松下政経塾 The Matsushita Institute of
Goverment and Management

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2019年12月

塾生レポート

地域主権と住民協働を核とした持続可能な地方政治
小野寺栄/松下政経塾第37期生

入塾以来、地域主権と住民協働による地方自治をテーマに活動してきました。本レポートでは、4年間の総括としてこれまでの活動とそこから得た知見をまとめています。

 

-目次-

0.はじめに -本レポートの目的-
1. 入塾の動機 -素志とその原点-
2. これまでの活動とそこから見えてきた課題 -国内外での研修を通して-
  2-1. 福井県越前市での首長インターン
  2-2. 宮城県気仙沼市での活動
  2-3. 現地現場でみえてきた課題
  2-4. アメリカにおける住民自治の探究
3. 目指すビジョンと卒塾後の活動

0.はじめに -本レポートの目的-

 松下政経塾での四年間の研修もいよいよ本年度で終わりを迎える。東日本大震災を機に政治の在り方に疑問を抱き、入塾した私はそれぞれ二年間の基礎課程と実践課程を通して様々な方々のご尽力を賜り、何ものにも代え難い貴重な研修の機会に恵まれた。本レポートでは、入塾に至った自らの素志とその原点を改めて振り返り、これまでの研修(とりわけ実践課程での研修)、そしてそこから新たに見えた課題と解決に向けたビジョンの提示、卒塾後に私が果たしていくべき役割について述べたい。

1. 入塾の動機 -素志とその原点-

 私が松下政経塾の門を叩いたのは、東日本大震災により被災した原体験と故郷である宮城県気仙沼市の復興に貢献したいという思いからである。発災から年月が経っても復興が進まない現状に憤りにも似た焦燥感を抱いたこと、そして、一度離れた地元を改めて見つめなおすことで今まで気づくことのなかった魅力を感じ、「元に戻すだけではない創造的復興を実現することで被災地から日本の地方のロールモデルを形成していきたい」という志を抱いたのである。
 震災前、年月を経るごとに人口が減り、街から活気が消え、閉塞感に飲み込まれる故郷に嫌気がさし、中学を卒業後すぐに親元を離れ仙台市の高校へ進学した。同じ県内ではあるが百万都市である仙台市は大都会であり、若者にとって魅力的な文化や娯楽に溢れていた。加えて、当時私が通っていた私立高校で施される教育も決して地元では受けられないようなレベルの高いもので、東京の難関大学への進学を希望していた私にとって非常に満足のいくものだった。地元に残っていては掴めないチャンスに恵まれた私はとにかく「抜け出せた」という充実感でいっぱいだった。
 そんな矢先、東日本大震災が発生した。発災から一か月後にようやく電話が繋がり、家族は無事と分かったものの生まれ故郷である宮城県気仙沼市は壊滅的被害を受け、家業も大きな被害に遭った。津波により跡形もなくなった故郷の沿岸部、実家に足を踏み入れた際の悲しさ、寂しさは今も忘れることができない。当時高校2年生だった私は受験勉強に追われ、地元に対し何一つアクションを起こすことができなかったことが非常に悔しかった。希望する大学に進学し、上京してもなおその後悔の念が消えることはなかった。そこで私は大学が主催していたボランティアに参加し毎月数回、夜行バスで気仙沼市に赴き、仮設住宅のコミュニティ訪問、観光戦略の策定など様々な復興事業に携わった。しかし、その都度、震災から数年が経ってもなかなか復興が進まない状況が目の前に突き付けられ、当事者として何もできない事実に無力感を覚えた。一方で、東京からのボランティアという「よそ者」として、これまでと違った立場で故郷を見つめ直したとき、決して都会のように物的に豊かではないが、ヒト、モノ、そして復興後の街に対する住民の夢が詰まった魅力的な地域であることに初めて気づかされた。とはいえ、東北地方は震災前から高齢化、人口減少、産業の衰退などといった諸問題を抱えていたいわば「社会課題先進地域」であり、震災により更なるダメージを受けていた。一方で、見方を変えれば震災で一度破壊されたゆえに、「創造的破壊」である「イノベーション」を最も起こしやすい地域であるという希望的観測も抱いていた。しかし、未曾有の震災を前に復興の方程式は存在しない。一旦は無地となったキャンバスにどのような絵を描き、どのようなやり方で街を復興していけば良いのか、正解はないが最適解は必ず存在する。そしてそれを見つけるためには長期的視点が必要だと信じ、四年間をかけビジョンをつくり、実践者となるべく松下政経塾の門を叩いた。

2. これまでの活動とそこから見えてきた課題 -国内外での研修を通して-

 入塾以降、自らの研修テーマに基づき、国内外問わず様々な現地現場で研修を積んだ。大きく活動の軸を三つに分けると、①地方自治を学ぶための首長インターン、②地元気仙沼市での課題抽出、そしてそれらを通して見えてきた課題と仮説検証のための、③アメリカでの住民自治の探究の三つである。
 
2-1. 福井県越前市での首長インターン

 復興過程を見ていく中で、各自治体の首長のアジェンダ設定能力がその街の復興の進捗度や方向性を決定づけているといっても過言ではないと感じていた。そこで、政治に縁遠い環境で育った私はそもそも首長の役割や資質とはどういったものなのか、市民から選ばれた「政治家」と「行政の長」といった二つの側面からどのように街のビジョンを描き、実行に移しているのか等を学ぶために、松下政経塾の卒塾生(第6期生)である奈良俊幸越前市長のもとで2017年7月から約一か月間にわたり、インターンを行った。越前市で研修をした理由としては、気仙沼市と人口規模がほぼ一緒で住民の「顔」が見える自治体規模だったことに加え、「半世紀に一度のまちづくり」を掲げ、北陸新幹線の開業に伴う大規模な街の整備や新庁舎の建設や大型公園の設立など市政の盛り上がりが街の活気につながっていたこと、そして何より、卒塾生が首長として地方自治に携わるというイメージに輪郭を持たせるために、奈良市長のもとで修業をさせていただいた。
 約三週間にわたるインターンでは、市役所のほぼ全ての課で研修を行い、各部局の役割を学ぶことで行政の全体像を掴むことに集中した。租税を扱う部署から福祉を担う部署まで横断し、行政がどのように住民と向き合っているのかを学ぶことができた。役割や使命が全く異なる市役所の各部局を屋台骨のように貫くのが、首長が掲げる都市計画のビジョンやマスタープランであり、首長の存在そのものだということも学んだ。また、自らの考えやビジョンを職員だけでなく住民に対して訴える場として奈良市長の後援会などの政治活動にも同行し、意見交換も重ねてきた。
 越前市での首長インターンを通して学んだことは主に三つある。一つ目は、自治体経営における多様性とそのおもしろさである。越前市では、越前市だからこそできるまちづくりを徹底的に行っていた。例えば、市内にある村田製作所や信越化学工業など先端企業と古くから地域に根付いてきた伝統工芸(越前和紙・箪笥・打刃物)の産業間コラボレーションや、絶滅危惧種であるコウノトリが数多く飛来するという自然特性から「コウノトリ舞う里づくり構想」を掲げ、コウノトリを生物多様性や自然再生のシンボルとして位置づけ、里地里山の自然環境と生物多様性の保全再生を行い、持続可能な社会づくりを通じて、「生きものと共生する越前市」を推進している。これらのユニークな取組みは、けっして国からのおしきせでは実現することができず、その地域ごとの特性や歴史、文化、伝統などを理解した市民の郷土愛によってこそ成り立っていると感じた。「ないものねだり」ではなく「あるもの探し」を行う、そしてそれにもとづくその多様性に富んだアイデアやまちづくりこそが地方自治の醍醐味だということを現地現場に身を置くことで身につまされた。
 二つ目は、松下幸之助氏が唱えた「自主自立経営」の地方自治における重要性である。上記で述べた自治体独自の多様性に富むまちづくりは、自主自立した自治体経営に基づくものである。それを実現するために、越前市は産業基盤の安定と拡充に力を注いでいた。雇用の創出と税収が期待される製造業への手厚い支援に加え、伝統工芸について技術や技法の継承、後継者育成事業、そして新商品の開発や国内外への需要開拓などといった取組みを市が支援している。こういった産業の底支えによって安定した行政サービスと独自の政策が打ち出せるということを現場で学んだ。
 三つ目は、塾出身者が政治家、首長をやる意義や使命を奈良市長の公務に対する姿勢から学ばせていただいた。それは、塾で学んだ松下幸之助氏の思想・哲学をそれぞれの持ち場で実践していくことこそが塾出身者に課せられた使命であるということだ。奈良市長が仰っていたのは、塾出身者として熱い思いに加えて経営感覚とロジカルシンキングを大切にすること、各政策に対して誰のため・何のためという理念と目的を明確にすること、そして、長期的視点を持って事業を行うことが大切だということである。「コウノトリ舞う里づくり」を打ち出した、当時、リーマンショックを経て日本が閉塞感に包まれていたころ、目先の利益ばかりを優先する日本社会に疑問を持ったことが背景にあるという。すぐには成果が出づらいかもしれないが、長期的に見て、越前市の美しい自然を守ることのできる活動、ひいては何世紀後かの市民の郷土愛に根差すような取組みを行うという決意が根底にあったという。政治の生産性という問題意識の下、塾を設立した松下幸之助氏は、政治は経営でありそれにあたっては目先の利益にとらわれない長期的な国家百年の大計が必要であると説いてきた。国と市とで規模は異なるが、自治体レベルでその教えを実現する奈良俊幸市長の姿から多くのことを学んだ。
 
2-2. 宮城県気仙沼市での活動

 越前市をはじめとする地元以外の地域で政治・行政の現場やまちづくりの事例などを学んで視野を広げることに加え、基礎課程の二年間の間に地元である宮城県気仙沼市でも活動を行った。具体的には、一次産業(水産業)での現場実習、社会福祉協議会を通しての仮説住宅コミュニティ支援事業、復興事業推進にあたっての住民説明会や勉強会などへの参加である。
 入塾して地元を見つめ直すことでまず感じたのは、出身者でありながら地元のことを全く知らないということだった。そこで、地元のことを一から知るには気仙沼市を根幹から支える漁業とその周辺のことについて知らなければいけないという思いのもと、牡蠣漁師の方々、また地元水産加工会社の現場で漁師の方々や養殖業従事者の方々と共に作業をさせていただいた。毎朝5時に現場に行き、強烈な磯の香りに包まれながら牡蠣の出荷に向けた作業やイカの塩辛作りを行った。慣れない立ち作業に苦しみながらも、共に汗をかくことで、そこに生きる人たちの思いをくみ取り、地域の課題は何か、模索した。
 また、復興が進まないことで問題となっていたのは産業などのハード面だけではなく、仮設住宅での高齢者の孤立や地域コミュニティの弱体化などソフト面も同様であった。特に生活に根差す福祉分野については予算や人手など、ハード面と比べて後に回されやすく、かなり遅れをとっていた。そこで、気仙沼市社会福祉協議会を通じ、仮設住宅や災害公営住宅に暮らす高齢者向けのボランティアを行った。彼らの多くは、家が津波で流され、市が用意した住居に移り住んだものの慣れない生活環境にストレスを抱えていたことに加え、新しいコミュニティに馴染めず孤立していた。また、もともと強固だった地区ごとのコミュニティは集団移転したケースを除いて解体されており、地域の文化やまちづくりを支えてきた自治会などの弱体化は長期的に見て痛手となっていた。そこで、高齢者の孤立を防ぐためのイベント(ラジオ体操・カラオケ大会・ミニ運動会)などの企画・運営を行ったり、自治会新設に向けた話し合いの場などを設けたりした。
 加えて、筆者が気仙沼市で研修を行っていた2017年には気仙沼市で復興事業を進めるにあたって問題となっていたのが防潮堤の高さに関する議論である。防潮堤建設を巡り、高さが最大で14.7mとなるコンクリートの防潮堤を沿岸部に設置しようとする宮城県と景観やまちづくり等の観点から高さの引き下げを望む住民とで意見が真っ二つに分かれた。その溝を埋めるべく行われてきた住民説明会や勉強会などに参加し、双方の主張と落としどころを模索する難しさを実感した。と同時に、次項で詳しく述べる、中央集権下での政策決定プロセスに疑問を抱いた。
 
2-3. 現地現場で見えてきた課題

 発災から4か月後の2011年7月、政府は東日本大震災復興構想会議における議論を基に、現在に続く復興計画の根底をなす「東日本大震災からの復興の基本方針」(※1)を策定した。
 これは、復興期間や大枠の施策、財源確保や事業規模などを明らかにしたものであるが、同時にあらゆる復興政策が依って立つべき理念も盛り込まれている。第一章「基本的考え方」の一節には、「(ⅴ)被災地域の復興は、活力ある日本の再生の先導的役割を担うものであり、また、日本経済の再生なくして被災地域の真の復興はないとの認識を共有する。特に東北の復興に当たっては、東北地方の有する多様性や潜在力を最大限活かし、一体となって取り組むことにより、新しい東北の姿を創出する。」と書かれている。つまり、「復興政策は、被災地域のみならずかねてより衰退していた日本経済全体に好影響をもたらすような形で行われるべきだ」と主張しているとこの一文から汲み取ることができる。
  では政府が掲げた基本理念と復興政策の実施主体である県および市町村が直面する現実とは一致しているだろうか。東北における被災三県の中で最も多くの人的被害を受けた宮城県、そしてその中でも基幹産業である水産業の被災により地域経済がダメージを受けた宮城県気仙沼市を例に考察していきたい。
 2011年10月に県議会で可決された「宮城県震災復興計画~宮城・東北・日本の絆 再生からさらなる発展へ~」(※2)は、①災害に強く安心して暮らせるまちづくり、 ②県民一人ひとりが復興の主体・総力を結集した復興 、③ 「復旧」にとどまらない抜本的な「再構築」、④現代社会の課題を解決する先進的な地域づくり 、⑤壊滅的な被害からの復興モデルの構築の5項目を基本理念に据えている。単に基に戻す「復旧」でなく将来の日本の地域のモデルとなりうる先進的地域として生まれ変わることを旨とする「創造的復興」を掲げている。
 復興の最優先課題として県が主体となって行ってきた「住まいの確保」については2017年度(当時)までに高台移転が91%、災害公営住宅が96%完成していることに加え、インフラの復旧については道路が100%、鉄道が81%(※3)と計画されており、ハード面の整備をはじめとする復旧・復興が着実に進んでいることは確かである。
しかし、それらの復興事業が住民の意思に基づくものであるか、また、長期的に見て人口減少および高齢化といった地域の課題に耐えうるものなのかという疑問は被災地において噴出している。加えて、基礎自治体が担う雇用・産業、医療・福祉、コミュニティの再生などを含むソフト面の住民の生活の復興に関しても、今後更なるケアが必要である。このように、政策がうまく機能していないという現状が意味するのは、トップダウン型の復興政策とその背景にある理念が現場における復興の実態や住民の思いと大きく乖離しているという紛れもない事実である。これは単に資源配分の非効率といった行財政的観点の課題を突き付けるだけでなく、住民の満足度の低下、そして行政不信や地域への愛着・アイデンティティの低下といった住民感情をも傷つける結果をもたらしている。宮城県気仙沼市におけるこれまでの現場研修で目の当たりにした個別具体的な事例に沿って、筆者が抱く問題意識を探ってみたい。
 
ケース①. 防潮堤建設をめぐる行政と住民の意見の対立

 気仙沼市は、あの悲惨な津波を経験してもなお海を愛し、海と共に在ることを復興理念の根底に据えた。古くから当たり前のように海の近くで育ち、黒潮と親潮がぶつかり合う豊かな三陸の水産資源により繁栄してきた気仙沼市では、「海と生きる」を復興スローガンに掲げた。(※4)これは、すべての気仙沼市民にとって疑いようのないスローガンであった。この旗の下に行政と住民が一体となって復興に向かうはずだった。
 しかし、気仙沼市は海と住民の生活とを隔てる巨大防潮堤の建設をめぐって推進派の行政(宮城県)と概ね反対派の住民とに二分された。宮城県は県の震災復興計画の理念の一つである「災害に強く安心して暮らせるまちづくり」に基づき、沿岸部の巨大防潮堤の建設を政策の目玉とした。市内沿岸部65カ所、全長約40km、最大高さ14.7mにも及ぶ巨大防潮堤の建設提案に計画が発表された段階から住民から反対の声が上がった。「海が見えなくなり気仙沼の文化が損なわれる」、「景観が悪くなり、観光業に支障をきたす」、「漁業に影響が出る」など様々な住民の思いが寄せられたが、それらは県が大枠の計画の方針を変えるほどの理由にはあたらないとして、当初は退けられてきた。結果、行政と住民側との合意形成に多くの時間を要することとなった。住民側は勉強会やタウンミーティングなどを自主的に行い、防潮堤についての知識を獲得することで住民自治によるまちづくりを実現しようとしてきた。結果、防潮堤の高さや景観を尊重したデザインを取り入れるなど細部については住民の意向が取り入れられる余地はあったものの、大枠の方針変更はなされなかった。また、住宅や事業所を含む全ての建物の建設計画は防潮堤の高さが決まらないと定めることができないため、復興政策の一つである防潮堤計画があることが皮肉にも直接的な復興事業の遅れに繋がった。
 最終的に「海と生きるまち」は県の建設提案を受け入れる形をとった。現在、市内では着々と防潮堤の建設が始まっているが、なお、住民の意見は様々で着地点は見えてこない。加えて、宮城県庁は「防潮堤の施工ミス」を発表した。土地の隆起分を計算しておらず、22cm高く施工してしまい、1cmでも低くしようと試みてきた住民たちには落胆と怒りの声が広がっている。県側は、「修正には数億円のコストがかかり、県民の理解が得られない」(※5)として現状のまま進める意向を示している。それに対し、市側は「最大限の住民の意見の反映を求める」要望書を提出した(2018年5月現在)。震災から7年を経てもなお、防潮堤の建設については住民と行政、さらには住民と住民との間で物議を醸している一大政策トピックであるだけではなく、これまでの復興事業の進め方、公共選択プロセス、そして広く国・県・市町村の連携の課題や、住民による自治の在り方などといった地方自治の根幹を成すような課題の縮図であると言える。
 広範囲に渡り、未曾有の被害を残した震災復興にあたって、政府がリーダーシップをとり、一律で基準を設け力強く復興を推し進めるということは、合理的なやり方にも思える。しかし、防潮堤のように行財政的観点から見ても、また、住民生活の観点から見ても地域の将来に大きな影響を与えうる公共財の建設を現場の住民の意見を取り入れることなく押し付けることが果たして良い決定、選択のプロセスなのだろうか。また、「スピード」を重視するという目的のもと、公共事業の計画策定や合意形成のプロセスに住民が介在しないことが住民自治を原則とする地方自治にとってあるべき姿だったのだろうか、その逆もまた然りであり、どちらをとっても正解ということはない。だからこそ、本当の民主主義、地方自治とは何か、被災地での事象を切り口に考える価値があるのではないだろうか。
 
ケース②. 浮かび上がった「被災弱者」と問われる政策

 復興が進む一方で、その過程で社会から取り残され未だに「被災者」としての生活を強いられている人もいる。「災害は、いつでも、その時代の社会構造の弱い環を直撃し、解決すべき社会問題を露にする(岡田,2012)」との指摘もある。実際、東日本大震災では、犠牲者の半数以上が60歳以上の高齢者であった。また、復興段階においても然りである。2005年のアメリカ・ルイジアナ州ニューオーリンズで発生したハリケーンカトリーナからの復興では、その過程で富裕層と黒人をはじめとするマイノリティの格差が拡大し固定化したという。被災地においても同様の現象が起こっている。とりわけ、震災以前から高齢化が進んでいた気仙沼市においては高齢者の「被災弱者化」が深刻である。
 「限界集落」という言葉に象徴されるような過疎地域は震災により事態が悪化した。限界集落にあって津波により住処を追われた高齢者は、仮設住宅での生活を余儀なくされた。仮設住宅への移動については抽選によって場所が決定されたため、元より脆弱であったコミュニティの崩壊が発生した地域も少なくなかった。結果、人付き合いや外出の回数が減り、引きこもりや運動不足、さらに深刻なことには孤独死の増加といった事態を招いた。さらに、仮設住宅の次の住処として、多くの高齢者は高台移転による新住居の建設や災害公営住宅への引っ越しという選択を余儀なくされた。土着のコミュニティごとに高台移転が可能となった幸運なケースを除き、いずれの場合も、仮設住宅において構築されたコミュニティを解体することとなった。この状況を打開すべく様々なNPO法人や社会福祉協議会が市の委託事業としてコミュニティ強化のための様々なイベント(ミニ運動会や健康増進イベントなど)を継続的に開き積極的に呼びかけをしてはいるものの、参加者は固定化され、真にこの取組を必要とする者のコミュニティへの参加は難しい。
 また、住居の移動による様々な問題も露呈している。高台移転先は今まで人が住んでこなかったような山の僻地を宅地整備して建てられたケースが多く、交通の不便な立地にある。自分で移動手段を持たない高齢者や足腰の悪い高齢者の中には、一時間に一本来るバスを乗り継ぎ、約2時間かけて市内の病院や買い物に行く方もいる。加えて、災害公営住宅に引っ越した高齢者は今まで住んできた戸建てとは様式の違う集合住宅での暮らしに戸惑っている。集合住宅での慣れない生活やルール、近隣とのコミュニケーション不足など新しい生活に気疲れしている高齢者も多い。このように、復興の過程で社会的弱者であった高齢者は被災弱者として固定化されつつある。このような人々は外から見えにくく、また、数値化しづらいため、その声は行政に届きづらい。
 
ケース③. 復興事業の基幹産業化が助長する「負のスパイラル」

 被災地の未来を見据えた長期的な課題は紛れもなく人口減少とそれが招く多方向への悪影響といった負のスパイラルである。とりわけ、地域経済の衰退は負のスパイラルを断ち切るために一石を投じなければいけないファクターである。元から若者の人口流出による人口減少と高齢化が相乗して労働力の低下が顕著であった気仙沼市においては産業力の著しい低下が叫ばれていた。震災からの復興によって震災前からある課題、ニーズを満たす「創造的復興」が望ましいとされてきたが、震災復興の過程は皮肉にも人口減を助長してしまうことになった。その理由としては、復興の遅れにより、街の将来の青写真を描けなかった住民が続々と転居してしまったこと、また、復興事業が基幹産業化してしまったことがあげられる。
 震災前の行政予算を遥かに凌ぐ復興予算は、復興に関わる公共事業を気仙沼市の基幹産業とするには十分すぎる額であった。結果、復興期に最も重要視されるべき地域内経済の基盤整備といった持続可能な観点が欠けてしまうこととなった。このことにより、産業の振興や雇用のミスマッチといった課題が放置され、労働人口にある年齢層の人々は職を求め気仙沼市を離れることとなった。
 
 以上の3つのケースは被災地の「今」を表すほんの一部にしか過ぎない。様々な現場を見て言えることは、国や県が提案する日本経済の活性化のエンジンとなる「新しい東北」の姿とは大きく乖離しているということである。そればかりか、崇高な理想を掲げるあまり、現場の人々には復興へのプレッシャーや復興疲れ、燃え尽き症候群のような雰囲気も漂っていることから目を背けてはいけない。
 まとめると、これまでの復興政策においては政府から県、県から基礎自治体といった三層構造の中央集権体制によるトップダウン型の復興政策が行われてきた。これには政府主導で力強くスピーディに政策を実行できるという利点がある一方、被災地域が広域に渡っていることから、現地のニーズを汲んだきめ細やかな視点が欠けていた。先に述べたとおり、「理念」と「現実」の狭間で苦しんできた基礎自治体、そしてそのしわ寄せとして犠牲を払わざるを得なかった住民も多く出た。
 
2-4.アメリカにおける住民自治の探究

 前項で述べたように、東日本大震災からの復興過程では、復旧・復興事業の実施や公共財の建設を巡って住民と行政との間に隔たりが生じており、年月を経るごとにその溝は深まっている。結果、資源配分の損失が発生しているばかりではなく、住民の声が反映されず納得感に欠ける都市計画が進められ、住民の行政不信が郷土への愛着、アイデンティティの欠如へと繋がる様を現場で目の当たりにしてきた。
 この原因は、政策決定プロセスの不完全さにある。中央集権体制での国主導の復興政策は「住民参画による公共選択」という復興期に何よりも優先されるべき地方自治の基盤を脆弱にしてきた。政府財源による復興予算が減額され、市の自主財源で行われる今後のポスト復興期のまちづくりではこれまで以上に住民による意思決定と政治参画が必要となることは言うまでもない。
 このことを探究するためには、地域内部のみならず外部で様々な方法論や先進事例を吸収する必要がある。民主主義の先進国と呼ばれるアメリカには、国の成り立ちや歴史的経緯など日本とはまったく異なるが、草の根からの民主主義が根付いており、シビルソサエティの活発な活動が政策形成に大きな影響を及ぼしてきた。そこで筆者は米国における政策決定プロセスを分析するために、現地へ渡り、2018年9月より実践課程の活動としてアメリカ政治学会(英: American Political Science Association)が主催する連邦議会フェロ―シッププログラムに参加している。1953年から続くこのプログラムは、全米から政治学者、連邦公務員、ジャーナリスト、医療従事者等が参加し、自国の議会立法過程について理解を深めると同時に自らの専門性を立法過程に反映させることを目的としている。海外フェローとして、(1)米国における立法過程、政策決定プロセス・実態の研究、(2)米国との比較を通じた日本の地域主権、道州制の可能性の探究 、(3)米国における具体的政策事例の外地調査(災害復興地域・経済政策・自治体経営等の具体的政策の先進事例)を目的に研修を行っている。プログラムの構成としては米国政治への理解を深めるために講義や研修を受けた後、各々が自分で議員事務所へアプライし、フェローとして政策立案をはじめ事務所の諸々の業務に携わるというものである。昨年9月から10月までの2か月はジョンズホプキンス大学ポール・H・ニッツェ高等国際関係大学院 (SAIS)にて元連邦議員事務所チーフスタッフの教授による講義を受講した。連邦議員が各々代表する州の利益や住民・利害関係者の声を国レベルでの政策決定と予算獲得プロセスにどのように反映させているのか、各州の独特の政治文化と絡めながら臨場感のある講義を受講し、アメリカの政治に対する理解が深まった。11月からは、約30名のフェローが集まり、アメリカ政治学会主催のオリエンテーションに参加している。元連邦議員、議会スタッフ、学者、シンクタンク研究員、実務家などバラエティに富んだパネリストを招き、米国議会の立法過程や2018年の中間選挙の結果について集中的に学ぶ機会を得た。その後、Henry C. Johnson下院議員(民主党・ジョージア州4区選出)のワシントンD.C.事務所で市民活動や地方政府に関するリサーチ業務、議員のスピーチライティング、立法にあたってのリサーチ業務、有権者対応、要人対応などの業務に携わっている。
 筆者がアメリカで研修を行う目的の一つはアメリカの地方自治の諸制度を調査研究することである。アメリカの政策立案モデル、地方自治モデルが日本にとって理想的かつ即応できるものであるというわけではないが、住民が主権者としてあるべき地方自治、ひいては国家のために模索してきた理念と歴史には今後の日本の新たな地方自治制度を考える上で示唆に富んでいるという認識のもと、地方主権が根付く同国においてユニークな自治体経営の現場や各政策の情報収集を行ってきた。そこで見たのは行政統治機構の「多様性」である。各州は連邦制国家と主権を「併有」している極めて自主独立性に富んだ一つの政治機構であると考えられている。単一主権国家である日本が都道府県および地方自治体を明確に下位政府と位置づけていることに対し、アメリカでは連邦を構成する州がそれぞれに主権と憲法を持っており、州政府が連邦政府に対して主権の一部を限定的に委譲するという制限列挙方式をとっている。また、統治組織の種類という点において、連邦政府-州政府-地方政府という三層構造だけを見ると、日本がとる政府-都道府県-基礎自治体というものとほぼ同様である。しかし、一口に地方政府といっても、その形態は各州の憲法・法令などに委ねられていることからカウンティ、タウンシップ、地方自治体、学校区、特別区・・・など様々であり、一様に理解することは実に困難である。
 加えて、地方政府の統治構造も極めて多種多様である。日本の地方政府(ここでは都道府県および基礎自治体の両方を指す)は、首長と議会の二元代表制が基本であるがアメリカではそうとは限らない。日本同様、住民の代表として市長と議会が存在し市長が行政各部を統括する「市長―議会型(Mayor-Council)」の統治構造も一般的であるが、その中でも「強市長型(Strong-Mayor Form)」と「弱市長型(Weak-Mayor Form)」に分かれ、市長の選出方法、それぞれのアクターが持つ権限の大きさが異なる。また、議会が専門的知見を持つ支配人(City Manager)を任命する「議会-支配人型(Council-Manager)」の形態も多くみられる。その地域に大きく関わる政策についての専門家や政策立案一般に長けた者が支配人として任命され、市長に代わって行政各部を統括するのが一般的である。その他にも、数は少ないが企業の取締役会を模した「理事会型(Commission)」も存在する。カウンティ(郡)のレベルで採用されるこの形は、市長や議員を置かず、住民からの直接選挙で選ばれた理事数名が行政各部をまとめ、議会ではなく「理事会」において予算や政策について決定を下すというものである。このように連邦政府との関係性、地方政府の形態、そして地方政府ごとの統治構造を見ても州ごとに相当の違いがあり、それがアメリカの地方行政を多様でユニークなものとしていることが分かった。
 

3. 目指すビジョンと卒塾後の活動

 今回の中央集権体制によるトップダウン型の復興政策とアメリカでの分散型ガバナンスを見るにつけ、地方自治体ひいては地元市民が「自己決定・自己責任の原則」に基づいて自主自律的意思決定と政策運営を行っていくこと、つまりは地域主権、地方分権の流れが望ましいという思いを強くした。とりわけ、兼ねてより高い高齢化率と人口減少に悩まされてきた東北は震災以前より、日本における課題先進地域と呼ばれてきた。先の大震災によってその脆弱性が露呈したばかりでなく、まさにゼロベースからの復興とまちづくりを行わなければいけない状況に陥った。しかし、トップダウン型の復興政策では、その過程に地方自治体や地元市民の声が反映される余地はなかったと言っても過言ではなく、結果として住民の納得感や地域の持続性を排除した復興政策が行われてきたことも確かであった。
 世界にも稀な速さで少子高齢化社会・人口減少社会へと突入してきた日本は、今後東北地方のみならずあらゆる地域で、経済、福祉、教育など市民生活のあらゆる面でパラダイムシフトが要求されることになるだろう。例えばこれまで当たり前に享受してきた行政サービスが削られる、あるいは、これまで以上の多くの負担が課されるなど目に見える直接的な変化を強いられる局面にあって、住民の顔が見える公共選択プロセスが望ましい。たとえ住民の望む結果にならずとも、その過程に参画してきたという「納得感」が今後の日本の地方自治、民主主義を考える上で何よりも大切なのではないだろうか。住民と行政の意見の不一致は、効率性を欠く予算の配分、行政不信による地域への愛着の低下といった問題を招いている面があることも否めない。
 上記の課題に対するアプローチを考えたときに、有用となるのがアメリカの地方自治の根底にある「自主独立性」、「多様性」という理念であると筆者は考える。地方政府の形態や中央政府と地方政府の関係性などといった大前提は日本と全く異なるが、個別具体的な統治構造については日本の地方自治体も学ぶべきことが多い。議会、市長といった二元代表制の中でも、それらにどのような権限を与え、また行政各部や市民などといったアクターと政治が協働していくのかといった組織論を見直すことは、公共選択プロセスや政策決定にダイレクトに影響を与えることになる。街の将来のあり方を決める政策や事業に対して、住民が大枠の意思決定に参加するプロセスを確保する手段が必要である。東北の復興行政に限って言えば、先に述べたように、住居やインフラの整備、雇用の立て直しなど、緊急性が高くスピードを要する復興のフェーズは、徐々に落ち着きを見せ始めている。復興のあり方は「スピード」から「質」へとシフトチェンジしていくべきである。その「質」を担保するのは、丁寧な対話と議論に基づく住民参加型の復興であると筆者は考える。そしてこのことは、被災地のみならず日本の地域全体に当てはまる事柄だと言える。経済成長を前提としてきたこれまでの時代において、政治の主たる役割はあくまで「富の再分配」であった。しかし、グローバル化、人口減少などの諸課題が地域を蝕む中で、政治は富の再分配と同時に「負の再分配」をも行わなければならない。換言すれば、そこに住む住民が、何を負担し、どんなリスクを取り、どのように痛みを分け合うのか、これまでの時代にはなかった問いであり、解決法を示す方程式や絶対解も存在しない。しかし、われわれはいずれ決断をしなければならない。その時に、政策として「何が」行われたかといった結果ももちろん大切ではあるが、課題が複雑で絶対解が見いだせない物事に対しては、「誰が」「どうやって」決めたのかという過程に納得感を持たせることが、そこに住み続ける住民の満足のためには必要なのではないだろうか。そして、その政策形成過程において、住民の関与の度合いが高ければ高いほど、納得感は大きくなるのではないか。 
 卒塾後は、シンクタンク等民間の立場から、自らが政策決定を支えるシビルソサエティの一員となれるよう、努力していく所存である。

【参考文献】  
・長峯純一『復興事業の進め方に見る計画行政の限界~防潮堤と土地区画整理事業~』計画行政
・長峯純一『防潮堤の法制度、費用対便益、合意形成を考える』(2公共選択第号)
・廣重剛史『意味としての自然―防潮林づくりから考える社会哲学』(晃洋書房)
・岡田知弘・秋山いつき『災害の時代に立ち向かう』(自治体研究社)
・岡田知弘『震災からの地域再生』(新日本出版社)
・小滝敏之『米国地方自治論』(公人者年)
・久保文明『アメリカの政治』(弘文堂年)
・渡辺靖『アメリカン・コミュニティ―国家と個人が交差する場所』新潮選書年

【出典】
(※1)
出典
復興庁「東日本大震災からの復興の基本方針」より(年5月日閲覧)

(※2)
出典
宮城県「宮城県震災復興計画~宮城・東北・日本の絆 再生からさらなる発展へ~」より(年月日閲覧)

(※3)
出典
復興庁「東日本大震災からの復興に向けた道のりと見通し」より年月日閲覧)

(※4)
出典: https://www.kesennuma.miyagi.jp/sec/s019/010/050/010/hukko_keikaku_gaiyou.pdf
気仙沼市「広報けせんぬま 特集号 気仙沼市復興計画概要」より年月日閲覧

(※5)
出典
県庁「宮城県知事記者会見」より(年月日閲覧)

2019年12月 執筆
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