論考

Thesis

『ボランタリーな個』の時代

『国家 対 地球市民』の誤解

 一昨年のWTOシアトル会合で、デモアピールする市民の姿がセンセーショナルに報じられて2年が過ぎた。また数年前にはNGOとそれに喚起された世論が各国政府を説得する形で、対人地雷の撤廃が決められた。90年代からのNGOをはじめとする非営利セクターの台頭は、環境、貧困などにとどまらず、ついに経済交渉や軍事の分野にまで拡大し、世紀をまたいでその勢いはとどまるところを知らない。

 この状況を見て、一部の為政者は、『地球市民』を名乗る素性不明の連中が、為政にまで口を出すようになったと憤っているようである。例えば、日本のある政治家は「最近は『地球市民』という言われ方もしているが、地球から国をスルーしていきなり市民で、国の姿が見えない。そういうとらえ方に強く抵抗を感じる。」と述べたり、また財界からも「NGOのいったいどこに公益を代表する正統性があるのだ?」といった疑問の声が聞こえる。これらの指摘自身は的確であると思うが、だからといってこうした非営利セクターの台頭を、単なる跳ねっかえりの騒擾と片付けてしまう前に、じっくりと客観的に考えてみる必要があるのではないだろうか。

 NGO、NPO、ボランティアなどの非営利セクターの台頭や『地球市民』の登場は、時代状況の変化が生み出した事実であり、それ自体に善悪はない。非営利セクターを国家や統治の破壊者とみなすのも古いイデオロギーにからめとられた間違えであるし、また逆に、必ず過ちをおかす国家や官僚の悪を、善良なる市民連帯が包囲していくというのも、理想論に陥った勘違いだ。

 むしろ為政者が注目しなければならないのは、非営利セクターの数と質が拡大しており、『地球市民』という意識を持つ個人が現われはじめたという客観的な事実であり、その背景にあるコミュニケーション革命という時代状況の変化ではないだろうか。

コミュニケーション革命が呼ぶ『ボランタリーな個』の時代

 現代はコミュニケーション革命による社会構造の変化の過渡期である。情報通信技術の発展は、社会経済のグローバル化、ニーズのソフト化、多様化などをもたらした。これらの変化が私達、個々人の意識にもたらしたものは、大きく分けて2つあると思われる。1つは『地球市民』という言葉に象徴される共同体意識を持つことのできる範囲の拡大であり、もう1つは組織と個人、国家と市民の関係性の変化である。

 情報通信革命は、共同体の範囲という点では、16世紀に活版印刷の誕生が現在の近代主権国家の単位を生み出したのと同じインパクトを持っている。電子メール、インターネットの発展した現在では、少なくともネットの上では、日本と地球の裏側のブラジルだろうと関係なく、日常的に会話することが可能である。英語圏の(あるいは英語がたんのうな)研究者などの一部の職業層にとっては、となり近所の人よりも、地球の裏側に住んでいる別の研究者との方が、日常的に深いコミュニケーションをとっているという時代である。こうした中で『地球市民』という意識を持ち始める個人が出てくるのは当然であり、これからますます拡大していくことは目に見えている。(注1)

 もう1つのコミュニケーション革命(注2)がもたらしたものが、組織と個人の関係性、国家と市民の関係性の変化である。平成12年度の国民生活白書「ボランティアが深める好縁」の中で、元経済企画庁長官の堺屋太一氏が『世界的に進行する知恵の社会への移行の中で、ボランティア活動が「次の時代」の基本的な人間関係を規定する主要な要因となる可能性がある。』と見事に指摘したのは、まさにこの点だ。

 コミュニケーション革命によって、情報の持ち手、発信者が双方向になったことで、個々人の選択の機会は拡大した。そのため、国家、会社などの組織が情報を一元的に管理し、各構成員の個々人の役割を決めていた『規格大量生産型の近代工業社会』のモデルは機能不全を起こし始めている。新しい社会においては、個々人はいくつもの選択の機会の中から、好みと尺度を明確に持って自ら選びとらなければならなくなった。そこで求められているのはボランティアに代表されるような自発的に何かをする個人像だ。そしてこの自発的な個人は、国家、会社などの何らかの組織の一員として統御されることよりも、自分と好みと正義(美意識と倫理観)を共有する仲間と横につながっていくようになる。ネット上の「同好の士」が集まるフォーラムなどは象徴的だ。

 私はこの新しい時代を『ボランタリーな個』の時代と呼んでいる。『ボランティア』という言葉には本来「何々しなければならない」でやる滅私奉公や自己犠牲の精神の社会貢献ではなく、何でもいいから自分のやりたいことを自発的にやるという意味が込められているそうだ。「何々をやりたい人、この指止まれ!はい、ボランティア!」と誰かが叫んで、やりたい人がわーっと集まってくるというのがこれからの社会の構造になっていくのではないかと考えている。そうした個々人の自発性、発意が横につながって、時に国境さえ越えてその輪が広がっていくという、ボランティアの輪が幾重にも重なっていくような社会になるのではないだろうか。

(注1) この点、日本の実用英語教育の遅れは致命的だ。
(注2) この点については、R.サラモン教授は世界的なブルジョワ革命を加えている。
    1億総中流を実現した日本には、最もこの指摘はよくあてはまろう。

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森岡洋一郎の論考

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Yoichiro Morioka

森岡洋一郎

第20期

森岡 洋一郎

もりおか・よういちろう

公益財団法人松下幸之助記念志財団 松下政経塾 研修部長

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