論考

Thesis

日本の存在意義-地域から変革する日本-

もはや現代社会の風潮は、“国家”やら、“日本”と語ることすら、思想に捉われていると思われがちである。“国家とは、家”である。家であるからこそ、その家族全員が楽しく暮らせる社会を構築したい。家族全員の、それぞれの力を発揮させる社会を構築したい。

 私には、思いがある。
世界の中で、この日本という国家が、将来果たすべき役割が必ずあると。
だからこそ、目先の問題のみに捉われず、長期的視野を持って、国民一人ひとりが国家という家の一員であるという自覚を持ち、活き活きと暮らせる社会を構築したい。

 政治とは、人間の幸せを高めるためにある。
だからこそ、物心一如の真の繁栄を目指すのである。

不安の根源

 とはいうものの、日本の現状は一面において厳しい状況にさらされている。
要は、魅力が無いという認識が内外に広まっているのだ。

 ここに悲しいアンケート結果がある。
「日本の将来についてどう思うか」という質問に対し、「明るい・どちらかといえば明るい」と答えた人が9.1%、「悪い、どちらかといえば悪い」と答えた人47.3%。

 2008年新成人対象の調査結果である。まさに圧倒的な差で悲観論が先行する。加えて言うならば、「わからない・しらない」という無関心層は43.6%と首位に並ぶ勢いである。昭和生まれ最後の世代の描く日本像は、薄暗闇でお先が見えないという心情を如実に表した結果となった。しかしこれは、新成人に限ったことではないと思われる。今の大多数の国内外の人々が、日本の将来に不安を覚えているのではないか。

 この不安、どこから来るのか。

 2006年の1億2693万人をピークに人口減少に直面する中で、BRICs他発展途上国が台頭し、国際競争に勝ち抜かねばならないという難題を(自ら)背負い、平成19年度末には、GDP比148%、現在の税収の14年超もの国・地方の国債残高を抱える。日本が世界で主導を担うべき役割は、経済なのか環境なのか、はたまた途上国の追い越しに追随するのが精一杯なのか。国際社会の中で、日本の存在地位が右往左往しているように見える。他に類を見ない右肩上がりの経済発展の行く末に、バブル経済崩壊を契機に、「国土の均衡ある発展」という理念は揺らいだ。国と地方の関係も、未だに戦後という発展途上時代の流れをたっぷり汲み、お上意識が抜けぬまま、税の取り合い・利権の引っ張り合いを継続している。お金を配分しても、国内の地域は有効な使途や運営のノウハウ、人材が流出して居ないという、あらぬ不満から抜け出せず、いくら借金をしても十分な財政的自立は確立されない。日本を取り巻く内外の環境を日本自身が悪化に導いている現状で、対日投資は減り、2007年1年間世界の中で日本の株価が最も下落(▲11.8%)した状況下にある。経済そのものが外需頼みであり、グローバル化に対応した「経済開国」を求める声も大きいが、敢えて今本当に必要なことは、随時変動のある経済に敏感になることよりも、真の国家経営理念を打ち立てることである。国際社会、国民に向けて将来に渡る具体的なビジョンを提示する必要がある。それは無駄なエネルギーロスを断ち切り、国民が活気に満ちたやりがいのある社会を実現することにあると考える。

 誰もが頭では理解できるこの論理。今こそ勇気を持って、衆知を集めて打破していく大きなエネルギーが必要である。その打破する対象こそ、我々自身が無意識に設定する、現代社会の延長上にある(こうあるべき!から抜け出せない)国家像なのではないか。

経営センスがないハケ先企業・日本

 人間は変革することが恐ろしい動物であるという。
それは金融機関での企業取引を通じて見た、「組織変革の障害」理論である。
組織及び構成する人間が、本当に変革を求められている局面において、“変わろう”という動機を“変える”行動に移す際に障害となる人間の特性がある。

(1)有能性のワナ
(2)コミットメントの上昇
(3)「ゆでガエル」シンドローム

 (1)は、限られた情報や知識、経験に基づいて代替案を策定し、その中で最適な案を選択するという、人間の「満足化原理」に基づくものである。つまり、過去の実績に捉われ有能であると錯覚し、常に目指すべき希求水準を上回っていると錯覚するがために、変革する機会を奪われるというものである。

 (2)については、一つの失敗をしても、これまでのやり方に固執、肩入れ(commitment)してしまい、自分の失敗を決して信じたくないという人間の防衛本能に基づいたものである。

 (3)とは、まさにゆでガエルである。大きなお鍋にたっぷり入った水の中で、蛙はゆっくりと温まっていく状況に気付かず、心地よく泳いでいるうちにすっかり茹で上がってしまうというもの。これは、“今の状態でもいいだろう”“それが何となく心地よい”という、(1)でいう希求水準を暗黙のうちに下回った状況を継続することであり、いつの間にかそこから抜け出せないというものである。

 こうして改めて鑑みるに、この3つの変革時の障害における人間の特性は、あながち経済主体である民間企業においてのみ適用されるものではなさそうである。

 我が日本こそ、この状態に陥っていないか。失われた10年やら15年、などと叫ばれるが、本当の意味での前進を成し遂げているか、甚だ疑問である。冒頭に“国家という家”と申し上げたが、家計に換算すると今の国家財政は以下のようになる。

<収入>79.7万円 <支出>79.7万円
お父さんの収入 45万円 爺ちゃん婆ちゃんの介護費用 20.5万円
1ヶ月の借入れ 30万円 地方に下宿の子供へ仕送り 13.7万円
その他副収入 4.7万円 新たな借入れと借金返済総額 18.7万円
  その他(防犯経費、学費、家の修理等)
26.8万円

 この家庭は何ヶ月間やって行けるだろうか。上記の単位を兆円に変換したものが、平成18年度における我が国の一般会計歳入歳出額である。今までの借金返済をしながら、それにも増して借入れをしているという状況は、一家の経営者としては、誰が見ても失格であろう。この家では、今まで家を切り盛りしてきてくれた爺ちゃん婆ちゃんへの恩返し福祉費は今後更に増加する。地方にいる子供にももっと多く仕送りしてやりたい。防犯も心配であり、学費も勉強する内容も力を入れたい。家や納屋、庭の整備もまだまだしたい。しかしながら、家計が火の車である。他人事ではない。失われたのが10年ならまだしも、これから社会の中核を担わねばならない20代、30代の世代が、一生をかけてこの国の財政と向き合って行かねばならないのだ。もはや急場しのぎではこの難局は乗り切れない。しかも放置は出来ない。

 金融のある業界用語がある。“ハケ先”。破綻懸念先の意味である。この国の経営を救わなければいけない。もう誰も助けてくれない。頼みのアメリカさんも手助けできない。我々自身の手によるしかないのである。

 しかしながら、これを救える手立てが日本には十分に備わっていると確信する。現に、お父さんの月収入は45万円ある。まだまだ捨てたもんじゃない。だからこそ、既に終局の終わりを迎えた国家ではなく、冒頭に述べたようにこの国には、世界において果たすべき役割がある。存在意義がある。回復のエッセンスを自ら学ぼう。

先人が蓄積した、資源

 日本は、危機からの大転換をすることが出来る可能性が十分にある。
それは、古来より凄まじい創造力と学習能力で経営してきた実績があるからである。我々はこの島国の歴史に誇りを持ち、謙虚に学ぶ姿勢が真に必要とされている。歴史は何を教授してくれるか。それぞれの時代を生きる上で、最適な選択・判断は様々に行う必要がある。しかしながら、日本人の持つ特質、地勢学的な位置から来る影響、風土には過去から意識せずとも永続しているものである。日本人が出来ること、尊重すること、努力することは、それほど大きく変わらないと考えられる。そして、それらを通じて蓄積された資源を活かすことが、将来の発展に筋道を与えるのである。だからこそ、我々は歴史に学ぶ必要がある。

 応仁の乱以降、日本は群雄割拠と化し、戦国大名たちは日常的な戦争の中で競争に勝ち抜くために、領地の経営と戦闘集団の編成を間断なく工夫してきた。風林火山の戦闘姿勢で有名な武田信玄を一例にとっても、その要素を垣間見る事ができる。川の氾濫で生産力が低かった甲州の地を、水資源豊かな土地という利点を活かし、経営を行った。大規模で、しかも永続する自然になじんだ護岸工事を実施したため、川をコントロールし、農業生産性が飛躍的に上がっていった。己の弱みを逆手に生かした工夫があった。つまり、こうした各地区における競争が工夫と知識を育み、結果として国家全体がその国力を伸ばしてきた経緯がある。

 信長に目を移すと、未完全な中世的な状況を打破することで、自領の統治・生産基盤をつくって行ったと評価できる。特に、宗教への対応が日本の前進を生んだ。当時の一向宗が各地の技術者集団・不定住民を多く門徒とし、その集団は公権力の支配から遮断された不可侵の領域を作り上げていた。それを徹底的に解体し、かつ商取引は楽市に集中し、市場側には優遇政策を盛り込んで経済機能を確保して行く。この貨幣社会をつくり、武装開拓農民の中世社会を大きく変革した。結果、大規模な人間とモノの流通が可能となり、日本各地に伸びる道路が出来、橋が架けられた。武家が諸国に無尽に武力を振るっていた時代を変えさせた。いわば、中央集権的手法により、全国を整備していくことが出来た。後を継いだ豊臣秀吉が統一を完成した。この縦の秩序が、日本の絶対王政的な近代を切り開いたといえる。歴史が一歩前進したのである。

 次を継いだ江戸の時代に、日本はまた新たな局面を迎える。それは、未だ武力でトップが据え替わる前近代の持つエネルギーを藩相互にたしなめさせ、しかしながら、藩それぞれで独自の価値観を形成できる経済と社会のシステムを目指した。結果280年間という安定した時代を築いた。参勤交代と鎖国政策を活用し、各地の藩の持つエネルギーを、少しでも石高を上げるための開拓と農業生産性を飛躍させるための技術研磨、ひいては経営の質の向上につなげた。文化水準が高まることによって生活エネルギーが必要となるが、江戸時代の日本は、木材を切り、切った分だけ植えるというサイクルを繰り返し有意義に活用することで、森林の保全とエネルギーの確保を長期的に安定させてきた。全伐採により木材資源をなくし、石油資源にシフトした英国の歴史と対照的である。この環境と文明を両立させた少ない例として評価されるのも、江戸時代の側面である。またお上の権力が個人レベルに介在しない社会でもあった。当時の奉行所は、大阪では南北奉行で10人程であったという。細かな法の目で社会を規制していなかった証拠である。経済についても同様に、「金公事差止」(金銭に対する訴訟はするなというお触れ)が幾度も出ており、代わりに株仲間同士の相互懲罰制、つまり、互いに不正を牽制しあうという仕組みで成り立っていたという。町の運営においても組・組織が存在した。つまり、国家の統制ではなく、住民自治、藩自治の好循環が、江戸時代に存在したのだ。落語も歌舞伎も狂言も、このころ大衆化した。士農工商という歴史教科書の表層だけをみると、なんとも閉鎖的で階級社会、不満が鬱積したかのような印象を受けるが、それだけでは300年近い大時代は構築できまい。まさに人々の工夫と循環のサイクルが上手く機能した時代であったと評価できよう。

 しかし、長い歴史は内国的な停滞と、外部刺激によって改革された。最も“コストの小さい革命”と評価される明治維新は、革命というよりも、日本人の手による社会改革といったほうが、イメージに近いと言えるかもしれない。外部環境の遅れを取り戻すためにも、国家が先導して国の形を作っていった。全国一律の発展を促し、世界でも有数の国力を身につけた。日本は非常に有効な成長を遂げる方法を知っていた。近代の遅れを取り戻すのに、西洋のマネによって中央集権的な官僚主義的な統治機構を導入した。この時代に必要とされたのである。しかし、現代においてはもはやその統治形態は、効果よりも弊害のほうが先行していると考えられる。

 歴史の変遷を鑑みるに、まさに今必要とされているのは、まずは官僚主義からの脱却であろう。画一的な政策によって、社会の活力が劣化し、根底に支えるべき国民の士気と知力が衰えている。これは、戦後築いてきた統治システムがその役目を終えた結果である。だからこそ、そこに生きる国民の、国家に対する誇りと覇気が低下しているのではないか。

 高等な試験で合格した有能な官僚の指導の下に、みんなが協調すれば最良の結果が得られ、過去の成功をいずれまた成功すると信じている。まさに「コミットメントの上昇」状態に陥っているのだ。いまや、買い物一つをとっても、人と同じものを均一的に欲しがる世相はない。それは情報量が莫大に増え、個々のニーズを自由に追求できる環境におかれたからだ。最も的確な規格が国民を幸福に至らしめ、国民も同時にそれを望む。その循環が壊れた今こそ、管理・官僚主義を打破し、自由に創意工夫する社会を実現すべきだ。国家による統制を小さくし、各地各人の特色を生かす、総和の中で生産性の高い国家を目指すべきである。海外から輸入した技術はおろか、宗教まで日本人の中に順応・昇華させ、衆知の中で日本の主座を保ってきた国は世界唯一といえよう。この歴史の根本精神に立ち返ることこそ、日本の真の発展の原動力となると考えるのである。

日本型経営のカタチ

 これまでの検証により今後の社会において、まずは個人単位の人間を活かし、地域から変革し、活力を生み出す必要があると考えられる。地域からの変革なのである。これこそ、日本の目指すべき国家像といっても過言でないだろう。道州制という区切り方先行型の政策論議ではなく、道州制導入後の各地域の取組姿勢こそ、我々が本当に議論して行かなくてはならない。まさに、次の時代は我々自身の工夫と努力が問われる社会なのである。

 それは第一義において、各地域がそれぞれの特徴を活かさねばならないということである。地域の産業は何か、地理的強みは何か、培われた歴史風土を地域づくりにどう活かすか。その柱となる、文化を融合した産業政策が必要なのである。国家が決めた画一的な制度や補助金、企業誘致ではなく、地域に根ざした文化をもとに地場固有の産業をどう育成するか。地域の一大集積地や産業の優遇を通じて投資と情報を呼び込めるかが肝要である。これは産業だけではなく、世界の視点から見ても他に類のない地域力、文化力を持った地域を目指すべきである。

 次いで、地域を経営として捉える観点である。経営には長期的な戦略が必要である。人材を育てることも必要である。何も強大な者が常に他を圧倒するのが、社会ではない。規模と力で勝てないなら、ニッチな分野に切り込んで行く工夫が必要なのである。経営として、コストを十分に織り込むことも戦略に必要不可欠である。コスト=費用ではなく、コストや弊害とされるものにこそ、別の角度から光を当て、その価値を再生させる必要がある。

 今一つ言えることは、自立した社会を構築しようということである。財政はもちろんであるが、環境やエネルギーも自ら調達するような社会が望ましい。持続可能な社会と言われて久しいが、自己完結できることこそ、収支構造を均衡させる必要条件である。つまり現代社会のように、人口が減少しているにも関わらず、今後必要とされる経費の総額は、現状よりもまだまだ増加する中では、いくら予算があっても足りない。広域コミュニティーで互いに協調しながら完結型社会を実現することが、それぞれの本質をより活かし活かされる社会に近づくと考える。

地域国家の二つの繁栄

 このような議論となると、必ず疑問が湧く。果たして本当に、地域毎で成功事例が生まれるのかと。今の都市圏はいい、今でも疲弊している地方はどうなるのかと。誰もが不安になる。しかし、同じような環境で現実に成功している例も少なくない。

(事例1:中東のスーパーオアシス都市・ドバイ)

 砂漠で囲われた街は、碧かった。アラビアンブルーの水面に摩天楼が浮かんでいた―。

 中東といえば、石油とイスラム教と紛争というイメージの先行する地域であるが、アラブ首長国連邦の一国であるドバイは、今や全てを転換した。世界でも最高級ブランドの観光リゾートと称される場所になった。極めて短期間で成した現在の発展は、明確な戦略無くてはあり得ない。それは、産油国でありながら、「脱石油」つまり有限の資源に依存しない経済を目指した強い理念があったのだ。ドバイの歴史は比較的新しい。

 1966年に初めて海上油田が発見され、それ以前は漁業、オアシス農業、遊牧といった産業基盤の薄い地域であった。そこに油田が見つかった。しかしながら時の首長は発見当初から、既に「脱石油」構想を固めていたという。しかも2020年にGDPへの石油・天然ガスの依存度を0%にすることを設定している。人口たった120万人程度の小さな都市で面積は埼玉県程度。そこにおびただしい数の企業が進出してきているという。観光目的ではない。実は、法人税、所得税が50年保証でなし。国籍取得の必要なく単独で進出できる。しかも、輸入関税、再輸出関税もゼロなのである。海に面する交易都市としての側面もあり、世界最大規模の企業を結集させ、一大商業中心地を形成することを目標にしている。地元民は裕福であり、世界一安全なリゾートとも言われている。地域の運営母体も元々は政府機関であったが、現在は公社の一部門で実施している。これこそ、戦略であるといえる。何も清貧であることだけが望ましい訳ではない。現状の日本の状況下において、特区でさえ、こういった思い切ったアイデアと戦略を実行することは不可能に近い。四国や九州にだって、構想と行動力さえあれば可能であろう。潜在力もあるはずである。こういった柔軟な経営スタイルを実現できない弊害を、日本の中央集権国家の一側面として自覚せねばならない。学ぶべき長期的視野に基づいた国家戦略の重要性が、そこにはあるといえる。

(事例2:国民のほぼ全員が幸福と実感する国・ブータン)

 ブータンは、「国民が幸せを感じられる国づくり」を国家として実施している。世界の経済大国の仲間入りをしようとしている中国とインドに挟まれた、人口200万人のヒマラヤの斜面に位置する、いわば偏狭の地にある。しかしながら、そこに暮らす人々は実に生き生きして暮らしているという。GNH(Gross National Happiness、国民総幸福量)世界第一といわれる国家である。1976年、当時21歳であったブータン王国の言葉は、今も新しい価値観を提供する。「Gross National Happiness is more important than Gross National Product.(国民総幸福量は国民総生産よりも重要である。)」その言葉通り、お互いの心が国民相互に気持ちよい社会作りに本気で国が取り組んでいるという。ブータン王国の国家指針、それは①健全な経済発展と開発、②環境の保全と持続的な利用、③文化の保護と振興、④いい統治、である。この基本指針を理想・理念として捉え、国家のあらゆる方針を再度考察しようというものだ。

 “分子を大きくしようとするのが欧米式であれば、分母を大きくしようとするのが東洋式”であると、井上信一氏は述べる。幸福感は様々ある中で、二つに分類する。この二つとはまさに、“物心一如の繁栄”の考え方なのである。一方が数量的に計れる環境インフラであり、もう一方が幸せを実感できる共通の価値観の構築である。文化の共有とも言える。宗教、文化的背景、哲学、教育、ひいては文化や政策に基づく一体感、公平感こそが、“心”の繁栄なのではなかろうか。「文化の振興」の実践が、1989年に定められた「民族衣装の着用、国語ゾンガの習得使用、伝統的礼儀作法の遵守」規定である。年々、国民の自主的な努力で日常的に浸透しつつあるようだ。

 ブータンの国家戦略は「The Middle Path(中道)」であるという。まさに世界の開発思想がGNPを尺度に発展を考える流れにある先進国に一石を投じるものであり、人間の幸せは必ずしも物質的な豊かさだけではなく、物質文化と精神文化の中道が大切であると説いたものである。これこそ、我々日本に今、枯渇している理念ではなかろうか。

 しかしながら、日本人はその事を教えられなくても心で理解しているらしい。

 訪れた日本人が共通して感じるという。
「日本の昭和30年代の温泉地に来たようだ」―。
ブータンの国家像から、自然と共に生きる、物質と精神の調和が如何に大切か、貴重なエッセンスを学ぶことが出来る。

思いを、共有し、行動に

 これまで、日本の置かれた環境を自覚し、歴史を振り返り、本当の繁栄とは何かという側面を考察してきた。

 我々は、物質的豊かさを手に入れるために、あまりに多くのものを手放してきた。地域のつながり、相互扶助、時間の余裕、親切心、自分を犠牲にする心、日本が固有に持つ文化、伝統、自然環境、自然信仰・神仏への崇拝…。これまでは、物質的な充足を第一義の目標として突き進み、それを得れば一定の満足感を得てきた。しかしながら、無限に拡大するその欲望と反比例するように、資源に限界がある。かといって、経済的発展をここで停止させる訳にもいかない。それは、国民個々の満足を適度に満たしてこそ、国民総和としての満足度が高まるからである。だからこそ、これからの国家像は日本固有の文化的・歴史に基づいた、長期的視野を持つ物心一如の繁栄を目指す必要がある。そういった国家づくりに転換する具体的なカタチが、個々人に光を与えることができる、地域主体の国づくりであろう。地域の文化・歴史などの先人の歩みの中で培われた特色を活かした国家経営を行ってこそ、日本の本当の存在意義が明確になる。

 この強い思いを持って、日本の存在意義を果たす国づくりを目指していきたい。

[参考図書]

『組織論』 桑田耕太郎、田尾雅夫著 有斐閣アルマ
「2008年新成人に関する調査」 株式会社マクロミル
財務省主計局調査課 資料
『松下幸之助塾主政治理念研究会 資料』 財団法人松下政経塾
『政治を見直そう』 松下幸之助著 松下政経塾特別限定版
『新・地方分権の経済学』 林宣嗣著 日本評論社
『創造都市への展望』 佐々木雅幸、総合研究開発機構 共著、学芸出版社
『地域金融と地域づくり』 黒川和美著 ぎょうせい
『日本の盛衰』 堺屋太一著 PHP新書
『大丈夫な日本』 福田和也 文春新書
『ドバイがクール』 槇島公著 三一書房
『美しい国 ブータン』 平山修一著 リヨン社

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中西祐介の論考

Thesis

Yusuke Nakanishi

中西祐介

第28期

中西 祐介

なかにし・ゆうすけ

参議院議員/徳島・高知選挙区/自民党

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