論考

Thesis

国家観

「先生・・・私、どうしたら幸せになれるのですか?」満たされない親の愛情。その渇望を埋めるために自分を美しく磨き、誰かに強く愛されたいがために拒食症に陥っていく。彼女たちの共通点は、勉強ができ、髪の艶がよく、指先や脚がすらりと伸びており、唇がキュートであることである。

 だからこそ、自分自身の失敗や汚点がどんなに些細なことであれ許されなかった。かつて私が勤めていた定時制高校には、そういう女の子たちが毎年入学してきた。私はいつも思う。彼女たちは不幸にして美しく生まれてきてしまったのだと。彼女たちには熱い視線と富が注ぎ込まれる。しかし、それはあっという間に彼女たちの前から姿を消していく。それは彼女たちのせいではない。彼女たちの思いとは裏腹に、消費を目的といた自分勝手な欲望からである。それを自分が原因などだと責め立て、痩せようとする。しかし傍から見ると、あきらかに痩せすぎである。それに気が付いていないのは彼女自身だけ。心優しい友人からのアドバイスも受け入れられず、結局は孤立し、いつも彼女は心の空虚感が満たされないままでい続けることになるのである。

 これは、今の日本の姿に似ているのではないかと私は思う。80年代を頂点に、日本は経済大国と言われた。しかしその間、物質的な豊かさは享受できたものの、本当の意味での豊さを感じることができた人はどれくらいいたのであろうか。

 先日、私は国宝『源頼朝像』を見る機会があった。ちなみにこの作品に描かれている人物は、源頼朝ではなく足利高氏の弟であるとの説があるらしい。東京国立美術館の国宝室という部屋に入ると、背丈以上にあろうかというこの絵画が私を迎えてくれた。威圧感を全く与えず、だがしかし、しっかりとその空間に存在している。時の為政者の威厳を偲ばせる雰囲気が漂っていた。この作者は不明である。名もない人間がこれだけの大作を手掛け、今日まで多くの人間を魅了し続けている。その時、ふと、ある陶芸家とお話したことを思い出した。「今、昔に比べこれだけ経済発展しているのに数百年前と比べると、いい作品というものがどんどん生まれにくくなってきている。」という。宮大工職人の方からも同じような話を聞いたことがあった。なぜそのような状況に陥ってしまっているのか。わかっていないのは、もしかすると何かに目をくらませてしまった日本人自身だけなのかもしれない。

●日本が置かれている現状

 日立総合計画研究所から「長期経済予測(2007年12月12日)」 1)というものが出されている。その内容を私なりに要約すると、労働人口は減少傾向にある。その影響からGDPの成長率は確実に低下する。一方で高齢化人口が増加するため、社会的負担がより増す。そのための対策として、対外開放度を高め、イノベーションを興すことが必要であると述べられている。対外開放とは、移民を受け入れて労働人口の不足を補い、外国資本を呼び込むことである。最近の流行り言葉で言うならば、グローバル化の推進ということになろう。このようなグローバル化を推進する未来戦略は、マスコミをはじめ、比較的多い論調の一つではなかろうか。しかしこれは国内の力を引き延ばすというよりも、外国頼みの非常に不安定な戦略ではないかと私は危惧する面がある。例えば97年の東アジア通貨危機の例を考えてみると、過度の外国資本への依存は危険であることを物語っていると思う。マネーというものは、人間の生活や心情とは全く関係なしに、自己増殖できる場所だけ求め、世界をさまよい続けるものだと私は思っている。石油、金、穀物などの現物物資というものもマネーと結びつくことで同じような性質を持つのではなかろうか。

 グローバル化社会とは、例えて言うならばオセロゲームのようなものである。一番端を取ると全てばたばたっと白の駒が黒に替わる。さらに範囲を拡大させながら、黒の駒が白に替わっていく。その繰り返しである。世界は年々広がり、つながっていく。つまり、我々が生きている世界は、一つの駒の動きが、全体に大きな影響を及ぼしてしまうということである。

●資源ナショナリズム

 2008年1月2日、ニューヨーク。原油先物市場の代表的指標であるWTI(West Texas Intermediate)が急騰。史上初めて1バレル=100ドルの値をつけた。過去の値動きを見ると、1990年代には1バレル=10~20ドル程度だったが、2003年ごろから急激に上昇し始め、2004年には50ドルに達し、ついにこのような状況に陥っている。この原因として、産油国のナイジェリアの政情不安、Bricsなどの新興国の石油需要が大幅に伸びるということが予想されるために、投資ファンドなどが実際の重要を上回る買いを入れ、原油高騰に拍車をかけているというが原因と見られている。2)つまり、投資先が、金融資産から、原油、金、穀物などの現物資産に移ったと見ていいのではないだろうか。石油連盟は『今日の石油産業2007』の中で「このような資源獲得競争の激化や資源ナショナリズム的な傾向は、市場の安定化に対する懸念材料として注視していかなければなりません。」と警告を発している。

 現物資源の代表格といえば金である。これについてアメリカの例を考えてみたい。「アメリカでは公的金準備のほかに民間保有の金地金や金地金型金貨が12,000トンもあり、官民を合計すれば2万トン(国の保有量が約8,000トン)で、公的金準備が最高だった時代に匹敵する、と推定する。」3)アメリカに次ぐドイツの国の保有量が約3,000トンであるからその差は歴然たるものである。ちなみに公的金準備とは、各国の政府・中央銀行が輸入代金の決済等のために保有している貨幣用の金を言う。IMF (国際通貨基金)体制下において、加盟国の政府・中央銀行は、輸入代金・対外債務返済等の支払い、国際通貨不均衡の是正、あるいは為替相場介入などのために、一定比率以上の外貨等の資産を保有する義務があるというものである。4)

 ところで、金本位制をとらない現在の貨幣制度においてこれがどれだけの意味があるものだろうか。興味深い事例があるので紹介する。「韓国が1997年秋以来の東アジア通貨危機にあたり、民間所有の金製品を買い集める大々的キャンペーンを始めて、1998年2月24日の時点で、(中略)23倍近い金を集めて危機を乗り切った。」5)というものである。このことは、金と言う現物資源が通貨の信用を現在の体制下においても裏付けされるものであることを物語っていると言えよう。翻ってみると、経済の歴史は、実際の経済循環が円滑になるようにシステムの方を変えているという見方もできるのではないか。金とドルとの交換停止を宣言したニクソンショックは1971年。つい最近の話である。

●新興国の台頭と食糧問題

 ノーベル経済学賞受賞者アマルティア・センが次のように述べている。
「社会全体の食糧供給量が充分であっても、飢饉は発生する。なぜなら資本主義経済下においては、飢饉は食料の欠乏ではなく、購買力の欠乏によって生じるものだからである。」6)今、日本は食糧自給率40%である。世界中から食糧を買い集めた分、どこかの国の人々たちが飢饉で苦しんでいるという事実を直視しなければならない。そして少子高齢化に際して低下する日本の経済の現実についても直視しておかなければならない。

 「2050年時点では、アメリカ、中国のGDP規模は、日本の7倍以上、インドも3.8倍となる。」7)という予想がある。海外から食糧が購入できなくなる状況も十分考えられる。その頃には中国人やインド人が世界中の食糧を買い、有り余ったものを廃棄する状況が来るだろう。なにせ中国人は日本の人口の10倍である。その頃には現在の先進諸国の3倍以上の人口が、その仲間入りするという計算である。その財力で世界中から食糧を輸入するとすれば、日本はとても太刀打ちできない状況に陥るのではないだろうか。

 アマルティア・センは続けてこのように述べている。
「穀物価格のみが上昇し、それ以外の商品の価格が上昇しなかった場合には、穀物生産以外の職業に従事する広範囲の低所得者層の穀物に対する購買力が低下することになる。」8)このことを極端に言うならば、穀物生産に携わっていない人はいつでも飢饉の恐怖にさらされてしまうということである。

 ヨーロッパでは食糧自給率を安定的に確保しようという政策をとっている。穀物で見るならば2003年の段階で、ドイツ101%、フランス173%、イギリス99%。日本は27%である。9)これは農業の生産性が高く、競争力があるからではない。補助金をだしてこのような状況をキープしているのである。貨幣価値に換算できる豊かさだけを考えているのではなく「食べていく」ためにどうすればいいかということを各国は真剣に考えている。

●人間力への回帰へ

 ところで、日本の国力とは一体何であろう。一つには、高い技術力が挙げられる。日本の自動車、電気機器類メーカーの強さはそれを象徴している。その技術力の秘密を探っていくと、正社員からパートまでの勤勉できめ細やかな感性を持っていることであろう。さらに一致協力によって進められていく。つまり人間力こそ日本の唯一であり最大の資源であるのである。今、その人間力が崩壊しようとしている。国の根幹が揺らいでいる。

 以前、合掌造りで有名な白川村遠山家に行ったことがあった。その時、人間力というものについて考えさせられたことがあった。遠山家はドイツの建築家、ブルーノ・タウトがその建築技術の素晴らしさを世界に伝えたところとして有名である。聞くところによると、この地域の人々は、奈良時代、都に人頭税として宮廷や寺院を建築する技師をたくさん送り出したようである。あくまでも推測だが、世界最古の木造建築の法隆寺や鎌倉時代に最盛期を迎えたとされる木造建築の技術の原点となっているのかもしれない。目を引いたのは、展示されていた生活用品、木材伐採用具、農機具、養蚕用の道具であった。その数の多さ。用具の細やかさ。それは私が知っている自動車産業の末端の重要な部品をつくっている町工場にどことなく似通っていたであった。考えてみれば、あたりまえのことである。つい数十年前に大量の人が山を降り、工業生産に従事していった。使い慣れた道具や、それに改良を加えられたような用具が使われていたのであろう。そう考えてみると豪雪地帯をはじめ、日本各地で厳しい自然の中で生きていくために培われた知恵が、陰に陽に現代の日本の産業技術に生かされてきたのではないだろうかと想像をかき立てられるのである。

 宗教学者の山折哲雄氏は「日本の根底には、共生と循環という思想がある」と述べている。10)この思想は、決してやさしく微笑むだけではない自然に対して向き合っていく中から生み出されていった知恵だと思うのである。

●日本の国策

 日本には資源がない。それに対抗するには人間の育成、つまり教育こそがこの国を富ませる唯一の国策ではなかろうか。近代化以前の日本にはその精神が脈絡と受け継がれていることが垣間見える。しかもその人間形成において、ただ知識を得るというだけにとどまらず、非常に深い部分で「共生と循環」という思想が脈絡と流れているのではないだろうか。そこには、厳しい自然環境と真剣に向き合うことで育まれてきた人間力というものが存在している。

 現在、エネルギー自給率は原子力を含めても約2割程度にとどまっている。11)また、食糧自給率に至っては約4割にとどまっている。この状況を自国の生存のみを考えるならば、経済力を高め、輸入し続けれなければ国は衰退の一途をたどるしかない。しかし残念ながら、この経済力も将来的には見通しが暗い。ならば原点に立ち返り、我々の本来持っている力というものを呼び起こし、そこから学んでいく姿勢が必要であるのではなかろうか。

 1924年(大正13)、内村鑑三は「木を植えよ」という短文を国民新聞に投稿し、「国を興さんと欲せば樹を植えよ、植林これ建国である。(中略)われらは日本全国を緑滴る楽園に化して全世界の排斥に応ずることができる。製造業商業励むべしといえども忘れべからざるは農の国本たることである。そして農の本元は森林である。山に木が茂りて国は栄ゆるのである」12)と訴えている。これは無批判に近代化を進める日本人に対して、森こそ生きる糧であり、生命そのものだということを伝えたかったのだと思われる。

 学力向上も必要だろう。英語教育も必要であろう。科学技術の振興のために理数系のレベルも引き上げなければならないだろう。しかし焦るばかりで、遅々として進んでいかない教育改革の原因は制度にあるのだろうか?教師に問題があるのだろうか?それとも社会に何らかの欠陥があるのだろうか?そういった目先の問題ではないと思う。人間が何によって生かされているのかという思想が欠如しているためだと私は思う。日本人特有の気質であった忍耐力や細やかな感性は、自然との関わりから育まれてきたものである。その土台が形成されていくからこそ、知識が吸収され、創造性溢れる逸品が生まれ出てくるのである。

 かつて日本には心を大切にしていた時代があった。人間の育ち方についての心得があった。即戦力の人材でなくても許容して、その成長に期待を馳せてくれていた。また、そういう目で大人たちも、かつて若かりしときに扱ってもらい、育ててもらったということに感謝の念を抱いていた。そこには知らず知らずのうちに共生と循環という思想が流れていた。まだ、自然との共生が息づいていた頃のことである。

 自然が奪われてしまった現代の子どもたちは、知恵を自然から享受できる機会は失われてしまった。そして富と消費を是とする現代社会は、大人たちから子供へとその知恵と思想を伝承する時間と心のゆとりを奪ってしまった。美しく磨かれ消費されるしかない生き方を強いられている拒食症の彼女はその写し鏡。日本は欲望から目を覚まし、本質へと向かっていかなければらない。

<参考文献>

1)日立総合計画研究所から「長期経済予測(2007年12月12日)」
 http://www.hitachi-hri.com/research/01forecast/01projection/long_0712.html
2)読売新聞2008年1月4日
3)『金(ゴールド)が語る20世紀-金本位制が揺らいでも-』p372 鯖田豊之著 中公新書 1999年
4)「exBuzzwords」
 http://www.exbuzzwords.com/static/keyword_3774.html
5)『金(ゴールド)が語る20世紀-金本位制が揺らいでも-』p371 鯖田豊之著 中公新書
6)『環境と文明-新しい世紀のための知的創造-』p43 山折哲雄編著 NTT出版 2005年
7)日本経済研究センターホームページ
 http://www.jcer.or.jp/research/long/detail3532.html
8)『環境と文明-新しい世紀のための知的創造-』p43 山折哲雄編著 NTT出版 2005年
9)農林水産省ホームページ「世界の穀物自給率(2003)」
 http://www.kanbou.maff.go.jp/www/fbs/dat/2-5-2-2.xls
10)『環境と文明-新しい世紀のための知的創造-』p57 山折哲雄編著 NTT出版 2005年
11)資源エネルギー庁「エネルギーを取り巻く情勢 ~エネルギーと国民生活・経済活動(早分かり日本のエネルギー) ※1」
 http://www.enecho.meti.go.jp/topics/hakusho/2006EnergyHTML/html/i2000000.html
12)『森と人間-生態系の森、民話の森-』p199田嶋謙三・神田リエ共著 朝日選書 2008年

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寺岡勝治の論考

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寺岡勝治

第28期

寺岡 勝治

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一般社団法人学而会 代表理事

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