論考

Thesis

細胞都市序説5「江戸とホータン(和田)、二つの自立循環型都市」

自立循環型都市とは何か。その理念の下、世界中で都市建設の実験が行われている。今月の月例報告では、江戸とホータンという自立循環型都市について考えてみたい。

 自立循環型都市のすすめを口にするときに、必ず引き合いに出されるのが、江戸の町だ。江戸時代末期には125万人の人口を抱え、当時世界最大級の都市でありながら、近郊に広大な農地を持ち、水・野菜・米がほぼ自給できた。また、はぎれ、かまどの灰などありとあらゆる「廃棄物」の回収業者が存在し、ゼロ・エミッションが実現されていた。チリひとつ落ちていない街路の様子は、欧米の文書にもかかれている。
 江戸時代初期は、農村と都市のバランスが程良くとれていた時代だった。そのことを顕著に表しているのが、「下肥の回収」である。
 農家は大八車に野菜を積んで、江戸の町へやってくる。辻辻で下肥をくむと、お礼に野菜を置いていく。下肥は熟成された後畑へまかれ、地味溢れる野菜を育てる。その野菜が庶民の食卓に上り、再び下肥になる。理想のリサイクル社会だ。
 このcirculationが都市の人口の増加にともなって崩れ始める。都市の大人口をささえるために、近郊の野菜生産地では、近郊農地が拡充され、二毛作、三毛作が行われるようになる。肥料としての下肥の需要が高まっていくとともに、最初は農家が直接農作物と物々交換する形で行われていた下肥の回収を、生業とするものがでてきた。元禄時代以降は仲買人や問屋が現れ、商品としての流通経路が確立されていく。
 自由市場が確立すると、需要と供給のバランスで、価格が設定される。白米を食べ、一日5~6時間の労働をする都市住民の下肥は質に優れ、農家にとって必需品だった。当時の農家は貧しく、重労働の上、粟や稗を常食としており、質のよい肥料を作るためには、都市の下肥を買う必要があった。価格が高騰した下肥の市場規模は、17億円前後であったといわれる。明治初期まで、この状態は続く。
 明治に入り、住民の増加により、近郊農地は宅地化された。さらに幾度かの戦争で農家の次男、三男が徴兵されると、農業人口の激減にともなって、下肥の需要も激減した。コレラなどの伝染病の流行により、大都市での下水道の整備が進む中、化学肥料が登場し、ついには、昭和5年の「汚物掃除法」の改正によって、汲み取りは行政事務に指定された。これによって、農村と都市間における大規模な循環システムとしての汲み取りは姿を消すこととなる。(参考:スチュウアート・ヘンリ「『トイレと文化』考」)

 さて、ホータンである。ホータン市は、タクラマカン砂漠の南部、西域南道の東の終点にあるオアシス都市だ。西域南道は両漢・魏・晋のころに栄えた交易路で、当時は敦煌・楼蘭・ホータン・カシュガルを結んでいた。現在カシュガルからホータンまでは幹線道として使われているものの、ホータン以東は砂に埋もれ、ジープでしか通行できない
。 ホータンの人口は、15万人、市域は180・に及ぶ。崑論山脈の麓に位置し、年間平均降水量は35mm。最高気温42.5度、最低気温マイナス22.8度の乾燥地である。少数民族が96%を占める。
 ホータンは、現代における半自立循環型都市だ。市域は漢民族が建設したデパート、役所などからなるわずかな中心市街地の周りに延々と広がっている。町の中には、縦横にポプラ並木が走る。並木の根本には水路が掘られ、朝晩二回、近くの白玉河から水が流される。並木は毎年拡張されている。
 中流の家庭は、表側に野菜畑、裏側に果樹園を持つ。子供たちは、家の前の水路で泳ぐ。水路の補修は住民の手によって行われる。住民の9割近くはこんな家に住んでいる。
 食料はほぼ自給できる。ごみを埋め立てる土地には事欠かないし、簡易下水の終末処理場からでる汚泥は、肥料として再利用される。発電は夏期は水量の多い河での水力発電による。冬季は火力だが、原油はタクマランカン砂漠の地下に無尽蔵に眠っている。(ただし、精製はパイプラインで東に送って行っている。)
 インフラの整備や石油の精製など、中国政府の支援がなければ行えないものも多い。経済的にも外部とのつながりがないわけではない。しかし、ホータンは、食料や水やエネルギーを半自給し、自然のキャパシティの中でsustainableな生活ができる都市である。

 江戸とホータン、この二つの自立循環型モデルの成立の背景にはいくつかの理由がある。人の移動が少ないこと、他の地域の情報が少ないこと、そして自由競争の原理が過剰に働かないことである。
 これらのまちで都市と農村のバランスがとれ、社会と自然の間でcirculationが確保されていたのは、ひとつに人の移動や職業の選択の制限が行われており、ふたつに他の地域の情報が入らないために、欲望が過剰に刺激されず、三つ目に、自由競争が生活の質を上げるためではなく、金儲けをするために過当に行われ、その結果がシステムの破壊をまねく、そういう事態が起きなかったからである。(これらについて細かくはまた考えていきたい。)
 江戸とホータン、この二つの都市に学べることは多い。だが、それは生活に対する心構えや、21世紀のライフスタイルのあり様を考えるといったことである。自立循環型のシステムの手本とするには、経済のグローバル化、情報化など、あまりにも変数が違いすぎるといえよう。

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栗田拓の論考

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Taku Kurita

栗田拓

第16期

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