論考

Thesis

タイ仏教から教わった混迷日本を救うカギ その4

(1)愛する私のふるさとでも・・

 

 ◆中3、ナイフで警官襲う 短銃を奪おうと 格闘、現行犯逮捕 東京・江東で深夜98.02.02 東京読売夕刊1頁 一面

 

 東京都江東区の路上で二日未明、同区内の区立中学三年の少年(15)が、巡回中の警視庁城東署地域課、安田善成巡査部長(54)の胸を、いきなり折り畳み式のナイフで刺した。安田巡査部長は制服の下に防刃衣を着けていたため無事で、少年を強盗殺人未遂、銃刀法違反などで現行犯逮捕した。少年は「本物の短銃が欲しくて、警察官を殺害しても奪いたかった」などと供述しているという。凶器のナイフは栃木県黒磯市の中学一年の男子生徒が女性教諭を刺殺したものと同じバタフライナイフだった。(関連記事19面)

 

 

(2)東京・江東の中3警官襲撃 第1回審判開く/東京家裁 98.03.16 東京読売夕刊18頁 社会面

 

 東京都江東区で今年二月、同区立中三年の少年(15)が警察官をバタフライナイフで襲い、短銃を奪おうとした事件で、東京家裁(古田浩裁判官)は十六日、少年の処遇を決めるための一回目の審判(非公開)を開いた。審判は少年の身柄拘束期限の十九日までに再度開かれ、少年院送致などの保護処分が決められる。

 

 

(3)中学生ナイフ警官襲撃事件、東京家裁の少年院送致決定要旨 98.03.18 東京読売夕刊18頁 社会面

 

【決定主文】

 少年を初等少年院に送致する。押収してあるバタフライナイフ1本を没取する。押収してある自転車1台を被害者に還付する。

【処遇の理由】

 少年は、中学校入学後、同学年の友人らに誘われ、近くの公園でエアガンを使用したサバイバルゲームなどに興じるようになり、中学2年ころには本物の銃を撃ってみたいという気持ちが芽生えて、それが次第に高じ、中学3年になった平成9年には、本物の銃を撃ってみたいと空想するようになり、母親や友人に対し「本物のけん銃を撃ってみたい」等と発言するようになった。そして平成10年1月中旬ころには本物のけん銃を手に入れたいという気持ちを抑え難くなって、かねてその格好の良さから購入していたバタフライナイフを用いて警察官を襲いけん銃を奪おうとまで考えるようになっていた。

 少年が、このように空想を拡大させ、けん銃の獲得という思いを膨らませてきたのは、一つには、少年は、その成育過程の中で、事象を直視し、物事を冷静かつ論理的に判断した上で行動するといった能力が未発達なまま成長してきたこと、もう一つに、従前から興味の範囲が格闘系のアニメーションやテレビゲーム、空想科学や死を扱った映像・書籍等といったものに集中し、これらの媒体で描写される刺激的な場面等に影響されやすかったことによるとみられる。そのような少年は、仮想と現実との混乱の中で、けん銃を使用することによる自己存在感や自我拡大感を追い求めて、さしたる規範的抵抗を感じないまま本件に至ったものとみられる。

 このように、幼児的に空想的世界を拡大させ、短絡的にかかる重大事犯を実行に移した点が本件における少年の最大の問題点であり、幸い警察官が耐刃防護衣を着用していたために強盗殺人は未遂にとどまったが、目的のためには手段を選ばずバタフライナイフで警察官の胸部をめがけ刺突行為に及んだという本件の危険性は重大であると見られるのに、少年の本件に対する認識は甘く、抽象的レベルでの反省にとどまっており、内省が十分であるとは言い難い。

 本件を犯すに至った少年の環境上及び資質上の問題点は大きいものとみられ、その矯正には、自己の内面に目を向け、これを客観化して整理していく必要が認められ、個別的できめ細かい、専門家による継続的かつ強力な指導を行う必要があるものと認められるので、少年を初等少年院に送致するのが相当である。

 

 先月「現実逃避」についてご報告させていただきました。裁判所の見解が絶対だとは言いませんが、同じ問題の指摘には薄ら寒さすら感じます。

 

 

(4)江東区教育委員会の事件に対する見方

 

 担当者にナイフ事件についてどう考えるかと聞いてみた。

 「この事件の原因については情報が警察からも余り流れてこず、また学校側ですらも把握していないのが実状。対策については正直手のうちようが無い。しかし一般論として人間の価値観、宗教観まで踏み込んだ議論が必要だろうとは思う。だが教育の上でどう実践していくかについては注意しないとファシズム復活の危険性をはらんでいる。」との弁だった。

 

 

(5)タイ仏教と日本仏教の違い-ダーナ-

 

 えっ宗教の話かよ、と身構えないで下さい。これまでなるべく仏教色を抜いて、宗教的に中立な立場から問題解決へのカギを探せないかと努力してみましたが、いささか限界を感じます。簡単に私がタイ仏教から学んだ事の紹介をして、読者の方々の批判にそのまま供してみたいと思います。

 タイ仏教と日本仏教の教え、何が違うのでしょうか。理論はいろいろあるだろうと思います。専門の学者の方にしてみれば、いろいろ細かい点まで指摘されるとは思いますが私が現地で感じたままから言えば「ダーナの教えが充分広められているか、いないか」でしょう。

 「ダーナ」とはパーリ語で「与える」の意味です。このシリーズの一番始めタイ仏教を教科書的にご説明したときに「タンブン」についてお話ししたかと思います。これは托鉢の坊さんへのに喜捨を指しますが、これもダーナの一つです。

 これは人に何か与えることで、自分が徳を積めるという考え方です。「因果応報」と何気なく使いますね。これは仏教用語でして「善因善果」「悪因悪果」の二つをまとめたものです。「良いことをすれば良い結果になるし、悪いことをすれば悪い結果になる。」ただこれだけです。引いては「人に良いことをすれば、いつか自分にも良いことが帰ってくる。それがいつかは解らない。」という結論になるのです。

 人に何か与えるとは別にお金を与えるばかりではありません。笑顔を与える、優しさを与える、思いやりを与える、食事を与える、いろいろあります。

 中国から日本にこの考えが渡ってきたときは仏教徒が守るべき六つの戒律に入れられていました。「布施」「持戒」「不殺」・・等の始め「布施」ですね。

 ところが「ダーナ」の言葉はもっと身近な言葉に入っています。「旦那」です。

 私はどうして「ダーナ」が「旦那」、つまりご主人を指す意味に使われるようになったのかその経緯は知りません。しかし命名者は「旦那」は「ダーナ」である、またそうであって欲しいという思いを込めたのではないでしょうか。家族に保護を与え、優しさを与え、食事を与える責務を果たす人として。

 タイ仏教はまさしく「ダーナ」を徹底的に啓蒙し、実践する点で日本仏教と多いに違います。托鉢僧への喜捨はその典型例ですが、別に坊さんに限らず、高齢者に席を譲ったり、微笑みかけたりするのもダーナの一つです。

 私はタイ人がそのような善行をする理由は全てダーナの教えがあるからとは全く思いませんが、少なくとも良いことをする理由付けがあり、小さい頃からそのように教育されてきているのは確かであって、それらが背景になって大人になってからの行動に良い影響を与えていると確信します。

 更に大人になっても寺や坊さんを通じて仏教を学び、生活の中で実践できる環境にあることもまた、道徳的な秩序ある社会づくりに寄与しているのもまた事実でしょう。

 

 

(6)「ガキ」について

 

 こんな考え方が日本にもきっとあり、実践していたに違いないと私が思う理由があります。それはなぜ子供のことを「餓鬼」と呼ぶかという事です。

 子供は食事をガツガツ食べ、その有様が餓鬼の様だと国語辞典にありました。それだけなのでしょうか。

 餓鬼は何か欲しい、欲しいと常に求め続けます。それが成長するにつれていつしか他人に与えられるようになるのが、「餓鬼」から「旦那」へ、子供から大人への変化だと私たちの先輩が思いを込めて言葉をつくったように思えてなりません。

 

 

(7)価値観の学習について

 

 これが私が感じたタイ仏教のエッセンスです。どう受け取られましたか?何か違和感がありましたでしょうか?あまり神がかっておらず、むしろ論理的なのに驚かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 私は仏教、神道、キリスト教、他の宗教・哲学にしろ、人として学ぶべき価値観が必ずあると思います。

 これだけ日本が混迷している最大の原因は価値観が喪失してしまった事にあると多くの識者は指摘してます。松下幸之助塾主もその一人です。私もまったく同感です。塾主はその問題意識から「人間を考える」を出版され、広く世に自らの人間観を問われました。すなわち「人間とは何か」「どう生きるべきか」について。

 伝統として伝わっている宗教・哲学まで範囲を広げ、日本や地域の中で、他の人々と共に幸せに生きるための価値観がふたたび子供達に伝えられなくてはならないと思います。

 

 

(8)ファシズムについて

 

 それは価値観の押しつけ、思想統制であり、ファシズムに繋がるのではないかとの批判があるかと思います。この批判は主に、戦前日本が軍国主義に一色に染められ悲惨な戦争に突入してしまった反省から来ていると思います。

 大内力東大名誉教授が「日本の歴史~ファシズムへの道~」で日本型ファシズムの分析をしています。彼はその本質を「無責任ファシズム」と喝破しています。

 東京裁判の時、被告席の東条英機は自分には責任がないと主張しました。ナチスドイツを裁いたニュルンベルク裁判でナチス首脳陣が堂々と責任を認めた好対照となっていますが、これは日本の指導者が自らの責任から逃れようとする卑劣漢ぞろいだったというのとは違う。むしろ構造的に誰がリーダーだったのか、だれが責任をもっているのかよく解らない体制のまま、ずるずると流されていったのが真相だと分析しています。

 一般的に日本人が何か決定をするとき、「回りがこう考えている」からとか、「状況がこうだから」等自分自身の考えで決めるのではなく、周囲に合わせて決断する傾向があるかと思います。これが日本人の協調性の高さを生んでいると思いますが、同時に決断をするときの自分のモノサシ、言い換えれば価値観があやふやであるとも言えるのではないでしょうか。

 自分が何をすべきなのか、すべきでないのかを決めるのは自分ではなく周囲の状況・雰囲気にあるのが無責任ファシズムを生んでしまい、戦前のような暴走を招いたのではないでしょうか。

 この危険性は今でもあります。銀行が破綻したときの経営責任がどこにあるのかはっきりしない、またその責任を追及しない。政府もマスコミも国民も真剣になって責任を追及しない。長銀が事実上破綻して、多額の税金が投入されようとしています。その一方で責任者の一人である前の社長は25億円もの退職金をせしめている実態に徹底的な責任追及の議論が巻き興らないのも、日本の状況です。まさに無責任体制そのものです。

 ですので価値観の学習とファシズムは別問題だと思います。むしろ本人の価値観があやふやだからこそ、物事について自分で考えて批判することができなくなってしまうのではないでしょうか。

 

 

(10)小中学校を地域の手に戻すべきではないか。

 

 しかし現実問題として文部省や教育委員会が「学習すべき価値観」なるものを練り上げて通達したとしても、現実的にはほとんど効力を及ぼさないか、かえって感情的な反発を呼ぶか悪影響を及ぼすだけでしょう。

 なぜなら、価値観や人間観は紙の上の知識で学べるものではないのです。人と人との触れあい、体験の中で本人が習得していくものです。塾主の言葉で言う「学んで学べないもの」を文書の通達一つで学べるような体制づくりをしようとしても無理ですし、むしろそれでもなんとか結果を出そうとする現場がいつわりでも成果を生み出そうとやっきになってしまうばかりです。

 現場からはなれた文部省や都道府県庁の企画部門が国家的な学習方針を立案し、現場がその指導に基づいて教育する仕組みは、こと人間観や価値観学習について言えばまったく肌に合わないと思います。

 加えて価値観学習を各教育委員会が天下り的に指導しても、価値観の押しつけ批判は止まらないでしょう。

 ここまで価値観の学習が必要だと長々と訴えてきました。それでも反対の方はいらっしゃるでしょう。学習するべきかどうかはともかくとして、一人の社会人を育てる上で社会的な合意がある価値観をもつべきだとの考えはどうでしょうか。これはあまり反対される方はおられないと思います。具体的に誰が責任をもってやるべきなのか、もちろん本来は親なのですが親の教育力の低下が叫ばれている昨今だからこそ、別の解決策を探さなくてはならないのです。教育委員会の委員長がやるのでしょうか。どうしたらいいのでしょうか。

 私はそうした指導体制自身を見直すべき時期にきていると思います。

 ちょっと考え方を180度変えてみましょう。どうして小中学校を文部省、都道府県、各市町村の教育委員会が指導しなければならないのでしょうか?

 将来の日本国民を育成する以上、全国どこでも普遍的な教育指針は存在すると思います。例えば国旗や国家に対する敬意、愛国心、日本の歴史教育などは地域で違いが生まれるようになってはどうかと思います。

 しかしそれこそ一人の社会人を育てるためには、それぞれの家庭で子供の教育方針を決め違いがあるように、地域で、もっと言えば学校ごとで違ってもいいのではないでしょうか。

 その学校毎に特色のある人間観・価値観学習を執り行い、両親や子供が学校を自由に選べる体制にしたほうが良いのではないでしょうか。

 私は今の教育制度を縛っているくびきに「責任論」があると思います。

 誰が責任を持って子供を育てるのか。何かあったときの責任はどうとるのか。この議論が教育関係者の大胆な発想や行動の自由を制約しているように感じます。

 自分の子供がどこの小中学校に入るかはほとんどの場合、半ば強制的に決まっています。私の場合、東京都江東区亀戸5丁目が住所ですから、小学校は水神小学校、中学校は第二亀戸中学校です。原則そこに行かなければならないのが今の仕組みで、違うところに行こうとすればそれこそ政治家を使ったり裏技を駆使せざるを得ません。

 逆にどこの学校に入るかについて親は頭をさほど悩ませないですみます。これは親はどこの学校に子供をいれるかについて決断をしないですむ、責任をあまりとらないですむ体制に現在はなっているのではないでしょうか。

 むしろ自由にどの学校に入れるように変えて、子供が学校で事件に巻き込まれたとき、その責任の一端を親にも負ってもらう仕組み-あんたがこの学校を選んだんじゃないか-にしたほうがすっきりすると思います。

 また学校が地域コミュニティーの核になり、地域ぐるみで子供を育てようと中央教育審議会では提唱していますが、いっそのことどんな学習をすべきか、どんな校長先生を呼ぶかについて町会やPTAの責任に委ねるのはどうでしょうか。

 結局「責任論」なのです。子供を育てる責任はどこに持たせるかということです。昔は親でした。親が自分の責任で、それこそ我が家流の教育方針を決めて教えていたのです。

 中教審の答申に私は疑問があります。全体的な流れは地域ぐるみで子供を育てようと考えていますが、その教育方針を教育委員会に委ねようとしています。しかしこれはかなりそれこそ地域差がある問題だと思います。

 例えば私の江東区は人口38万人。小中学校生徒数は18000人ほどですが、それこそ親代わりになれるほどの緊密さで彼らの人間観・価値観教育の責任が取れるでしょうか。

 私のような町では各学校がそこに属している町会毎に方針が決められるような体制に思い切って権限を譲渡したほうが、より密接に地域事情にあった、一人一人の子供により近い体制で組めると思います。

 私の町会は5000人。子供は小学校で300人程です。ここまで密着した体制にしないとそれこそ顔が見えるような教育はできないのではないでしょうか。

 

 

(11)終わりに

 

 教育についてシロウトながら長々と述べさせていただきました。これまでお付き合いして下さった方々に心から御礼を申しあげます。そして是非率直なご批判を頂ければ幸いです。

 こうして書き終わりますと目に浮かびますのは、タイで見たある日の光景です。

 それは夕暮れのバンコクのさほど有名でないお寺での出来事でした。タイのお寺では動物がたくさん住んでいます。犬や猫、ブタも我がものでお寺の建物の上に上がって寝そべっていたりしています。そこに若いお母さんがよちよち歩きのこどもを連れてきて、亀に餌をあげるのを教えていました。お母さんに教わった子供はおっかなびっくり餌をあげていました。

 私はそれまで実際に出家するかどうか迷っていましたが、そのシーンを見て心に決めました。かつて日本でいっぱい観られただろう温かい光景がまだあるタイ。そんな温かさが生まれてくる仕組みはいったい何なんだろうという疑問が強烈にわき上がってきました。

 その疑問についての自分自身の答えの一つが今までのレポートです。なにぶん思いが先行して舌足らずで、論旨が入り乱れている嫌いがありますが皆さんのご批判を頂いて、よりわかりやすい形に今後精査してきたいと思います。

 今回の私の出家を支えて下さった方々全てに心から御礼を申しあげます。特にお師匠さんのアチャン・カウェーサコー師には言葉に尽くせない程の感謝の念でいっぱいです。文字通り人生の師ともお呼びさせて頂きたい程です。

 またタイ日本人会の佐々木師。スチンダ中本さん。アジア文化社の五十嵐さん。その他数え切れないほどのご支援あって今回の出家ができました。本当にありがとうございます。

豊島成彦の論考

Thesis

Naruhiko Toyoshima

豊島成彦

第16期

豊島 成彦

とよしま・なるひこ

公認会計士・税理士

Mission

リーダーのための公会計

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