論考

Thesis

トゥールスレン収容所

先月に引き続いて映画の話題になるが、以前「キリング・フィールド」という映画を見たことがある。ポル・ポト時代のカンボジアを舞台に主人公のアメリカ人ジャーナリストとパートナーを組んでいたカンボジア人ガイドが、ポル・ポト統治下の祖国から脱出する。逃亡の途中、山の様な腐乱した白骨死体を乗り越えながらタイ国境の難民キャンプへ脱出し無事再会するストーリーだが、物語ではなくれっきとした事実に基づいて制作されており、ガイド役で映画に出演したニュム氏の体験そのものを映画化している。
100万人とも200万人とも推計されているポル・ポト政権の犠牲者数は、人口が約800万人ほどのカンボジアでは国民の4人に1人は虐殺された計算になる。国民誰しもが自分の家族に犠牲者を持つことになる。誠に恐ろしい、血も凍る20世紀最大の惨劇の一つである。
先日所用があってカンボジアを訪問したときに首都プノンペンにあるトゥールスレン収容所跡を訪ねた。1974年1月から78年9月の3年8ヶ月の間、ポル・ポト政権は全土で無謀な社会主義改革を実行したが、既成の社会秩序全てを否定する過酷な改革であった。一例を挙げれば今までの家族制度すら否定し、子供達を親から切り離して共産党によって施設で教育を行うなどの無謀とも言える実験を全土で繰り広げた。そして革命を妨げる者は全て「反革命分子」=スパイと見なされ収容所に投獄された。
もと高校の校舎だったトゥールスレン収容所もその一つで約2万人が収容された。学生・僧侶・技術者・教授・旧政府関係者・主婦などありとあらゆる階層の人々がここの門をくぐり、拷問を受けた後、尋問され、次々と処刑されていった。生還者はわずか6名だという。
現在はポル・ポト政権の犯罪行為を後世に伝える資料館として一般に公開されている。
プノンペンの中心部から車で10分ほどに位置しているためか、敷地は東京の小学校ほどの広さで、建物の大きさもちょうど同じぐらい。入り口付近は地雷で足を無くした人達が乞食となっており、訪れた観光客にしきりに喜捨をせがんでいる。義足があまりにいたいたしく、失礼だとは思いながら、つい目をそらしてしまう。
3棟の校舎が並び、当時のままに保存されていたり、展示室として使われている。
まず目に付くのは校舎全体が有刺鉄線で網のように覆われている姿だ。何のためか、逃走を防ぐためかと思っていたが、説明ボードを見てみると拷問に耐えられなくなった囚人が自殺するのを防止するためだという。ここの収容所の生活より、死を選んだほうが囚人にとって救いであったのだろう。囚人達にとって「死」よりも恐ろしい、無惨な地獄絵図がそこで展開されていた・・・なによりの証だ。
展示室の中にはここに収容された人々の顔写真がひたすら壁一面に張られている。無味乾燥に並べられている写真を見ていると、写真の中の人々がたどった個々の悲惨な運命が束になって私に押しかかってくるような気分になり、嘔吐感を覚えてしまう。
また、収容所での安全規則が掲げてあった。これを読んでいると当時の収容所の状況が伝わってくるので全文を訳してみた。
1. お前は私の質問に従って答えなくてはならない。口答えは許さない。
2. あれこれ口実を作って事実を隠匿しようとしてはならない。お前が私を疑うことは厳しく禁止されている。
3. 革命をあえて妨げるやつみたいな馬鹿になるな。
4. おまえは考えるために時間を無駄に使うことなく直ちに私に質問に答えなくてはならない。
5. おまえの不道徳な行いや革命の本質について私に語ってはならない。
6. むち打ちや電気ショックの間、少しでも叫んではならない。
7. 何もするな。座り続け、私の命令を待て。もし命令がなければ、静かにしていろ。私が何かをするように尋ねたら、抵抗すること無く、直ちに行うこと。
8. おまえの裏切りを隠すために、カンボジアについてあれこれ語るのはやめろ。
9. もし全ての法に従わなければ、もっともっと多くのむち打ちと電気ショックをうけることになる。
10. 規則のいかなる点について従わなかった時、10回のむち打ちか5回の電気放電ショックを受けることになる。
恐ろしい、いやおぞましいばかりでこの規則を作り上げた人々の精神構造を疑うばかりで、なんの人間への尊厳や慈悲の心など一切感じされない。どんなに乾ききった心の持ち主でも人としての心があれば上のような規則は考えつくまい。
他にも拷問のシーンの絵や用いられた道具、無数のしゃれこうべをパズルの様に集めたカンボジアの地図など度肝を抜かれる展示が続いており、すべてを見ることができるほど私の精神は強くは無いが、こらえつつなんとか拝観を終えた。
拝観を終えた後、私の頭に去来したのは「なぜ?」の疑問だけであった。なぜこのようなジェノサイドが行われたのか。それも一時の興奮状態、理性を失った状況ではなく、理性的に緻密に計算されて3年8ヶ月という長期に渡って行われたのだろうか。
歴史を振り返れば、虐殺は幾たびも起きている。秦の始皇帝の焚書坑儒から、項羽、ジンギスカン、ナポレオン、織田信長、ヒトラー、旧満州。最近ではルワンダ。
虐殺は人類が背負った宿業だと言う人もあるが、絶対に繰り返されてはならないことであり、根絶するために全力を傾けなければならない人類的課題の一つである。
私が出会ったカンボジア人は優しく、微笑みを絶やさない人々だ。「クメールの微笑み」と古来から言われていただけに、古来から優しい国民性であったのだろう。敬虔な仏教国で国民のほとんどは殺生を禁じられた仏教徒だ。その地でなぜ?
以前NHKで社会主義の世紀として20世紀をまとめた特集があった。まさに20世紀は世界中で社会主義という壮大な実験が行われた世紀だろう。社会主義の実現によって、貧困から脱却し、豊かで幸せな社会を実現するはずであったが、それらの国々で人類史上かつて無かった大規模で組織的な虐殺が行われたこともまた事実である。レーニンによって、スターリンによって、文化大革命時の毛沢東によって、ポル・ポトによって。すると社会主義のシステムの中に虐殺を誘発する因子が埋め込まれていたと指摘しても過言ではないだろう。
社会主義は、実験の結果、経済的に破綻することが明らかになって、今では信奉するする国、人はほとんど存在していない。
しかし、なぜソ連が崩壊するまで社会主義があれほどまでに信奉されたのか、しかもインテリ層と呼ばれている人々に特に支持されたのか、包括的な総括が充分に行われているかと言えば私は違うと思う。
特に日本は社会主義の理想を熱狂的に追い求めた国の一つである。毛沢東は資本論を日本語版から訳された本から学んだほどだ。マルクス思想の研究が最も進んでいる国はロシアを除けば、日本であろう。(川勝平太早稲田大学教授)
経済学の分野ではマルクス思想は死んだ。しかし、マルクス思想は単に経済学の分野のみらなず、人間観、歴史観、革命観など多岐に渡る膨大な思想体系だ。
21世紀に向けた私たち日本社会も18世紀にマルクスが練り上げた思想の多大な影響を受けている。私はそれらの総括をしなければ新しい日本の夜明けは到来しないと思う。
私はあまり物事を論理的に、理論として結晶化する力はない。だから、有識者の人々の成果を待つばかりであるが、将来リーダーを目指す者として、何が問題なのか認識しておく必要を痛感している。
問題のエッセンス・・唯物史観の考察を通じて、マルクスの人間観と社会観を来月考えてみたい。

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豊島成彦の論考

Thesis

Naruhiko Toyoshima

豊島成彦

第16期

豊島 成彦

とよしま・なるひこ

公認会計士・税理士

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リーダーのための公会計

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