論考

Thesis

教育の地方分権と住民自治 ~コミュニティーボードの可能性~

橋本前総理が「火だるまの覚悟」になってでも断行すると明言した六大改革の中でも、首相が特にこれだけはと付け加えたのは教育改革。ところが悪化の一途を辿る景気対策に追われ続けて、自民党の無策にNoを突きつられた参議院選挙に涙をのんで退陣した橋本治世において教育を巡る状況は改善されたであろうか。

 この原稿を執筆しているつい2日前、8月8日付けの各新聞は一面で「登校拒否児童・生徒、過去最高に」と報じている。

 ”年間50日以上の長期欠席者のうち「学校ぎらい」を理由とする者が、小学校は1万5301人、中学校は6万2148人にのぼっている。これは前年度に比べ、小学校で2519人、中学校で8056人の増加。児童・生徒数の減少に対して、比率は上回っている。また30日以上の長期欠席者のうち、「学校ぎらい」を理由とするものは、小学校が1万9488人、中学校が7万4757人で、小・中学校を合計すると9万4245人。約10万人にのぼる登校拒否児童・生徒数であり、全児童・生徒のうち約0.8%におよぶ率となる。長期欠席理由の「学校ぎらい」について、以前は「学力不振」や「怠惰」が主な理由とされていたが、ここ数年はこれらに加えて、「いじめ」が主な理由とみられるケースが急増。学校だけでなく、家庭にとっても深刻な教育上の課題となっている。”

 改善されたどころか、教育の問題を取り上げていない日の新聞を探すのが難しいくらい、連日連夜教育の危機が叫ばれているのが現在の状況だ。

 

 

2. 教育の再生策 -地方自治と教育-

 

 このような現状を憂いて、多方面から教育改革についての緊急提言がなされている。私がちょっと探して見ただけでも、日本青年会議所や社会経済生産性本部など今までの流れから言えば教育問題を専門としていない団体からさえも、提言書が発表されている。これだけでも教育問題が他の社会の問題、経済、地域開発といったテーマに深刻な影響を与えているか伺いしれる。

 何が問題なのだろうか。論点は無数にあるが、私は「地方自治と教育」から論を張りたいと思う。なぜなら、現在の教育制度が抱える根本的な問題の一つは「文部省中央集権的制度の破綻」にあると私は考えるからだ。

 地方自治は昭和20年の敗戦を迎えて、農地改革と並び賞されるほどの徹底的な改革が行われた。ポイントは六つある。この論文は教育についての論文なので項目だけ列挙する。

① 地方自治が憲法で規定。②地方自治法の施行。③首長の直接公選。④教育委員の公選。⑤内務省の解体。⑥地方税制の近代化。

 今の私たちの暮らしを囲む地方自治の骨格が並べられているが、一つ違和感を覚える項目がないだろうか。そう、④番目。教育委員の公選だ。

 ここで論を進める前に教育委員会とは何か、今までどのような経緯があったのかちょっと確認をしたい。

 

 

3.教育委員会とは?

 

 教育委員会は、地方自治の理念のもとに教育の政治的中立性と安定性を確保するために、地方公共団体の長から独立して設置される機関。教育委員会の組織としては、教育委員と教育長そして事務局があげられる。

 教育委員の数は原則として5人であるが、町村では3人の委員で組織することができる。委員は、当該地方公共団体の中から被選挙権を有するもので、人格が高潔で、教育、学術、文化に関して識見を有するもののうちから、地方公共団体の長が議会の同意を得て任命する。委員の任期は4年で、再任されることができる。委員のうち3人以上(3人の場合2人以上)が同一の政党に属してはならない。委員の身分は特別職の地方公務員で、非常勤である。委員長が委員の中から互選で選ばれ、教育委員会の会議を主宰し、教育委員会を代表する。任期は1年で再任されることができる。

 合議体としての教育委員会は、教育行政の基本方針や重要施策の決定を行うが、非常勤である委員が教育行政の実際の運営に関して専門的な知識を有する必要はなく、むしろ、素人(Layman)としての総合的な観点から基本方針の決定を行うことを当初から期待されていた。そこで、教育行政に関して十分な力量を有する専門家としての教育長の設置が定められており、教育委員と教育長は両者が相互補完の機能を営むことが期待されており、その意味でも教育長の力量が教育委員会の運営の成否を大きく左右すると言われている。

 

教育委員会の構成

 

┌─  教育長 ──── 教育の専門家

├─  教育委員 ──── 教育の素人

└─  事務局

 

 

4.教育委員会の経緯

 

 戦後初めて教育委員会が、1948年11月に設置された。当時の教育委員会は現在と異なり住民の選挙によって選出される公選制教育委員会だった。52年の第3回選挙までには全国で9958の公選制教育委員会が設置された。

 ところが、40年代後半から世界各国で共産党の活動が活発となり日本においては対日占領政策の転換となって現れた。

 所謂、池田ロバートソン会談以降の教育逆コースと言われる時代。この会談の確認事項に、政治的、社会的制約として、防衛の任につかねばならない少年が、武器をとってはならないとの教育を受けているとある。また、日本政府が教育及び広報によって、愛国心と自衛のための自発的精神を成長させるような空気を助長することに第一の責任を持つとまで言っている。

 朝鮮戦争の勃発からくる対日占領政策の変更が絡んで、これまで学者が文部大臣についていた慣例を破り52年の岡野文部大臣以降、政党政治家が就任するようになった。そして55年の「教育三法案」の中で唯一、教育委員会制度に関する「地方教育行政の組織及び運営に関する法案」が教育関係者の強い反対の中、参議院本会議場に警察官を導入しての可決成立され、教育委員会の公選制は廃止された。

 付け加えてこの地教行法に対する改革の試みとして東京都中野区で住民の直接請求による条例制定で教育委員会の「準公選制」が79年より94年まで行われた。これは住民投票の結果を参考にして教育委員を任命するというものでした。しかし、住民の思いと議会・議員の乖離の現状の中、全国的な広がりを見せないままに終わっている。

 

教育委員会制度発足の趣旨      教育委員会制度現行の趣旨

 

①教育行政の民主化    ──── ①教育の政治的中立と教育行政の安定

②教育行政の地方分権化  ──── ②教育行政と一般行政との調和

③教育の自主性尊重    ──── ③教育行政における国・都道府県・市町村の一体性                                           

                  及び連帯の強化

 

(以上 日本青年会議所 「心の豊かさを実感できる21世紀の教育」より引用)

 

 

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豊島成彦の論考

Thesis

Naruhiko Toyoshima

豊島成彦

第16期

豊島 成彦

とよしま・なるひこ

公認会計士・税理士

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