論考

Thesis

それぞれの天分

人間にはそれぞれ与えられた天分がある。自らに与えられた天分を生かし、互いに調和することが重要である。私がこれまで経験した野球を例に論じる。

1.塾主の人間観

 「塾主を知る」というテーマの下、我々32期生は2週間の関西研修に行った。そのなかでも、私が特に印象に残ったのは京都の真々庵の庭園である。その理由は、「中心となる木はなくとも、一木一草を輝かせ、調和するように設計してある」という説明を受けたからである。この庭をこよなく愛した塾主の世界観、人間観をそこに感じることができた。

 塾主は「天分」という言葉を使う。人にはおのおの異なった天分、特質が与えられている。そして、それを生かし、調和することの大切さを様々な著書のなかで強調している。例えば、『人生心得帖』では、次のような一節がある。

「昔から十人十色といわれるように、人はそれぞれ、みな違った持ち味、特質をもって生まれついてきます。性格にしても、素質や才能にしても、自分と同じという人は地球上に一人もいないのです。そしてそのように、異なった持ち味、特質が与えられているということは、いいかえれば、人はみな異なった仕事をし、異なった生き方をするように運命づけられているのだとも考えられます」。

これを塾主は「天分」と言い、自らに与えられたこうした天分を完全に生かしきることの重要性を説いている。

2.私の体験

 私はこのようなことを間接的に経験させていただいた。小学校から大学に至るまで続けた野球の経験である。特に多くの時間を控え部員として過ごしてきた私にとっては、そのことが感覚としてよく理解できた。野球は団体スポーツである。各自が与えられた持ち場を全うしなければ勝つことはできない。試合において、投手には投手の、捕手には捕手の、内野手には内野手の、外野手には外野手の役割がある。それらが有機的に機能しなければ勝利することはできない。さらに言えば、レギュラーにはレギュラーの、控え部員には控え部員の、スタッフにはスタッフの、マネージャーにはマネージャーの役割がある。多くの仕事は日に当たらない地道な作業の連続である。しかし、それを疎かにせず、役割を全うしなければ野球部という組織は機能しなくなってしまうのである。

 私は大学の下級生時代、自分の練習を放棄してまでチームのために奮闘する先輩、徹夜してまで相手校のデータを分析する先輩、肩が壊れるくらいまでバッティングピッチャーをする先輩、レギュラー陣のサポートをし続ける先輩を見てきた。自分のことは二の次。すべてはチームのため、全体の喜びのために無私になる。そうした精神を教わった下級生時代だった。

 そして、私にも転機が訪れる。大学4年生のとき、ラストシーズンを前に監督から選手を諦めて、裏方としてサポートしてくれと言われたのだ。わかりやすく言えば、「戦力外通告」である。正直、様々な葛藤があった。今までやってきたことを否定されたような気持ちにもなった。しかし、私はこれを受け入れることにした。苦楽を共にした仲間と結果を残したいという思いと、チームのため自分のできることをやりたいという思いからであった。私が担当したのはデータという仕事。相手校の選手の分析をし、それをチームに伝える役割だった。仕事の性質上詳しいことは書けないが、地道で骨の折れる作業の連続であった。その作業はときには深夜まで続き、寝ずにやったこともある。しかし、「江口のお陰で打てたよ」とチームメイトに言われたときには望外の喜びを感じた。自らに与えられた役割を全うし、チームの役に立てたことが大きな喜びだったのである。すべてのポジションには役割がある。それぞれが自分の持ち場で全力を尽くし、チームのために行動する大切さを勉強した野球部での経験だった。

 その後、私は社会人として民間企業で3年間働いた。そして、このことは学生時代以上に強く実感した。それぞれが持ち場持ち場を全うし、それが結集されたとき、初めて大きな力が生まれるということを。経営者や監督の役割とは、全員が持ち場で如何に本領を発揮できるようにするかということではないだろうか。スポーツでもそう、会社でもそう。おそらく国家として見ても、そうであろう。自営業には自営業の、会社員には会社員の、公務員には公務員の役割がある。国民すべてが各々の役割を全うし、それがうまく調和できるような環境を作れば、大きな国力を生み出すことができる。それぞれが与えられた境遇のなかで、その天分を全うする。それが大きな力を生み出すのである。

3.調和すること~チームワークについて

 慶應義塾体育会の発展に尽力された小泉信三先生は、著書『練習は不可能を可能にす』のなかでこのことについて触れている。長くなるが紹介しておきたい。

 「私はよくスポーツの試合を見てあるくがチームワークということについて、その人間社会の縮図を見ると感じ、今さらながら興味を新たにすることがしばしばである。やはり一番わかりやすいのは野球であろう。(中略)ただ、ここに何万人という大観衆があっても、おそらくそのだれもが見ていない光景がある。それは捕手が一塁援護に駆け出す姿である。打者がゴロを打ったと見た瞬間に、忠実な捕手は必ずマスクをかなぐり捨て(あるいはマスクをかぶったまま)一塁の後ろへ駆けつけるはずである。そして、内野手が悪投して一塁手がパスボールすれば、すぐにそれを拾って、走者の進塁を防ぐか、あるいは、離塁する走者を一塁で刺そうとする。これがチームワークというものの最も簡明な一場面である。

 見慣れたものには、それは何でもない光景である。しかし、考えて見ればここに高邁なチームに対する奉仕の精神、その精神に従って行動する義務感と義務を遂行する意思の発露を見るといっても、それは決していいすぎではない。多くの場合、捕手の一塁援護は不必要に終り、かつだれにも認められないのである。(中略)およそ縁の下の力持ちといっても、これほど人に認められない力持ちはないであろう。
 球が内野手に捕られ、それが一塁に送られた場合でも、一塁手がそれを後逸するのは、十度に何度あるか否か。多くの場合、援護は不要に終るのである。(中略)その時もし捕手がバックアップに来ていなければ、その捕手自身はもちろん、そのチーム全体は落第である。

 (中略)いやしくもチームに対する責任を知るものは、多分は無用であるが、しかし、万一の場合の必要に応ずるためのこの用意は怠らない。これがチームワークであり、またスポーツマンの精神である。スポーツでない実人生の無数の場面において、われわれはこの捕手のそれに類する用意と努力をしなければならぬ。それはスポーツがわれわれに与える最も貴重な教訓の一つであると思う。

 (中略)全員の各員があえて縁の下の力持ちを避けないことによって、始めて全員の成功がある。むずかしく説明しようとすれば、いくらでもむずかしく説くことができる。しかし一塁援護のために駆け出す捕手の用意と覚悟を察するものは、チームワークの何たるかを知るであろう」

 世の仕事の多くは地味で骨の折れる作業である。しかし、その縁の下の力持ちを避けないことによって、全員の成功があるのだ。天分を全うし、それぞれが調和する。そうして初めて大きな力が生まれるのである。

4.衆知を集める

 塾主は「天分を全うする」ことの大切さと同時に「衆知を集める」ことの大切さを述べている。人間一人一人にできることが限られているように、人間の知恵にもおのずと限りがあるのである。その限りある知恵のなかでものを見ることが判断を誤る原因になると言うのである。それゆえ、我々はより多くの人々の知恵を集めていかなければならない。塾主は「衆知こそ、人間の偉大さを発揮させる最大の力」と断言している。それは現在生きている世代のみの知恵を指すのではない。「釈迦、キリストのような先哲諸聖、さらにはそれ以前の人間発生以来この世に存在したあらゆる先人、そして今日に生きるすべての人びとの知恵」のことを指すのである。まさに衆知こそ大きな力を生み出す原動力になるであろう。

5.終わりに

 京都の真々庵。派手な色目の石や人工的な樹木はなく、中央の池の周りに浮かび上がる木々と苔と笠松、そして琵琶湖疎水から引いたせせらぎが見事に調和した庭であった。まさに塾主の思想を具現化したのがこの庭であるような気がした。「人間の偉大さは、個々の知恵、個々の力ではこれを十分に発揮することはできない。古今東西の先哲諸聖をはじめ幾多の人びとの知恵が、自由に、何のさまたげも受けずして高められつつ融合されていくとき、その時々の総和の知恵は衆知となって天命を生かすのである」。塾主の人間観の神髄はそこにあると私は考える。一人一人が天分を全うし、衆知を集めて、融合させる。私も微力ながら、その一人になりたい。

参考図書

松下幸之助著『人間を考える』(PHP研究所、1995年)
松下幸之助著『人生心得帖』(PHP研究所、1984年)
松下幸之助著『人間としての成功』(PHP研究所、1994年)
小泉信三著『練習は不可能を可能にす』(慶應義塾大学出版、2004年)

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江口元気の論考

Thesis

Genki Eguchi

江口元気

第32期

江口 元気

えぐち・げんき

東京都立川市議/自民党

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