論考

Thesis

なぜしらける都議会選挙

7月7日はご存じ彦星と織り姫が年に一回やっと出会える七夕の日。今年は4年に一回都民が主権者としての権利を行使できる東京都議会議員選挙が重なったが、二人の仲の熱さに比べ遙かに盛り上がらない結果となった。
自民党が44議席から54議席へと復調。公明党は一議席減の24。こぼれるように脱党者が続いた新進党は改選前かろうじて4議席死守していたがあえなく全滅。社民党が4議席から1議席へ。新風が吹くかどうか注目を集めた(?)民主党はさほど振るわず14議席、そよ風ほどの勢いか。とりわけ共産党が13議席から26議席へと一挙に倍増したのには驚かされた。
しかし選挙全般の中で特に重大視しなくてはならないのは、投票率が40.8%と極めて低い結果となった事ではなかろうか。
当日有権者数は9,393,311人。うち投票した人は3,832,312人、棄権者はその差5,560,999人。およそ全横浜市民に全名古屋市民を足したほどの都民が投票所に足を運ばなかった計算になる。
近年投票率は長期漸減傾向にある。前前々回は53.5%、前々回は58.74%、前回は51.43%と50%台を保ち続けていたが、今回は一挙10.63ポイントダウン。棄権者数の増加は1,121,478人、北九州市民全員に匹敵する数だ。日中府中市で39度を超える記録的な猛暑となったとはいえ余りの無関心ぶりだ。
まず主権者であるにも関わらず、投票を棄権した人々の責任は極めて重大だ。日本国憲法では「主権在民」が唱われている。おそらくこの点は単に憲法の条文の上に記載されているというだけではなく、民主主義国において誰しもが共鳴・共有できる理念であろう。しかし投票を棄権すると言うことは、自ら国家や地域の「主人」としての責任を放棄することであり、同時にその地位をも放擲することとなる。将に民主主義の根幹が揺るがされると言っても過言ではない。現在官僚が支配する政治から国民が主役の政治への変革が叫ばれているが、肝心の国民が政治に無関心では行政改革も孤立無援だ。
常日頃都政について、現状の生活について、将来の社会について思いを抱いている人々はどうしたのだろうか。特になにか問題があると「政治が悪い」と批判しておきながら投票を棄権した人々は無責任であると言わざるを得ないし、猛省を求めるべきだろう。
しかし選ばれる側にももちろん問題がある。
例えば政治家が何を訴えているのかあいまいでわかりづらいと感じられる人々は多いのではなかろうか。投票日翌日の新聞でもなぜ棄権したかと問われて「市民に対して何を訴えているのかわかりづらい、抽象的だ」との答えが寄せられている。また候補者の顔ぶれ、政策メニューも魅力ある選択肢が無いのが現状だ。
ところで昨年10月20日に衆議院議員選挙が執行されたが、併せて東京都選挙管理委員会によって選挙に関する世論調査が実施されている。
投票率の低い理由を問われて
投票しても世の中が変わらないと思っている人が多い 66.1%
魅力ある候補者がいない 50.3%
政治に関心や興味のない人が多い 40.9%
支持する政党や候補者のない人が多い 35.2%
面倒くさいと思っている人が多い 20.3%
仕事が忙しい人が多い 12.8%
旅行・レジャーに出かける人が多い 12.2%
ついウッカリしていた人が多い 3.2%
入場券がないと投票できないと思っている人が多い 1.2%
その他 1.2%
わからない 2.3%
となっている。上位5項目については性別・年齢差による違いはほとんど見られない。
私達が実感として感じている項目がやはり上位に並んでいると言った感を受ける。しかし、なぜ投票しても世の中が変わらないと思うようになったのか、魅力ある候補者とはなにか等のより深くつっこんだ調査が行われていれば更に真相の追求に寄与したと思われるだけに惜しい限りだ。
逆に政治の側の課題として「なぜ投票しても世の中が変わらないと思うようになったのか」「魅力ある候補者とは何か」の真の意味を有権者の中に追い求める努力が求められるのではなかろうか。
国民が選挙にしらけるその真の理由は何か。この点を追求し、自分なりの処方箋を調合できる人が新しいタイプの政治家として登場が待たれると考える。

Back

豊島成彦の論考

Thesis

Naruhiko Toyoshima

豊島成彦

第16期

豊島 成彦

とよしま・なるひこ

公認会計士・税理士

Mission

リーダーのための公会計

プロフィールを見る
松下政経塾とは
About
松下政経塾とは、松下幸之助が設立した、
未来のリーダーを育成する公益財団法人です。
View More
塾生募集
Application
松下政経塾は、志を持つ未来のリーダーに
広く門戸を開いています。
View More
門