論考

Thesis

よりよいこども家庭(続編)

第1節 児童福祉法の改正点

1.私の第1条
 児童福祉法第1条にはご承知の通り、児童福祉の理念が唱われている。つまり児童福祉の根幹が書かれている。52年前に作られたとは思えないほど、現代にも充分通用する理念が示されていると、私はかねがね思っている。
 しかしそれで本当に充分なのだろうかとも思っている。これが正直な気持ちだ。私が児童福祉に携わって15年以上経過した。しかし「一言で言う児童福祉とは何だ」と問われたら、私は未だに明確に答えられないでいる。そのことがとても恥ずかしい。児童養護施設(以下、養護施設)(注2)「臨海学園」創設者で育ての親・故遠藤光静老師(以下、老師)は、福祉を学び始めたばかり頃の私に、こう教えてくれたことがあった。「児童福祉とは、児童の自主自立精神を確立させることである」と。
 児童福祉を考える時には、いつもその言葉が頭の片隅から離れなかった。かと言って自分の言葉としてストンと落ちても来なかった。それが何年続いたであろうか。今でも続いている気がする。しかしこの頃、ようやくこの問いに対して光明が見えてきた。頭のなかがすっきりしてきたからだ。
 私のなかで児童福祉観がまだ完全に確立した訳ではないが、現時点で思うことを以下に述べてみたい。第1条を私はこのようにしたい。「①すべての子どもは、深く正しい愛情のもとで、心身ともに健やかに生まれ、且つ育てられ・育ちながら自主自立精神の確立をするよう図られなければならない。③(注)すべての国民は、前項が等しく達成されるよう可能な限り最大限の配慮をしなければならない」。

 第1章・第3節・2のところでも述べたが、子どもの配慮に関するすべての前提にまず愛情(愛)を入れることを私は強調したい。それを具体的に表したのが第1条である。子どもの権利条約にも児童憲章にもカナダ・オンタリオ州の子ども家庭サービス法にも英国・児童法にも、”愛”は必ずしも前面的に強調されていない。愛を前面に押し出すことが私の主張だ。

2.こどもの権利を明記
 89年11月20日、国連総会第44会期において全会一致で採択された「子どもの権利条約」(以下、権利条約)は記憶に新しい。我が国は世界に遅れること5年、158ヶ国目に批准(5月16日)を済ませた。そして5月22日に発効して現在に至っている。この条約の採択によって、養護施設業界では「権利ノート」を大阪府が全国に先駆けて作成したり、北海道からは「ケア基準」が出されたりするなど、各地で子どもを権利の主体者として見ていく動きが活発化してきた。権利条約をテーマにしたシンポジウムも開催されている。権利条約がもたらしたいい影響の一つと言えよう。
 しかし社会において、家庭において、あるいは養護施設において子どもが一人の人間として、大人と同じような立場や権利が本当に保障されているのだろうか。家庭内における親からの虐待の増加や最近頻発している養護施設内のスタッフによる虐待、教育現場での教師による体罰などが以前よりも表面化し増えてきているから、権利条約がいい影響ばかりをもたらしたとは、完全には言い切れない。
 条約(国際法)と国内法どちらが優先されるべきか議論(憲法優位説・条約優位説・折衷説)が分かれているが、権利条約を批准しても先にみたように、子どもの権利が守られていない現状を考えれば、条約よりも国内法が優先していると考えられる。仮に国連・子どもの権利委員会から改善勧告を出されたとしても、それは厳しい罰則を伴うものではない。政府が当局に「子どもの人権はきちんと保障されている」と回答すれば、それで一応問題解決したことになってしまうのが実状だ。つまり権利条約は、日本国内でいい影響を及ぼすことが多々あったにせよ、実効性を兼ねた効力は現時点では持ち合せていないのである。

 このような現状で打つ手はないのだろうか。それはある。条約より実際上の効力がある国内法・児童福祉法に子どもの権利をはっきりと明記することである。そして法の実効性を持たせるのである。児童福祉法第1条①と③(注)の間(草間私案参照)、②にこう入れるのだ。「すべての子どもは、人として等しく行使できる権利を有し、且つ守られ保障されなればならない」。カナダ・オンタリオ州の子ども権利保障システムは、学ぶべき点が大いにある。第3章で触れているのでそちらを参考にしていただきたい。
 悲惨な児童虐待がテレビや新聞で伝えられているなか、子どもの権利を単なる絵に描いた餅にしてはならない。

3.親権の制限
 親の虐待や大人からの暴行・買春などによって、子どもの立場が脅かされている昨今、さきに述べた子どもの権利を明記することは、彼らをその危険から守る具体策に繋がる。しかし、これだけではまだ不十分だ。本当に有効に働くかどうかは未知数だからだ。 欧米で親が子どもを虐待した場合どうなるか。その善悪是非は、児童相談所や警察はある程度まで関われるが、判断は一切下せない取り決めになっている。裁判所が最終判断する制度(リーガルサービス)を採っているからである(イギリス・アメリカ・カナダなど)。
 実際には次のように展開されている。すべての裁判は公平性を原則に進められ、法廷では子どもと大人それぞれの言い分を充分聞いた上で、判決をするやり方だ。子どもが正確に客観的に証言できない場合は、弁護士をつけることも可能だ。低年齢であったり証言能力がなかった場合には、子どもの意見や経験を忠実にありのまま述べる代弁者(アドボキット)を証言者として法廷に立たせることも認めている。双方の公平性の実現に力を注いだ結果からだ。
 このように成らしめた前提には何があったのだろうか。端的に言えば、可能な限り子どもを大人と同じ立場として認めていく考え方であろう。それが前述のような制度やシステムを生み出したと思われる。翻って我が国では、虐待があっても親元から簡単に引き離せない、家庭内に第三者が入りにくい、公平な判断に基づいて保護や養育方針が決定されていない実状がある。民法において、親の権限(親権)を具体的に規定しているためだ。これが容易に第三者が家庭問題に対して介入できにくくしている要因だ。
 これでは、せっかく子どもの権利を児童福祉法に明記したとしても単なるお飾りになってしまう懸念が生じる。そうならないためには、親が何らかの理由で子どもの養育に支障をきたした時、速やかに親権を制限(一時停止・停止・喪失)する制度の構築が求められる。外国では親権喪失になるケースがよく見られるが、これは最後の手段と取っておかなければならない。法律上は親子の縁を簡単に切れても、血までは完全に断ち切れないからだ。子どもにとってもそれは悲劇になる。
 確固たる子どもの権利の確立は、親権制限を可能にするための民法改正なくしては始まらない。早急な法改正の実施が望まれる。

第2節 養護原理

1.家庭を感じるケアシステムを
 児童養護施設に暮らす子ども達の家庭背景は、とても悲惨だ。なぜなら親から想像を絶するような暴力を受けていたり、ある日突然親が姿を消してしまったような家庭で育った子が多いからだ。一般常識ではとても考えが及ばないような家庭状況で、彼らは生活してきたのが実状だ。世間から「恵まれない家庭の子」と見られる所以もこの辺りにあるのだろう。
 この「恵まれない子」に対して、我が国ではどのようなケアやサービスを実際に行っているのだろうか。平均して50名の子どもが同じ屋根の下で一緒に生活して、スタッフからケアを受けるのが中心だ。いわゆる施設ケアと言われるものだ。これが、ほとんどであると言っても過言ではない(養護児童等実態調査参照)。
 ところで海外ではどうなっているのだろうか。カナダ編の所でも述べるが、欧米では「できるだけ家庭に近い形」でケアを基本とするシステムが構築されている。このシステムを採用した理由で参考になるのは、カナダ・オンタリオ州のコリーン・マロニー・CCAS(児童相談所に相当)所長の言葉だ。次のように述べている。「集団ケアでは相互作用が少なく、子どもの発達・成長にいい影響を及ばさないことを長年の経験から学んだ。もっとも相互作用を受けられる望ましい場所は家庭だ。家族と子どもが一緒に居られることがベストと考え、カナダでは施設ケアから里親ケアに移行した」。
 施設で育った体験から、職員としての経験から、そして何よりも実際に我が子をいま育ている立場から思うことは、「養護施設では家庭を感じられない」と言うことだ。だからマロニー所長の言葉に素直に頷ける。少ないスタッフで、たくさんの子どもが面倒見ている養護施設の生活で、子ども達に「家庭を感じてほしい」を望むのはちょっと無理がある。
 日本と海外とでは事情が全く違うから仕方がないという人が、なかにはいるかも知れないが、子ども達が求めるているモノは、そう多くない。親の愛情がある家庭、これ一つに限ると言っても言い過ぎではないだろう。家庭をなくした子ほどそれが強いのだ。私自身がかつてそうだったからだ。自分の小さかった頃をいま一度思い出してみると、当時「何を求めていたか」がよく分かるのではないだろうか。
 家庭を求めていることに関して言えば、国境も文化も存在しないと思う。児童福祉法成立52年が過ぎ、日本でも「家庭を感じるケア」を前提にしたシステムを考えるときに来ているのではないだろうか。

2.里親制度の全面改正
 そこで私はこう考えている。ケアの単位をぐっと小さくして、より家庭に近づけていくようにするのである。シンプルな考えしか持っていない。具体的には、欧米と同じように里親ケアを充実させることと、6人定員程度のグループホームを普及させることだ。この2本柱をケアの基本とするのだ。厚生省が小規模施設10ヶ所を開設させるために、平成12年度の概算予算要求をしたことは、評価に値する。一歩前進だ。
 しかし里親制度は近年、里親希望者(登録者)および委託児童数が減少傾向にある(養護児童等実態調査参照)。この事態に憂慮して対策を講じてできたのが、昭和48年度実施の東京都の養育家庭制度だ。今年27年目を迎えるが、減少に歯止めが効いてない。その原因は様々だ。実の親が養子と混同して同意しないことや里親が養子縁組を希望すること(ニーズのミスマッチ)、社会全体で養育しようと考える意識の低さ、児童相談所の里親開拓の限界、里親手当ての不十分など・・である。
 果たして、このような憂うべき現状にある里親制度の打開策はあるのだろうか。関係者はその対策に日夜頭を痛めている。そこで一案がある。里親をしている人・する人に、養護施設・スタッフ同等の給料(所得)を保障することである。同じ仕事、いやむしろ里親の方が勤務時間がない分、実質労働は多いと考えられる。少ない里親手当と措置費だけでの乏しい保障でも里親を続けているのは、彼らのボランティア精神を超えた熱い思いがあるからだ。これまで国の里親に対する施策は、彼らの思いに依存してきたとも言える。

 本当にそれでいいのだろうか。絶対に良くないと私は思う。もしこのまま何もしなければ、減少は永遠にストップしないだろう。篤志家に依存している現行制度を、一定条件(子育て経験者及び児童福祉施設勤務経験者の保育士もしくはそれに準ずる資格者)を満たした人(夫婦でする場合はどちらかでよいとする)であれば、里親事業をできるようにする法の全面改正をすべきだ。ケアの保障は資格条件で担保すればいい。専門資格を持った職業プロが里親になるわけだから、それ相当の所得保障が必要だ。施設スタッフ同等の給与基準にすればいい。
 一つの職業として成り立つ(インセンティブが働く)から、潜在的なものも含めて成り手は必ずいるはずだ。つまり、プロ意識(資格条件による身分保障)と所得保障によって、スペシャリストとして責任の所在も確立される。子育て政策で触れたが、地域で埋もれている有資格者の堀り起こしにも一役買うだろう。
 里親は養護施設と違いスタッフは多くないから、孤独感を感じる度合いが高くなるおそれがある。それをカバーする役割を養護施設や児童相談所等が担う必要性が出てくるだろう。里親が上記の機関で定期的なスーパービジョンを受けさせる義務づけによって、質の高いケアを維持してもらうのが、この制度導入の際しての留意点だ。
 同時に財源の問題も無視できない。子育て政策で述べたことの繰り返しになるが、「子どもが増えた分、将来納税者は増える、高齢者が増えた分、財政支出は増える」。子どもを次世代を担う貴重な社会資本として捉えなれないだろうか。子どもが社会資本ならば、その基盤整備に投資をするのは何も問題発生しない。道路や橋、空港などの公共投資の財源になっている建設国債で、予算確保するのも妥当性があって現実的だ。これは一つの案だ。子どもの問題は、「未来への投資」の視点に立って考えなければならない。

第3節 児童福祉施設の役割

1.子育て専門機関
 保育園(幼稚園も含む)・養護施設・重症心身障害児施設など、子どもに関わるすべての児童福祉施設は、子どもと親及び家庭の子育て専門機関であることはまず間違いない。なぜそう断言できるのか。ソブン教授が言う「子どもが愛され・愛することを体験しながら自立できるよう援助していく」大切さを、身を以てだれよりもよく知っているのが、児童福祉施設だからだ。
 また児童福祉法にもそのことがきちんと規定されている。専門資格を持たない人は、児童福祉施設で働けないからだ。児童福祉施設は、これまで数え切れないほどの多くの・様々な性格の子ども達を援助してきた実績を有する。なかでも130年以上の歴史を持つ養護施設は、そのノウハウと蓄積を豊富に備えた最たる施設だ。
 「愛情量の減った現状で、愛情量の減った時代に生まれた世代が、子どもを育てる」人口が、今後ますます増加し、子どもをどう見るか・どう接するかで迷う世代が多くなるだろう。私は児童福祉施設に、これまで以上の子育て専門機関としての大きな役割と期待を寄せている。

2.キーワードは子育てパートナー
 子育て専門機関が児童福祉施設であると私は言った。期待される第一の役割は、一体何であるのだろうか。私の考えはこうだ。それは、子どもと親及び家庭の専門的な良き「子育てパートナー」になることだ。
 いまの若者の間では会社に属すことを嫌い、フリーターになる人が増えている。これは、自分は何者なのか・何をやりたいのか・どんな人生が送りたいのか・将来どのような家庭を築きたいのかが分からない人が増えたことと関連すると言えなくもない。これからもっとその数が確実に増えていくだろうと想定すると、児童福祉施設は、それらの「再発見」の場を提供していくお手伝いができるはずだ。
 過去から現在までの膨大ないろんな人物のデーターを、児童福祉施設が保管しているからだ。だから、子どもへの接し方・関わり方やノウハウと蓄積が充分にあると考えられる。人の特性に適した多様な援助の提供が可能だ。これがあるからこそ、専門機関として存在しているのだろう。
 したがって、悩める人の・苦しんでいる人の良き理解者の一番近いところに、児童福祉施設は存在すると言える。パートナーと成り得る所以はここにある。私は、これまで措置した・している全児童の児童票(児童相談所で作成された児童及び家庭に関する情報票)とケース記録の詳細をパソコンに入力(データベース化)し、実際の相談援助業務のなかで活用することをお奨めしたい。このデーター管理は、援助方法に迷ったときに、適切な援助をする際に、援助方針のスピードアップに、援助技術の開発などに威力を発揮すると考えている。無限の可能性を秘めていると言ってもよい。
 新英和辞書によれば、パートナー(Partner)には①組合員・社員②仲間・同類③配偶者④パートナー・相手・相棒の意味があるそうだ。児童福祉施設に置き換えれば、子育ての仲間・相棒がそれに相当するのだろう。子どもと親と家庭の専門的な良き理解力を備えた仲間(パートナー)・協力者として、児童福祉施設の役割を捉え直す時期に差し掛かっているのかもしれない。
 イギリスの児童・家庭福祉政策は、家族支援や予防、パートナーシップなどと表現された「家族の再発見」をどのようにしていくかに焦点が移っているようだ。これが最近の特徴である。

 3.壁を持たないサービスの提供 その1
 パートナーになるのが大切だと急に言われても困ると言うのが、各児童福祉施設の本音ではないだろうか。実は私も困っているのだ。はっきりとしたイメージがあまり湧いて来ないからだ。まだ手探りの状態のために、明確に主張できないのが心苦しい。しかし、「子育てパートナー」を考えれば考えるほどに、私の脳裏に浮かんで来るのは、ロンドンに本部を置くNCH Action For Children(以下、NCHAFC)と言われる非営利組織の児童福祉援助団体だ。いわゆるNPOだ。
 それにはわけがある。このNCHAFCが、地域にいる子どもと家庭に起こる・起こり得るニーズに合った、幾つものサービスを積極的に提供しているからなのだ。こうした地道な活動の努力の積み重ねが、地域においては欠かすことのできない子育てパートナーにまで地位を向上させている。
 1869年、孤児救済を目的として孤児院設立からスタートしたNCHAFCの事業は、時代の要請がなくなったと見るや孤児救済事業・孤児院からさっと手を引き、時代が要請する事業へとすぐさま展開した。この決断の早さと実行力は、日本の児童福祉施設業界には見られないものだ。今日では、各地方自治体と共同して250を超えるプロジェクトを抱え、必要とされるあらゆるサービスを対象者に日々届けているそうだ。
 NCHAFCの具体的な活動の一例を簡単に紹介してみたい。孤児院閉鎖後は、ファミリセンターに姿を変えた。1989年児童法に沿って、ブレアー首相の自宅がある地域として有名なイシュリントン市の委託(契約)を受けて、地域に開かれた子ども・親のための通所施設(宿泊所も設置)事業を開業した。そこではカウンセリング・アセスメント・育児指導・親業・職業訓練・親のサポートグループ・レクリェーション・子どもの一時保育など、多岐に亘るサービスを現在行っている。日本の児童相談所よりも、幅広い機能を持った事業をしているといった感じだ。
 それだけに留まらず、国内9つの支部を持つNCHAFCは、それぞれの地域にある行政と契約を結んで、そこで求められた必要なサービスの提供も実施している。さらに近い将来の実現に向けて、①ケアを離れた子どもの独立②友達になる③仲介④被虐待児とその母親への支援⑤心身障害児への支援といったプロジェエクトの準備も進めているそうだ。
 NCHAFCの取り組みを、実際に現地に赴いて見て強く感じたことは、子どもと家庭に関することには、壁(偏見や思いこみ)やこれまでのこだわりを一切排除している点だ。それからもう一点が、対象者中心主義・問題発生主義に徹して「何が必要か」を考えて様々なサービスを提供していることだった。サービス提供の原点はこれだよ、と教えられた気がする。
 専門的な良き「子育てパートナー」を考えるヒントが、このNCHAFCにあるのではないだろうか。サービスの原点にそれが言える。価値観多様化と言われて久しい。このような社会では、モノやヒトの見方に壁を作っていては、求めるサービスを考えつくことができない。もしもそうした考え方を相手に押し通すならば、サービスのミスマッチは間違いなく起こりやすくなるだろう。我々は、壁を作らず対象者中心主義で対応するNCHAFCに学ばなければならない。あらゆるコト(子ども・親やモノ)に対応できる柔軟な考えと実践は、「子育てパートナー」になり得る条件なのかもしれない。

4.壁を持たないサービスの提供 その2
 日本の児童福祉施設の20年後・30年後を展望すると、決して楽観視できない。ご承知の通り、社会福祉基礎構造改革があるからだ。将来、閉鎖に追い込まれる児童福祉施設が何ヶ所も出てくると思われる。こちらについては、私見を拙文・「未来の社会福祉の姿とは」で論述しているので、関心のある方は参考されたい。
 いずれにしても、うかうかとしていられない児童福祉施設。どんな手を打たなければならないのか。結論から先に言えば、囚われないで考えるならば、限りない発展が目の前に広がっているということだ。すぐにでも始められることは、今までの役割と実績をすべて一旦白紙に戻すことだ。そして、可能性として「何ができるか」を全スタッフで持ち寄ってみることである。
 若いスタッフは思考に柔軟性を持っているので、面白いアイデアを出してくる確率が非常に高い。例えば養護施設には、大まかに言えば保育士・児童指導員・書記・栄養士・調理師・施設長の職種がある。栄養士は、料理教室の開催や配食サービスを考えつくかもしれないし、保育士は子育て110番や子育てヘルパーを思いつくかもしれない。児童指導員ならば、キャンプやレクリエーションを地域の子ども対象に実施(有料)してみたいと思うかもしれない。法人の事業規模が大きくなるにつれ職種が増えるので、可能性や選択肢はさらに広がるだろう。
 地域のことをよく知っているのは、その地域に住む住民だ。ならば、地域に必要なモノやしてもらいたいサービスをよく知っているのも、その地域で暮らすスタッフであるとも言える。アイデアがあまり出ず乏しい場合はどうするか。「自分がしてもらいたいこと」を考えてみることだ。案外ユニークなアイデアが生まれるのではないだろうか。
 大事なことは初めからこれはできるな・できないなと考えを固定化しないことだ。何ができるか・何がしたいかを考えることが、その組織が今後生き残れるかどうかの分岐点になるだろう。その点、イギリスのNCHAFCの取り組みは、大いに参考になる。必要だと思うこと・大切だと思うことには、躊躇せずにチャレンジしているからだ。過去に囚われないならば、日本の児童福祉施設も様々なサービスを提供できる大きな可能性がある。

5.積極的な情報発信
 児童福祉施設は、1で述べたように子育て専門機関である。それは「子育てのことなら何でもお任せ下さい」ということと同義語でもある。しかし残念ながら、そうなり得ていないのが現実だ。例えば児童虐待問題が深刻化を増しているが、子育てのスペシャリスト達(医師・看護婦・保育士・心理療法士・児童指導員・作業療法士など)を抱える児童福祉施設業界(以下、業界)が、この問題に対して今日まで、どのような行動を取ってきたかを見れば、それは一目瞭然だ。
 子どもを守るキャンペーンを開催してきた。社会に緊急アピールや提言もした。セミナー開催もしてきた。先の国会では児童福祉虐待防止へ早期法整備を、衆議院・青少年問題特別委員会で、全会一致の決議に持ちこんだ。いろんなことを業界がやってきたのは理解できる。しかし本気になって児童虐待問題を、解決する意気込みを持っていたのかを考えると、はたまた疑問だ。
 世間で児童虐待が表面化する以前の随分前から、児童福祉施設(乳児院・養護施設など要保護系児童施設)では、被虐待児を多く引き受けてきたからだ。したがって、その子ども達を通して、事例や傾向・対策案を業界がたくさん持っていたはずだった。いち早く声を出す位置に業界がいたにもかかわらず、メディアがこの問題を扱うようになった・人々の関心が高まった、つまり時代のトレンドになってから初めて、重い腰を上げたように見うけられる。
 本来ならば、業界が真っ先に手を上げて、率先してこの問題解決をしていかなければならなかったはずだ。そうした貢献活動が期待できるからこそ、福祉施設を社会に存在せしめる理由となっているのだ。
 児童福祉施設の種類は様々だ。体が不自由な子・家庭に恵まれない子・行動に問題のある子・情緒的不安定な子・虐待を受けた子など、子ども自身(家庭)が抱える課題別に施設が別れている。このように十人十色の子どもを各々の施設で見ているのだから、社会問題化するに前に、いち早くその萌芽を掴み取れる位置に業界がいられる。子どもに関する問題がトレンド化する前に、積極的に社会に問題提起していく姿勢が強く望まれる。
 問題提起と同時に、実用的でしかも具体的な解決方法も社会に供給していくことが必要だ。社会の子ども情報発信センターに変貌していくことが、この世紀の児童福祉施設の大きな課題になろう。社会に情報発信されればされるほど、世間は児童福祉施設の存在価値を認めていくだろう。それは、恵まれない子に愛の施しをする救貧保護のイメージから、児童福祉が脱却する大きな意味・意義を持つ。

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草間吉夫の論考

Thesis

Yoshio Kusama

草間吉夫

第16期

草間 吉夫

くさま・よしお

東北福祉大学 特任教授

Mission

福祉。専門は児童福祉。

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