論考

Thesis

地方自治体の国際経済連携からアジア経済共同体へ

現在、世界各地で地方自治体の「外交」が活発化している。これは、国に替わる経済単位として「地方(地域)」が浮上してきたことによる。それだけではない、この動きは殊アジアにおいて、懸案のアジア共同体への道筋を拓く鍵ともなる可能性を秘めている。筆者の志と個別活動を絡めて、その発想の道程の紆余曲折と可能性を見ていく。

はじめに ―EUとの出会いからアジア統合という夢へ―

 大学院時代、EC法という欧州統合の武器の存在を初めて知った。当時、私の学んでいた大学が、日本で唯一、EC法の通年講義を行っている大学であった。この法律に興味を持ったきっかけは、実は他愛のない理由であったのだが、次第にこの法律と欧州統合そのものに魅せられていった。修士論文の題材を、欧州統合に求めることに決めた。調べていく内に、「どうしてアジアにはこういう共同体がないのだろう?」と思うようになった。そしていつしかその思いは、「アジアにもあったらいいな」、「できたらいいな」から「創ってみたいな」という想いに変わっていった。

 働き出してからは、なんと、実践でEC法を学べる環境を与えられた。情報通信分野は、各国がしのぎを削って覇権争いを繰り広げている分野であるため、ECの市場統合における最重要市場に位置づけられている。その達成手段はEC競争法。日本でいうところの独禁法である。アカデミックな理論でしか知らなかった生のEC法という総体を、競争法という個別具体例を通してリアルタイムに追うことで、欧州統合の実際を目の当たりにした。

 「欧州統合」と簡単に言うが、実際に何を用いてどのように統合が為されているかはあまり知られていない。欧州統合は全て法によって為される。共通とするEC法を作るための話し合いが欧州統合という動きの実態で、それにより成立した法律そのものが統合の目的・予定・道程であり、そしてタイムテーブルでもある。その内容は、統合を阻害する障害の除去メニューとなっている。その法律の規定内容を消化できた時、また新たな法律(目標)が作成される。それは決して「欧州合衆国の成立」などという最終ゴールではなく、手の届く実現可能なものであり、そしていつでも軌道修正を前提とする。それによって、関税同盟とか市場統合、通貨統合といった、中期的壮大な目標を射程に入れられる状況に、現状を近づけていくのである。欧州統合が「法統合」とされる所以である。

 現在この作業に携わっている誰もが、自身の存命中に欧州統合の最終形態を見られるなどと思っていない。将来のある世代が達成するであろう「その時」を念頭に、今為すべきことを決めているのである。雄大な時間を基礎に、この作業は成されている。数年先、いや下手をすると数十年先などという短いスパンは、あまり考慮されていない。「国家百年の計」の壮大さと重要さを思い知った。「アジアにも同種の超国家的機構が必要だ」と思うようになった。

 そのような折、「国家百年の計」の必要性と重要性を説く松下翁の、「21世紀はアジアの世紀」という思想を知った。その人が自身の熱い想いを実現するために創設した松下政経塾。そこでなら、何か行動の意図口が掴めるのではないのか?その期待から、政経塾の門を叩いた。

1.私の志

 「東アジアに経済連携の基礎を築く」、これが筆者の志である。自身の存命中に実態が見られたなら、それははなはだ幸運である。そこに至る道筋を作る何がしかに携われたなら、恐らくそれで御の字であろう。せめて、共同体の設立合意条約の締結くらいまでは、この目で見たいなと思っている。そして、後世にバトンタッチする。

 しかしその心は、あくまでも、日本がリオリエント(アジアが世界繁栄の中心となること)を実現する推進役となるために、アジアの現状に見合った機能的な経済連携の実現を模索することである。

2.“思考”錯誤

 とは言え、具体的に何をどうするか、何の権限もない一書生が出来るレベルの具体的事項はどのようなものであるのか。この二年間、探し、悩んだ。色々な方々にご教授も仰いだ。しかし、決定打がなかなか見つからなかった。

①一年次

 まず、「アジア共同体」創設が不可能とされる理由の反論となる思想的なバックボーンの追求と、並行してアジア共同体創設の暁に起こるであろう外国人労働者問題の縮図として、現在の「外国人村」について調べていったが、抽象的かつ複雑で、塾生に求められる「活動」ではなく「研究」になってしまい挫折。

 そこで発想方法を変えてみた。正攻法でなく迂回策をとってみてはどうかと思ったのである。「アジア共同体」を実践に移すことを想定した場合、現実的な問題として、農業市場の開放問題、歴史認識問題、アメリカの加盟問題がよく挙げられる。この3つを解決するのではなく、回避(もしくは解決時の先延ばし)を可能とすることは出来ないかと考えた。

 そして気づいた。国の富の源泉は、国に満遍なく散らばっているのではなく、経済力のある地域に偏在しており、その総体を国の富と称しているに違いない。ならば、国ではなく、それらの経済地域が直に連携を組めば、実質、国の連携と同等の効果が得られるはずである。それら地域の中心は都市である。よって、国際都市連携を推進すればよいのではないか。都市連携ならば、先の3つの国レベルの問題は生じない!

 実際には、首都連携を考えた。大概の国においては、首都がその国の第一位の経済都市であり、その国の縮図そのものだからである。ところが、落とし穴があった。首都が国の縮図であるからこそ生じる問題―台湾問題が発生してしまい、連携が阻まれてしまう 。

 ならば、首都以外の経済都市もしくは主要経済圏ならばどうであろうか?

 そんな折、「広域圏(シティー・リージョン)」という概念に出会った。これは、グローバル化社会における、国に替わる新たな経済単位として台頭してきている新概念のようであった。

 その内容は、核となる都市とそれを取り巻く経済的な関係をもつ地域である。核となる都市は1つであることも複数であることもある。この経済的関係が多国間にわたる地域となると、それはグローバル・シティー・リージョンとなる。これが、筆者の想定した国際都市連携に近い実態ではないかと確信した。

②二年次

 手掛かりを掴んだとはいえ、やはり具体的にならない。しかし、「地域経済」に着目することは、まちづくりを見ることに他ならない。そこで、地域経済の要である商店街のまちづくりから調査させていただいた。そして商店街の経済が、一国の経済の最小単位を構成している。具体的には、横浜市中区の四大商店街に伺わせていただいたが、そこからわかったことは、ブランディングと戦略広報の重要性と危機感の存在であった。そして、「向こう三軒両隣」的な、昔ながらの共同体の存続度の大小に、成功率の大小も比例することであった。とはいえ同質性だけでなく、常に新参者や斬新なアイデアを受け入れる度量と冒険心が必要でもある。更に、トップダウン式のリーダーシップが、危機に瀕している時や新しい物事を始める時には成功の如何を左右するという事実に、驚嘆した。そして、「家族愛」というキーワードを得た。

 次に、もう少し物理的範囲を広げて構成単位をまちに拡大した。この段階で伺わせていただいたのは、NPO等の様々な形態でのまちづくりそのものの現場である。まちづくりには行政の存在が不可欠なのだが、この側面は現場に行って初めてわかったことであった。住民(市民)だけでも、行政だけでも、まちづくりは出来ない。両者が必要であり、その仲介をする接着層が必要であることを確信した。しかし、ここでもより重要なのは、トップの意識であることが見てとれた。そして、「このまちをどうしたいのか」というビジョンの存在が重要である。更に、住民が単に自身の居住場所としてでなく、自身の属するコミュニティーとしてのまちを再認識するという、まちという存在の捕らえなおし(再構成)の意識(帰属心)の顕在化に気づいた。

 商店街と異なり、経済と生活が分離されている分、そのまちの糧を何にするのかという問題を如実に考えさせられた。逆に経済が前面に出てこない分、人々の生活の質や人と人とのつながりという側面を否応なく意識させられた。人間の生活の質と生きる手段の不可分性を、意識した。そして、「縁側」というキーワードを得た。「家族愛」の共同体レベルの擬似家族愛、つまり、家族愛の拡大版であることがわかる。

 色々と考えさせられること、重要なキーワードや考え方等、多くの方々からご教示いただいたが、やはり「活動」が具体的とならない。そもそも、自身の考える都市連携の「かたち」が不明瞭なままだった。

 そうこうする内に、某論文から、中国社会科学院の3名の研究員が共同で執筆した研究論文をもとにして、日中韓の6都市が国際経済連携を行っているとの情報を得た。論文の記述から、その連携が筆者が漠然と考えていた連携を具体化したようなものであることが判明した。しかし、肝心の6都市がどこであるかわからない。様々なキーワードで、ネット検索を試みた。すると、10都市と都市数は異なるが、先の論文と同内容の国際経済都市連携組織がヒットしたのだった。「東アジア経済交流推進機構」、それがその組織の名称であった。筆者が漠然と考えていたことを、実際に行っている人たちが実在した!ワクワクした。

2.日本海沿岸地域の対アジア地域外交

 しかし、更に調べていくと、特に日本海側の地方自治体による「外交」は、今に始まったことではなく、かなりな数の国際提携組織が存在していることがわかった。1980年代後半から日本中で「国際化」が叫ばれたが、時同じくして、「これからは地方も国際化の時代」ということで、こぞって地方自治体が「外交」に乗り出したのだという。実際に軌道に乗り始めるのは、ベルリンの壁崩壊後、もっと直接的には、中国と韓国の国交正常化以降、つまり1990年代に入ってからだった。

 この動きは大別すると2つに分けられる。黄海をキーワードとした東アジア地域の連携と、日本海をキーワードとした北東アジア地域の連携である。後者にはロシア、モンゴル、場合によっては北朝鮮の諸地域が加盟している点が、際立った違いである。前者で活発な動きをしているのが、先の東アジア経済交流推進機構。後者で提携として組織立っているものが、北東アジア地域自治体連合である。前者が都市(「市」という行政単位)主体の提携であるのに対し、後者はより広域(「県」という行政単位)が主体の提携である。更に前者が完全に経済に特化した戦略的な国際連携であり、該当地域の有力な工業都市による提携であるのに対し、後者は一次産業主体の地域による姉妹都市交流の拡大のような様相を呈している。しかし、前者も発端はメンバー諸都市の姉妹都市提携から始まっていることは共通している。

 以下、両組織の概略を見てみよう。

①東アジア経済交流推進機構

 機構として設立されたのは2004年であるが、活動そのものは10年以上に及ぶ。北九州市を中心とする日中韓10都市による、国際地域連携である。加盟都市は、釜山市(韓)、大連市(中)、福岡市(日)、仁川市(韓)、北九州市(日)、青島市(中)、下関市(日)、天津市(中)、蔚山市(韓)、烟台市(中) の10都市である。これに、各都市の商工会議所が会員として加わっている。

 活動内容としては、重点課題と共同プロジェクトとして、以下の5つをあげている。

1 地域限定版「東アジアFTA」の創設推進
2 環黄海環境モデル地域の創出
3 ニュービジネス創出システムの構築
4 環黄海観光ブランド戦略の展開
5 技術交流・人材育成プラットフォームの形成

 「FTA」という国家外交の用語が用いられていることからもわかるように、経済提携を戦略的に捕らえて、地域以外の力を地元経済に引き入れることで経済活性化を図ろうとする意図が明確にされている。また、「環黄海」というブランドを用いたマーケティング広報戦略、そして行政と経済界のトップ外交を軸に据えている。殊に事務局である北九州市は、前市長自らが北九州市を世界に通用する街にすることを公約に掲げ、この機構の活動推進を先導してきた。これは、社会の最小経済単位である商店街の活性化手法と同じである。単位の規模が大きくなっても、主体が行政であっても、採るべき方法は同じであるということがわかる。

②北東アジア地域自治体連合

 島根県を中心とする、6カ国39自治体の連合組織である。1996年の発足で今に至る。

 活動内容は、「事業内容」と称して、以下があげられている。

(1)北東アジア地域自治体会議(総会)の定例的開催(隔年)なお、実務的な協議を行うため、実務委員会開催(原則毎年)
(2) 地域間経済・技術及び開発に関する情報の収集及び提供
(3) 交流発展・協力拡大に関する事業の支援及び推進
(4) その他、組織の目的を達成するために必要な事業

 活動を「交流」と表現していることからわかるとおり、“勉強会”を中心とした協力関係に留まっている。また、行政が主要プレーヤーであるが、トップの影はない。また、加盟自治体の中で日本の自治体の経済力が際立っているため、それらの自治体による、他国自治体への経済援助に似た様相を帯びている。経済交流に重きが置かれているとはいえ、地域の物産展の国際展開といった感がある。

3.見え始めた経済共同体への道筋

 上記のような状況の違いはあれど、双方ともに浮かび上がってきた共通の問題点は、以下のようなものであった。

・どのようなアクションプランを描くのか(どんな個別共通Pjを作るのか)
・肝心の経済界をどのように説得し、巻き込み、行動するのか
・国の行政関与と地方分権時代の国の役割と在り方(権限分割)

 枠組みはできているのだが、具体的な行動案が定まっておらず、それに加えて構想が壮大かつ理念的で、ビジネスの文脈への説明の転換が行われておらず、経済界の理解が得られていない。また、「外交」である以上、地方自治体の権限を越えた部分もあり、国の後押しが必要であるが、それが全く為されていない。

 そして、経済的関係を主体に提携地域を定めていく以上、現在の行政区画とそれは一致しないので変更していく必要がある。例えば九州北部の場合、半導体産業が集積しているが、これは福岡県および大分県に分布している。つまり、クラスターは福岡県と大分県を合わせた地域であるのに、東アジア経済交流推進機構で見た場合、福岡県のみ、しかも主体は北九州市と福岡市という2都市であるため、大分県はおろか福岡県内の該当地域も全て網羅しているわけではない。あくまでも都市は経済圏の中核であって総体ではない。地域連携を考えていく場合には、都市(市)よりも広域である県がアクターとなる方が妥当といえる。

 しかし、それは都市に比べての話であるため、実態経済関係に則ったシティー・リージョンを連携に活かすには、現在の行政区画の早急な改変が必要である。しかし、俗にいう○○地方という括りに行政区画数を単に減らす道州制ではなく、この経済単位を反映した再区画でなければならない。それは特に、現在の四大経済圏以外の地域が、その地域の特性を活かした上で経済的に成り立っていかれるよう、工業経済圏への編入といった再グルーピングや、一次産業や資源をより頼もしい収入源としていかれるような、(グローバル・)シティー・リージョン形成に合致するものでなければならない。

 この点、主体が都市であるとはいえ、東アジア経済交流推進機構は、水平分業体制にあり歴史的にもつながりの深い中韓のカウンターパートを構成国としている上に、そのカウンターパートが、この地域における主要経済都市であり、また、著しい成長が見込まれている地域である点、この機構の今後の活動推移は興味深い。

 黄海の真ん中を中心として、半径1,000キロメートルの円を描く。これは飛行機で1時間で移動可能な距離範囲である。すると、その中に東アジア経済交流推進機構の全加盟都市が包含される。さらに、上海、神戸、大阪、名古屋がこの圏内に入ってしまう。福岡―上海、福岡―東京間の移動距離はほぼ等しいので、実質東京を含み、「日本」をすっぽり覆う圏内ということになる。

 更にこの地域の人口は、2010年には3億5,000万人に達すると見込まれており、これはEUに匹敵するものである。また、この地域には中国および北朝鮮の国営重工業企業が密集しており、抜本的な構造改革が行われない場合、巨大な社用地帯となってしまうため、中国は西部大開発と並ぶ国家プロジェクトとして、遼寧、吉林、黒竜江の3省を対象とする「東北振興」が本格的に始動 させている。それに加えて、中国政府はこの地域を振興して次世代の中国経済牽引地域とし、ここに近い将来成長率の落ちるであろう現在の牽引地域の労働力をまわし、現在の高成長率を保とうとしているという。つまり、実質的な「アジア経済統合」に等しく、国レベルの提携への移行の足がかりになりうる可能性を秘めている。事実、機構の事務局は、国レベルの提携に先駆け、国レベルの提携へ率先していくという見方を肯定した。

 とはいえ現状は、事務局以外の日本の加盟都市は協力に熱心ではない上に、中国諸都市が積極的な動きを見せ始めている。中韓の諸都市の権限は日本の諸都市のそれに比べて大きく、機動性が高い。このままだと、日本が進展の足を引っ張る可能性は否定できない。

おわりに

 以上のような問題を孕みながらも、地方自治体による国際連携は経済関係を中心に益々深化の方向にある。しかし、ECとは異なり法の強制性をもってタイムスケジュールを遂行しているわけではなく、具体的アイデアの乏しい現在では実態が見えてこない状況にある。各団体の今後の動向をウォッチするとともに、自身でアクションプラン案を作成してみると同時に、国レベルへの移行の道筋を探っていこうと思っている。

<脚注>
 実際には、東京都の「都市外交」であるアジア大都市連携21という都市(首都)間ネットワークにおいて、北京でなく台北がメンバーとなっているのだが、政治的理由から台北をメンバーとした特殊事例である。大概は、北京の意向を汲む場合がほとんどとのことである。

<参考資料>
東アジア経済交流推進機構HP
http://www.pysih.net/jp/index.html
北東アジア地域自治体連合HP
http://www.pref.shimane.jp/section/kokusai/NEAR/index.html
アレン・J・スコット編著『グローバル・シティー・リージョンズ
グローバル都市地域への理論と政策』ダイヤモンド社、2004年

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風間法子の論考

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Noriko Kazama

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第26期

風間 法子

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