論考

Thesis

ドゥック・ユル ~前編~

§0.はじめに

 今回と次回の月例報告では、ブータンについてお話ししたいと思います。表題のドゥック・ユルは「チベット仏教ドゥック派の国」という意味でブータン(ゾンカ)語による正式国名です。また、ドゥックそのものは雷龍(国旗にも示されている図案)を意味します。今回の報告内容は、日本でのブータンに関する第一人者である国立民族学博物館の栗田靖之教授のお話によるものが主であります。

§1.国民総幸福量

 ジグメ・センゲ・ワンチュック国王が主張する、ブータンの国是とも言える概念が「国にとって大切なのはGNP(Gross National Product:国民総生産量)ではなく、GNH(Gross National Happiness:国民総幸福量)である」という宣言であります。物質的な豊かさではなく、国民自身の幸福をもって豊かであるとする思想はまさに、今の先進国が共通して抱く理想でありましょう。しかし、それを国の基本方針としてやってのけているのがヒマラヤの小国、ブータンであります。事実、ブータン国民は、ブータンがもっとも幸せな国であると自覚しているようです。これは、ブータンを訪れる(先進国の)外国人たちが口をそろえてブータンのことを褒め称えるからだそうです。何度も、誉められるうちに「そんな進んだ国の人が良いって言うのなら、我々の国はよっぽど良いはずだ」と考えるわけです。

 我が日本も、今後、新しい国のあり方をデザインしていく場合、もはや先進諸外国には手本がないことは、これまで何度も述べて参りました。新たなシステムを作っていく上で、実は、こういったこれまで閉ざされてきた国にヒントがあるような気がしてなりません。

§2.ブータン王国

 まずは、ブータン王国の概要をお話しします。地理的には、インドと中国に挟まれた、九州ほどの小さな国であります。人口は、おおよそ、63万人位でしょうか。ブータンは、1972年に国連に加盟したのですが、その時に、見栄を張って、かなり多めの人口を発表したという話があります。いずれにしても、小さな国であります。そして、これまで他の国の影響を受けてこなかった理由は、鎖国政策を採ってきたという事実もありますが、北はヒマラヤの高地、南は熱帯ジャングルに挟まれていたという地理的理由も大きいようです。昔から、「ヒンドゥーは山を登らない」と言われるのですが、経済的にもインドとかなり親密な関係にあったブータンであるにもかかわらず、ネパールのようにその影響をあまり受けなかったのも標高二千メートル前後という高地にあったからでしょう。

§3.緩やかな近代化

 1907年に初代国王ワンチュックが即位して、今の君主体制が確立して以来、ブータンの歴史は、伝統文化の保護と近代化の狭間で揺れ動いていました。1952年3代目国王が就任して以来、それまでの鎖国政策から、開国を進めてきたのですが、その時、「節度ある開国」を政策としました。これは、ネパールの影響が大きいのです。ネパールは、急速な近代化を進めて、同時に多くの外国文化を取り入れてしまったため、自国の文化が荒廃してしまったのです。ブータンは決してこのようなことがないようにと、近代化にはかなり慎重です。では、この開国と近代化を進める、あるいは、進めざるを得なかったきっかけはなんだったのでしょうか。これは、1959年に起こった、チベットでの暴動です。インドはこれを見て、中国に対する防衛上の重要性から、ブータンを開発せざるを得なかったのです。そこで、道路建設が始まったのです。また、その反面、1975年に、隣国であるシッキムがインドの準州として併合されるという決議がシッキム自身の手によってなされました。第二次大戦後に、この世からなくなった国は、チベットとシッキムのただ二国です。ブータンは、国際社会に認知されることを急いだと同時に、自国の文化や伝統を守ることの重要性も強く認識しました。「開発の速度をスロー・ダウンしたいと考えている」という経済開発局の閣僚の言葉にもその微妙なバランス感覚が感じ取れます。

§4.ディ・セントラリゼイション

 ブータンの近代化の特異性は、その速度だけではありません。これまでの発展途上国を見て、多くの援助事業が首都の周辺でしか行われていない現状を見て、その問題点を指摘しています。つまり、首都を見る限りでは、あたかも国全体が発展したかのように見えるが、実は、都市と農村の生活の格差は拡大し、若者が都市に流れ込み、都市にはスラムが発生して、農村は荒廃する。そのことを、ブータンは知っていて、例えば、大学を、首都ティンプーから500キロも離れた町に建設したり、水力発電所も大型のものを作らず、小型のものを各村々に設置し、村人に管理させています。文明を生活の側に置いて実感させることも目的にあるようです。つまり、一極集中を避ける上で、様々な分散開発「ディ・セントラリゼイション」を試みている訳です。もちろんこのような政策が可能な理由はいくつもあるでしょう。ブータンが貧しいとはいえ、自給自足が成り立っており、生活に困った人が居ないということ。国王に圧倒的信頼があること。国民自体が文明を良く理解していないこと。おそらく、まだまだ考えられるでしょう。いずれにしても、国民が幸せであることを自覚していると言う事実だけでも、素晴らしい国であると思います。

つづく


参考文献

1. 栗田靖之他,「ブータンを知る」, ASIA FORUM, No.73, 1994
2. 河合明宣,「発展途上国の開発戦略」, 放送大学教材, 1999
3. A.C.Sinha, Bhutan: Political Culture and National Dilemma,p. 203, Kiscadale Asia Research Series No.3, 1994
4. Karma Ura, Development and Decentralization in Medieval and Modern Bhutan, p. 25, Kiscadale Asia Research Series No.5, 1994

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大串正樹の論考

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Masaki Ogushi

大串正樹

第17期

大串 正樹

おおぐし・まさき

衆議院議員/近畿ブロック比例(兵庫6区)/自民党

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ナレッジマネジメント、政策過程論、教育政策、医療・福祉・看護政策

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