論考

Thesis

教育現場にイデオロギー対立を持ち込むな

最近の教育界の流れについて思うところをまとめておきたい。
 ここのところ教育に関する話題の中で最もマスコミを賑わせているのが、「新しい歴史教科書を考える会」の活動である。
 東京大学教育学部教授の藤岡信勝氏を中心とした歴史教育、教科書を見直そうという運動である。その経過についての詳細は新聞雑誌等各誌で繰り返し報道されているのでここでは省略する。
 この運動を通して歴史観や国家の教育観についての健全な論争が行われるのはまことに結構なことと思う。旧態依然たるやり方を捨て、新しいパラダイムへと脱皮するためには、健全な論争は大いに必要なことである。
 そして、東京裁判史観にも大東亜共栄史観にも属さない、中立的な自由主義史観に基づく教科書をつくろう、というこの運動の趣旨そのものには私自身も大いに賛同するところである。
 しかし、こういう運動にありがちな性質として忘れてはならないのが、提唱者の意図とは別に運動自体が独り歩きしてしまう危険性がある、ということだ。
 ここのところ気にかかって仕方がないのが、最初は中立的ということを謳っていたこの運動がどうやら、イデオロギー対立へと変化してきているきらいがある、ということだ。

 私が小学校に通っていたころの小学校現場は荒廃の極であった。
 痴漢まがいの先生がいた。所謂「できない生徒」に血が出るまで殴る蹴るの暴力を加える先生がいた。(体罰が教育的愛情に基づくものか、教師のストレス解消のためのものか、子どもはとても敏感に感知するものだ。)
 小学校を卒業してから10年経って地元のある校長先生に話を伺って唖然とした。その教育現場の荒廃の最も大きな原因は、対立する教員組合に属する教師同士の闘争だった、というのだ。
 市内でとある左翼系組合が勢力を伸ばしていたのに対し、教育委員会が「左には右をあてがえ」と右翼系の教師を大量に採用し、送りこんだのだという。
 各学校の職員室では、イデオロギー先にありきの闘争が繰り広げられ、教員同士が激しく足を引っぱりあった。各学校の経営において子どもたちの教育のため、という観点は無視されたも同然であった。
 教師達のそんな雰囲気は、子ども達にもすぐに伝わる。教室内の雰囲気は攻撃的になり、陰湿ないじめや差別が繰り返された。教師はサボタージュを繰り返し、生徒達は生きる力を身に着けるどころか最低限の基礎学力を身に着けることさえ困難な状態であった。
 私が今も小学校教育の改革について研究している最も大きな動機は、こんな過ちをもう二度と繰り返してはならない、と切に思うからだ。

 現在の歴史教科書をめぐる問題において強調しておかなければならないのは、従軍慰安婦の強制連行があったか否かという問題と、それを教科書で子どもたちに教えるべきか否かという問題は全く別次元にあるということである。
 従軍慰安婦に関する問題をそのまま教育現場に持ち込んでしまうと、再び教育現場を不毛なイデオロギー闘争の場にしてしまう危険性が大だ。事実、ここのところマスコミで取り上げられている論争を見ていても、子ども達への教育という観点は二の次の、ある意味ではマニアックな論争の色あいが濃くなってしまっているように思われる。

 教育現場に「先にイデオロギーありき」の不毛な闘争をもう二度と持ち込んではならない。健全なイデオロギー論争を繰り広げるのと、内容は二の次のイデオロギー闘争によって現場を疲弊させるのとでは、全く違う結果になる。
 賢明な先生方ならば重々承知でおられることと思う。もろに被害を受けるのは、現場の先生方であり、そして、発達過程の真っただ中にいる子どもたちなのだ。

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白井智子の論考

Thesis

Tomoko Shirai

白井智子

第16期

白井 智子

しらい・ともこ

NPO法人新公益連盟代表理事

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教育・ソーシャルセクター

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