論考

Thesis

「正しい戦争」は「適切な戦争」か?

1. 正戦の復活

 先日米国政府職員から、日本人はethnic cleansingを続けるミロシェビッチと空爆を続けるクリントンが似たようなものだと考えていると聞いているが本当かと真顔で質問された。私が、そうした見方はごく少数に過ぎないだろうが、日本には一般に軍事行動に対しては自動的にネガティブに反応する傾向があると答えると、彼は、日本人はtoo pacifisticだと笑っていた。日本人は平和主義ではなく、反軍主義なのだというのはトーマス・バーガーの洞察であるが、戦争はみな悪なのだから正しい戦争というものはありえないというのはナイーブに過ぎる見方である。

 コソボ危機へのNATOの関与を評してブレア英首相は「国益ではなく価値のための戦争、人道のための戦争」であったと胸を張った。こうした見方がNATO諸国をはじめ、国際社会のコンセンサスであるとは言えないが、今後いかにして国際秩序を形成していくかについての一つの方向性を示していることは間違いない。こうした「正戦論」は、大国が正義を振りかざして、世界のあちこちに介入するのはいかがなものかという不安を喚起するかもしれない。そうした懐疑は健全なものとしても、そこで思考をストップさせてしまうのでは退嬰のそしりを免れ得まい。

 冷戦後米国やNATOは人道的武力介入を各地で行ってきたが、今回のコソボ危機への対応はその一つの結実といってもよい。NATO諸国が今回の結果を成功とみなすのであれば、爾後しばらくはコソボ方式がスタンダードとなる。新しい国際秩序を構想するにあたっては、コソボ方式がはらむ問題についてよく考えておく必要がある。

2. 「人道的な戦争」の惹起する問題

コソボ危機に見られた「人道的介入」が惹起する問題は以下の通りである。

①決定主体は誰か
 人権が普遍的な価値であることを認めたとしても、それを守らせるための行動、人権を蹂躙した者への懲罰を誰が行うのかが直ちに問題となる。例えば、トルコのクルド人に対する虐待に対して、ロシアが人道的介入を行うというようなことが可能なのであろうか。見通す限り、米国(+西欧諸国)が主体とならない人道的介入は考えにくい。そして、米国にしても、ロシアや中国から致命的な反発を受けない範囲で、そして、国内的な同意が取りつけられる範囲で介入するということになる。つまり、人権を普遍的な原理であるといいながら、その適応範囲は選択的なのであり、その選択の主体は国際社会の特定のアクターに限られるといういささか奇妙な事態になる。すなわち、同盟国からの同意調達能力も含めた米国の相対的な覇権が成立する限りにおいて、人道的な介入は今後の国際社会の秩序形成原理たりうるのであり、その介入理由はかろうじて普遍とみなされうるのである。冷戦後しばらくは、国連や大国間協調によって覇権の色彩が糊塗されてきたが、コソボ危機では、国連をほとんどあてにせず、ロシアや中国への事前の根回しをそれほど重視しなかった。今後は、米国とその同盟国の了解によってゴーサインを出すという傾向が強まるかもしれない。

②異議申立ての喚起
 米国を初めとするNATO諸国が、いくら人権の普遍性、介入の正統性を訴えようと、それ以外の諸国からみれば、自国の勢力圏への侵害と映る。さしあたり懸念されるのはロシアと中国の反発である。しかし、さらに問題なのは、NATO諸国が掲げる「世界の平和と安定」の維持が、結局のところ現状の先進国や大国中心の世界秩序の維持ということに他ならないため、発展途上国や非西洋諸国の中に深刻な異議申立てを生む可能性があるということである。キッシンジャーが指摘していることであるが、こうした諸国は、通常兵器での絶対的不利を補うために核兵器等の大量破壊兵器を持つように動機づけられる可能性は高い。それが、ロシアや中国からの武器輸出や技術支援と結びつくとき、それがもたらす緊張ははかりしれないものがある。

③内政不干渉原則との矛盾
 国民国家は一般に、主権国家、領土国家、文化(言語)共同体の三つの性格を兼ね備えた国のことを指しており、そうした国民国家を単位として国民国家システムが形成される場合、内政不干渉や民族自決が大原則とされてきた。事実としてそれらの原則を墨守する形で国際社会が調和してきたわけではなく、植民地や冷戦構造といった他の様々な安全弁との組み合わせで国民国家システムが維持されてきたというのが現実であるにせよ、内政不干渉は国民国家システムを支える原理として建前としては重んじられてきたといってよい。
 しかし、今回のコソボ危機では、内政干渉へのためらいはほとんど皆無であった。従来は、国民国家の内部でどのようなことが行われていようとそれは問わない、という主権の絶対性が確保されていたはずであるが、国家の倫理的資質によってはそれは問いうるということになるわけである。

 コソボ問題では、国家の倫理的資質を問題にして介入にしているにもかかわらず、コソボに対するユーゴの主権は維持され、また、人道的罪に問われるべきミロシェビッチ政権を倒すことまではできない、という中途半端な解決策になっている。米国の覇権は、今後、政権の転覆を含むところまで、人道的介入の歩を進めることになるのだろうか?米国は、本音のところでは、人権蹂躙する政権を転覆することを戦争の政治目的にしたいのだが、主権の絶対性の前に人権蹂躙を止めさせるところまでで戦争の目的を留めている。この矛盾に米国が耐えられなくなるとき、国民国家システムは大きな岐路を迎え、内政不干渉を国是とする中国等との間に深刻な摩擦を生むであろう。

 大まかに今後の見とおしを述べると以下のようになる。

  • 米国はその覇権を背景に、同盟国からの同意調達を最低限の条件として、人道的介入によって大国や先進国中心の世界秩序を維持しようとする。
  • こうした動きは、ロシアや中国の反発を招く。悪くすると冷戦を再開させる遠因となるが、最終的には双方の顔を立てる形で調整が図られる。
  • それ以上に、発展途上国や非西洋諸国(特にイスラム圏)の反発を招き、テロリズムや核等の大量破壊兵器拡散への動きを加速させる。悪くすると、反西欧、反資本主義、反大国主義がまとまった勢力になる。
  • その後の動きは米国が①同盟を強化し、政府転覆を含む武力介入に踏み込む②大国間の協調を重視し、国際機関等を通じて現状を維持しようとする③グローバルな活動からは手を引く、といった政策オプションのいずれを採用するかに応じて変わってこよう。

3.アジア太平洋地域への影響

 先月の月例でも述べたことであるが、大西洋において生じる地殻変動は、アメリカという媒介項を通じて、徐々に太平洋に及んでくる可能性がある。欧州周辺での人権蹂躙をNATOがカバーするとなれば、アジア太平洋地域ではどうなるのか?と問うことは自然である。過日、米国当局と接触する機会の多い防衛関係者に、NATOの変質が太平洋でのアメリカの同盟に影響を与えるのではないかという仮説をぶつけてみたところ、「太平洋の専門家が少ないので、米国政府が最初からコソボ危機を北東アジアと関連づけて考えていたわけではないが、次第に両者を連動するものと考え始めているように思う」と予想外に仮説を肯定する答えが返ってきた。

 これは彼一人の私見に過ぎず、実際にそうなのかどうか検証することは今後の課題であるが、いずれにしても、96年の日米安保共同宣言の時点で、日米同盟は「共通の価値」に力点をおいた同盟に変質していたのだということは心に留めておいてよい。この変質は、NATOのコンセプトの再定義に遅行しながらほぼ同様の形で生じてきた。日米安保共同宣言に散りばめられていながら、多くの国民、あるいは政治家が当たり前のように聞き流していた「価値」という言葉を梃子に、同盟は更なる変貌を遂げるのかもしれない。そして、わが国にとって、「価値」の名において行われるどのようなケースについてなら、米国と協力し得るのかについて、具体的に思考し、イメージしておくことが不可欠の作業となる。その作業に際しては、コソボ危機を巡ってNATO内部でどのような議論がなされたのかがよいケーススタディとなるだろう。胡乱のようであっても、そうした作業を疎かにするならば、米国の提示してくる美辞に振り回されるばかりということになろう。また、とりわけ内政干渉の排除や主権尊重を外交方針として掲げる中国との関係において、そうした「価値」を梃子にした武力行使がどのような軋轢を生むのかを検討した上で、同盟の意義を再構築していくのでなければならない。

 「価値」をめぐる問題とは離れるが、わが国への影響という意味では、コソボ危機の最終的な調停の段階で、G8の役割が大きかったという事実も忘れるわけにはいかない。G8という枠組みは、ロシアと非NATOの米国の同盟国であり紛争当事者ではない日本を含み、ロシアへの経済援助の取り引きの場ともなることによって、ロシアが辛うじて納得し得る調整の場となった。地域と紛争の性格によっては、G8は、国連安保理以上の現実的な決定機関となる可能性がある。ということは、NATOが人道的な介入をする場合には、少なくとも調停段階において日本の判断が問われることになるということである。そして、それ以上に重要なことは、アジアにおいて何らかの危機が生じた場合に、中国やロシアとの調整を有効に行い得る枠組みがあるのかということである。個人的にはG7をベースとして地域毎に大国間の調整を行う枠組みを形成していくことが望ましいように思うが、国連との役割分担をある程度意識的に行わなければ、国連の空洞化につながるということも指摘しておきたい。

 戦争の「正しさ」をめぐる判断は、開戦理由に挙げられる倫理的な基準、国際慣行との整合性、そして「正しい戦争」を支えている勢力に対してどのような立場に立つかを変数として下されるものであろう。このような観点に立つならば、私達はコソボにおけるNATOの戦いを、「(私達にとって)正しい戦争」であったと言い得るかもしれない。しかし、それが長期的な国際秩序にとって「適切な戦争」であったかどうかは別の問題である。両者をなんとか整合させていくための営みが今後世界には求められることになる。


<参考文献>
Thomas U.Berger “Norms,Identity,and National Security in Germany and Japan”
Katzenstein, eds.,” The Culture of National Security”
加藤朗他『戦争』勁草書房
中曽根康弘他『共同研究冷戦以後』文藝春秋社
村上泰亮『反古典の政治経済学』中央公論社

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金子将史の論考

Thesis

Masafumi Kaneko

金子将史

第19期

金子 将史

かねこ・まさふみ

株式会社PHP研究所 取締役常務執行役員/政策シンクタンクPHP総研 代表・研究主幹

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安全保障・外交政策 よりよい日本と世界のための政策シンタンクの創造

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