論考

Thesis

日米関係への楽観を憂う

1. ガイドライン・ユーフォリア(多幸感)への警告

 3月2日、米国の著名なシンクタンクCSISで「米国と日本~戦略的・経済的パートナー」と題するカンファレンスが開催された。午後の安全保障のパートでは、小和田恒氏(国際問題研究所長)、田中明彦氏(東大教授)、山口昇氏(陸将補)、ジョセフ・ナイ氏(ケネディースクール学部長)、カート・キャンベル氏(国防次官補代理)、マイケル・グリーン氏(外交問題評議会)によるパネルディスカッションが行われた。ちなみにカート・キャンベルは近々CSISに転職すること先ごろ発表されたばかりである。

 他のパネラーが、ナイ・イニシアティブ以来ここ数年の日米の安全保障上の関係の深まりを賞賛し、日本の安全保障議論が現実的なものになったことを評価するスピーチを行う中、最後に壇上に立った小和田氏は「私はみなさんとは違う認識を持っている。日米関係への支持は広がったかもしれないが、それはどれだけ深いものであろうか」と疑問を投げかけた。その疑問は主として敗戦以降の日本国民の平和主義的な心理に対して向けられているものではあったが、日米安保共同宣言やガイドライン改訂を成し遂げてきた日米の安保コミュニティが、ある種のユーフォリア(多幸症)に陥っているようにみえる中、例外的に示唆に富むスピーチであった。

 小和田氏は、持てる国と持たざる国の格差が開いており、この亀裂を埋めることができなければ21世紀は非常に不安定な時代になるであろうとも指摘した。日米の安保関係者は、ついつい周辺事態のような直近の脅威や、ホストネーションサポートのような技術論に目を奪われがちであるが、国際社会に根本的な構造変化をもたらす不安定要因ともいえる貧富の格差について十分な注意を払っているとは言いがたい。常々、日米安保コミュニティが日米の狭い視野にとらわれ、非常に閉じられた言説の生産に終始していることに退屈を覚えていたが、久々に蒙を開かれる思いであった。

2. 現実と認識のギャップ

 今年から、ジョージワシントン大学のマイク・モチヅキ教授の日本政治の授業を聴講している。モントレー研究所での研究活動とは別に、週200ページ程度の英語の文献を読むのはそれほど容易なことではないのだが、日本政治は独学で学んだだけなので、いろいろと発見が多い。

 とりわけ強く感じるのは、かなり優秀で日本についての知識の豊富な学生であっても、日本に対する認識は通俗的な枠組みをベースにしているということである。先日、日本の経済的成功(あるいは近年の失敗)は、官僚(特に通産省)のコントロールによるものである、したがって日本の資本主義は非常に特殊だという主旨のチャーマーズ・ジョンソンが産業政策について書いた論文をテキストとしてとりあげた。ジョンソンの産業政策論は、日本政治研究者の著作としては、例外的に実際の政策に影響を与えたものだそうであるが、学生達の反応も、ジョンソンの立論は常識に類するもの、という趣であった。私は、実際には、日本の戦後経済を支えた自動車産業や家電産業、なかでもホンダやソニー、それに松下電機といった企業群は、通産省の産業政策とはほとんど無関係に成長してきたのであり、通産省が力を入れていたのにその後斜陽になってしまった産業も多い、と指摘したのだが、日本人の言い訳程度にしか聞こえなかったかもしれない。その点、次々に問いを発し、反証となる例を提示していくモチヅキ教授の授業の進め方は見事であり、学生達が少しずつ通念に疑いを抱き始めていく様子がうかがえる。

 それにしても、例えば「官僚による社会や市場の支配」というような過去の通俗的な枠組みは、思いのほか強く人々の理解を規定するのであろう。日本人自身がそうした枠組みにとらわれているのだからなおさらである。

 日本ではリヴァイアサン・グループ、米国でもケント・カルダーやモチヅキのような人が、日本を多元主義の枠組みで捉え、経済成長に果たした民間の役割の大きさや立法府の権力の大きさを指摘しており、客観的に見てそちらがより現実に近いと思えるのだが、人は自分の理解したいような枠組みで物事を理解するということなのであろう。日本人が米国を見る場合にも同様の偏りがあるに違いない。余談であるが、チャーマーズ・ジョンソンは多くの「日本人論」を、日本人が自分たちをそう理解したいように理解するための偽の理論であると痛罵しており、私も衷心からそれに同意するものであるが、ジョンソン自身の枠組みは米国人が日本人を理解したい枠組みにあまりにフィットしているようにも思う。

3. 日米関係に刺さる棘?~歴史問題

 冷戦後、日米関係は、特に通商問題をめぐってかなり悪化した時期がある。したがって、近年の安全保障上の関係強化を寿ぎたい気持ちもわからないではない。しかし、根深いところで、誤解を抱え、互いを軽侮しているのであれば、ちょっとしたきっかけで対立は深刻なものになり、それをセーブすることができなくなるのではないのだろうか。

 対立のひとつのきっかけは「歴史問題」かもしれない。こちらのメディアでも、ホロコーストへの個人補償を勝ち取った弁護士が、今度は戦争中に日本企業が行った行為の被害者を新たなクライアントとして活動をはじめたことが報じられている。中国系アメリカ人も積極的にロビー活動を行っているとの由であり、また、先ごろ米国による日系人の収容に対して米国政府から謝罪をかちとった日系人も支持しているとの事である。日本の戦争犯罪はナチスの戦争犯罪とは異なるという立論は、客観的事実以上に、ナチを追求するユダヤ人の位置づけと、日本を追及する立場の中国人の位置づけが、冷戦期の西側同盟において全く異なっていたという国際状勢に支えられていた。冷戦というシェルターがなくなってしまった以上、日本は客観的事実と国際社会の中での戦争犯罪の(新たな)定義に基づいて、歴史問題に取り組んでいかざるを得なくなろう。

 こうした問題がどのような法廷で争われることになるのか等具体的な手続きについては承知していないが、その結末はどうであれ、この問題を他の領域に及ぼさないことが重要である。すなわち、この過去の問題が日米関係に亀裂をもたらすようなことがあってはならず、中国系アメリカ人が活発に活動していることに対しても、反中感情を高めることなく冷静に対処しなければならない。たしかに、長らく不問に付されていた問題を改めて持ち出されるのは、後出しじゃんけんをされるようで釈然としないところはある。しかし、重要なことは、これは過去の問題であり、現在のわが国は、基本的人権を守り、民主主義を維持している国である、という事実に自信を持つことである。その上で、事実に反することは指摘し、理にかなわない要求には正論を述べればよい。過去の戦争犯罪に対しての個人補償等について国際社会での大方の合意がみられ、それに基づいて日本政府や企業が何かしなければならないということになるなら、最善の方法で淡々と処理すればよいだろう。米国は、人権問題に敏感であり、特にナチとの類比が常識になれば、市民から日本に対してかなり厳しい動きが出、議会も動くかもしれない。しかし、こうした過去の戦争犯罪をめぐる動きは日本だけが直面しているわけではなく、米国自身も朝鮮戦争に際しての米軍の残虐行為の責任を問われている。だから、不当な主張に対しては、正々堂々と主張する、ということさえ続けてゆき、日米関係自体を損なわないように留意しておけば、極端な動きはじきに収まっていくであろう。

 戦前わが国の反米意識を高めたのは、排日移民法である。しかし、米国が、その過ちに気づき、それを撤廃しようとしたことやその動きを止めたのは柳条構事件であることには注意が注がれない。たしかに米国は十分に寛容でないかも知れず、日本に無理解かもしれないが、それに対してナショナリズムをかき立てたところで解決にはならない。冷戦構造というシェルターもなく、米国がユニラテラリズムを強めている今日、米国と付き合うのは骨の折れることであることを覚悟すべきであろう。次に来るかもしれない試練に過剰反応しないためにも、日米関係への楽観は禁物である。

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金子将史の論考

Thesis

Masafumi Kaneko

金子将史

第19期

金子 将史

かねこ・まさふみ

株式会社PHP研究所取締役常務執行役員 政策シンクタンクPHP総研代表兼研究主幹

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安全保障・外交政策 よりよい日本と世界のための政策シンタンクの創造

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