論考

Thesis

打瀬小学校の卒業式

首都圏が荒れ狂う嵐にほんろうされた3月20日、私ははりきって袴を着け、千葉市立打瀬小学校の卒業式に出かけました。
 2年前、23歳だった私が10歳児になりきって一緒に授業を受けたクラスメートたち。(塾報96年11月号参照。)
 あれから身も心もすっかり成長した彼らが小学校を卒業していく姿を見届けたい、という思いを校長先生や担任の先生が汲んでくださり、来賓として呼ばれたのでした。
 クラスメートたちから、子どもの代表と先生方とで卒業式のプロジェクトチームをつくって準備していることを聞いてはいたのですが、実際に出席してみて、その心のこもった手作りの式の素晴らしさ、あたたかさにしばらく涙がとまりませんでした。
 いい学校は、何をやっても素晴らしいものをつくるのだなあ、と思いました。
 今回の報告では、打瀬小学校の卒業式の様子をレポートします。

「卒業生の入場です。」
 在校生の宣言とともにステージの緞帳があがり、卒業生70人の希望に満ちた顔があらわれました。
「長野明日香さん。フレンド(住居地域ごとの異学年交流グループ)のリーダーを務めたことで、以前と比べてみんなの前で話すのが得意になりました。」
「白井妙恵さん。絵をかくのが大好きです。かばんと手ぶくろの絵をかいて賞をとった時は、本当にうれしかったです。」
 一人一人の子ども達が、自分で考えたプロフィールをクラスメートに紹介してもらいながら、晴れやかな顔で壇を降りてきます。一人一人の顔が見える演出に、私もみんなとの思い出がよみがえってきました。
 卒業生全員が席につきました。アリーナと呼ばれるだ円形の体育館に、卒業生、先生方、保護者の方、在校生、来賓の方、皆がぐるっと輪になって座り、その真ん中に演台があります。みんなの顔がよく見えます。
 卒業式実行委員長の荒井くんのあいさつ、国歌斉唱につづき、卒業証書の授与です。
今年で長い教員生活を終える溜昭代校長が、一人一人に
「おめでとう」
と声をかけながら証書を渡していきます。
 そして、みんなを送り出す小学校の校長先生、みんなを春から迎える中学校の校長先生、みんなを支えてきた地域の「打瀬の会」の代表の方から、心のこもったあいさつ。
 ここで来賓の紹介がありました。子ども達を学校の内外から応援してきた人達が、お祝いにかけつけています。半分以上は、地域の先生として色々なことを教えてくれた人たちです。外国のことを教えてくれた海外からのお客様の顔も見えます。
 その中から、中国のことを教えてくれた王さんが、飛び入りで中国の伝統楽器の胡弓を演奏してくれました。曲目は、沖縄の民謡「花」。

 「泣きなさい  笑いなさい  いつの日か  いつの日か  花を咲かそうよ」

 という歌の美しいメロディーが胡弓の音色にのって、静まり返った体育館にひびきわたりました。担任の平野先生も、千村先生も、涙をふいています。本当に感動的なひとときでした。
 クライマックスは「お別れの言葉」。卒業生、在校生、親御さん、みんなが歌をおりまぜながら、自分の言葉で思い出を語ります。
 卒業生は、一人ずつ、時を追って思い出を語ります。楽しかったこと、大変だったこと。私のことも、いつも仲良くしてくれた堀井さんが語ってくれました。
 お母さんの代表のことばも、感動的でした。
「ある日、家に小さいお子さんが来て、うちで飼っているまりもをうらやましそうに見て帰っていきました。その後数日たって、近くのデパートでまりもを買ったからと、家に見せにきたらしいのです。あいにくそのとき私は留守だったのですが、お兄ちゃんが出てきて、まりもをていねいに見てくれ、『かわいいまりもだね、また見せに来てね。』とやさしく言葉をかけてくれ、そのお子さんは喜んで帰ったことを後からそのお母さんから聞きました。お兄ちゃんというのは中学生の長男のことかと思ったら、いや6年生のお兄ちゃんだった、と聞いて驚きました。いつの間にか、こんなに優しい気持ちをもった子に成長したのだろう、と嬉しく思いました。先生方、本当にありがとうございました。」
 後からこれは御木くんのお母さんだったことを教えてもらいました。御木くんは、
「そんなこと、してねえよ!」
と照れていたけれど、私も気づかなかった彼の成長にびっくりしました。
 最後にもう一つ、嬉しいことがありました。卒業生入場の途中で貧血で倒れて保健室で休んでいた家口さんが戻ってきたのです。卒業証書授与のとき、先生からその説明があり、式の後で校長先生から証書を手渡していただくことになっていたのですが、式が終わる直前、
「家口さん、具合はどうですか。」
と平野先生が声をかけました。音楽が流れだし、最後に一人だけの卒業証書授与です。
 一人はみんなのために、みんなは一人のために。形式だけにとらわれず、この式の目的、意味をちゃんと考えて柔軟に対応するところは、さすが打瀬小学校!と嬉しくなりました。
 卒業式実行委員会副委員長の渡辺くんによる終わりの言葉のときも、渡辺くんの堂々とした様子と、彼が乗る車椅子を押す男の子の手際の良さとさりげなさとに感心させられ、心地よい後味が残りました。

 式の後、教室に戻って、校長先生による「最後の授業」がありました。
 約四十年間学校現場で子ども達を見守り続けていた校長先生が、命の大切さを語ります。私たちが、どんなに沢山の命に支えられているか、ということ。一人一人の命がどんなに大切か、とういうこと。
 宿題は出さない方針の打瀬小学校ですが、校長先生は最後に一つだけみんなに宿題を出しました。「一生、どんなことがあっても、絶対に口にしてはいけない言葉があります。『私なんて、どうなってもいいんだ。』こんなことを、絶対に言わないこと。」
 自分の命、他人の命を決して粗末にしてはいけないことを、母として、先生としての経験から語りました。
 最後に、
「ありがとう。あなた達は、私の宝です。」
 いつでも毅然としている校長先生の涙に、40年間の教員生活の重みを感じました。

 式が終わった後、何度も、
「白井智子さんにも卒業証書をあげたかったなア」
と校長先生。その気持ちだけで、十分嬉しかったです。
 二年間、色々なことを教えてもらい続けてきた打瀬小学校から、私もこれでいったん卒業です。この希望あふれる子ども達がどういう風に成長していくのか、中学校まで追いかけて見守り続けようと思っています。私もみんなに負けないように、一緒に成長しながら。

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白井智子の論考

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Tomoko Shirai

白井智子

第16期

白井 智子

しらい・ともこ

NPO法人新公益連盟 代表理事

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