論考

Thesis

96年度上半期中間報告

この半年間、さまざまな公立小学校でお世話になり、小学校教育を主に現場の視点から見てきた。また、小学校現場、自治体、官庁、政治、各種団体など、様々な立場から教育に関わる人々と意見交換を重ねてきた。オーストラリアでは自分の原点となった教育の姿を再確認することもできた。
 当然、このテーマでやろうと決めたときから比べると随分と考え方が変わった部分もある。
 一番最初に月例報告を書いたころに悩んでいた「何のために教育するのか」という命題に対する自分なりの答えもおぼろげながら見えてきたように思う。
 研究を始めて半年経た現在の教育に対する考え方、そしてとるべき方策についての暫定的な考えを、未完成ながら中間報告として綴ってみたい。

1、小学校教育のあるべき姿

 この半年間、小学校教育の改革を目指すにしても、どういう教育を理想として改革すべきか、自分なりの座標軸をつくることに心を砕いてきた。これは自ずから「何のために教育するのか」という問いかけに対する答えにもつながる。
 現在のところの考え方としては、学校教育は「子ども達が自分を生かして幸せな人生を形づくっていくためのお手伝い」であるべきではないか、ということである。「子どもの幸せ」「個人の幸せ」を第一義と考えている。
 勿論、現状では日本人の幸せは社会の安定と発展の上に成り立っているわけで、そこから社会のため、集団のために貢献する、とかいった価値が派生してくるのは当然のことだ。
 しかし、社会のためとか集団の中で生きていけるようにとかいった価値が第一義的になってしまったために結局はその子自身が抑圧されて幸せでなくなってしまうのでは何もならないし、周囲にも結局良い影響を及ぼせないのではないか、と私は思う。

 この社会や集団を第一義とする考え方を教師が持った場合、子どもの人生のために学校においてあらゆることを無理にでも注入しよう、詰め込もう、という教育実践につながる。
 子どもと同じ視点に立って彼らの持っているいい部分を引き出そう、という考え方に基づく教育とは、自ずから育つ子どもの質が変わってくる。
 後者の方が、のびのびと発想の豊かな子どもたちが育つことは言うまでもない。
 もちろん、他人を傷つけない、といった最低限のルールやモラルを教えるべきことは前提の上だが、それらも体験によって自然に身に着けさせるべきものであり、無理矢理に詰め込んで身に着くものではない、と実感する。
 ここで述べていることを当たり前のことと思われる方も多かろう、と思う。実際、多くいてほしい、と願っている。
 しかし、学校の論理、あるいは親のエゴのために「幸せのためのお手伝い」どころか「幸せを潰す」ことが主になっている教育もまだ厳然と存在する。
 残念なことに、私はまだ親ではないし、学校の教師でもない。彼等のことを批判するには如何せん、説得力が足りない。
 私自身の立場では、あくまでも子どもと同じ視点に立って、彼らの幸せのためにできることを精一杯していくしかない、と考えている。

2、哲学を制度に生かすために

 この考え方を制度にどう生かすか。その実践に努めておられる現場の先生方の姿を拝見しながら考えてきた。
 そしてその一環として、この学校間格差、学級間格差がかくも大きい中、住む地域(学区)と偶然(クラス分け)によって子どもたちの運命が決まるのはおかしいと考え、「教育を受ける側に選択の自由を与える」ということを解決のための仮説としてきた。
 このところ規制緩和の流れの中で経団連や行革審議会、自民党の政策審議会等で次々と「学校選択の自由」が提言として打ち出され、「時代があなたに追い付いてきたねえ」と評価してくださる方もある。

 しかし、私としては実のところ、現場を見れば見るほど、この押し寄せる「自由化」の波に「ちょっと待て」と言わざるを得なくなってきているのだ。
 もちろん、長期的には選択の自由は是非とも導入するべきだと思う。しかし現在の日本の教育現場にこれを入れることには懐疑的にならざるを得ない。
 結論から言えば、親の側の意識、そして学校選択の基準を考えた場合、これまで以上に子どもたちを学歴社会の競争へと巻きこむ可能性が高い、という理由からである。

 例えとして東京都内のある区の例を挙げてみよう。
 この区はドーナツ化現象によって深刻な子ども不足で、適正規模だけを考えれば現在小中学校合わせて23校中あるうち、8校しか残らない。区としては財政上、学校の統廃合を進めたいのだが、住民の反対が強いため、ままならない。そこで、入学者がゼロになれば堂々と統廃合できる、ということで越境入学が事実上黙認されている。つまり、この区には事実上の「学区の自由」が取り入れられている、というわけだ。
 その実態は、と言えば、人気が高いのは有名中学への進学率が高い小学校。そういう学校だけがどんどんマンモス校化していく。人気のある進学校は区の音楽会や体育祭といった行事には参加しない。「時間のムダ」という声が父母や生徒の中から挙がるという。他ののんびりした、「個性尊重」とか言っている学校はどんどん人数が減っていき、統廃合の危機にさらされていく。

 オーストラリアのシドニーでは、やはり学区の自由が1979年から導入されている。ここでは、父母が学校を選ぶ際、例えば「ちょっと足を伸ばせば人気の高い学校はあるが、大規模校だし、近くにこぢんまりした学校があるから地域社会の中でのんびり育てた方が子どものためだ」という合理的な判断が働く場合も少なくない。
 つまり、父母の教育に対する価値観や意識の成熟度にかなりの差があるのだ。
 九月の月例報告で、「よい教師の条件」について述べたが、そういった確固たる基準を持って教師を見抜ける親は非常に少ない、と感じる。
 現在の日本の小学校で親の側に選択権を付与しても、人気校へと入学希望者が集中し、結局は子どもたちを今以上の競争社会の中に押し込むことになりかねない。私は子どもたちをこれ以上無益でストレスフルな競争に巻き込みたくない。
 そこで、選択の自由を導入する前に整備すべき条件を考え、これを世の中に問うていきたい、と考えている。
 仮説として現在挙げられるのは、次の三点である。

  1.  学校教育への地域の巻き込みによって父母の意識を高めること。
  2.  個々の学校のレベルアップ。「真の学び舎」づくり。
  3.  教員の養成、採用、研修をもっと真剣にやること。(月例報告9月参照)

 つまり、家庭、地域、学校の連携を強化し、所謂「教育力」を底上げしてからでないと、選択の自由も機能しないと考える。
 「学校選択の自由」を国ぐるみで徹底して行っているオランダでも、ちょうど現在制度が動いている最中だと聞いている。1月に訪蘭する際、きちんと問題点を拾い、自由化する前にクリアすべき条件をまとめた上でそれを世の中に問うていきたい、と考えている。

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白井智子の論考

Thesis

Tomoko Shirai

白井智子

第16期

白井 智子

しらい・ともこ

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