論考

Thesis

「人間」を熟知する者こそ真の指導者

指導者に必要な要素とは何か? 「人間を見極める力」か、それとも「政治家としての人間力」か? 松下幸之助の「人間観」を手掛かりに、自ら政治の現場で得た知見を交えながら、紐解いていく。

1、「人間ドラマ」を凝縮した選挙の実態

 衆議院総選挙、参議院選挙、首長選挙、地方議会議員選挙――。これまで私は、政治の現場に身を置き、選挙というものを皮膚感覚で経験してきた。

 そもそも、選挙とは何か。理論的解釈をすれば、政治権力を担う国民、あるいは市民の代表者を選択する場であり、自らの政治理念に基づき政策を実行する「政治家」選出の場である。

 しかしながら、実際の選挙の現場とは、候補者同士、あるいは、双方の候補者陣営が、相手の批判合戦を繰り広げながら熾烈な争いを展開する。双方とも熱狂しているため、どれほどの醜い争いをしているかに気が付いていない。時として、寝返りもある。また、正々堂々たる政策論の議論ではなく、根も葉もないガセネタを流して候補者の人格否定をする。そして、戦いが終わり、勝敗が決した時、勝利した候補者には、どっと人が押し寄せ、反対に、敗北した候補者のもとからは人が去って行く。そして、あれだけ選挙期間中に熱狂していた支援者も、また普段通りの生活に戻っていく。

 他方で、特定の候補者を応援している人々は「何が何でもこの人に政治家になってもらいたい!」「この人が政治家になったらきっとこの地域は良くなる!」と信じているからこそ、候補者陣営同士の熾烈な争いに発展する。しかしながら、必死になって政治家を作り出そうとする支援者の姿が輝かしく見える時もあった。

 選挙の現場を通じて見えてきたのは、人間の感情、特性、行動、正義、醜さ……全てを凝縮した「人間ドラマ」であった。自分自身、そういう環境の中で、理想とする選挙の在り方と実態との乖離の中で相当なる葛藤があった。しかし、これらの経験を振り返ると、やはり「人間」の本質を探求することこそ、自ら納得できる解を求めることができるのではないかという結論に達した。そこで、これらの問題意識から、そもそも「人間」とは何か、という根本的命題を考察し、「人間」の本質論を述べる。

2、「新しい人間観」とは何か?

塾是
「真に国家と国民を愛し 新しい人間観に基づく政治経営の理念を探求し 人類の繁栄幸福と世界の平和に貢献しよう」

 松下政経塾では毎朝、この塾是を唱和する。ここで、一つ着目すべき言葉がある。それは「新しい人間観に基づく」という言葉だ。この「新しい人間観」の提唱者こそ、松下幸之助なのである。そもそも、この「新しい人間観」とは何か。まずは、ここから紐解くことで「人間」の本質を考察したい。「新しい人間観」について、幸之助は次のように述べている。

「人間には、この宇宙の動きに順応しつつ万物を支配する力が、その本性として与えられている。人間は、絶えず生成発展する宇宙に君臨し、宇宙に潜む偉大なる力を開発し、万物に与えられたるそれぞれの本質を見出しながら、これを生かし活用することによって、物心一如の真の繁栄を生み出すことができるのである。かかる人間の特性は、自然の理法によって与えられた天命である。この天命が与えられているために、人間は万物の王者となり、その支配者となる」

 「人間」は「万物の王者」であるという幸之助の考え方に対し、私は当初、違和感があった。なぜならば、人間も自然の一部であり、一般論からすれば傲慢と捉えられてもおかしくない発想だからである。しかし、反対にいえば、人間は、自らの立ち位置と果たすべき役割を明確化することで、責任が生じ、そこに王者として自覚した上で、様々な自然、森羅万象を尊重し、その調和と発展を生み出すことこそ、人間の役割でもあり、「天命」というべきものと説いているのである。さらには、「人間は崇高にして偉大な存在」とも述べている。

 では、果たして人間は「崇高にして偉大な存在」として天命を果たしているのであろうか。人間は、繁栄を求めつつも貧困に陥り、平和を願いつつも絶えず争いを続け、幸福を得ようとしても不幸に襲われている。その原因は何か。これらの理由について、幸之助は次のように述べている。

「かかる人間の姿こそ、自らに与えられた天命を悟らず、個々の利害得失や知恵才覚にとらわれて歩まんとする結果に他ならない」

 つまり、人間に与えられた天命を自ら自覚せず、権力的欲望や目先の利益に囚われていることが最大の問題であると説いている。これは、長きにわたる歴史的経緯を辿っても明らかである。国家レベルで見ても、自国の既得権益を必死に守ろうとするあまり、非人道的な戦争をあえて引き起こさせ、その争いの中で権益を拡大するという事例は数多に存在する。また、個人レベルにおいても、他者との関係性を意識せず、「自分さえよければすべてよし」という人間が増幅していることも事実である。まさに、歴史的経緯から現在に至る過程の中で、これらの人間の行動や思考回路は、幸之助が説く方向性へと舵をきっていないのは明々白々だ。これらの問題に対する解決方法論として、幸之助は次のように述べている。

「人間の偉大さは、個々の知恵、個々の力ではこれを十分に発揮することはできない。古今東西の先哲諸聖をはじめ幾多の人々の知恵が、自由に、何のさまたげも受けずして高められつつ融合されていくとき、その時々の総和の知恵は衆知となって天命を生かすのである。まさに衆知こそ、自然の理法をひろく共同生活の上に具現せしめ、人間の天命を発揮させる最大の力である」

 人間は、「万物の王者」として偉大な存在を誇り、責任を果たす天命があるにも拘らず、それを最大限生かすことできていない。その理由として、幸之助は、「衆知を集める」という行動なり、思考を怠っていることが最大の問題ではないかと述べ、逆に、「衆知を集める」ことを具現化することで、天命を最大限生かすことができると説いているのである。

 人類は多くの過ちを犯してきた。そして、人間、一人ひとりの発想やアイデアには限度がある。しかしながら、反対に、古今東西の先哲諸聖を生み出し、多くの知恵と創意工夫によって、歴史を開拓し創造したのである。従って、歴史的な先人達の英知を結集し、融合させる姿こそ求められている。まさに、これらを実行できる存在は「人間」なのである。幸之助は、「人間は崇高にして偉大な存在である。お互い人間の偉大さを悟り、その天命を自覚し、衆知を高めつつ生成発展の大業を営まなければならない」と説いている。

 「新しい人間観」に基づいて考察した結果、人間は、生成発展する宇宙の中で、万物の王者としての責任性と自らの天命を自覚し、古今東西の英知を結集する、すなわち「衆知を集める」ことで、天命を自覚実践することこそ、「人間」の本質なのである。

3、「人間を知れ!」

 「人間というものを、徹底的に理解しなければならない」

 昭和58年4月、松下幸之助が政経塾生に対する講話の中で語った言葉である。その言葉の意味について、幸之助は次のように述べている。

「羊飼いが、羊は犬のようなものであるなどと思っていたら、これは必ず失敗します。羊飼いとして成功するには、羊の食物の好き嫌いから、もっと広い範囲にわたって、羊の性質を研究しなければならないでしょう。羊の本質というものを十二分にみきわめて、そして初めて羊飼いとして成功するわけです。我々人間というものは、いわばお互いに飼い合いをしているわけですね。私は諸君に飼われているし、また諸君は私に飼われている。そういう飼い合いをしているのです」

 羊飼いは、広範にわたる羊の特性を必死になって捉えない限り成功しないのと同様に、人間も、お互い人間の機微や特性を捉えない限り、人間を知ることはできないという意味である。では、人間の特性を的確に捉えるためには、何が必要なのか。幸之助は、次のように語っている。

「人間万物いっさいをあるがままにみとめ、容認するところからはじまる。・・・(中略)・・・かかる人間道は、豊かな礼の精神と衆知にもとづくことによってはじめて、円滑に、より正しく実現される。すなわち、つねに礼の精神に根ざし衆知を生かしつつ、いっさいを容認し適切な処遇を行なっていくところから、万人万物の共存共栄の姿が共同生活の各面におのずと生み出されてくるのである」

 幸之助は、万物いっさいをあるがままに捉えていくことが共存共栄へとつながり、ひいてはよりよき共同生活を営むことができると述べている。まさに、人間のあるがままの姿を受容することによって、人間の機微や特性を捉え、人間を知ることができるのである。ここで、特筆すべきは、「あるがままにみとめ」や、「衆知を集める」といったことを幸之助が実践するとき、心構えとして「素直な心」で臨んでいたということである。

 人間が共存するためには、それぞれの人間を知らなければならない。そこで求められるのは「素直な心」であるがままに捉え、その人間の機微や特性を捉えることこそ、「人間」を考察する上での本質論といっても過言ではない。

4、今の政治には「素直な心で衆知を集める」ことが必要だ!

 幸之助が提唱した「新しい人間観」「人間道」という双方向から、改めて「人間」とは何かを考察した。これらの論理を進めていく中で様々な言葉が躍り出たが、詰まるところ、人間は「衆知を集める」という英知、そして、あるがままいっさいを認める「素直な心」を持たなければ、人間に与えられた責任、すなわち、天命を果たすことができないのである。

 これら2つのキーワードは、政治の世界、とりわけ政治的指導者層においても必須の要件となるのではなかろうか。

 私は、選挙の現場だけでなく、国政の現場にも関わっていた。そこで見たものは、パフォーマンスに徹して、上手に踊り、国民から喝采を受ける政治家や、何の政治理念も持たない政治家も中には存在しているが、それはただのイメージ論に過ぎず、そういう政治家ばかりではない。

 政治家は、様々な場面で決断を迫られる。また、時として非情な決断をしなければならない。その時、一人で悩み苦しみ決断を下すのも一つの策であろう。しかしながら、「衆知を集め」、古今東西の英知を結集させ、そこから新たな方向性を示し、決断を下すことこそ求められる指導者の姿ではないだろうか。また、政治権力を維持・奪取しようとして、政局的に物事が進みつつある中で、あるがままに「素直な心」で問題を抽出し、「今、国民に必要なことは何か」を必死になって考え抜き、多数派に相対して、政策を提案していく姿も、政治家には必要なのではないだろうか。

 政治の世界は、様々な個性や機微、特性を持った「人間」と相対する。その中で、政策議論をし、時として権力を奪い合い、時には双方の意見を盛り込ませながら政策実現に向けて惜しみない努力をする。まさに、「人間」を熟知している者こそ、真の指導者なのではないだろうか。

5、政治家の人間力とは?

 「政治家として求められる能力は何ですか?」

東京都千代田区永田町の国会議事堂に隣接する議員会館の一室で私はこう尋ねた。

 「それは…、『人間を見極める力』かな…」

尋ねた相手は、長年、保守王国と称される四国において、非自民としての議席を維持し続けている衆議院議員である。

 「『人間を見極める力』とは何ですか?」と私は続けて尋ねた。

「たとえば、政策を作る時でも、あらゆる場面での政治決断を下す際に『誰に相談すればいいのか』、あるいは『あの人はこの部分については非常に秀でているから協力してもらおう』といった思考が重要になる。あと、政治家にとっては、『人間力』も必要やな」

 「人間を見極める力」、そして「人間力」――。そう語ってくれた一言一言に重みを感じ、自らの中で必死に咀嚼しようと努力したが、同時に限界もあった。私自身の中で、明確な「人間観」が醸成されていない現状では、残念ながら完璧なる理解とはならなかった。しかしながら、幸之助の「新しい人間観」や「人間道」をより深めていくことで、日に新たな生成発展を遂げ、今後も「人間観」を探求していきたい。

参考文献

松下幸之助『人間を考える』(PHP研究所、1995)
松下幸之助『リーダーを志す君へ』(PHP文庫、1995)
松下幸之助『君に志はあるか』(PHP文庫、1995)

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丹下大輔の論考

Thesis

Daisuke Tange

丹下大輔

第30期

丹下 大輔

たんげ・だいすけ

愛媛県今治市議/無所属

Mission

「熟議の議会改革と地方政府の確立」

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