論考

Thesis

アートリテラシー向上作戦

1543年、種子島にポルトガル人が到着し、わが国に初めて鉄砲を伝えた。その6年後の1549年、今度はスペイン人フランシスコ=ザビエルが鹿児島に到着し、キリスト教を伝えた。日本史ではこのように習うが、世界史と関連付けて考えると、16世紀という時代、スペイン、ポルトガルは中米、南米において在来の文明を滅ぼし、ドラスティックに海外進出を進めていった。ポルトガルは1530年にゴアに総督府を設立、1557年にはマカオに進出、スペインは1571年にマニラ占領。徐々に北上して勢力を拡大し、確実にアジアを侵食していっている。勿論ポルトガル人もスペイン人も黄金の国ジパングを手に入れたくないわけはなく、虎視眈々と日本占領のチャンスを狙っていたに違いない。しかし、近代兵器も持たない日本に対し他の地域で行ったような武力にものを言わせ占領しなかったかという理由は、日本人の驚異的なリテラシー(識字率)に驚き、虐殺するのを躊躇したからだと言われている。

 私自身ロンドンに暮らし始めて4ヶ月が経とうとしている。アメリカ人ほどはないにしても、ここでもやはり白人の我々を含めた黄色人種に対する差別意識はどことなく感じる。これは渡英前もある程度覚悟してきたことだったが、その一方、予想に反して日本人に対してある意味で一目置いてくれているイメージを抱くのも事実であった。それは勿論メイドインジャパンの自動車、カメラ、テレビ、AV機器等他の追随を全く許さないクオリティの高さに対する尊敬にも現れているが、それだけでは高度経済成長時代にも尊敬されてしかるべきだった。しかし当時はエコノミックアニマルと揶揄され、嘲笑される対象であったことを考えると、彼らが日本を一目置くのは製品のクオリティの高さだけではないのではないかと思われる。一番の要因は文化・芸術面における日本人の活躍ではないかと私は考える。

 ロンドンは世界中から、クラシックをはじめコンテンポラリーまであらゆるアートが集結している。そして、美術、写真、工芸、建築、演劇、バレエ、ヘアデザイン、ファッションデザイン、漫画、アニメ、音楽(ポップスを除く)殆どのアート分野で日本人が目覚しい活躍し、高い評価を得ている。

 最近のロンドンで話題になっている日本人アーティスト2人を紹介しよう。

 Tate Galleryで現在好評を博しているコンテンポラリーアート特別展「アブラカダブラ」において一番話題をさらっているのが鳥光桃代というほかでもない日本人である。彼女は日本の親父サラリーマンそっくりのロボットを作り、宮田二郎とネーミングした。そしてニューヨーク、ロンドンの街を宮田二郎が匍匐前進し、その横を看護婦のコスチュームに身を包んだ作者鳥光が歩く。宮田二郎は電池で匍匐前進しているので電池が切れたら看護婦の鳥光が宮田二郎のパンツをずらし、お尻を取り外して電池交換をする。その路上での光景が、展示されている宮田二郎実物の後ろでビデオ放映されている。この作品の斬新さだけでなく、ディスプレイのアイディアも評価され、今回のTate Galleryにおけるコンテンポラリーアート特別展「アブラカダブラ」の代表作品としてニュースでも取り上げられた。

 また、厳格な演出で特にシェークスピアの演劇をモチーフに日本風にアレンジし、定評のある蜷川幸雄が今年10月23日から11月20日までバービカンでの「リア王」の演出を手掛けることになった。日本人を引き連れてシェークスピアの演劇を英国でお披露目するというのは今まででもあったが、今回の蜷川は本場ロイヤルシェークスピアカンパニーにおいて英国人以外で初めて演出を手掛けるという快挙を成し遂げた。これはいわば東銀座の歌舞伎座での歌舞伎をひとりの歌舞伎に造詣の深い英国人が演出するのとイメージ的には同じであると考えていい。蜷川の演出は日本でも妥協の許さない厳格さで知られており、10月の公演はかなり期待が出来る。

 特に話題になっている2人を取り上げたが、まだまだ日本人で大活躍しているアーティストは枚挙に暇がない。

 今後の国際政治において、先述した16世紀頃のような不法占領、虐殺は行われないであろう。しかし、私が危惧するのは、これからは強大国がもっと巧妙で戦略的に、領土を奪わず、他国の人々の心の中に巧みに入り込み、各国の文化を占領する時代になってくるのではないかということである。もう既にハリウッド発の映画、インターネット、マスコミ操作で徐々に世界の文化は侵食され始めている。それは明らかに強大国の国益に沿った形で発信されるものであるにもかかわらず、その巧妙さ、戦略性に大衆が防衛手段を持たず、いとも簡単に影響を受けてしまうのではないだろうか。

 その文化の占領に対し、文化鎖国という手段は効果的な防衛にはならない。1年前までの韓国を見ても分かるように、いくら国が日本文化を禁止しても、街には森高千里の音楽が溢れていた。しかもインターネットとなればもうお手上げである。

 結局、防衛できるものは「国民の『アートリテラシー』の向上」以外にないと考える。「アートリテラシー」とは私の作った造語で、いかに芸術を理解できるか、真贋を見分けられるか、奥に込められたメッセージを掴み取れるか、という能力のことである。アートリテラシーが向上するということはアーティスト人口が増えることを意味しない。実際に作品を創り出せなくてもいいから、より多くの国民がアートを鑑賞できる眼、贋作を看破し、批判できる眼、そして本物を楽しめる心を持つことが重要なのである。

 日本のアーティストは世界的に活躍していることは先に述べたが、決してまだアートリテラシーの高い国家であると言える状態ではない。一握りの才能を持つアーティストが世界で活躍するだけでは不完全で、それに加えて国民全体のアートリテラシーを向上させてはじめて文化・芸術国家と言えるのである。その点、英国は見習うべき国である。

 まず、いかにアートリテラシーを向上していくか。これは国民が良質のアートにインターバルをおかず連続して触れることが出来る環境づくりがまず第一段階である。そのためには、良質のアートを無料もしくは限りなく無料に近い状態で供給しなければならない。

 英国の夏の風物詩であるロイヤルアルバートホールで行われるプロムスはこのお手本となるイベントである。毎年7月から9月まで毎日毎日世界の一流オーケストラやソリストがかわるがわるコンサートを開く。しかも、最低料金は3£(約600円)。高い席でも25£(約5,000円)そこそこで観ることが出来る。これなら連続して聴きに来ることが出来る料金である。クラシックのコンサートと言えば、ラフな格好をしていくと恥ずかしいとか、楽章の途中で拍手をしてはいけない等の不文律が多く、ファン以外にはどうも敷居の高いイメージが付きまとう。しかし、プロムスはお祭りである。皆ラフな格好をして集まり、ワインやビールを片手に聞いている人も大勢いる。そして楽章の途中でも、素晴らしい演奏が行われたときは容赦なく拍手が沸き起こる。そして、コンサートの最後、素晴らしい演奏には、観客が足踏みして賛辞を送る。最終日の「ザ・ラストナイト」では、観客が、ユニオンジャックやイングランドの国旗を振りながらエルガーの威風堂堂を肩を組んで合唱する。およそ、「行儀のいいクラシックのコンサート」とは言えないが、その分観客も演奏者も裏方も皆楽しむことが出来る。今年私は6回プロムスの演奏会に足を運んだ。連続して参加すると条件を統一して公平に聴き比べることが出来るので、耳は断然肥えるのを感じる。私の妻はクラシックに対しては殆ど素人の域を越えないが、プロムスに連続して参加することでかなり耳が肥えたのを実感できた。

 クラシック音楽だけではない。英国にはナショナルギャラリー、テートギャラリーを始めとする美術館も充実している。しかもそれらは殆どが無料開放している。私はテートギャラリーが好きで今まで3回足を運んだが、訪れる毎に新しい発見があるのである。そのためには忘れたころに訪れるのではなく、連続して触れることが大切である。

 日本にも素晴らしい美術館は多数存在するが、常設展を無料開放している美術館は皆無と言っていい。また、クラシックのコンサートもウイーンフィル、ベルリンフィル級になると一番安い席でも1万円以下の席はあり得ない。これではアート愛好者の裾野は広がらない。普段の生活にアートが溶け込み、誰でも難なく本物に触れることの出来る環境づくりが必要である。

 良質のアートに連続して触れることの出来る環境が整えば、次はコンテンポラリーアートに触れることの出来る環境づくりである。しかし、コンテンポラリーアートは我々日本人にとって極めて馴染みの浅い分野であるため、どうもコンテンポラリーアートのイメージが沸きぬくい面は否めない。(文末に附録として今回私が実際に見学したコンテンポラリーパフォーマンスのなかで一番印象的だった公演の様子を添付しておいたので、コンテンポラリーアートとは如何なるものか、理解の一助となれば幸いである。)

 では何故コンテンポラリーアートなのか。例えば斬新なアイデアでクリントンの選挙キャンペーンを成功に導いたBob Squire氏はインスピレーションを得るためにMTVを視聴するという。確かにMTVにはカメラワークやストーリーなどアイデアのヒントが溢れている。そのMTVで放映されているビデオクリップを製作するプロデューサー達はコンテンポラリーアートからそのインスピレーションを得ている人が多い。よってMTVがニューヨークとロンドンに本拠地を置くのはこの2都市が世界のポップミュージックをリードしているからなのだが、なぜこの2都市が世界をリードできているか、理由はここにあった。コンテンポラリーアートがニューヨークとロンドンの2都市で完全に他都市をリードしているからである。

 ロンドンはコンテンポラリーアートに溢れている。コンテンポラリー専門の美術館も多いが、ターナーコレクションで有名なテートギャラリーなど、クラシックの美術館でもコンテンポラリーアートの特別展をしばしば開き好評を博している。また、コンテンポラリーのダンス、パフォーマンスの上演も群を抜いており、自主制作映画の上演も日本の比ではない。日本でもコンテンポラリーは存在することは存在するのだが、アングラで知る人ぞ知る的に行われているのが現状でまだまだ大きく一般に浸透しているとは言いがたい。その点ロンドンは意図せずともコンテンポラリーに触れることが出来るほど、土壌が出来ている。よって、大陸ヨーロッパのコンテンポラリーアーティストは皆まずロンドンを目指す傾向になる。因みにヘアデザイナーの世界でも、時代を先取りしたコンテンポラリーなデザインはイタリア人が開拓して行くことが多いのだが、それはイタリアで発表するのではなく、ロンドンで磨きをかけ、ロンドンから情報を発信していることが多いと在ロンドンのヘアデザイナー、ヒノ・ショーゴ氏は述べていた。

 6月に行われた冨田勲の源氏物語イベントの際知己を得たフランス人のコンテンポラリー音楽作曲家Chloe D. Tsoe氏によれば、コンテンポラリーアートに触れていくうち、それが積み重なってある日ふっとインスピレーションが沸いてくるらしい。そのインスピレーションを重ねていくと、世の中の全てにおいて真贋を見分けることができる、我々がいつのまにかどこかに置き忘れて来た動物的本能が活性化するのだとTsoe氏は主張する。名プロデューサー、名マーケッターと言われる人はインスピレーションを得るためにコンテンポラリーアートに通う意味がここにあるのである。

 コンテンポラリーアートはまだ世の中で評価がはっきりしていない場合が多い。そのため一定の評価を得て時代を越えて生き続けて来ているクラシックよりもスポンサーがつきにくいのだが、ロンドンでは貴族が中心になって設立した財団が、ニューヨークでは企業が中心になって金銭面でサポートしている。日本でコンテンポラリーアートを振興するには、政府が直接公的資金を投入するのも一策だが、それより寄付に対する税制の優遇策を講じたほうがより民間に幅広くコンテンポラリーアートに対する理解も深められ、振興に寄与することが期待できる。

 次の課題として、学校教育現場ではどのようにすればアートリテラシーを向上させることが出来るだろうか。そこで一般の公立小学校とエリート養成のプライベートスクールを実際に訪れて、特に、音楽教育、美術教育がどのようになされているのか、英国民のアートリテラシー向上は、プロムスや美術館等、成人になってから社会のなかでの作用なのか、それとも学生のときからアートリテラシー向上を意識した教育課程が組まれてあるのか、その点を注意して見学して来たいと思っている。

 よって今後は次のような予定で研修を進めていく。

 9月は8月後半から引き続いて名古屋の都市計画の第一人者、中部大学工学部建築学科の佐藤圭二教授が英国に視察と情報収集のため訪問しており、私が現地コーディネーターを務めている。その佐藤教授から都市計画とは何かこの機会に教えてもらい、来るべきデザインによる街づくりを実践しているグラスゴー市訪問に備えたいと思っている。

 その後は、かねてから私は国家のアイデンティティを示すにはインバウンド(観光客誘致)の振興が不可欠だということを主張しているが、それを体系立てて戦略的に研究したいと考え、ノースロンドン大学ビジネススクール経営学修士課程観光学専攻コースに入学することになったので、9月末日からは大学院で研究活動を進めていく。よって10月、11月の月例報告は観光学が何故重要かということについてまとめる。

 12月にグラスゴー市訪問をし、1月に学校訪問をするため、本稿で得た課題「アートリテラシー向上への学校教育の役割」は1月、もしくは2月の月例報告で執筆したいと思っている。

(附録)私のコンテンポラリーアート体験記

 私もロンドンのコンテンポラリーアート事情を知るため、先の冨田勲コンサートで知り合ったフランス人のコンテンポラリー音楽作曲家Chloe D. Tsoe氏に依頼し、数団体のパフォーマンスを見学した。
 その中でも一番強烈な印象に残ったパフォーマンスは、スペインのダンスパフォーマー、La Ribot率いるEl Gran Gameであった。
 これは総勢11人のパフォーマーが参加するもので、代表3人が順に2個のさいころを振り、出た目によってパフォーマンスを繰り広げる。舞台は正方形で全ての縁に観客を配置し、観客に対してパフォーマンス中自由に動き回ることを推奨している。舞台上には36枚のA3大のパネルが貼ってあり、それぞれにキーワードが書かれてある。その上をパフォーマーは時には走り、時には寝そべり、不思議な動作で動き回る。動作は手話の要素を取り入れているが極めて概念的で、その法則性も意味するところも総ての観客の解釈が一致することは全くあり得ないような動作である。ナンセンスなようだが、彼らの動作には全て意味があるようである。

 パフォーマンスを見ている間は全く訳が分からない。我々には出たさいころの目も分からないし、どの目が出たらどの動作をしているのかも分からない。舞台上に貼ってあるパネルの文字も見えないが、見えてもそれが何を意味しているのか分からない。頭の中が?????????でいっぱいになっていく。そのうちパフォーマーが全裸になっていく。なぜ脱ぐ必要があるのか。例えばストリップ劇場やAVビデオであれば目を凝らして見ようとするのだが、今回は完全に体が引いている。脳みそがそれこそ雲丹になった状態とはまさにこのことである。公演が終わっても訳がわからないまま帰途につく。
 家に帰って、もう一度チラシを読み返す。何のことやらわけがわからないそのチラシの解説も、何度となく読むうちにやっとその法則性がおぼろげながら理解でき始めた。

 世の中全ては法則性がある。偶然にみえても、実はそれは予め決まっているもので、それを我々は運命と呼ぶ。運命は我々の知らないところでちゃんと決まっている。これが彼らの伝えたいメッセージだったのである。パフォーマンス中訳がわからないのも彼らの術中にはまってしまった。それが彼らの意図するところだからである。運命なんて実は法則性があるにもかかわらず、誰にもその法則なんて分からないのだから。観客は分からなくて当然である。逆に分かってはいけなかったのだ。

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島川崇の論考

Thesis

Takashi Shimakawa

島川崇

第19期

島川 崇

しまかわ・たかし

神奈川大学国際日本学部国際文化交流学科観光文化コース教授/日本国際観光学会会長

Mission

観光政策(サステナブル・ツーリズム、インバウンド振興

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