松下政経塾 The Matsushita Institute of
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歴史観
2010年6月

塾生レポート

Challenge to change ~変化への挑戦~
大谷明/卒塾生

これから来るであろう時代の変化はこれまでとは質の異なるものであり、人びとの価値観や行動パターンや文化なども含めたところまで、根底から変えてしまいそうな大きな波だ。変化を前に、私たちはどんな心積もりをしておくべきなのだろうか。

 

<はじめに>

 「政治は変わらないし、誰がやっても同じだから」という声を耳にすることが多くある。確かに、近年の日本の政治を見る限り、こう言いたくなる気持ちも分からないでもない。しかし、本当にそうだろうか。私には「世の中は人の手で変えられる」という強い思いがある。ただし、それを実現するには近視眼的ではなく、大局的に物事の変化を捉えようとする姿勢が必要だ。

 私の生きた36年間はある意味、時代の転換点だったともいえよう。しかし大きな歴史の流れで見ると、実は明治維新から続く大きな流れの延長に過ぎないのではないかとも思える。明治維新後の日本は、それまでの制度を完全に捨て、貪欲なまでに欧米から様々な技術や制度・生活様式・文化等を取り入れ、近代化・工業化を強力に推し進めていった。こうした日本の動きは、戦後の経済復興でも見られ、海外から新たな技術や知識・システム等を輸入し、独自の改良を重ね、日本的な経営手法・制度へ発展させ、強い競争力を持つに至った。

 しかし、これから来るであろう変化は質の異なるものであり、私が経験してきた変化よりも大きい。人びとの価値観や行動パターンや文化なども含めたところまで、根底から変えてしまいそうな大きな波だ。

<激変する人口構造>

 2005年は大きなターニングポイントとして人々に記憶されるだろう。この年、厚生労働省が人口動態統計をとり始めてから、初めて日本は人口の自然減を体験したからだ。統計によると、出生数と死亡数の差である自然増加数は、2004年が“+8万2119人”であったのに対し、2005年は“-2万1266人”であった。

 国勢調査でも、2005年10月1日時点の総人口は約1億2776万8千人で、前年を約2万2千人下回っており、日本が人口減少時代に突入したことを裏付けている。少子化の影響で日本がいずれ人口減少に転じることは、以前から予想されていた。しかし、当初は2006年が“減少元年”になるとみられていた。現実はその予測を追い越し、1年前倒しになってしまったのである。しかしこれはこの後起こる変化の序章に過ぎない。

 「少子高齢化」とは以前から叫ばれてきたことだが、先進国の中で日本が最も早く、体験する変化が「急激な高齢化」である。松谷明彦氏の著書によると、すでに1998年に日本は高齢化率(全人口に占める65歳以上の人口の比率)の世界一高い国となった。その後も、高齢化率の上昇は他の主要先進国よりも群を抜いて速く進行しており、他国より10~15年も早く高齢化率25%に達する。その後さらに10~15年程度で30%に達する予測もある。ちなみに、2050年までに30%に達すると予測されている先進国は日本だけだ。この高齢化が緩やかに進めば、それに適合する時間も長く与えられるが、日本にはそんな時間がない。この“急激さ”が日本だけに与えられた変化の大きさなのだ。

 さらに、問題は急激な高齢化だけではない。それがもたらす急激な人口減少も同時に大きな影響を及ぼす。それは、国内の需要を減らすと同時に、労働者人口の急激な減少にもつながり、これまでの右肩上がりの経済成長が当たり前というのが当てはまらなくなる。企業が目標に掲げる前年比プラス成長も、達成するのがより困難になるだろう。これらは危機感をあおるだけの大げさな話ではない。現在の人口から割り出された、確実に来る未来である。

 人口構造の急激な変化がもたらす変化はいろいろと考えられるが、そのうちの一つとして、「働くこと」に対する認識の変化が大きいのではないだろうか。

 これまでは定年退職まで働くのが当たり前だが、定年後の労働力もこれからはますます重要な労働力となる。本人が望む限り働き続ける社会が当然となっている可能性がある。そのためには、柔軟な働き方の選択肢を用意していかなければならないし、できるだけ長く働きつづけるための職業の用意や職能の訓練も大切になってくる。

 いずれにしてもこれまでの日本なら、どこかの国から学び追随して問題を解決していけばよかったが、今直面している問題は前例のないものだ。世界に先駆けて自らの知恵で新らに解決していかなければならないのだ。

<注目したいもう一つの変化>

 2009年7月は、過去最悪の完全失業率、5.7%を記録した。国内経済は景気持ち直しの動きもあったが、生産能力の余剰を抱えていた企業も多く、雇用調整がさらに進む恐れがあると報じられた。ちなみに、この時の就業者数は前月比136万人減で、うち製造業が106万人と大幅に減少した。これは確かに、世界的な景気後退による国内生産活動の悪化による影響が大きいと思われる。

 しかし、もっと長期的な目で見ると、日本の失業率は高度成長期(1955~73年)はほぼ1%台、安定成長期(1973~91年)は2%台をキープしていた。平成不況(失われた10年)に入ると急激に悪化し、2002年に過去最悪の5.4%に達する。その後低下に転じたものの、大きな流れでは失業率は上昇傾向にある。



 日本の右肩上がりの経済成長を支え雇用も支えてきた1つが、他でもない製造業である。そんな製造業に携る人々が近年失業の波にさらされている。こうした流れは、5年ごとに実施される国勢調査を見ても明らかで、1995年以降製造業に従事する人の構成比は激減している。ピークの1970年26.1%を占めていたのが、直近調査年の2005年には17.3%と、約3分の2にまで落ち込んでいる。

 企業の設備投資により生産性の向上が図れれば、人的な労働力は少なくて済む。またモノは、需要が満たされれば、次に必要になるまで需要が起きないが、近年モノは一巡し満たされている。新しい価値あるモノを生み出さない限り、なかなか新しい需要をつくることができない。そうした体力のあるメーカーは一握りだ。近年の品質向上や技術革新でモノは壊れにくくなっており、長く使えるものが増えている。そんな大きな流れの中で、製造業は今後ますます減少に陥るのではないだろうか。



 一方、伸びているのが第3次産業だ。モノに比べ、サービスは需要に制約がなく、次々と需要が生まれやすい。また新しいサービスが生まれる可能性も大きい。第3次産業を職業別に見てみると、2000年から新たに職種を分けて独立化させたり、追加されている職業がある。「情報通信業」「飲食店、宿泊業」「医療、福祉」「教育、学習支援業」等である。その中には2000年から2005年の短い期間でも、大きな伸びを示しているものが多い。



 今後、製造業よりも、こうしたサービス業の雇用機会が増えてくるだろう。高齢化社会にともない、もっと新しいサービスが誕生する可能性もある。そんなことを考える中で、私の脳裏に浮かんだのは、ある研修の現場だ。

 2009年11月、私は某ドヤ街を訪れた。この場所はニュース報道によって知識としては得ていたが、実際の現場に立ち寄ったのは今回が初めてだった。駅を降りて、街に足を踏み入れるとすぐに、手持ち無沙汰に職安前でたむろする人びとが目に入る。ここは日本最大のドヤ街・寄せ場(日雇労働者の就労する場所)となっている地区である。

 ここで暮らす人々は様々な背景があるようだ。個々人の甘えや、享楽的な性格なども原因の一つではあろう。しかし、人件費の安い単純労働者として高度成長時代を支えたというのも事実である。高齢者も多い。肉体労働をするにはつらい年齢の人だ。しかし、これまでひたすら体を使って働いてきた彼らに、他の働き方はもうできない。職はあってもその職に対応することは困難だ。確かに、新しい職に対応できない個人としての問題等あるとは思うが、個人の努力を超えた大きな問題がある気がしてならない。

<時代の変化から身を守る知恵を>

 私は1973年生まれ。高度成長期に始まり高まった受験戦争の真っ只中で学生生活を送った。偏差値の高い大学に入れればいい会社に就職ができ、仕事に必要な知識や技能を身につけるのは会社に入ってから。頑張って働いていれば年功序列で給料も上がり、定年になればリタイアできる。そんなことを常識として疑わずに入社試験を受けたものだ。しかしこれからは違う。

 会社だけではなく、事業・ビジネスそのものが、時代の変化に取り残され無くなる可能性がある。そんな時、再度職につくためには何が必要か。知識や技術だ。それも他の会社や他のビジネスでも通用する専門的な知識や技術である。その知識や技術さえ高く、需要性のあるものなら、世の中をうまく渡っていけるのだ。逆に言うと、そういうものがないと、一生働くことができなくなる可能性もある。これからは卒業した大学の偏差値だけでは通用しない。人生で1回の入学試験よりも、継続的に自分を磨き、スキルアップさせていくことが重要になるだろう。

 こうした考えは、もちろん一部の人の間では常識と言われるかもしれない。しかし多くの人にとっては、まだ常識ではないような気がする。特にある一定以上の年齢層にとっては頭の痛い問題に映るだろう。しかし時代の大きな変化はそれを許してはくれない。今の日本も残念ながら新しい変化に応える準備ができていないのではないか。むしろ過去にしがみつこうとしているようにも映る。もっと国も変化に向かって挑戦する必要があると思うし、一人ひとりがそのような気概を持てるのか、試されているような気がしてならない。

<変化をチャンスに>

 私は前職の広告代理店に勤務していた時、ある大きな変化に対面した。「インターネット」という存在の出現である。

 私が入社したのは1995年。Windows95が発売された年である。しかし、インターネットはダイヤルアップ回線による接続で、つなぐにも料金を気にしながらの利用であった。1997年に常時接続サービスが開始されたが月額38000円と高額で、世帯普及率もまだ6.4%と一桁台だった。

 インターネットがあまり利用されていなかったので、インターネット広告を見る人などほとんどいなかった。当時の広告はというと、テレビ・新聞・ラジオ・雑誌の4媒体が主力で、広告というと基本的にこの4媒体をどう使うかがメインだった。

 一方、1990年代後半は平成不況真っ只中。バブル崩壊後の不況が本格化してきており、モノが売れない。広告主からは「広告が効かない」という声を耳にしていた。4媒体だけを一生懸命売ろうとしても、なかなか扱いが取れなくなってきていた。

 そんな中、私はインターネットという新たな広告媒体の可能性に着目した。当時のインターネットは今の環境よりも非常に悪く、利用に様々な制限があり、動画ももちろん見られない。そこで、それを克服するために動画送信や回線スピード高速化を実現しようと取り組んでいる他企業の手伝いを行った。

 そして、そこで培った知識や経験を元に、日本で最初にインターネット動画放送とラジオの二元生中継を行い、そこに広告を載せるという新たな取り組みを実施した。インターネットの動画放送といっても、まだカチッカチッと動くだけの時代だ。それでも当時としてはかなり画期的なものだったと思う。新しすぎてまだ誰もが注目するものではなかったが、これから可能性ある媒体をどうビジネスにつなげていくのかということにチャレンジしたことは、とてもよい経験となった。因みに2008年、インターネット広告費の構成比はすでに「雑誌」「ラジオ」を抜き、「テレビ」「新聞」に次ぐ3位となっている。2009年には「新聞」も抜かし2位になるのではないかという伸び率だ。

 目の前に来た変化をしっかりと見極め、それが大きなものか、本質的なものかを捉える必要がある。しかし、それ以上に、その変化に足をすくめるのではなく、チャンスと捉え、がむしゃらに果敢にチャレンジすることが大切なのではないかと思う。

 松下幸之助塾主は1972年、松下電器の大幅な組織変更を経営幹部たちに理解してもらうにあたり、体調の不調を押して出席し160分もの話を続けたという。

 「会社経営に不可抗力というものはありません。たとえ、台風で一時的に損害を蒙ることがあっても、その災害を転機としてさらに発展することはできるのであります。志あるならばどんな激変にあおうとも、むしろそれを発展の機会にすることができる。それが55年間の経営体験を通じての私の結論であります。」

 変化に対応し、新しい変革をもたらすには、もちろん変化を知ることも大切だ。しかし何よりも、変革をしようとする人の気構えが重要だ。歴史的ともいえる大きな変化が起ころうとしている今こそ、大局的な視点を持ちながら、チェンジすることにチャレンジしていきたい。

<参考文献>

『2008年(平成20年)日本の広告費』株式会社電通 2009年
松谷明彦『「人口減少経済」の新しい公式』日経ビジネス人文庫 2009年
『松下幸之助 初めに思いありき』PHP総合研究所 2009年
P・F・ドラッカー『ネクスト・ソサエティ』ダイヤモンド社 2002年
総務省ホームページ

2010年6月 執筆
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