塾生レポート
2022年3月
「生教育」について考える
冨安祐輔/松下政経塾第41期生
2年次は子育て支援にフォーカスを当てて、活動を行ってきた。現在は、教育分野にも視野を広げながら児童虐待のない社会づくり実現に向けて思索を重ねているところである。本レポートでは「生教育」について述べていくこととしたい。
1 はじめに
2021年11月~12月にかけて、茨城県高萩市にある社会福祉法人同仁会[1](以下、「同仁会」とする。)で現場研修を行う機会をいただいた。同仁会は児童養護施設の運営に始まり、現在は茨城県内で児童養護施設、乳児院、保育所、児童心理治療施設、児童家庭支援センターの運営、学童保育、児童発達支援、発達障がい者支援などに取り組んでいる。児童養護施設は、事情があって保護者とともに生活できない子どもたちが生活をする場であり、私自身、子どもたちとともに生活する中で様々な気づき、これからの活動に対するインスピレーションを多分に受けた。本稿では児童養護施設という、別々の家庭に生まれた子どもたちが生活する場で取り組まれている「生教育」について触れることとしたい。
2 性教育と生教育について
性教育と生教育、どちらも読み方は同じである。性教育については学習指導要領に定められているとおり、小中学校の体育、保健体育の授業において、体の発育や発達、思春期について触れられているところである。ここで私自身、「触れられている」と述べたのは、正直、聞いたような気がするが、あまり印象に残っていないからである。かれこれもう20年前のことであるし、大方同級生とひそひそと私語をしながら集中せずに聞いていたのであろう。
一方の生教育について、これは学校教育のカリキュラムの中で確立されているものではない。道徳や社会性を兼ね備えたものであって、児童養護施設に入所している児童が、安心・安全感をもって生活できるように構築された児童福祉分野でのプログラムである。
恥ずかしいことに私自身、児童相談所のケースワーカーとして勤務をした経験があるにもかかわらず、児童養護施設でそういった取り組みが行われていることを知らなかった。子どもが施設内で問題を起こせば、施設まで面会に行くものの、生活そのものに着目をしたことがなかった。いつもフォーカスするのは、担当していた子どもの行動そのものであって、各施設で工夫を凝らしながら取り組んでおられることに触れることも関心を持つこともなかったことは反省しなければならない。
少し脱線したが、今回同仁会が運営している「同仁会子どもホーム」での研修を通して、この「生教育」の取組に出会うことができた。同仁会子どもホームでは、仲良しの「仲」にマルで「まるなか」と呼ばれている取組である。
3 まるなかの取組
同仁会子どもホームにおけるまるなかの取組は仲良しの「仲」にマルで字面のとおり、同じ場所で生活する子どもたちがお互い気持ちよく、そして安心して生活することができるよう取り組まれているものである。児童養護施設は子どもが安全、安心の中で生活できるよう運営をされているところであるが、異性同性問わず性的な問題や、児童間の暴力といった事案の発生も珍しくない。
まるなかの取組は、幼児期から学童期、思春期とそれぞれ子どもたちの発達に応じて、からだ・場所・もの・時間のプライベートを守るという目的の下、プログラムが構成されている。例えば、「からだ」というのは肌着で隠れているところは大切なところであるということを幼児期の子どもたちには紙芝居で伝える。これは学校教育と異なり、個別具体的に行われるものである。「場所」というのは、スペースであり、勝手に人のプライベートスペースに入らない、「もの」は勝手に人の物を使ったり、触ったりしない、「時間」は無理やり遊びに付き合わせることはしない、など子どもたちに対してわかりやすく、かつ個別的に実施されている。
一見、これらの取組はあたり前のものと思われるかもしれない。しかし、家庭教育の中でこれらは適切に実施されているであろうか。実際、文部科学省が所管する「家庭教育支援の推進に関する検討委員会」においても「現代の社会では、家族や職業のあり様や地域の人間関係が変化したことで、親子の育ちを支える様々な人間関係が弱まり、子どもを持った大人が親になっていくこと、また、子どもが家庭に生まれ、親と子の間で、また地域や社会との間で、様々な関わりを持ちながら成長発達していくことが、ごく自然に行われることが難しくなっている」と言及されている[2]。家庭での教育が難しくなっている現状に鑑みれば、これを公教育の中で実施することが必要なのではないか。
4 おわりに
子どもへの生教育について本稿では述べてきた。この取組について説明をしてくださった同仁会子どもホームの施設長さんの言葉が非常に印象に残っている。「これは子どもの権利擁護につながる教育です」と仰っていたが、子どもたちの生きる上での権利を守るためにも生教育の重要性、そしてそれを公教育で取り組むべきなのではと魂を揺さぶられた。
それと同時に重要であるのが、保護者に対する教育である。子どもを産み育てていくことは容易ではない。20年ほど前であろうか、テレビコマーシャルで「産むだけで親になれるわけじゃない」というキャッチフレーズが流れた[3]が、いかにもその通りであって、親になるための教育そのものも今後並行して行ってまいりたい。
注