論考

Thesis

多様な幸せを実現するための国のかたち

本当に「地方分権」をすれば、私たち日本人は幸せに暮らせるようになるの? 昨今、進められている地方分権改革について、何のために実施するのかをそもそも論から考えなおし、地域の主体性が高い諸外国の国のかたちと比較しながら、これからの日本に望ましい国のかたちを考察する。

第1章 地方分権は何のために行うのか

自分のことを考えてみて欲しい。具体的内容まではわからないが、あなたは幸せに生きたいはずである。そのために生きていると言っても過言ではないだろう。私もそうである。不幸になろうと思って生きている訳ではない。それが人間の当然の姿であると私は考える。だから人間は、自分自身の幸せを実現するために、長い年月をかけて、世の中のあらゆるモノを作りだした。社会もその1つである。社会とは人間の集合体のことであり、色々な種類がある。日本という国家はもちろん、私が松下政経塾に入塾して以来活動している市町村という「地域」も社会の1つである。つまり国家や地域とは、そこに住む人たちが幸せになるために構成された人間の集合体であると言える。

では、私がここで言う幸せとは何か。それは一言では言い切れない。世間一般で良く言われるように、私も、人の幸せは色々であると考える。地域での活動を通じて人間観察していると、その実感が強くなる。身の回りの小さなことに幸せを感じる人もいれば、お金を得ることに幸せを感じる人もいるし、人のために何かすることで幸せを感じる人もいる。

このような多様な幸せを少しでも多く実現するため、人間はあらゆる社会を構成して暮らしているのだ。

しかし、現在の日本において、多くの国民がこのような多様な幸せを実感しているとは言い難い。経済成長を遂げ、バブル経済が崩壊して以降、その傾向は益々ひどくなるばかりだ。それまでは、経済的な幸せの追求を国是のごとく一丸となって目指してきたものの、それを突き詰めた結果、多くの国民が、人間の幸せが多様であることに気が付いた。そこで、これら多様な幸せを実現しようとあらゆる努力をしてみるのだが、既に日本国内に構築された様々な社会システムは、旧来追い求めてきた日本一家経済的幸せ実現のためのものであり、新しい幸せ観には対応しきれなくなっていた。まさにこれが、中央集権体制という国のかたちの限界と言えよう。

国民も中央集権体制を核とした経済的な幸せを追求するための国のかたちに限界を感じているようである。昨年、北海道大学大学院により実施された政治意識調査(※1)によると、調査対象地区である東京でも北海道でも、望ましい国の形として、経済性が見込める都市部に人を集中させる経済効率を優先しせた国よりも、経済性を見込めない地方にも人が住めるよう整備する経済効率にとらわれない国を望む人が、8割を超える結果となった。経済的幸せという画一的価値観が崩壊したことを表す事例と言えよう。このような状況を受け、国は、国民が多様な幸せを実感できるように、国家という社会システムを改革することにした。国のかたちを見直すことにしたのだ。この代表例こそが、地方分権改革のあるべき姿であると私は考える。

しかし、昨今の政府が進める地方分権改革は、市町村合併、三位一体改革、官から民への移行等、財政的な効率性を追及する目的ばかりが強調されているように思えてならない。

このまま地方分権を行っても、私たちの多様な幸せは実現できないのではないだろうか。いよいよ地方分権改革が本格化する今、改めて地方分権の原点に立ち戻り、新しい国のかたちを考えてみる必要がある。
このレポートでは、私たちの多様な幸せを実現するために、何故地方分権が必要なのかを改めて見つめ直した上で、地方分権が推進された新しい国のかたちの具体例としてフランスとデンマークの国のかたちを考察し、今後、日本において私たちがどのように地方分権改革に取り組んでいくべきかを提唱する。

第2章 何故、新しい国のかたちに地方分権が必要なのか

Ⅰ 多様な幸せにも共通点がある

先日、松下政経塾内で行われた講演で、ある講師の先生が大変興味深い話をしてくれた。それは、先程来何度もこのレポートに出てきている、人間の多様な幸せについての話である。

この先生は、日本中の色々な講演先に行くたびに、「あなたが幸せと感じるときはどんなときか」という質問を聴衆に投げかけるそうである。すると、誰もが予想する通り、多様な回答が返ってくるそうだ。
「寝ているとき」、「ご飯を食べているとき」、「きれいな景色を見たとき」、「好きな人といるとき」、「家族で散歩するとき」、「誰かにありがとうと言われたとき」等、まさにその事象は、人それぞれなのである。

しかし、先生はこれらの回答に1つの共通点を見つけた。それは、大げさなことではなく、自分自身の身近なことに幸せを感じる人が多いということだ。

この話は、全国民に質問をして統計をとった訳ではないから、確証的結果であると断言することはできない。しかし、自分自身に同じ質問をしたときに何と答えるかを考えてみると、やはり身近な幸せの事象をあげることに気付き、なるほどと感心した。また、私の身の周りの人たちに同じ質問をしても、ほぼ全員が同様の回答だった。読者も自身や周りの人に問いかけてみて欲しい。恐らく、ほとんどの人が同様であろうと私は推測する。

人間が幸せを感じるための社会の実現に向け、国のかたちを変える際に、何故、地方分権が必要なのか。その答えがここにあると私は考える。

現在を含め、これからの日本に生きる私たちは、多様ながらも身近な事象に幸せを感じる特性を持っている。であるならば、多様で身近な幸せを実現するための社会システムを構築しなければならない。このシステムを考えた場合、少なくとも、身近な事象に対応しなければならないから、社会の意思決定の場は、私たちに身近なところで行われるのがベストである。さらには、多様な事象に対応するためには、画一的な社会システムではなく、システムそのものが多様であることが望まれる。

この説明ではわかりにくいので、具体的な例を挙げてみよう。「家族で散歩をすること」が一番幸せだと感じるAさんがいたとする。彼の幸せを実現するため、どのような散歩をしたら良いかを考える場合、彼のことを全く知らない東京の霞が関の官僚よりも、彼のことを良く知る町役場の人が考えた方が、効率的であり効果的な散歩を追求できることは明白である。そればかりか、Aさんの住む地域の風土等も鑑みなければ、幸せな散歩の追求は出来ないことから、県庁や隣町の役場ではなく、あくまでAさんの住む町の人、同じ地域の人が対応することがベストなのである。

つまり、これまでの中央集権型社会ではなく、地方分権改革が成し遂げられた地域主権型社会こそが、私たちの幸せを実現するための国のかたちなのである。

だからこそ、断固として地方分権は進めなければならないのであり、地方分権無くしてどんなに国のかたちを変えたとしても、今後、私たちに幸せは何ら保障されないのである。

Ⅱ 中央集権型社会では真の国民主権の実現は困難である

中央集権型社会ではなく、地方分権改革が成し遂げられた地域主権型社会がこれからの国のかたちとして望ましい理由を、別の視点から考察してみたい。

それは、日本国憲法が規定する国民主権の実現という視点である。
国民主権を実現するためには、国民1人1人に、国のあり方や進み方を最終的に決定し、承認するという当事者意識が必要である。しかし、今の日本の状況は、おまかせ民主主義なる言葉が頻繁に使用され、選挙の投票率も決して高くはなく、国民主権を実感できる国とは到底言い難い。

憲法が何故、国民主権を規定しているのかを考えると、それはまさに、「人民による人民のための政治」を実現するためである。私たちは自分たちの幸せを実現するために主権を所有しているにもかかわらず、これを行使していないのだ。この国民主権に対する当事者意識の欠如は、地域社会の構成員としての自覚の欠如とも深く関係していると私は考える。また、国民1人1人の故意ではなく、無意識に発生しているところに、この問題の根深さがある。

何故、このような事態に陥ったのか。私は、中央集権型社会の弊害であると思う。中央集権型社会は、国民を政治の傍観者にしてしまったのだ。

地方自治を表するものとして「民主主義の学校」という言葉がある。地域は、民主主義社会を構成する主権者としての自覚(知識や意識)をもった「市民」を育てる場としての機能がある。自治というと、現在の日本では、何かと地方と連動して使用されるが、その精神は、地域に限られたものではなく、国の主権者意識と一体なのだ。

しかし、中央集権型社会では、地域に自治の精神を育むための権限がほとんどない。共同生活に関する大体のことは、国が決めてくれ、国の言われたとおりにやればよい。首長も行政も議会も一応は存在しているが、自分たちで判断し決定する事項は限られている。彼らを支える住民は、自分たちの思いが地域に反映されないことを無意識のうちに習慣として認識し、地域そのものに関心が無くなってしまう…このような悪循環が日本では繰り返されてきたのである。

この中央集権型社会の弊害について警鐘を鳴らしていた人物がいる。フランス人政治思想家で『アメリカの民主政治』を著した、アレクシス・ド・トクヴィルである。彼はアメリカのニューイングランド型地方自治を考察し、その著書の中で、中央集権型社会の弊害について、次の通り述べている。

「平等化と民主化が進むと、一方で中央政府の権力がかつてないほどに強大化する。それは、全国民を対象とする一般的抽象的法規範を定立して全国民を規律し、しかも治安と国防という限られた生活面だけでなく、国民の私生活の面にも入りこんでいく。他方では、平等化が進み小財産の所有者となった市民は、個人の安楽の追求にふけるようになり、公生活の分野から撤退を始めるようになる。」(『アメリカにおける民主主義』第二巻第四部より)彼は、中央集権体制が、地域(市町村)から力と独立性を奪うと、被治者のみとなって市民が不在になると指摘し、充実した地方自治のある地域(市町村)にこそ、人民主権に立脚した自由な人民の力が宿ると考察した。

日本の現状及びトクヴィルの考察から鑑みるに、日本がこのまま国のかたちとして中央集権型社会を続けていると、国民の主権者意識は益々失われ、「人民による人民のための政治」に基づく、私たちの幸せの追求はできなくなり、最終的には、憲法で保障された人権すら危ぶまれるような事態になりかねないことがわかる。

これで良いはずがない。
故に、今、日本は、国のかたちを地方分権改革が成し遂げられた地域主権型社会に変えなければならないのである。

第3章 諸外国の国のかたち

地域分権改革が成し遂げられた地域主権型社会がこれからの国のかたちとしてふさわしいことはおわかりいただけたと思う。

この章以降では、具体的に日本がこれから目指すべき地域主権型社会はどのようなかたちであるのかを考えてみたい。

ここでは、フランスとデンマークの国のかたちを取り上げ、各国がどのように地域主権を具現化しているのかを考察する。

フランスは、小規模基礎自治体運営を中心に、デンマークは、最近実施された県撤廃と市町村合併および州設置を中心に見てみたい。

Ⅰ フランスの国のかたち

フランスといえば、日本の学校教育では中央集権国家であると教えられる。しかし、実態を見ると、同じ中央集権国家である日本とは大きく異なり、その歴史的背景から地域主権がかなり根付いているように思える。故に、あえて中央集権であると宣言しなければ一国家として保てないようにすら感じるのだ。

また、EU加盟に当たり、ヨーロッパ各国では、ユーロ導入に際して一般政府赤字基準がGDPの3%以下とするマーストリヒト基準が課せられ、フランスにおいても、国地方間でマクロ的財政運営を目指す動きが出てきたこと、さらには、マーストリヒト条約により、EU加盟国国籍保有者が「欧州連合市民」と規定され、自国以外に居住する場合でも、当該居住先基礎的自治体選挙に参加し、意志表明することが可能となったことから、地方自治について、もともと高い意識を持つ加盟国基準に、他の加盟国が追い付こうとしている特徴がある。

そのような流れの中、フランスの国のかたちの実態は以下のとおりである。

(1)コミューン社会

フランスでは、1982年に地方分権化法及び関連法制定により地方分権が推進され、2003年3月に地方分権化に関する憲法改正が実施された。

現在、日本の地方自治体に当たる法人格を有する地方団体は、コミューン(市町村)、デパルトマン(県)、レジオン(州)に分類される(表1参照)。

フランスの国のかたちを見たとき、最も特徴的なのは、コミューンの存在である。

コミューンは、中世の教会の単位である教区がその起源で、2005年現在、36,784団体が存在する。表2は、フランス本土におけるコミューン数とその人口規模を表したものだが、人口1,000人未満の団体の割合が、全体の8割弱を占めていることがわかる。

それぞれのコミューンには議会があり、人口によって議席数が定められている。100人未満の小規模コミューンの議員数は9人で、人口比からすると日本の市町村議員数よりもかなり多いのが特徴だ。しかし、コミューン議会議員は原則、無報酬であることから、日本の場合と状況は大きく異なる。

コミューンの首長はメールと呼ばれ、任期は議員と同じ6年で、議員の中から選出される。メールは議会議長も務めることが多い。

フランスでも、日本の市町村合併同様、小規模コミューンの合併を推進してきた。しかし、多くのコミューンがフランス革命当時から存在し、国民のコミューンに対する愛着が高いこと、平等を重要視している憲法の存在、中央主導による合併に対する反発、合併したコミューンが政治的対立により再分離する等により、うまく進んでいない実態がある。

故に、日本以上に小規模コミューンが多く存在し、それらの行財政基盤が脆弱であるという問題を抱えている。この問題を解決するため、昨今、複数のコミューンが広域行政組織を構成して、地方行政サービスを供給している。

(2)広域連携制度の発達

では、フランスで実施されているコミューン間広域連携制度を具体的に見てみよう。現在のフランスにおける広域連携制度は、1999年7月に制定されたシュヴェヌマン法に基づく。同法による再編前から、広域連携制度には、組合型と連合型の2種類がある(表3参照)。1999年の再編では、主に連合型の広域連携制度の見直しが進められた。

組合型とは、1890年に始まり長い歴史を持つ、単一目的事務組合制度(SIVU)の外、多目的事務組合(SIVOM)、混成事務組合(syndicat mixte)がある。これらの制度は、事務組合自体に独自の財源が無く、財政基盤が脆弱である欠点があった。

その後、地方行政サービスに対する住民ニーズに的確に対応するため、1959年以降、広域コミューン区をはじめとした、固有の税源を持つ連合型の広域連携制度が設立される。

しかし、住民ニーズのさらなる多様化や社会状況の変化に伴い、年々その組織形態が複雑化したことから、1999年のシュヴェヌマン法による再編が実施され、都市部の広域化及び既存組織簡素合理化が進められ現在に至る。

現フランス広域連携制度の特徴として、コミューン共同体(CC)の数が2,342団体と多いことが挙げられる(表2参照)。CCは、農村部をターゲットとした制度であり、人口要件が無く、小さなコミューン同士でも設立しやすいのが特徴である。独自財源として、地方直接4税(コミューン税[職業税、既建築固定資産税、未建築固定資産税、住居税])の付加税課税またはコミューンから移譲された単一職業税の課税(TPU方式)の権利を有する。

またCCでは、①経済開発、②地域整備、③TPU方式を選択した場合のみ工業・商業・サービス業・手工業・観光・港湾・空港区域の設定・整備・維持管理及び運営が義務付けられている外、選択的権限として、①道路、②住宅及び生活環境政策、③環境保護(ゴミ処理含)、④文化・スポーツ施設・初等教育施設建設等の4つのうちから1つ以上を選択しなければならない。

日本の市町村間の広域連携組織は、特定の事務のみを担う一部事務組合が主流であり、フランスのCCのように、多岐にわたる一般行政サービスを対象としたものは無いに等しい外、税法上、普通地方公共団体以外に課税権は無く、独自財源を持っていない。

このように、フランスと日本は、同じ中央集権国家に分類されているものの、地域をめぐる国のかたちの現状は、大きく異なっていることがわかる。フランスでは、国民1人1人の意見を反映しやすい基礎自治体を多く残し、そのために発生する非効率な部分は、地域連携という広域行政の手法を多用することでカバーする体制を採っているのが特徴であろう。

Ⅱ デンマークの国のかたち

デンマークの国のかたちについて、日本ではあまり語られていないように思う。私が何故、この国に注目したかというと、2007年1月に、大きな地方自治構造改革を実施したことがわかったからだ。デンマークが何故、そのような改革に踏み切ることになったのか。改革の内容と併せて考察してみたい。

(1)何故、地方自治構造改革を断行したのか

デンマークでは、伝統的国是である「社会の最弱者に配慮し、人と将来に投資する」福祉国家の実現を追求するため、2001年11月に自由党・保守党連立政権が発足したことを機に、政府内に運営構造委員会を設置(2002年10月)。将来にわたる国民福祉の維持、発展のために、当時の公共部門が抱える問題点、つまり国のかたちの問題点をあぶりだす作業を行った。

その結果、同委員会から主に以下の問題点が指摘された。
1)県及び市町村は、法律で規定された公共サービス遂行に当たり、小規模すぎる。
2)いくつかの政策課題において、公共サービス遂行の責任の所在が、県・市にまたがり、国民から見て不明確である。
3)公共サービスを提供する各実施機関の横の連携が無く、業務そのものに課題がある。

これらの課題を解決すべく、同委員会は、その解決方法として、県・市町村間の境界線の変更及び国・県・市町村の権限配分の見直しを実施するため、地方自治構造改革による国のかたちの一新を推奨した。

これを受け、政府は公聴会を実施し、国民から広く意見を求め、その結果をさらに肉付けした「デンマーク~市民に近くなる新しく分かりやすい公共セクター」という構造改革提案を発表した。

その後、この提案は、与野党で協議し合意され、国会に法案として提出。可決され、改革実施の運びとなったのである。

このデンマークでの地方自治構造改革の一連の流れを見て、私は強く思ったことが1つある。それは、デンマークでは、福祉国家という最終的な国家像が、国民全体に浸透、共有されているということだ。改革法案提出前に、与野党間の綿密な協議が積み重ねられ、内容の充実がはかられた。政治の一連の流れの中に、党利党略の姿勢は垣間見えない。この改革の最大の目標が、国民全体の福祉の実現であることを、与野党ともにしっかりと認識していることがわかる。国や自治体は何のために存在しているのか、その目的が明確であるから、政治も行政も国民も、一丸となって改革に取り組むことができたように思う。単なる目先の財政難や行政の非効率を解消するためではなく、国民の幸せを福祉国家という枠組みで実現するため、地方自治構造改革が必要であると宣言しているところに、日本の地方分権改革との違いを見ることができるのではないだろうか。

(2)市町村合併

今回の地方自治構造改革で、デンマークにある市町村は、271から98自治体に削減。これは、市町村合併によって実施された。

その基準となったのが、適正市町村人口3万人という基準である。
この基準は、与野党間協議の結果、公共部門が抱える重要政策課題を解決するため、専門性の持続を確保することを目的に設定された。この基準を目安に、新市町村の最少人口数は2万人と定められ、人口が2万人以下の市町村においては、人口が2万人以上の市町村と合併することが求められた。もし、離島等ややむを得ない理由で合併できない場合は、人口基盤が最低3万人になる隣接する市町村とパートナーシップを結ぶことで課題解決する仕組みも提示された。

この要求を受け、各市町村は、近隣自治体との合併及びパートナーシップ実施に伴う協議を行い、新しいデンマークの国のかたちが決定された。

表4は、ヨーロッパ各国における市町村の人口数等を表したものである。デンマーク同様、スウェーデンでも市町村合併が進められ、その規模拡大がはかられたが、2007年以降のデンマークは人口比で特に大規模化していることがわかる。また、平均面積を見ても、デンマークの市町村面積が群を抜いて広いことがわかる。

市町村合併と同時に実施された改革に、県の撤廃と州の設置がある。それまであった県はすべて廃止され、5つの州が設置された。

新たに設置される州の主な役割は、(1)病院、前国民健康保険事業、医師によるヘルスケア、(2)州圏開発ビジョン及び開発計画策定、(3)交通会社設立による州内バス運行及び一部鉄道事業である。

新たな州設置に伴い、州庁は既存の県庁舎を使用することで合意され、州庁所在地は、周全域から比較的アクセスしやすい県庁所在地が選定された。これにより、県庁所在地の地位を失う市町村に対して、国の行政機関を配置することで調整が諮られた。

(3)地域民主主義の強化

市町村の大規模化の弊害を防ぐため、市町村合併と並行して採られた政策がある。それが、地域における住民参加型民主主義の強化と国の市町村に対する関与縮小である。

与野党間の地方構造改革合意書によると、この構造改革の中心目標として、以下の内容が掲げられている。

「より多くの政治的決裁が市民に近い所でなされる程、民主主義は強力になるであろう。市民がその決裁に能動的に参加できるような民主主義が拡張されるように努力がなされるべきである。未来の自治体は、地元での決裁に、市民やユーザーを巻き込む新しい方法を探しださなければいけない」(『デンマークの地方自治構造改革』内、政府とデンマーク人民党間で交わされた構造改革合意書より抜粋)

この合意を基に、新市町村では、地域における意思決定に、市民と消費者を関与させる政策が実施された外、ボランティア団体の地方自治への参画が推進された。

また、大規模化に伴う市町村への権限移譲に伴い、市町村がカバーすべき課題が拡大したことから、ここに住民の意思が確実に反映されるようにするため、国の市町村管理の目的は、国の考えを市町村に実行させることではなく、市町村自体を強化することであると明確に示された。市町村は、国が示す目標達成のための業務実施計画等について、自主性を持ち、主体的にその内容を決定・実施する。

これら地域民主主義の強化により、当初、運営構造委員会が指摘していた、地方自治における責任所在の不明確さが解消され、住民の政治参加意識の向上につながることも期待されている。

第4章 日本の新しい国のかたちを考える

Ⅰ 基礎自治体を中心に国のかたちを考えよう

私が何故、前章において、フランスとデンマークを取り上げたか。それは、両国ともに、国のかたちを決める際に、最も基礎となる市町村に重点をおいているからである。

最近、日本の政治において、政治と生活の関係が見直されているように思う。自民党は「政治に生活者の視点を重視する」と言い、民主党は「政治は生活だ」と言う。であるならば、これから日本が目指すべき国のかたちを考える際に、私たちの生活に最も密着した市町村をどうすべきかを、もっと話し合わなくてはならないのではないか。日本の地方分権改革には、この視点が決定的に欠けているように思えてならない。

日本でも、デンマーク同様、市町村合併が進められた。しかし、その目的は、国の財政難に伴う地方財政の圧縮に主眼が置かれているようにしか見えない。

日本とデンマークの決定的な違いは、「どんな国にしたいのか」という国家観があり、その国家観を実現する手段として、市町村のあり方を決定しているところにある。国のかたちを考える上で、財政問題は確かに重要ではあるが、先に地方交付税をどうするか、国庫負担金をどうするか等、目的無しに方法ばかりを考えても意味がない。国民の多様な幸せを実現できる国にするため、地域主権型社会を構築しなければならず、そのためには、基礎自治体のより一層の充実・強化を目指すべきであると、まずは大前提を整理する必要がある。

では、日本が国民の多様な幸せ実現に向け、地域主権型社会を目指すとき、基礎自治体はどのような姿になることが理想なのか。私が考えるポイントは、次の2つである。
1)高い専門性確保のための広域化
2)地域内分権の徹底

これら2つのポイントについては、私がこれまでに行った松下政経塾での研修を通じて感じたことに端を発している。

(1)市町村の広域化

例えば、昨年、財政再建団体となった夕張市での研修でわかったことの1つに、夕張市役所が近隣の市町村や専門機関とほとんど情報交換をしていないという実態がある。自治体経営に際し、重要なスキルとなるべき情報が、とにかく内から内からしか出てこない。良い言い方をすれば、自己完結型と言えるのかもしれないが、結局自己完結できずに財政破綻となり、市民生活に多大な影響を与えることになった。この市町村の内向き傾向は、何も夕張市に限ったことではなく、私が関わった自治体のほとんどに見られる特徴であった。住民のために何かしなければならないとき、担当者が一人で頭を抱え、自らの経験と価値観だけでものごとを決める傾向があまりに多いのである。

突然話の方向性は変わるが、先日、テレビを見ていたら、爆笑問題の太田光氏が面白いことを言っていた。彼はこの世の中にある全ての書物のうち、一番面白い書物が聖書だと感じているそうである。何故そう思うのかというと、聖書が「合作」であるからだと指摘していた。彼によると、漫才のネタで、これはうまくいったと感じる作品は、お客さんも参加してネタが完成する、ひとりよがりではないネタなのだそうだ。人間社会での「係わること」の重要性を、彼は漫才という仕事を通して実感しているのだ。

松下政経塾を設立した松下幸之助塾主も、同じようなことを指摘している。人間が生きる上で重要なことは、「衆知を集める」ことであり、そのために個々人は「素直な心」でいる努力をしなければならないという。

何故、このような話をするのかというと、人間の幸せを追求するシステムを考える際には、人間を最大限に生かす工夫をしなければならないと私は考えるからである。

私たちの身近な生活に関するあらゆる権限が、国や都道府県から市町村に分権されると、恐らく、今の市町村の状況では受けきれない。分権とは、単に机上での仕事が増えることではなく、責任と決断が伴うからである。各市町村は、今まで以上の専門性と決断力を持たなければならないだろう。その際に、私が最も重要と考えるのが、人間の衆知を集めるシステムを構築することである。具体的には、市町村広域化により、人的交流を活発化させることが効果的であると考えている。

デンマークの地方自治構造改革の一つである市町村合併は、この考えを具体化した市町村広域化の好例と言えよう。新たなデンマークの国のかたちは、国民生活を起点に考えられており、その中心は基礎自治体で、基礎自治体の補佐役として、国・県が存在している。

故に、デンマークの基礎自治体の能力は高くなくてはならず、現在の日本の市町村が抱える内向き志向のような組織弊害を取り除くため、一定規模の広域化をはかったと思われる。自治体に係わる人が多ければ多いほど衆知が集まり、専門性が高まり、そこから提供される行政サービスの質も向上するのだ。

また、フランスの場合、既存の基礎自治体への強い愛着から、デンマークのようなドラスティックな改革はできないものの、脆弱な基礎自治体機能を補完するため、広域連携制度活用による市町村広域化をはかり、衆知を集め、行政サービスの質を高める工夫をしている。

これら2カ国の例を鑑みて、これからの日本の基礎自治体のあり方を考えると、両方の良いところを取り入れるべきだと提案したい。

日本の場合もフランス同様、市町村広域化に当たり、デンマーク式のようなドラスティックな改革は難しいであろう。それは、平成の大合併推進に対する、各市町村の反応を見ても明らかだ。であるならば、もう少し時間をかけ、まずはフランス連合型の広域連携制度で第一段階の広域化をはかり、市町村同士の信頼関係が築けた後に合併し、地域主権型社会に耐えうる基礎自治体を誕生させてはどうだろうか。合併は必ずしも強制ではなく、日本の国家観を踏まえた上で各市町村に判断してもらい、広域連携でも住民福祉の実現に支障が無いと判断すればそのまま継続しても良いとする。

その際、注意しなければならないのが、連合型広域連携組織と基礎自治体のあり方である。広域連携組織で処理することが増えれば、自然に市町村の役割は小さくなる。これまでの行政サービスを全て自前で行うというフルパッケージ型の市町村ではない、全く新しい市町村のかたちを選択できる仕組みも併せて構築する必要があるだろう。その選択は、市町村がそれぞれの状況に応じて実行できることがベストである。多様な幸せを実現するためには、社会システムそのものも多様でなければ対応できないからである。

(2)地域内分権の徹底

市町村広域化の一方で忘れてはならないことがある。それが、2)の「地域内分権の徹底」である。

何のために地方分権改革を進めているのかを、もう一度おさらいしよう。それは、私たちの多様な幸せを実現するためであり、この幸せ観は、身近なことから達成される場合が多い。よって、私たちの生活に関するあらゆることは、できるだけ私たちに近い場所で意思決定されることが望まれる。市町村広域化の改革は、この考え方に基づき、行政体で最も身近な市町村に行政権限を集中するためのものであった。

では、広域化された市町村内では、どのような意思決定がなされるべきなのであろうか。その手法が、徹底した地域内分権ということになる。住民は、自分たちにできることは自分たちで行うことが基本となる。そのために、住民自治組織や専門技術を有する非営利団体の活動を、公共セクターとして組み込む必要がある。こられの活動で補い切れないものが、新市町村の役割の基本を成していく。地域主権型社会の主役は、市町村という行政体ではなく、住民そのものであることを忘れてはならない。

Ⅱ 道州制を考える

最後に、現在、日本で地方分権改革の目玉として取り上げられている道州制について、これまでの内容を踏まえた上で考察してみたい。

私は、国で行われている道州制の議論に、ほとんどリアリティを感じない。それは何故かというと、前章でも述べたとおり、私たちの生活を起点に考えられた国家観の裏打ちが無く、単に枠組みだけを変えようとしているように思えるからである。私たちに最も身近な基礎自治体のあり方が明確になっていない現段階で、何故、道州のかたちを決めることができるのであろうか。それは単なる机上の空論に過ぎないのではないか。

先程も述べたとおり、政府与党も野党も、これからの政治には生活の視点が欠かせないと言うのであれば、与野党の枠を越え、まずはどんな国にしたいのかを真剣に話し合うべきである。それは官僚が、法律や制度として考えるのではなく、政治家が責任を持って、国民の幸せを実現するために、何をどうしたら良いのかを、血を通わせて考えるということだ。その作業なしに国のかたちを変えたとしても、恐らく、国民の幸せを実現することはできないだろう。まさに、政治の本気さが試されるときなのである。

私は、このレポートで一貫しての述べている通り、これからの日本は、多様な幸せを実現できる国家にかたちを変えるべきだと考えている。故に、日本が地域主権型社会になるよう、徹底した改革が必要であると考える。改革により、基礎自治体の機能が強化され、私たちに身近なことを全て市町村が主体性を持って対応するようになれば、今の都道府県の機能はかなり縮小することになる。国の役割も同様だ。

フランスやデンマークのあるヨーロッパの地方分権は、1985年に制定された地方自治憲章をシンボルとしている。同憲章第4条第3項は、個人ができないことは家族が、家族ができないことは地域(市町村)が、地域が出来ないことは県が、県にできないことは国が、そして、国にできないことはEUが行うという「補完性の原理」を規定している。日本においても、機能強化された基礎自治体を起点に「補完性の原理」をもって、国のかたちを考えなおすべきではないだろうか。

つまり、道州制の実施とは、単に都道府県の枠組みを変えることではなく、道州を構成する市町村の役割、道州そのものの役割、国の役割、全てを一元的に見直すことであり、これまでの日本の既成概念をすべて取り払う一大改革であることを忘れてはならない。

恐らく、かなりの荒療治であろう。しかし、今、本気でこの地方分権改革を実施しなければ、将来の日本に幸せは保証されないのである。

【参考文献】

『幸福ということ エネルギー社会工学の視点から』 新宮秀夫 NHKブックス 2005年
『地方自治の現代用語(第2次改定版)』 阿部齊他 学陽書房 2005年
『地域再生の経済学 豊かさを問い直す』 神野 直彦 中公新書 2002年
『地方自治の憲法論「充実した地方自治」を求めて』 杉原泰雄 勁草書房 2002年
『地域主権型道州制 日本の新しい「国のかたち」』 江口克彦 PHP新書 2007年
『道州制の論点と北海道』 佐藤克廣 公人の友社 2005年
『「主要諸外国における国と地方の財政役割の状況」報告書』 財務省財務総合政策研究所 2006年
『デンマークの地方自治構造改革』財団法人自治体国際化協会(ロンドン事務所) 2006年
※1『「大都市圏と地方における政治意識調査」に関する世論調査報告書』
北海道大学大学院法学研究科学術創成研究プロジェクト 北海道新聞情報研究所 2006年
調査対象者:道内の有権者男女と東京都内の有権者男女
調査対象地域:北海道と東京都
調査手法:RDD法
調査期間:2006年1月27日(金)~29日(日)の3日間
回答数:北海道574件中501件、東京都1179件中1013件

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石井あゆ子の論考

Thesis

Ayuko Ishii

松下政経塾 本館

第27期

石井 あゆ子

いしい・あゆこ

衆議院議員政策担当秘書

Mission

真の住民自治の確立、北海道振興、地域再生

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松下政経塾とは
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松下政経塾とは、松下幸之助が設立した、
未来のリーダーを育成する公益財団法人です。
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広く門戸を開いています。
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