにより、国民の強固な民族精神をうち立て、人類平和に貢献することを目的とする」とある。ここでも苦難の歴史から人類の愚かさと強さを学び、将来に貢献しようとする姿勢が伺える。つまりこれら平和のための資料館の目的は「将来の平和のために、過去から学ぼう」ということであろう。
さて、仮に過去においてA王国はB共和国によって侵略されたとする。A王国では独自の歴史認識を踏まえ、いかに人民が残虐な目に遭い、しかし誇り高く闘い、最後に独立を勝ち取ったかを描く、「二度と繰り返さないこと」を目的とする資料館を設立する。そこではB共和国による不当な侵略、残虐な拷問、盗みや強姦、それに対する人民の結束などをテーマに様々な展示が展開される。ここで一人の人間のリアクションについて考えてみたい。A王国の訪問者の多くはB共和国に対しての憎しみを深くすることが予測される。B共和国の訪問者は自国の過去を恥じ、反省すると同時に自虐史観が強まるか、またはあまりにも強烈な展示に対して反発を覚えることが予測される。つまり両国民にとって、資料館への訪問は心を信頼醸成とは正反対の方向に進ませる結果となる可能性があるのだ。
実際、このような可能性を懸念し、鹿児島県では次のような動きがあった。鹿児島県議会の本会議で先日、県立高校の修学旅行の訪問先から南京市(中国)の南京大虐殺記念館を除外するよう、「新しい歴史教科書をつくる会・鹿児島県支部」が求めた陳情が採択されたのだ。同会は陳情の理由を「反日洗脳教育の牙城ともいうべき虐殺記念館等へ特定の教師集団の意向に迎合する形で決定しているのは著しく公正中立さを欠く」(Mainichi Interactive Edu Mail)としており、学校長裁量となっている訪問先の選定に大きな影響を与えそうだ。
鹿児島県の例は単なる氷山の一角に過ぎず、また問題は資料館だけの枠にとどまらない。事実、歴史教科書問題や靖国参拝問題の是非に見られるように、日本ではここ数年、歴史をどう捉えるべきか、どのような教育がなされるべきかが頻繁に議論されるようになってきており、自虐史観への反発も大きくなってきている。
第一義的目的の「過去から学ぶ」ことよりも「過去を憎む」ことや「過去にばかり捕らわれる」ことが助長されている現状に対しては大いに憂慮すべきである。今回はこれら広義の平和教育の功罪について考察してみたい。
6月26日付けのJapan Timesに興味深い記事が掲載されていた。「北アイルランドの幼稚園児、憎しみを学ぶ」(筆者仮訳)と題した記事によると、北アイルランドではカトリックとプロテスタントの双方の子ども達は3歳の時点で、すでにお互いのコミュニティに対して恐怖と憎悪の念を抱いているという(注2)。北アイルランドにおいては、居住地や学校が宗教によって完全に分断されているという現状がある。今回のレポートは3歳から6歳までの子ども達352人を対象にした、「よりよいコミュニティ関係の促進」を目的とする調査の結果である。報告書の主要執筆者であるウルスター大学のイングランド人社会学者Paul Connolly氏によると、偏狭なコメントをする子ども達の割合は5歳や6歳、つまり公教育での最初の2年間で急上昇しているという。家族やコミュニティの責任を追及しながらも、Connolly氏はこの分断された学校システムも大きな問題となっていると述べている。
これは明らかにコミュニティや家族から子どもへの「刷り込み」が行われている証拠であろう。純真無垢な子どもが、政治や文化の衝突の犠牲となり理由もなく他者に悪意を持つようになる。憎むことが先行し、平和を目指す努力が芽生えてこない。憎むことが当然となり、次世代にその嫌悪が引き継がれてしまう。北アイルランドの現状はまさに抜け道のない悪循環のように見える。Connolly氏が主張するように、仮に公教育が分断無く、双方の子ども達を受け入れれば、友情や愛情が自然に芽生え融和につながることも期待できるであろう。
北アイルランドに限らず、平和を目指す社会(家庭も含む)や学校の「教育」にも、残念ながら政治的な意図や過去の恨みが盛り込まれることは多い。日本ではどうだろうか。在日外国人や韓国、中国に対する差別意識はなぜ生まれるのだろうか。欧米においても、西洋文化=グローバルスタンダードという感覚がなぜ無意識のうちに身に付いているのだろうか。中国や韓国の対日批判、ベトナムの対アメリカ批判も同様の傾向がありはしないだろうか。教育は一歩間違えれば「刷り込み」や「洗脳」と化す恐れがある。だからこそ早期の段階で、社会や学校でいかに「正しい」教育がなされるかが非常に重要なのである。
では果たして「正しい教育」とは何なのだろうか。私は差別意識や憎悪感の根元となる過去の歴史事実をしっかりと学び、その上で今後の関係改善のために何ができるかというところまで踏み込んだ議論をする教育のことであると考えている。それには政治的意図という枠から抜け出し、国際社会という大きな枠組みで、過去というしがらみから抜け出し、将来という建設的な枠組みの中で教育を押し進める必要があろう。
ユネスコの定める世界遺産の中に、いわゆる「負の遺産」(注3)と呼ばれるものがある。これは過去の悲劇を受け止め、関連する施設を将来の人類のために遺産にしようとする興味深い試みである。比較的新しいものが文化遺産となりうるのか、また人類の負の側面も遺産として共有することができるのか、ユネスコの世界遺産委員会としても、この点での議論は尽きない。河野靖氏は「問題は当事国の国民が歴史をどう解釈し、未来のためにどう使うか、人類がそれを受け入れるか」(河野 1995 pg272)であると著書で述べている。この負の遺産の中でもセネガルのゴレ島にある奴隷貿易施設が「正しい教育」に対する理想的な見解を示しているので紹介しておく。
16世紀から300余年にわたってここからアフリカ人が奴隷としてアメリカへ送られた。アフリカ人にとっては、ゴレはいまわしい記憶の原点といえる。セネガル政府は、ゴレは屈辱の歴史、人間侮辱の歴史として記憶されるべきことを強調している。しかし同時に、政府はこの島を他のアフリカ諸国の支持を得て、寛容、記念、とりわけ異なる文明・文化間の対話のシンボルにする決意をしている。対話とはアフリカ奴隷によるアメリカへの文化的貢献の事実の確認を意味する(河野 1995 pg284)。
過去は事実として受け止め、しかしながらその事実を憎むのではなく、寛容と対話で乗り越えようとしている。これこそが真の平和を求める姿勢である。ユネスコ憲章の前文には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない。」と書かれている。歴史とは時間軸のどこで線を切るかによって正義と悪が決まることが多い。国際情勢の中で最後の選択肢として、またはある特定の人物の権力欲や愚かさのために侵された罪も多い。そのような背景を踏まえながら、まずは寛容の心を持つこと、平和を愛する気持を育むことが必要である。そのためには家庭環境と、資料館なども含む広い意味での教育やメディアの在り方を我々は再考する必要があろう。情報を発信する側は「洗脳」と「教育」の違いを正しく認識し、本来の目的である真の平和を頑固に目指してもらいたいものである。
【注釈】
(注1) 筆者が訪問の際に留めておいた「要約」であり、正確な記述ではない。
(注2) イギリスの植民地であったアイルランド島が1921年、南部の自治領(その後独立し、アイルランド共和国となる)と、北部のイギリス領(北アイルランド)に分断。北アイルランドでは人口4割のカトリック系住民が独立と南北統一を求め、6割のプロテスタント系住民がイギリス残留を希望し対立。イギリスの対カトリック差別、武装組織IRA(アイルランド共和軍)のテロ活動が根強く残り、和平調停を難しくしている。
(注3) ユネスコとして「負の遺産」を定義しているわけではない。後生の平和のために、人類の「負」の行為を記憶に留めようとする動きから生まれた考え方である。ゴレ島以外では広島の原爆ドーム、ポーランドのアウシュビッチュ強制収容所が有名。
【参考文献】
Mainichi Interactive Edu Mail
【修学旅行】訪問先から「南京大虐殺記念館」除外へ 鹿児島 2002/7/5
http://www.mainichi.co.jp/life/kyoiku/edumail/archive/04/200207/05-08.html
"N. Ireland preschoolers learning to hate" The Japan Times, 26 June 2002, pg5
毎日新聞社外信部編著「世界の紛争がよくわかる本」改訂版 東京書籍 2001年
河野靖「文化遺産の保存と国際協力」風響社 1995年
Thesis
Shozo Shiraiwa
第22期
しらいわ・しょうぞう
大阪府豊中市議/国民民主党