論考

Thesis

第3部 財政再建結論としての行政システム ~第4報「コラージュ」

§0.はじめに

 今回は、私の中にある、今だ未整理の概念を断片的ではありますが、書き残しておきたいと思います。従って、単純な思いにとどまったり、無責任な思いつきになるかも知れませんが、もし、これが誰かの目に触れて、答えが見つかるならそれもまた意味のあることかと思い、敢えて文字にしてみました。こんな事を考えているということを、分かっていただけるだけでも幸いです。

§1.陽子の寿命

 以前、「陽子の寿命を測ってノーベル賞をとろう」と語った、ある研究者の姿を見て悲しくなったことがありました。最も尊い物質の根元に迫る研究がうらやましかったからでした。岐阜県神岡町にある、神岡宇宙素粒子研究施設「スーパーカミオカンデ」はニュートリノの質量が存在することをその観測結果から証明しました。人里離れた田舎に世界中の注目が集まった大きな発見でした。今後は地道なデータ処理を進めて、「陽子崩壊」すなわち陽子の寿命を突き止めることが、この施設の持つもう一つの大きな目的であります。一文の得にもならない研究かも知れません。しかし、それ故に尊い研究でありますし、その研究を通じて、優秀な技術者が育成されていくことのメリットは無視できません。自然科学の世界では、どんな研究者であれ、新しい発見をして、発表すれば正当に評価されます。これはひとえに、この分野、すなわち、自然科学では、真理は二つとないからです。誰もが一つの真理に向かって、その答えを追い求めているわけです。しかし、社会科学の分野では一つの現象を取り上げても、様々な立場の違いから答えはいくつもあります。従って、同じ答えでも、権威のある人が言うのか、権威がない発展途上の研究者が言うのかでは大きな違いがあります。現象が複雑であれば、ますます、その傾向が強まります。いくつものパラメータを特定できないまま、定性的な話で終わることもしばしばですし、その予測が外れても、責任をとろうという人も見あたりません。いずれは変わっていくのでしょうか...

§2.「もんじゅ」と「LE7」

 高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム流出事故や、H?2ロケットのメインエンジン「LE7」のエンジントラブルによる打ち上げ失敗など、日本の技術力に暗雲立ちこめる事件が多発しました。いずれも、担当省庁の監督問題にとどまらず、メーカーの責任が問われる事故であると思いますが、なぜそのような事故が起きたのでしょうか。確かに先端技術の世界では、通常の設備とは較べものにならないぐらい予算がつぎ込まれます。様々な事故を予測して、開発段階から多くの検討が繰り返されます。しかし、メーカーサイドでは、昨今の不景気だけでなく、造船不況や円高不況などを繰り返しくぐり抜けていくうちに、人員削減など人的資本が低下している事実は無視できないでしょう。メーカー内では、多くの技術者が、サービス残業という無償の労働奉仕を続けているにも関わらず、非難されますが、有能な技術者が減らされてしまっている昨今では、限界があります。これは、端的な限界だけでなく、時代を超えて、技術の伝承が行われないという将来に渡っての不安も抱えているわけです。大学での理系離れが進む中、技術者の社会的地位の復権を真剣に考えなければ、資源のない我が国は、いずれ行き詰まるでしょう。特に優れた技術を持っているでもない官僚が天下って多くの収入を得る前に、もっと技術を評価する姿勢が必要なのだと思います。もっとも、それを評価する技術者さえもが不足しているという悪循環もあるわけですが...

§3.再生工学

 子供の頃、映画「スターウォーズ」で主人公が敵に手首を切り落とされるシーンを見て、すごくショッキングだったのを覚えています。私の父も若くして両足を切断していたこともあって、人間の四肢が失われることに対して、敏感だったのでしょう。幸い映画では、次のシーンですぐにロボットの腕で補われて再生しますが、今の技術では、失われた四肢は取り戻せません。五体満足のありがたみは、失ってみないとわからないのかも知れません。それでも、人は冷たいです。障害のある人に対して、暖かく接する余裕がないのかも知れません。以前に、私は健常者という言葉が嫌いだと書きました。「健常者」という言葉は、逆に「不健康で異常な人間」がいることを連想させるからです。しかし、どんな人でも、多かれ少なかれ、障害があるものだと思います。私も小さい頃、交通事故にあって以来、上手く歩けない時期がありましたし、誰しも様々な場面では得意・不得意があるでしょう。しかし、まわりは理解してくれませんでした。老若男女、障害のあるなしに関わらず、本来人間はお互いを尊重し、助け合っていくべきだと思います。

 しかし、こうやっている今でも、どこかで対人地雷が炸裂して、脚を失っている人がいると思うとやりきれない思いです。せっかく健康に生まれたのに、それを人間の悪意で不自由になってしまうことは、痛ましいという以外に言いようがありません。あまりにも愚かです。しかし、そんな状態になった人にも、せめて機械でもいいから、自由に使える義手や義足が開発されないか...それが、わたしを技術者へと導いた直接のきっかけでした。しかし、願わくば、柔らかい感覚のある、生身の四肢が再生出来ないものかとも考えていました。再生工学がその答えになるかも知れません。その反面、人はどこまで自然に逆らって生きていくのだろうかという不安もあります。この技術を、メタファーとして、社会の再生もできないかというのが最近の私のトピックでもありましたが、いずれは、謙虚な姿勢を求められることでしょう。自然の摂理という名の神の前で我々はどこまで謙虚になれるかが大切なような気がします。今の世の中は、あらゆるシステムが絶妙なバランスで機能しています。これを、壊そうとしているのが我々人類です。ひとたびバランスが崩れると、それを補うために、さらなる力が必要になるでしょう。すると、ますます、バランスを失い、全体がぐらぐらして、いずれは破綻するのは目に見えています。システムの前に謙虚になり、その中で調和していく姿勢、あるいは余裕が身に付くと良いのですが...

§4.愛情と幸福

 愛情や幸せについても書き記したことがあります。いまでも、そのことについて考えることは大切なことだと思っています。なぜなら、国家というシステムを考えた場合、やはり、国民が幸せになることを目標とすべきだからです。明確なビジョンがないとはよく聞きますが、この国をどのようにしたいかが明確でない以上は、ビジョンも描けないでしょう。しかし、幸せな国にしたいといっても、何が「幸せ」なのかが分からなければ、具体的なビジョンを描けないでしょう。これからも考えて行くべきテーマではありますが、少なくとも、絶対的な幸せなどあり得ません。お互いに謙虚に譲り合うべき所は、譲り合わないと、結局、悲惨な運命が待ちかまえています。日本人に「この国は、どんな国で、どうなることを目標としていますか?」と問いかけたら、果たして、何人の人が明確に答えられるでしょうか。国家とは少なくとも、そこで暮らす人々が大きな目標に向かって力を合わせられる最大規模の共同体だと思います。その努力のプロセスが歴史であり、副産物が文化だとも思います。そのためにも、国家の隅々に至るまで、お互いに情報を交換しあうことも必要でしょう。国民の誰もが「この国の目標」についてはっきり答えられてこそ、真の情報公開だと思います。しかし、そんな日が来るのでしょうか...

§5.エルサレム

 ある意味で、その目的が異常にはっきりしている国が、イスラエルでしょう。確かに若い国で、国自体の歴史は浅いですが、エルサレムには、国という概念を越えた、歴史があります。もちろん、不幸な歴史でもあるわけです。しかし、これは私見でしかありませんが、この国は、そこに暮らす人々に受け継がれてきた歴史も文化もないため、本来そこで培われてきたはずの社会規範を完全に宗教にゆだねている感があります。従って、同じ市街でも、宗教が変われば、全く別の様相を呈しています。互いにそれぞれの秩序を保っているわけですが、相容れない部分が反発となっているのでしょう。これ以上は書けませんが、我が国とは対照的です。我が国では、様々な宗教が浅く広く存在はしているものの、社会規範は島国という特性を生かして、ここに暮らす人々の生活の中で、長年に渡って培われてきました。従って、この不安定な社会規範が失われてしまったら、修復も極めて困難であります。この国の秩序はどうなってしまうのでしょうか...

§6.時間と温度

 長い時間の中で、社会は形成されます。しかし、時間の刻みは一定と捉えて良いのかというと、いささか疑問に思います。確かに、自然科学の分野では、宇宙の始まりのような特異点を除けば一定と考えて良いでしょうが、社会の中では、その意味は違うと思います。千年前の1分と現代の1分では意味が違うと言うことです。活動の規模やスピードが違うと言ってしまえば簡単ですが、同じ時代の中でも、時間の意味合いは異なります。ゆっくりとお茶を飲んでいる人が感じる1分と、満員の通勤電車の中にいる人の1分も違いますし、為替ディーラーの1分も、戦場で生死をかけて戦っている兵士の1分もまた違います。時間という軸を基準に動いていると、忘れがちなことかも知れませんが、この軸の刻みをダイナミックに捉える事で、意外に物事も単純化できるような気がしてなりません。例えば、物質にはそれぞれ固有の物性値があります。これには、密度や粘性係数、熱伝導率など、数え上げればきりがありませんが、いずれも、温度に依存しています。温度によって、その値は様々に変化します。その変化の度合いは一定ではなくて、温度軸を横軸にとると、複雑な曲線を描きます。ところが、すべてではありませんが、この軸を対数表示に置き換えると、直線と見なすことが出来たりもします。つまり、温度の刻みを対数的(ロガリズミック)に捉えてみると言うことです。10度と11度の差の「1度」と50度と51度との差の「1度」では重みを違えて見るという発想です。このように、我々の社会でも、基準とされているスケールからの解放は可能なのでしょうか...

§7.非線形と二項対立

 複雑な現象をその一側面だけを捉えて、議論することには反対です。そのような議論は結局、答えの出ない平行線をたどるからです。挙げ句の果ては、右か左かというような二項対立の議論に陥ってしまうのです。現象は非線形と捉えるべきだと思っています。つまり、ある変数の変化量に対して、一定の変化割合で他方の変数が変化するとは言えないのです。もちろん変数は2つではありません。無数にあるでしょう。様々なパラメーターを多変量解析によって吟味しなければ、その特性は捉えることが出来ません。もちろん、パラメータによっては重みが違いますから、それぞれの変量を吟味すれば、いくつかのパラメータに絞ることも可能です。わかりやすく言うと、家庭の収入は決まっていても、そのお金の使い道を考える場合、無意識のうちに重み付けを行っていると言うことです。家賃やローンの返済など、真っ先にさっ引かれるでしょう。食費も幾分かは取って置いて、残ったお金で、遊びに行ったり、本を買ったりするでしょう。それでも残ったら、美味しいものを食べに行ったりと、無意識のうちに極めて複雑な重み付けを行っているのです。しかし、これが大きな金額になると、どうも感覚が鈍るようです。よく聞く議論に、積極財政か緊縮財政かというものがあります。福祉国家か自己責任原則かという議論も似ています。願わくば、様々なパラメータを吟味して、最適値を考えて欲しいものです。両極端ではなく、その中間地点のどこかに、最適解があるはずですから。そうなると、狭小な議論よりも、幅広い総合的な知識に裏付けられた議論が必要になってくるわけですが、それに耐えうる人材があまりにも少ないことがこの国の不幸に思えてなりません。そのような人材が集い、実のある議論がなされるのはいつでしょうか...

§8.シュールレアリズム

 芸術様式の一つに、シュールレアリズムがあります。サルバドール・ダリなどはその代表格でしょう。これは、「非具象なるものの具象化」というように、心の不安や悲しみのような形のないものを形として表現する様式です。そこまで極端ではありませんが、政治も似たところがあると思っています。国民の不安や悲しみを取り除くために、政策を創っていくのが政治です。しかし、漠然とした不安や悲しみという非具象なるものを具象化していかなければ、政策は生まれてきません。加えて、その不安の要因となっている様々な現象を、把握したうえで政策を創らなければ、有効に機能はしません。もちろん、人によって、その不安要因もまちまちですから、ここでも、重み付けが必要なのでしょう。しかし、国民は何に不安を感じ、何を望んでいるのでしょうか...

§9.国民

 最後になりましたが、国民とはいったい何なのかが最近の悩みでもあります。我々はいろんな方々から意見を伺ったり、議論を重ねています。ただいずれも、この国を何とかしなければならないという共通の問題意識を持った人が多いはずです。また、それらの人たちも、同様な方々といろんな議論を重ねているに違いありません。その議論の過程でも「国民」という言葉を多用しています。しかし、「そんなことを考えている余裕はない。自分の生活で手一杯だ。」という意見を聞いたことがあるでしょう。「今、このときが楽しければそれでいい。」という意見もよく聞きます。「ヤマンバ」などと呼ばれる、最近の新種の生き物が国家の行く末を憂いているとはとうてい思えません。もしかしたら、国家に対する問題意識を持った我々が少数派なのかも知れない、と思うと不安でなりません。国民の実態がそうであるならば、「国民の意見」も全く実態がないのかも知れません。知的貧富の差が拡大するに連れてこの「国民」の意見も多様化していくことでしょう。つまり、利害関係の違いや年令差といった次元とはさらに別の新たな次元を見極めないと、この国民の実態が掴めなくなってきているのではないでしょうか。

以 上

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大串正樹の論考

Thesis

Masaki Ogushi

大串正樹

第17期

大串 正樹

おおぐし・まさき

衆議院議員/近畿ブロック比例(兵庫6区)/自民党

Mission

ナレッジマネジメント、政策過程論、教育政策、医療・福祉・看護政策

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