論考

Thesis

文化国家への考察

塾主の国家観について考えていくレポートの最初として、まずは塾主の文化国家とはいかなるものであり、どのように考えていたのかを考察していこうと思う。その結果導き出される、国家像や日本の基礎となる源を探り出そうとするレポート。

1、塾主が考える国家観

 塾主は、「PHPのことば」の中で次のように述べている。

「一定地域の一民族または数民族が相寄って、その民族の繁栄、平和、幸福を増進し、人類の文化を向上せしめるところに国家の目的があります。国家はその目的を実現するに必要な国家秩序を確立し、これにもとづいて、精神文化と物質文化との調和ある発展を図らなければなりません。国家秩序は世界秩序の一局面であり、世界秩序は宇宙の秩序にもとづかなければなりません。国家相互に融和協力しつつこの世界秩序を保持していくとき、人類の向上と発展とが生まれてまいります。」

 この文章に、塾主の国家観が書かれていると私は考えている。つまり、塾主の考える国家観は、「一定地域の一民族または数民族が相寄って、その民族の繁栄、平和、幸福を増進し、人類の文化を向上せしめるところ」というのが、まさに塾主の考える国のあるべきかたちであり、国の存在する目的であると論じていると言えるからだ。

 しかし単に「民族主義」という領域の議論ではない。宇宙の法則を解き明かしながら生活に生かしていくことによって生まれる「文化」を向上させるところこそ、最大にして、最高の国家像を描いていると塾主は考え表現しているのだ。

 イギリス人でT・エリオットという学者によると、

「文化とはその全部が自覚にのぼせ得るものではない。また我々が全部自覚するごとき文化が決して文化の全体なのでもない。有力な文化とは、自ら文化と自称して、それを玩弄しつつある人々の活動を却って逆に矯正するもののことなのである。文化は決して全面的に意識されるものでもなければ、計画されるものでもない。我々のすべての計画の無意識の背景をなすものが、文化だからだ。」

ということである。

 つまりこれらの議論でもわかるように文化が如何にとらえにくく、そして人間を関係させ、人間生活の中で存在しているかが分かるであろう。「文化」を高めていくとは、人間が地域振興や文化政策を行っていくことで解決できる問題ではないということを理解する必要がある。では「文化」とはどうやって高めていくことができるのであろうか。それは、考えるに人間関係や人間性を高めていくということが基になり、「天地自然の理」とよばれる宇宙に存在するまだ見ぬ「人類の進歩」を発見していく作業であるということである。人間や宇宙に存在する時点から、運命共同体のように、人類や生物をはじめ、ありとあらゆる存在にその運命を与えてきた力が、「天地自然の理」であり、それを少しずつ、体験的に理解し、進化することこそが、「文化」の向上なのであろう。そのためには、人間は一人ではなく、二人、三人、大多数が必要なのである。なぜなら、人間同士が個性を持ち、それを尊重するところに新しい関係や新しい発見があるからなのだ。

 その価値観を共にする共同体が国家であり、日々新たな「文化」を探し、向上させ、人類の繁栄、幸福、世界の平和に貢献することにこそ、国家の目的があるといえるのではないだろうか。塾主は、その「文化」をあえて国家観のキーワードにし、「文化国家」という「理想国家」を掲げているのである。

 ここで、一般的に国家がどのようにこれまで世界や日本で議論されてきたのか、次章で論じていこう。

2、国家とは何か。

 国家というものがどういった存在であり、どういったものであるのか。この議論はこれまで世界中でなされてきたが、そういったことを含め、松下幸之助塾主の考えをもとに国家は何か。という答えに迫れるようにしていくものにしていきたいと考えている。

 安岡正篤の議論によれば、

「これまで、国家というものは、実は一部の特権階級が無力な大衆を組織的に搾取する機関に過ぎない。被搾取階級をも含めた「国民」などという観念は一つの幻想か、権力階級の欺瞞的理論の産物ではないか。一般人民に依って組織されているものといえば、それは国家ではなくて社会なのである。ブルジョア支配を倒して無産大衆の手に国家権力を奪取し、ブルジョアの滅亡と共に、階級的存在を条件とする国家を滅却し、無産階級に依る社会を実現しようというマルキシズム、サンディカリズム、ボルシェヴィジム、こういう階級国家論までに至らずとも、少なくとも国家の本質を民衆生活の長い歴史の間にさまざまな便宜上から構成させた一種の強大な機関に過ぎないものであって、そんな絶対的性質のものではないのだと見るコールやラスキやマイカイヴァーあたりの多元的国家論等、それらは皆現実生活の苦患に懲りた者の邪見であり人間性というものに盲な唯物的偏見に過ぎません。第一にそれらの考えは斉しく国家と政府を混同しています。」

ということである。

 彼の議論によると、国家は単なる構成的なものではなく、根本的に考えても国家は、自然的なもので本然社会であると考えられている。自然的要素としては、血縁、共同生活、全体意識、共通な文化が挙げられている。こういった国家として強いものは、国家と社会とを区別し、人民の自然的組織を社会として、権力従属関係を本質として国家を定義し、国家を人民生活から乖離して考えさせ、ひいて敵視させるような議論が目立っていると言われてる。しかし、考えて欲しいのは、自然発生的な要素としての国家経営であり、国のあり方であると考える。それを考えると現在の反自然的な国家の定義で良いはずがない。国は如何にあるべきか。という議論を考える上で、自然的なあり方をさぐり、考察していくことへ大いに参考になる議論ではないかと考えている。

 これらの考えを踏まえていくと、国家とは、家族こそが中心となるべきであると考えられる。そして、日本では特に昔から家族的国家経営であり、国家像は家族像と同じ扱いを受けてきたと考察できた。そして地域主権や地域主導、地域分権という言葉が根付くように日本の議論では、常にミクロの単位の集団が経営の主導を握ると言うことが注目されてきた。その構造はすなわち家族的な国家を重んじる国としての大きな特徴になっていると考えられる。

 現在の日本では、家族的国家と言う印象は薄れてきているように感じる。先に議論した「文化」を考え合わせると、これは「発展」でもなくて「衰退」なのである。「文化」とは、何度も言うが、人間の無意識のすべてを含む大きな存在である。そして、そのうちで「伝統的な考えが消えていく」というのは、「無意識な領域の削除」であり、「文化」が消えていってしまっているのである。それにより「国家」の存在意義も薄れ、愛国心や国に対する思いも薄れていくと私は考えるに至ったのである。

3、日本の農業

 こういった危機的な状況に置かれて、日本の根幹を支えてきたものは何か、という議論を進めていくと、私は農業であると考えている。それは、日本が農業国家として発展してきた経緯と、100年前までは日本の9割の人口が農業に従事していたと言う事実があるのである。さらに言えば、近代化の影には、農業家族からの優秀な若者の上京があったのを忘れてはいけない。如何に農業従事者が、近代化や日本国内の中で大きな役割を占め、そして日本を発展させてきたのかをもう一度考え直す必要があると私は考えている。そして、その中で、日本の「文化」はあくまでも農業にあり、その中で築かれてきた歴史があるということをもう一度考え直さなければいけない。農業の中で築かれてきた「文化」、「教育」、「歴史」、「政治」など、現在は断絶に近いものになり、農業について知らない人間のほうが圧倒的に多くなっているのだ。

 もし国家のかたちが、歴史に沿ってつくられているであれば、国家を学ぶことは農業についても学ぶことになるのではないだろうか。それを忘れ、順序を知らない世代に「農業」の大切さを議論しても効果があるとは思えない。農業作物を育て、それが時間をかけ成長し、誰かが食べて「おいしい」と言い、育ててよかったという達成感を得るプロセスにこそ、一つの農業と人間をつなぐ「文化」があると考えられる。昔は、そういった「文化」は身の回りにたくさんあったのだ。農業の復活は生産力の復活なのではなく、日本人らしさ、つまり「文化」の復活なのだ。そしてそこにこそ、日本人が日本人らしくなれる環境が整っていくと私は考えている。

4、今後への課題

 日本が、地方分権を進めていく流れは止まらないことは心配だが、それ以上にリーダーの数や、優秀な人間が少なくなっているというのも心配なのである。そういった人物を確保し、育てたのはこれまでは農業だったと論じてきた。しかしこれからは農業がすさんでいく日本にリーダーが育つのかは分からない。そこで、もう一度「農業」という光の中に「文化」を復活させていかなければいけない時期に来ているように私は感じている。

 日本はやはり家族的国家をのぞみ、農業国家として文化を育てた国である。それを自覚し、もう一度体験的に発展させていくことを今後も続けていかなければ未来も育たないだろう。

 それを育ててこそ、塾主が描く理想国家へ一歩ずつ近づいていけるのだろうと考えている。

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菊池勲の論考

Thesis

Isao Kikuchi

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第27期

菊池 勲

きくち・いさお

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