松下政経塾 The Matsushita Institute of
Goverment and Management

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関西研修
2009年5月

研修レポート

関西研修レポート
千葉修平/卒塾生

 

 「『わしに分かるように一言で教えてくれんかの』。この一言に、松下幸之助塾主の成功の全てが凝縮されているのではないか」。松下資料館の担当の方が、私たちに説明して下さった言葉は、塾主の目指した社会を考える上でのキーワードになった。

 塾主の理念、そして松下政経塾設立への思いを肌で知るために、私たち30期生は5月18日から一週間、関西の地を訪れた。開業の地である大阪・大開町、門真市のPanasonic本社、生誕の地である和歌山・千旦、京都の裏千家・今日庵…。ゆかりの地を慌ただしく回る中で、私が自身に課していたテーマは、「なぜ松下幸之助塾主は成功したのか、そもそも塾主にとっての成功とは一体何だったのか」という、いわば松下哲学の原点を知ることだった。

 私の結論を先に述べれば、塾主が考えた成功とは、自らの地位と名誉を得て、財をなすことではなく、自らの理念・志を体現することを通じて、全ての人たちが「必要とされ、生きがいのある社会」を実現することであった、と考える。そして、塾主は実際に、周囲の人たちの特性を把握し、知恵を求め、適材適所に配置し、その能力を最大限に引き出すことにより、彼ら自身の「生きがい、働きがい」を実現してきた。日本人が本来持つ、連帯する力、無形の力の素晴らしさを塾主は熟知していたのであり、その人間を知り尽くした手法を行えば、成功は自然な流れだったと言えるのではないだろうか。

 塾主の孫の松下正幸・Panasonic副会長は、「(松下幸之助塾主は)人の話を聞く名人だった」と話された。高名な方から熱心に話を聞いてもらえるのだから、普通の人は感激する。だが、塾主は、本心から話を聞きたかったのだという。「感謝の心」「学歴も金も健康も、何も無かったから成功した」「素直な心で衆知を集める」「人の話を7割聞け。話すのは3割でいい」。塾主は人の話をまずは懸命に聞き、その上で、最終的には自らが断を下した。周囲の人間は、例え自らの結論とは違っても、その考えに心から共感し、そして、自分の存在意義を感じ、生きがいすら感じたのではないだろうか。

 全研修を通じて、驚いたことがある。没後20年近くも経過したにもかかわらず、塾主ゆかりのどの地を訪れても、塾主を敬愛する人たちが、現在も多くいらっしゃることだ。人柄の良さ、理念の素晴らしさ、カリスマ性。その魅力の要因は数えきれないと思う。だが、その中でも重要なのは、塾主と何らかの形で関わりを持つという行為そのものが楽しかった、誇りを持てた、ということではないだろうか。「塾主が自分を必要としてくれた」感覚が、自分の『社会における役割』に意味を与えてくれたということではないだろうか。

 これは、私自身の素志を見つめなおす良いきっかけになった。私の素志は、あらゆる年代・階層の人々に「やり直せる、挑戦できるチャンス」を積極的に保障し、階層の流動化を保障するシステムを実現することだ。その際のアプローチとして、その各人の社会における役割において、「やりがい」を確保する、という観点が重要であると思った。社会は多様な立場の人たちで構成されており、各人には役割があるからだ。時代に合わせた変化が必要である一方で、変えてはならないものがある。保守思想の大家・福田恒存は、その著書「人間・この劇的なるもの」で「私たちは、自己がそこに在ることの実感がほしいのだ。その自己の実在感は、自分が居るべきところに居るときに、はじめて得られる」と述べている。

 大量の派遣切り、格差・貧困の連鎖、凶悪犯罪の増加…。「失われた10年」と、それに伴う日本社会の歪みは、いわば日本人が自らの主座を捨て、「日本人らしさを急速に失った10年」であり、「生きがい」を軽視した10年だったと言えるのではないだろうか。塾主が目指し、私の素志でもある「生きがいある」社会の実現を目指し、さらなる修行に励みたい。

2009年5月 執筆
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