論考

Thesis

日本人の日本人らしいあり方~震災とのたたかい~

日本人は強い。そして美しい。東日本大震災を受けて、世界からそう評価された日本。どんな困難にも負けない日本の底力はどこからくるのか。松下幸之助塾主の人間観を通して見えてきたものは、やはり自然との調和であり生成発展であった。

1.はじめに

 3月11日、突如襲った未曾有の大震災。沿岸部を中心に広範囲に広がったその被害は、決して一地域における災難ではなく、日本全体を揺るがす大きなものであった。震災から半年が経ち、今この震災を振り返る時、人間の強さや弱さ、たくましさや脆さが見えてくる。それを日本人としてどう捉えるのか、そして人間としてどう捉えるのか。東日本大震災を通じて今改めて考える日本人の人間観とはいかなるものか、考察したい。

2.自然災害との終わらない戦い

 日本は災害大国である。
地球全体を覆っている十数枚のプレートの内、その四つが日本列島下に存在する。これらが互いにぶつかりあって蓄積されたエネルギーが発散されることで地震が発生するため、日本は世界的にも極めて地震が多い地域であると言える。

 特に、東海地震や首都直下型地震、宮城県沖地震はリスクが高いと言われてきた。過去の記録をたどってみても、震度6を超える大きな地震が幾度となく発生している地域であり、今回の東日本大震災も大きな流れでいえばその内の一つであるといえる。

 災害大国といわれる日本において、その中でもリスクが高く何度も大地震を経験している地域において、今回の地震は発生した。いつ起きてもおかしくない有事ともいえる。

 それでは、そもそもそのような有事リスクの高い地域に生活をすること自体に問題があったのだろうか。もしくは、その有事に備えが薄かった人間側に問題があったのだろうか。それとも、こんな災害をもたらす自然界が悪いのであろうか。

 私たちがこの震災を総括する時、必ず論じることになるこの責任論に対して、私たちはこれからも向き合っていかねばならない。不幸にも亡くなった多くの方々の尊い命だけはどうしても取り戻すことができないが、かたち上の原状復旧は進んでいく。しかしながら、我々は常に迫りくる有事と戦い、この責任論と戦い続けていかねばならない。

2.1 復興計画にみる自然との対峙

 今、被災地では復興計画を策定し、住居地域や商業地域の配置を検討している。同じ地区からは離れたくないが、海から少し離れた高台には移転したいという要望が多く、いかにして都市計画を構築していくかということに、予算的制約や物理的空間の問題からも苦慮しているところである。コンクリートの要塞で波から住居地を守り今のところに住むという選択肢もある。高台に家を連ねて建築していくという選択肢もある。

 しかしながら過去に学ぶならば、万里の長城と呼ばれた日本一の防潮堤は無残にも津波の勢いに勝てず破壊されてしまったし、高台移転を求めて移転をしたものの、十分な高さには居住土地を必要なだけ確保できず、相対的に今よりも高いところということで移転をして再び生活を送っていた多くの沿岸部地域の住宅についても今回大きく被害を受けてしまった点などは、考慮しなければならないだろう。

 防潮堤に加えて、十分な高さに必要なだけの居住土地を確保して高台移転することが住民の要望であり、有事の備えとしては現時点でできる最大の優良な対処といえるのかもしれない。

 かつて松下幸之助塾主は「新国土創成論」の中で、山を切り崩し沿岸部を埋め立てて国土を有効に使うという国家百年の計を打ち立てた。今にも崩れそうな危険な山や崖などを切り崩し、自然や景観を考えながら埋め立てていくことで、自然に逆らうのではなく自然を活かし活用する術だと唱えた。

 これは、もともと日本の国土が狭いことが過疎過密の問題の本質であると捉えた故の発想であったのだが、これは今回の高台移転の問題とも重なる部分がある。

 今は、現存の住居地域と可住地域をパズルのように組み立てているが、今ある用途地域を変えずに対処するのではなく、どのような姿ならば自然を活用して人間が共生することができるかという観点から計画を立て、修正しながら実行に移していくことが必要である。そのためには、既存の概念にとらわれない国土創成の考えが必要である。

 たとえば、新たに島を作るという考えである。

 津波と火災で大きな被害を受けた気仙沼市は、稲妻形の湾の形状になっており、湾内は海が荒れた日でも安定していることから、台風の際の避難港にもなっている。

 また、湾の入り口近くに大島という島がある。大島は、島を波が渡ってしまう程の強い津波を受けたが、そのために波の力を弱めた効果もあったと言われている。

 実際に、同じ三陸沿岸でも、数々の島が景観を豊かにしている日本三景の松島では、津波被害は小さいものであった。

 そう考えるならば、稲妻上の湾と島というものをうまく使って津波に強い国土計画をすることはできないだろうか。景観をより美しくしながら、機能的にも優れた国土創成のあり方があるのではないかと考えるのである。

 もちろんその為には、大きな国土計画として日本の国土を新たに創成するだけの国家ビジョンが求められてくる。まさに被災地だけでなく日本全体での国土創成計画をしっかりと打ち立てていかなければならないが、今はまさにその時であると思うのである。

 自然の脅威に備えるために、自然の力を活用する。
私たち人間は非常に小さな存在でありながら、責任ある大きな存在であるということを自覚して前に進むことこそ、自然とともに生存し発展してきた日本人の日本人らしいあり方なのではないだろうか。

2.2 自然災害を受けとめる日本人

 私が被災地に足を踏み入れたのは震災から十日ほど経った後であった。報道を通して伝えられる被災地の惨状と、東京で物資をかき集め被災地に行く為の準備をしている緊張感から、実際に足を踏み入れた被災地では声が出せなかった。何と声をかけていいかも、なんという表現をしていいのかも分からない状態だった。

 しかしながら、そこにいる人々は自宅の瓦礫を自力で片付け始め、地域の人たちと情報交換し支え合いながら、もう明日を見ていた。私が声も出せずにいたのは、今という一定点にしか目がいかなかったからであると気づかされた。そして、奇跡的に自分は命が助かったこと、家の骨組みが残り、修繕で対応ができる状態であることなどを「不思議にも」という枕詞で表現している人々に強さを感じた。

 自然は時に人々の命を奪う恐ろしい存在であると同時に、人間を包み込み、機会を与え、力を与えてくれる温かい存在でもあるということを物語っているようであった。

 だからこそ、日本人は幾度も訪れる自然災害を忌み嫌い、人間の力に屈服させるべく戦おうとしてきたのではなく、祈り祀りながら何度でも乗り越えてくることができたのであろう。そしてそれは、二面性を持つ自然の偉大なる力でもあり、日本人が科学的な解釈に毒されることなく、目に見えない人智を超えた偉大な力に対して神秘性を見出し、調和し、活用しながら生成発展していくことを選んできた民族だからなのではないだろうか。

 そして更にいうならば、これが日本人を日本人たらしめたのである。

 日本人の歴史には災害があり、その災害と向き合いながら信仰心をもち、八百万の精神を確立してきた。これは戦いではなく、不変の教科書であり親なのである。そういった尊い自然の教えを受け入れて自然の流れに逆らわず万物を活かし活用していくことで発展を遂げていくことこそ真の発展であり、人間に与えられた使命なのである。

 被災地にいれば、日本人の骨身にはそういった考えが実は潜在的に浸透していることが分かる。そして自然に対して素直に心を向けた時、物事は道理を得て進むべき方向にゆっくりと歩みを進めていくように思うのである。

3.死との終わらない戦い

 今回の震災では、15,799名が亡くなられ、4,053名が未だ行方不明(2011.9.20政府発表時点)である。日本を支えてきて下さったお年寄りから生まれたばかりの赤子まで、多くの尊い命が失われた。震災後、報道から流れる情報には、死者や行方不明者の数が大きく表示され、日に日にその数が増していくことを恐ろしく感じた。その反面、簡単に数字で語られていく尊い命の数に、リアリティを感じなくなっていく感覚も覚えた。

 しかし、誰かにとって最も大事な人の死の積み重ねであるということを思う時、胸が締め付けられる思いになる。

 私は10年前に亡くした祖母のことを思うと、今でも涙が止まらなくなる。私にとって何を差し置いてでも守らなければいけないものが祖母だと教えられてきたし、そう思ってきたからである。桜の季節が来るたびに、死の一週間前に二人で歩いた桜並木を思い出す。そうして、祖母の命を奪った神を恨み、仏を憎んだものである。あの世というものがあるのならば今すぐにでも行って会いたいとも思う。そんな祖母の死がこれだけの数起きたと考えれば気が狂いそうになる。自然への怒りがこみ上げてくる。

 生きとし生けるものは必ず死を迎える。

 当たり前に理解しているこの法則を、時に人は恨み、苦しみ、恐れる。私たち人間は、生きている以上ずっと死と戦い続けていかなければいけないのであろうか。

 ここに葉隠の有名な一節がある。
“武士道といふは、死ぬ事と見附けたり。”

 このように闘い続けなければいけない相手である「死」に打ち勝つべく向き合っていくことが大事であるとも読むことができる。しかしながら、その後段ではこう続く。
“二つ二つの場にて、早く死ぬ方に方附くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。圖に當たらぬは犬死などといふ事は、上方風の打上りたる武道なるべし。二つ二つの場にて圖に當るやうにする事は及ばざる事なり。我人、生くる方が好きなり。たぶん好きの方に理が附くべし、若し圖にはづれて生きたらば腰抜なり。この境危きなり。圖にはづれて死にたらば、犬死氣違なり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になりて居る時は武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕果すべきなり。”

 つまり、死と闘っているのではないのである。圖に當たるか否かと戦っているのである。思う道、信じる道、正義の道に進むためには、自分の一番亡くしたくない命すらその天秤にかけてはいけない。自分の心との戦いなのである。

 同じように、私たちは人の死を自分の力とすることができる。亡くなった方々の分まで精一杯生きたいと思うことは、死と戦った結果ではないはずである。

 死も、恐ろしさの反面に包み込む力を持っている。死は恐ろしい。たとえ御霊は消えずとも、現世に存在しなくなるという現実は耐え難いものである。

 しかしながら、死によって良き所が見出され、愛おしい存在となり、語り継がれて後世では尊敬すべき立派な先達となる。それによって救われ、勇気をもらい、自分の心と戦う力を得る人々がいる。

 人は死んでも死んではいない。神となって万人を救う役割を得る。八百万の精神をもつ日本では、自然と同様に、死さえも活かし活用していくことが日本人らしいあり方なのではないだろうか。

4.日本人の日本人らしい人間観

 私たちは、農耕民族であるがゆえに日本人らしい協調性や温和で優しい心を持っているともいえる。確かに、狩猟民族とは違い、自然と共生することで自然の恵みを得、その生育過程において、食べ物に声をかけ、我が子を育てるように手間暇をかけ、実ったものをいただくからこそ、深い感謝の念を持つことができる。

 しかしながら、農耕民族ゆえの問題もあると指摘する者もいる。農業によって、計画的に食料を確保することができるようになったことで、人口が増え、更に農地を切り開いて食料を確保し、更なる人口増加に対応していく。この発展の過程において、土地や水を巡る争いが起こり、戦乱の世へと進んでいったという見方である。

 また、マンモスの絶滅にも農耕民族が関わったという。安定的な食料が確保されたことで、食の豊かさを求めてマンモスを食すようになる。狩猟民族は縄張りを守り、必要以上の捕食をせぬことで永続的に食料を確保する術を身に付けていたものの、そんな法則と無関係の農耕民族が必要以上に食べ進めたことで結果、絶滅に至るというものである。

 事の真偽も含めて一つの論に過ぎないが、そこから学ぶことが重要である。特に、自然の理法に則ったあり方こそが万物を生存させ、発展させることができるということを再認識させてくれる。足るを知り、自然の流れに調和するように発展していくことが結果として長期的に見た繁栄をもたらすことになる。逆に、豊かさを求めて欲に走り、他への影響を考察することができなくなってしまえば、結果として大きなしっぺ返しを受けることになる。

 私たち人間は、大きな宇宙の中に存在する小さな地球の中の数多ある生命体のひとかけらに過ぎない。そして宇宙の起こりから考えれば人間の進化の歴史などほんの一瞬にすぎない。しかし今、私たち人間はこうして生きている。日々、繁栄と平和と幸福の道を模索している。自然も死も、見えぬ敵ではない。戦う相手ではない。私たち日本人が、歴史の中でなぜこの地でこの環境で今もここに生きているのか。決して戦いに勝ち続けてきたからではない。それはどんな事象も全て受け入れ、自然の偉大さに対して畏怖畏敬の念を抱き続けてきたからではないだろうか。

 私たちは今大きな試練を与えられている。未曾有の災害に加えて、原発の問題、少子高齢化の問題、食糧問題、エネルギーの問題、経済的発展の問題など数え上げればきりがない。

 本当に私たちは、これを誰かの責任として、見えない敵と戦い続けていいのだろうか。これらの問題の根源は全て大きな宇宙の中の、見えない人智を超えた偉大なる力に対して、我々人間がどのような態度で臨んでいくかということにあるのではないだろうか。

 今ある目の前の事象をしっかりと受け止めて、「それでも運がある」、「それもまたよし」と捉えて、大きな流れに素直に向き合って、腰を据えて、何をも天秤にかけずに、お互いの未来のために智慧を出し合っていくことが必要なのではないだろうか。

 私たち日本人は何があってもくじけない。どんな試練にも感謝をすることができる。有り得ないことを、有り難いとして融通無碍に明日の一歩を踏み出していくことこそ、日本人の日本人らしい人間としてのあり方なのではないだろうか。

 一日も早い被災地の本当の復興を願うとともに、私自身、大きな流れの中で真の発展繁栄を成し遂げる真個の日本人のあり方を全うすることをここに誓いたい。

参考文献

松下幸之助『人間を考える 第二巻 日本の伝統精神・日本と日本人について』PHP研究所 1982年
松下幸之助『人間を考える』PHP文庫 1995年
松下幸之助『PHPのことば』PHP研究所 1975年
松下幸之助『新国土創成論』PHP研究所 1976年

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杉島理一郎の論考

Thesis

Riichiro Sugishima

杉島理一郎

第31期

杉島 理一郎

すぎしま・りいちろう

埼玉県入間市長/無所属

Mission

自治体経営における『無税国家』と『新国土創成』の探求

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