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1999年11月

たざわこ芸術村・わらび座の活動
島川崇/卒塾生

 
 日本に半年ぶりに帰国した。帰国後いきなり飛びこんできたのが、「モーニング娘。」が歌う「Loveマシーン」である。曲中「日本の未来は、世界が羨む」という言葉に思わず胸が高鳴った。

 業界によっては日本が世界をリードして羨望の的となっているものも多数あるが、こと私が今研究している観光学の分野においては、日本は羨望の的はおろか、世界のツーリズムにおける諸悪の根源であるかの如く扱われているのである。こちらで使われている教科書の殆どに記述されている日本の事例はマニラやバンコクへのセックスツーリズムの実態ばかりである。これは実際に存在する話なので否定することができないのが歯がゆいのだが、日本を隠れ蓑にしている欧米の戦略のほうが一枚も二枚も上手であるのは事実である。(この件については12月に"Sex Tourism and Hegemony" というタイトルでプレゼンテーションを行うので、それを踏まえ、1月の月例報告で詳しく論じることにする)

 日本の観光は世界に恥ずべきものなのか。日本には「世界が羨む」観光は果たして本当にないのだろうか。そう考えていたとき、一通のE-mailが私の元に届いた。わらび座の是永幹夫部長からである。政経塾のホームページから私の月例報告を見つけてくださり、文化・芸術的視点から政治を切り込んでいく手法に共感されたとのことである。是永部長は全国を公演して各地で好評を博している劇団わらび座が経営しているたざわこ芸術村におけるユニークな活動を紹介してくださった。これこそまさに私が捜し求めていたものだと思い、秋田県田沢湖町へと飛んだ。

わらび座とは

 たざわこ芸術村の全貌を知るには、まずその経営母体である劇団わらび座の歴史を紐解かなければならない。
 わらび座は1951年2月、当時某大手石油会社の部長であった原太郎が、民謡で戦後荒廃した日本人の心を癒したいと願い、職を擲ち、数人の仲間とともにアコーディオンひとつではじめた「海つばめ」がルーツである。最初は東京を中心に全国津々浦々を廻って活動していたのだが、1953年、民謡の宝庫である秋田県田沢湖町に定着するとともに、わらび座と名称を定めた。
 定着後も全国巡回公演を中心に演劇活動を行っていたため、全国に広がる熱心なわらび座ファンからも常設劇場やそれに伴う宿泊施設の必要性が叫ばれ始めた。そこで団員たちは巡業先で劇場創設のためのカンパを募って廻った。このカンパも劇団ならではのユニークな工夫がなされていた。例えば「椅子基金」。これは、劇場完成後備え付ける椅子を買ってもらう制度である。今でもわらび劇場に入ると各座席にネームプレートがついてある。これは当時「椅子基金」に寄付した人たちの名前で、彼らが観劇するときだけその椅子が彼らの指定席となる。自分の名前が劇場に刻まれているとたまにそれを見に訪れたくなるものである。ただ、「金をくれ」といってカンパを集めるのではなく、寄付者の心をくすぐるユニークなアイデアがわらび座ののちの成功を予感させるものであっただろう。
 寄付者や善意の貸し手は延べ800万人にも及んだ。そして1974年、念願のわらび劇場完成、翌年には350名の収容能力を持つ宿泊施設も落成した。

 その後わらび座は世界へとその舞台を広げて行く。1989年に第一回ヨーロッパ公演が挙行された。第一回で好評を博し、2年後、再び欧州に招聘され、伝統ある古代野外円型劇場での公演も行われた。特にイタリアの観客というのは満足のいかなかった公演に対しての反応は容赦ないことで知られているが、イタリアでもスタンディングオベーションで喝采を受けたことからも、わらび座が海外で高い評価を受けたことは間違いない。

 その後、香港、シンガポール、韓国、ブラジル、アメリカと世界各地での公演は行く先々で大評判になった。
 昨年は長野オリンピック文化・芸術祭に参加、現在5つのチームが全国各地で公演しており、年間公演回数は延べ1000回にも及ぶ。

たざわこ芸術村とは

 そのわらび座が母体となって経営しているホテル、劇場、温泉、地ビール、レストラン等の施設と情報研究事業部門の総称が、たざわこ芸術村である。
 わらび座が田沢湖の地に定着後も、地元の人からはよそ者集団として扱われていた。(これは佐渡に本拠地を置く世界に誇る和太鼓集団鼓童も同じ悩みと闘って来ている)それを打破する意味で、地元を意識したリゾート地化を目指し、名称も「たざわこ芸術村」とし、温泉掘削、地ビール開発等、地元の人々にも喜んでもらえる施設づくりに取り組んだ。実際に温泉にも入ったのだが、銭湯代わりに使っている地元の人も多かった。それまでは、わらび座の熱心なファンに限られていた来場者層も一般の観光客が一気に拡大したのは言うまでもない。

 たざわこ芸術村はやはり世界の舞台をふんだ経験からか、地方の施設が陥りがちな、自己満足的側面が感じられない。目の肥えた最近の都会の人にも納得のいくものを提供しているといえる。ここでたざわこ芸術村の機能を3つに分類して紹介する。

わらび座の本拠地としてのたざわこ芸術村

 勿論経営母体である劇団の本拠地、わらび劇場がたざわこ芸術村のメイン施設である。秋田の伝統家屋を模した750名収容のわらび劇場は、500名を超える収容能力をもつ劇場としては珍しい、客席よりステージが広い劇場である。それだけに迫力ある舞台装置が期待できる。今年で完成後25年経つが、普通25年経つと手抜き工事をしたり、メンテナンスが不充分であったりした時には至る所に綻びが出て来るものだが、それは感じられない。当初の工事も誠実なものであっただろうし、それ以上に劇団員たちの心からのメンテナンスと来場者の温かい心のおかげで現状を維持しているものと思われる。

 客層は近郊の中年女性が中心になっていた。そのため、わらび劇場での演目も彼女達が喜ぶ内容となっていた。ちなみに、全国巡業しているグループは司馬遼太郎原作の高田屋嘉兵衛の一生をミュージカル化した「菜の花の沖」を上演し、幅広い客層に感動の嵐を呼び、また学校公演を手掛けるグループは日本の伝統楽器とロック、レゲエをコラボレートした音楽アンサンブル「響」を引提げて全国を巡業している。きちんとマーケティングのセグメンテーションができている。独り善がりな劇団、文化芸術団体が多い中で、わらび座のマーケティングは幅広くわらび座ファンを増やす効果が大いに期待できる。

観光地としてのたざわこ芸術村

 わらび座は株式会社制をとっている。株式会社と名のつく以上、利益は計上しなければならない。しかし、劇団運営だけで黒字にするのは至難の技である。そこで、複合リゾート施設としてのたざわこ芸術村全体で利益を生み出し、劇団運営との相乗効果を狙っている。日本中に温泉リゾート地は星の数ほどあり、その中で如何にリピーターを獲得していくか各地ともしのぎを削っている中で、わらび座の経営するたざわこ芸術村は妥協のない、本物のサービスを提供しているといえる。

 1992年にオープンした「温泉ゆぽぽ」は硫黄のにおいもほどよく香る、多少ぬめりのある、軟らかい泉質が特徴である。
 湯上りのビールは最高であるが、数年前に興った地ビールブームも、大手メーカー製造のビールよりもまずいものが多く、最近では以前ほど騒がれないばかりか、地ビールを敢えて敬遠する動きさえ出ているのが現状である。その中で、たざわこ芸術村内で醸造している田沢湖ビールは何処に出しても恥ずかしくない、抜群の味を誇る。芳醇な香りと美しい色を誇るアルト、黒ビールなのに何故かすいすい飲みやすいダークラガー等、どれをとっても国際レベルであることは間違いない。(普通のビールはビール酵母を最後に抜き取るそうだが、田沢湖ビールはこれをそのまま残しておく。そのため賞味期限は一ヶ月と他の生ビールよりも早いのだが、どれだけ飲んでも二日酔いにならないのである!ビールとエビオス錠を一緒に飲んでいるようなものだからであろうか!?)最近、ジャスコとの販売契約が成立し、今では全国のジャスコで田沢湖ビールを買い求めることが出来る。

 そしてたざわこ芸術村の一番の自慢は料理である。最初は地元の奥様方が厨房に入っていたそうである。そこで一流のシェフを呼んで料理教室を行っていたのだが、その中で秋田でも一、ニの腕を持つ大島昭一シェフがたざわこ芸術村の理念に共感し、総料理長として陣頭指揮を取ることになった。その結果、料理は地元産の新鮮な素材もあいまって、都会でかなり舌が肥えた人にも満足の行くものが提供できているのである。食事だけでも訪れる価値は大きい。

 わらび座の劇団員が劇で使う和太鼓のばちや道具を実際に製作していたことから、たざわこ芸術村内には森林工芸館という施設も併設されている。ここでは小物から家具や一枚板からなるテーブルなど大物まで木工製品が所狭しと陳列されているだけでなく、木工教室、陶芸教室など、実際に製作の体験も楽しめる。

 ホテルの内装はお世辞にも一流ホテル並とは言えないが、これは一流ホテルの客室に慣れて目が肥えた人たちを納得させるのはかなり絢爛豪華にしなければならず、しかも、そのレベルを維持するためにリノベーションも頻繁に行わなければならないので、戦略的にあまり得策とは言えない。その代わり、お客様をもてなす心は最高である。フロントだけでなく、清掃担当者も食事の配膳係も皆満面の笑顔で宿泊客を迎える。私も過去接客の最前線にいたことから接客態度、ホスピタリティーということに関しては人一倍こだわりを持っているが、ここまで徹底しているのは劇団が母体になっている企業体であるということが大きく影響しているからであろう。リピーターは料理とホスピタリティーで必ず戻ってくる。たざわこ芸術村のように小資本で質の高いサービスを提供するところでは絢爛豪華な客室は不要である。

調査研究機関としてのたざわこ芸術村

 わらび座は設立当初から精力的に秋田をはじめとする日本全国の民舞、民謡のデータ収集に努めてきた。そこで1974年に財団法人の認可を受けて(財)民族芸術研究所が設立された。ここでは、日本の民謡や芸能などの文化的な遺産に関するあらゆる資料の収集、整理、保存を行っており、その蓄積されたデータは民謡で15万曲、民俗芸能の映像データに関しては3500演目にも及ぶ。蔵書も充実しており、劇団員が各自の芸の幅を広げるために利用されているが、今後は各地の図書館ともネットワークを構築し、多様な文化的要求に応えることが出来る図書館を目指す。

 現在は、茶谷十六研究員によって近くにあった院内銀山のお抱え医師であった門屋養安の日記の解読作業が進められている。秋田が芸どころといわれる所以のひとつに鉱山が数多く見られることが挙げられる。鉱山のあるところには疲れた鉱夫を癒すため多くの民俗芸能が栄えた。院内銀山も例外ではなく、大坂の浄瑠璃や江戸の講談が盛んに演じられた。門屋養安は宿屋も経営し、医師仲間だけでなく、役人、芸人から飛脚、商人までが養安のもとを訪れた。江戸後期の民俗資料としてはきわめて価値の高いものである。これは2004年以降オリジナルミュージカルとして生まれ変わる予定である。

 わらび座にはマルチメディア事業部としてデジタルアートファクトリーという部門を持つ。音楽は後世に残すために楽譜があるが、舞踊は後世に書物として残すことはなかなか至難の技である。そこで、デジタルアートファクトリーでは民俗舞踊の動きを解析し、データベース化して保存する、3次元デジタル舞踊譜を開発した。舞踊譜であるから、その効果は既存の舞踊の解析、保存だけにとどまらず、二つの別の民舞の動きをドッキングさせて新しい動きを創作することも可能である。これは97年に通産省のマルチメディアコンテンツ政策支援事業に採択され、新技術として世界的にも注目を浴びている。

 デジタルアートファクトリーでは、「花ねっと」という愛称で地元地区のインターネットプロバイダーとして早くから地区のマルチメディア化推進にも大きく貢献している。

 以上のようなたざわこ芸術村の取り組みは世界の文化行政も注目しており、劇団員だけでなく、是永幹夫全国公演営業部長を始めとするマネージメント部門の人も各地で行われる文化・芸術と市民、もしくは行政の関わりについてのシンポジウム、国際会議などに引っ張りだこである。私の訪れた翌日も是永部長は第一回アートマネージメント学会のパネラーとして招聘されていた。また、今年夏、北東北知事サミットもたざわこ芸術村内で行われたり、内外からの視察も後を絶たない。加えて、通産省環境立地局が展開しようとしている「エンターテイメントによる地域振興」もたざわこ芸術村の活動が大きなお手本とされている。

世界のツーリズム潮流の範たる「わらび座修学旅行」

 わらび座は創立当初から全国巡業を基盤としており、その中でも学校公演は中核をなしていた。全国の学校を廻るたび、わらび座の民謡指導を受けると、それまでしらけていた子供たちが皆楽しそうに大きく口を開けて歌い出す。それは普段校内暴力に悩まされていた先生方には驚くべきことであった。そして、近郊の学校から、わらび座に日帰りで民謡、民舞を習う動きが始まった。

 そんな折、従来の旅行会社お仕着せの、ただ名所を見て廻るだけの修学旅行を見なおす動きが問題意識を持つ一部の先生方から出始めてきた。そして新しい修学旅行の形としてわらび座を訪問出来ないか打診があった。ちょうど、わらび劇場と宿泊施設も出来たときと重なり、わらび座も「人間として生まれてきた喜びをみんなの中で感じ合い、未来へ生きていくエネルギーを共同で創り出そう」と修学旅行受け入れを始めることになった。

 このわらび座修学旅行については、岩波ジュニア新書、及川和夫著「わらび座修学旅行」に詳しい。ここには最初にバスが到着したとき、劇団員から鐘や太鼓で熱烈歓迎をうけ、まず子どもたちが戸惑ったり、余計嫌悪感を持ったりしながら、踊りの稽古をクラス別で行っていくうちに、少しずつ団員たちに引き込まれて、最後には別れを惜しんで涙する生徒の姿も現れるといった様子が克明に記されてある。1987年刊行の本だが、当時と比べて今の子どもたちはもっとやりにくいんじゃないですかと尋ねたら、基本的に何も変わりませんよと応えてくれた。現在も年間50校がわらび座を訪れる。次回わらび座に来るときは是非修学旅行一行と合わせて来て、彼らが生き生きと変わる姿をこの目で確かめてきたい。

 わらび座としても修学旅行受け入れの効果は計り知れない。まず、最初は民謡、民舞なんてダサいと思っている大多数の生意気な子ども相手である。熱心なファンなら多少面白くなくても贔屓目に見てくれるだろうが、子どもたちは正直である。絶対に失敗は許されない。いかに短期間でネガティブイメージを払拭するかという技術は並大抵のものではない。往々にして文化・芸術団体はひとたび固定ファンが定着するとそこで祭り上げられ、新規開拓を怠る傾向が顕著である。そのため独り善がりになっていき、一般に受けなくなってくる。しかし、このように全く興味のない客層を引き込む努力を日頃から積極的に進めていく真摯な態度は他の文化・芸術団体は大いに見習う必要がある。

 また、このわらび座内での修学旅行とセットで、周辺農家の方々の協力も仰いで、農作業体験も組み込まれている。当初は15軒だったのが、今では農家同士で自発的にわらび座修学旅行受け入れのネットワークが形成され、ネットワーク参加農家は総勢700軒にも増えた。中には自身で農作業体験のツアーを作ってサイドビジネスを始める農家も現れるなど、自助努力の気風が生まれつつあり、期せずして農家の意識改革も一役買った形になった。日本各地でもグリーンツーリズムの動きは全くないわけではないが、わらび座近辺ほど機能的に、協力的に進められ、しかも一定の成果を着実に出している例は数少ないであろう。

 旅行会社と教師が癒着して旅行会社のお仕着せの旅行を毎年行う修学旅行の実態を私自身航空会社のセールスマン時代にいやほど見てきたが、個人自由旅行の潮流にそぐわないからといって一気に廃止してしまうのではなく、それを工夫して効果的に行えば、個人自由旅行では絶対に出来ない素晴らしい体験が可能になるのである。欧米の学校では修学旅行をしないというより、出来ないのである。折角修学旅行という世界でも類を見ない旅行形態の伝統があるのだから、学校側も一部業者と癒着するのはやめ、旅行会社も大いに知恵を絞って人間とは何か、生きるとは何か、本当の楽しさとは何か、考えられる機会になれば教育現場の荒廃を解消する起爆剤になり得るのである。

 世界のツーリズムの潮流は今エコツーリズムやグリーンツーリズムといった「サステナブルツーリズム」に流れている。サステナブルとは持続可能なという意味だが、従来開発途上国がリゾート開発で外貨を獲得しようとして先進国に開発を依頼したために先進国の都合のいいように乱開発されてしまい、結局途上国の生活向上はおろか、公害、モラルの低下など観光振興における負の側面を背負わなければならなくなったという反省が込められていると解釈されている。しかし、それに加えて、sustainableという言葉にはable to support physically or mentallyという意味もあることを付け加えたい。ただボーッとして癒す従前のリゾートツーリズムであれば、それは一時の逃避でしかならない。そのリトリート期間が終了すればまた戦場が待っている。都市社会の生活でストレスがたまり疲れ果てた大人から子どもまで、今必要なのは人間そのものとの出会いの旅なのではないだろうか。「サステナブルツーリズム」とはただ単に持続可能なシステムを作り上げることではなく、人間発見の要素がなければいけないということを私は世界に先駆けてわらび座を例に挙げて主張したい。

たざわこ芸術村のヒューマン・リソース・マネージメント

 先に述べたデジタルアートファクトリーの最先端の技術は長瀬一男チーフディレクターの技術力の賜物である。また、かなり舌が肥えた客も納得いかせることの出来る料理は、大島昭一総料理長の腕によるものである。彼らほどの技術レベルであれば日本全国探してみるともっと待遇よく契約できる会社は間違いなくある。なのに彼らはたざわこ芸術村で働きつづける。他の社員も一緒であろう。給料という面で見ると厳しい会社である。

 ただ、ここで理解できることは、金でヘッドハンティングしてきた人材は必ず金で逃げていくということである。たざわこ芸術村には金では買えない人間の根源的なものに訴えかける「何か」がある。皆わらび座をこよなく愛し、わらび座が公演して観客と喜びを分かち合えることを何よりの誇りにしているのである。人間にはモチベーションが必要である。しかし、そのモチベーションをどこに設定するかは、全てトップの決断にかかってくる。どこよりも経常利益を出すことを至上命題にした企業であれば、金で優秀な社員をヘッドハンティングしてきてもいいし、社長が贅沢三昧してもいい。いつか社長になってあの贅沢な生活をするぞと逆に発奮材料になるからである。しかし、そのような企業はひとたび利益が出せない環境になると再建は至難の技である。一気に優秀な社員から先に抜けて行き、もう他社では役に立たない社員は確実に残る。

 業界の急成長が望めないとき、トップは社員にその会社への愛着が持てる何かを提供しなければならない。

 世の中の経営学は米国型が花盛りである。ROEに代表されるようにいかに資本を利益に結びつけるか、そしていかに株主に還元するかにすべての注意が向けられている。しかし、私はあえて時代に逆行していると言われるのを覚悟で、声を大にして言いたい。金で得たものは金で必ずしっぺ返しを食らう。金を得たときは、それを金でない何かに昇華する必要がある。株主はアイデアを生まない。アイデアを生むのは熱心な社員(とお客様のクレーム)である。そのためには社員一人一人が自分たちはこの会社に必要だと思わせる何かが必要になってくる。それがたざわこ芸術村にとってはわらび座なのである。

 私が米国ではなく、英国でMBAを取る理由もここにある。金ではない「何か」。漠然とした表現だという批判を覚悟で敢えて「何か」と記述する。それは数字では表せないし、勿論金でも換算できないものだからである。その「何か」は「愛社精神」という言葉とは多少ニュアンスを異にする。なぜならば「愛社精神」は極めて自社本位な発想である。自分の会社が利益を上げさえすればよいといった類の考え方も愛社精神である。

 英国の経営学者、チャールズ=ハンディは企業を社会との係わり合いの中で「善」「美」「わくわく」「楽しさ」といった観点で捉えることを提案している。金は必要条件であっても、十分条件ではない。社会の中での企業の存在理由をしっかりと示し、社員が誇りを持って働くことが出来なければその企業が長期的に繁栄することはあり得ない。

今後の展開

 劇団を核にした特徴ある経営が今後も他の数多ある世界のリゾート地との大きな差別化になることは間違いない。今後の展開としても、いかに劇団が経営しているという強みを生かすことが出来るかが鍵になってくる。

 例えば、日本人がハワイやカリブ等、海外で結婚式を挙げる大きな理由のひとつに、日本で結婚式を挙げて呼んだ呼ばないのいざこざや席順、挨拶で上司、親戚との面倒な折衝をしたくないことが挙げられる。であれば別に離れていれば海外である必要はなく、秋田で行ってもいいのではないだろうか。日本の伝統的な結婚スタイルを体験したいカップルも多いはずである。しがらみにとらわれず、厳かに、しかも楽しく盛り上げられるのであればわらび座結婚式プランなんていうのも面白いかもしれない。劇団員に結婚をさんざん盛り上げてもらった翌日、森林工芸館で二人の愛の巣の表札を作る。もしくは夫婦茶碗を作る。そして、二人の名前を入れて記念植樹をする。そうすれば、その後もその木がどれだけ大きくなったか見にたざわこ芸術村に再度訪れてくれるに違いない。勿論自分たちの町にわらび座が来たときは観劇するに違いない。ただ結婚式プランを実現させるにはプレジデンシャルスイートを一室作らなければいけないが。

 また、今修学旅行生に対して行っているプログラムを、世界の日本に興味を持っている学生のために開いてみてはどうだろうか。私はアメリカの状況は知らないが、少なくとも英国ではここまで日本の経済が落ち込んでも日本に対する興味を持っている人口は無視できないのである。アジア諸国にいたっては言うまでもない。しかし、日本はインバウンドの観光をないがしろにしているため、日本の文化に触れる観光は殆どなされていない。ここで、農業体験を含む、日本の文化体験ツアーを企画し、海外に向けて発信することを提案したいこのプログラムに参加した学生が、将来母国で重要な地位を築いたとき、日本のことを蔑ろにした行動は取らないはずである。

 外国人に受けるためには直接的な視覚、聴覚に訴えかけるものも必要になってくる。そこで和太鼓を中心とした打楽器の充実を図るべきであろう。

 最後に、本体の劇に関して言えば、民謡、民舞といった、先入観で「ダサい」と思われるものをいかにcoolに魅せるかといった工夫は絶えず凝らさないと、すぐ陳腐化してしまう。世の中で今coolだと評判のもののなかには案外それまではダサかったものをマーケットを注視して斬新なアイデアや意外性のある組み合わせでイメージチェンジに成功したものも多く存在する。

 今では世界で大人気の和太鼓も、鼓童が筋骨隆々の男がふんどしひとつで超巨大和太鼓を乱打するという演奏方法を編み出すまではダサい民謡の伴奏楽器だった。変な動きだとばかにされて、アイルランド人の内輪受け文化の典型であったアイリッシュダンスもリバーダンスの出現により世界を興奮の渦に巻き込み、音楽のエンヤの登場とあいまってアイリッシュ文化を世界に認知させた。誰も見向きもせず、音楽専攻生レベルの音楽史で登場するだけだったグレゴリオチャントはエニグマのロックとのコラボレートで見事にその存在をアピールした。舞台芸術ではないが、老人文化の代名詞だった園芸も英国式ガーデニングを導入することで一気に若年層が土いじりを始めることになったのも同じ感覚であろう。

 わらび座には、民謡ってかっこいい!coolなんだ!ということを特にアピールして欲しい。そのためにはマーケティングセグメンテーションを多少若い世代に照準を定めても問題はない。主婦たちは若く見られたいものだから、若者文化は受け入れやすいが、逆に若者は主婦文化を受け入れない。主婦をマーケティング対象にしている「山神様のおくりもの」もフィナーレは全員でモダンダンス的な踊りで締めても問題はないだろうし、村一番の鉄砲撃ちの「熊」が祭りで和太鼓を叩くシーンももっとシャープな動きで乱打してもいい。とにかく、世界の若者が憧れるわらび座を目指して欲しい。舞台を見た若者が次々に研究生選考の門を叩く状況を作って欲しい。私はわらび座に日本のリバーダンスたれと熱くエールを送りたい。

たざわこ芸術村・わらび座ホームページ:www.warabi.or.jp

1999年11月 執筆
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