論考

Thesis

これからの日本と中国における「新しい人間観」 ~空海入唐1200周年を迎えて~

日本と中国において古くから共通した価値観の一つとして、仏教という宗教が挙げられるであろう。1200年前には、弘法大師空海が密教を求めて中国の長安(西安)に渡り、恵果阿闍梨と運命的な出会いを果たした。こうした時代を踏まえ、「新しい人間観」に基づいたこれからの日中両国の関係を考察したい。

1.はじめに ~西安を旅して感じた日本と中国の仏教

 後に弘法大師と諡号されて、日本において真言密教を確立していった空海が、その密教に対する理解と実践を求めて遣唐使留学僧として、中国に渡ったのは延暦23年(西暦804年)、そして長安近郊へたどり着いたのが、その年12月21日、そして23日に長安城に入ったとされる。

 それから1200年を経た平成16年においては、高野山が世界遺産に登録されるとともに、西安をはじめとして、空海が上陸した福州、通過点である上海においても記念法要や日中友好にむけた国際学会が開かれた。

 私も縁があって、ちょうどこの12月21日から西安近郊を訪れ、その記念式典とともに、空海ゆかりの地を旅する機会に恵まれた。西安の仏教寺院としては最も古く、三世紀に創設された大興善寺、652年に、玄奘三蔵がインドから持ち帰った仏像や経典を保存するために建てられた大雁塔、そして583年に建てられ、空海の師である恵果阿闍梨の道場であった青龍寺、など。実に中国から日本へ東漸していった仏教の当時の空気を感じることが出来た。日本の寺院を訪れる際に感じる空気とくらべて、やはり西安のそれらは、より仏教の本源における文化形態や様式を深く残しており、インドから中国、中国から韓国、そして日本と派生していた仏教の発展段階を観ることができたように思える。

 仏塔においては、西安の煉瓦造りである大雁塔は、日本における木造の風靡な東山の五重塔と比べると、壮大かつ堂々たるものであるとともに、インドの仏塔に近く、その風土や民族性、あるいは歴史的変遷による違いを感じ取れる。一方、仏塔、講堂、僧坊、回廊、山門といったものによって構成される寺院は、インドにはなく、中国において出来上がったものであるが、木造の仏塔とその全体としての印象は、日本のものと極めて似ており、かつての日本は、寺院建立に際して実に中国の建築様式、技術を忠実に取り入れていったということが想像できた。

 また、そうした文化様式に限らずとも、漢訳される前のサンスクリット語の経典や、天、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、といった輪廻転生を表した絵など、インドから持ち帰った起源的情報が豊富なことを実感できた。そのほかにも、中国においては、今における人々の仏像に対する礼拝の作法にも、訪れる観光客ですら合掌とともに跪き、深く頭を擡げるものであったのは印象的であった。それは、どこかイスラムの礼拝作法を思わせるものであった。長安には、シルクロードを通じてイスラム教も伝わり、大清真寺という中国木造建築によるイスラム教のモスクもあった。そういった食文化も残存し、融合されており、なかには、いわゆる空海が故郷に持ち帰ったとされる「讃岐うどん」に似たものもあった。

 インドのシャカ族の王子、ゴーダマ=シッダルタが開いた仏教は、そのインドにおけるカースト制度といった社会背景や古代インドに伝わる輪廻の思想から発し、中央アジア、そして、中国、韓国、日本へと伝わっていった。そもそも仏教とは、宇宙には普遍的真理が存在し、その法(ダルマ)を個々の知性によって修行(四諦、八正道)とともに明らかにしていく、そうすることによって、仏陀(目覚めた人)となり、輪廻から解脱できるというものといえるが、釈迦の入滅後、実に多くの様々な経典が生まれた。戒律の厳しさ、出家と在家の立場的違いから、上座部仏教と大乗仏教に別れていくが、上座部は東南アジアへと、そして中国に広まった大乗仏教は、大乗経典に対する思想、解釈とともに様々な宗派に分かれていった。

 例えば、浙江省にある神仙の棲む山として名高い天台山を本山とする天台宗、南京市東方の深山幽谷摂山を中心とする三論宗などが隋の時代に盛んとなり、中期には隋の都揚州に本山を置く律宗、そして長安の慈恩寺に始まった法相宗、山西省の五台山を中心として華厳宗が、また8世紀前半に真言宗がもたらされ、長安にて誕生した。さらに、阿弥陀仏を本尊とする浄土教、菩提達磨を祖師とする禅宗は、中国によって独自的に形成されていく。

 日本においては排仏派の物部氏と崇仏派の蘇我氏らとの間で、革新の仏教導入派が勝ち、仏教が取り入れられることになるが、法華経を中心とした仏教、道教、儒教といった先進的な中国の思想、律令制国家を取り入れようとした聖徳太子に始まり、最澄の天台宗、空海の真言宗へと広がっていく。

 こうして仏教は、アジアに広がっていったわけであるが、そうしたなかで、中国や日本の政治にどのように取り入れられ、そして、人々の間にどういった思想、伝統精神を生み出していったのかを考えてみることによって、その両国の社会的、文化的な相違の一面が理解されるように思える。

 また、人間観という大きな視点において、人間の共同生活は、「力の秩序を保つ政治、精神の面の秩序を保つ宗教、物質の面で支えていく経済活動」、あるいは「人間の情操を豊かにするための、教育、学問、道徳、芸術、思想」といった様々な活動、営みによって支えられているといえる。そして、それらの活動が人間の繁栄を第一におくべきという「新しい人間観」において、日本と中国がそれぞれの考え方に対するこだわりや「もろもろの感情」、国家間における利害の衝突に捉われることなく、アジアや人類の繁栄に向けて両国が貢献していくためには、政治がどうあるべきなのか。

 ここでは、密教という仏教の最終形を中国から受け継ぎ、日本において発展させていった空海を中心として、こうしたことに関して考えていきたい。

2.「三教指帰」に観る空海の信念と日本精神

 歴史上の偉人は、その古さから後世において、民話化、神格化されてしまう。空海においても文献の性質によっては、そうした描かれ方が多々あり、私も幼少のころは、逆にそれらの情報に錯乱されてしまった。しかし、豪族の三男に産まれ、遅くに大学に入学して俗世を過ごすなか、律令体制に組み込まれ官吏の出世の道を進むのではなく、山岳修行や宗教に対する勉強を通じて、仏道を志していく一人の僧として、空海という人物をみていくと、実に人間らしい空海像を感じ取れるとともに、逆にその信念と運の強さには驚かされる。

 その信念のはじまりが見て取れるのが、『三教指帰』である。これは、儒教、道教、仏教という三つの教えをもとに政治が行われるなかで、空海自身が当時の日本に対する疑問を感じるとともに、痛切に自身の進むべき道を悩んだ様子が伺える。実にモラトリアムの様子が切々と描かれ、空海が俗世に対して強い疑問を投げかけている。華美な生活をし、出世争いのなか、水が流れていくが如く時間を浪費する支配層に対する空しさと、貧困や様々な障害によって苦しむ庶民への情けにおいて、未熟な自身になにが出来るか。自分には官吏として大成する能力がない、兄が世を去り家は貧しくなった。進むにも才能のなさ、退くにも貧しさといったジレンマの狭間において、世間は師や親に対する忠孝を求めてくる。三綱五常を学んで高官の列に入るべきか、陰陽哲学の師につき道観の地位を得るか、あるいは出家して仏道に道を信念とともに歩むのか。

 空海は、仏教における六道輪廻をはじめとし、五戒、十善、六波羅蜜、八正道、四孔誓願といった仏教の基本的な教説を述べた上で、世俗における小さな忠孝の道を進むよりも、衆生を救い、国家のために己の善行の功徳を差し向けていくという大きな志をこの『三教指帰』に記したわけである。

 輪廻という思想にたって(ここでは未だその輪廻に対する密教的な解釈は完成されていないが)、日本という国に生まれてきた仮名乞児(空海)は、仏の道に進むまでの自分とこれからの決心を次のように表している。

「然頃日間、刹那幻住於南閻浮提陽谷、輪王所化之下、櫲樟蔽日之浦、未就所思、忽経三八春秋也」

「一瞬の幻である私は、南閻浮提(この世)において、輪王(理想的で正義をもって世界を治める帝王)といえる天皇の住む陽谷、すなわち日の出ずる日本のなかの、美しい海草が打ち寄せられる四国の大きな楠が日陰をつくる海辺の村で産まれたが、まだ思うところ(仏道への志)に行けず、24歳にまでもなってしまった。」

 ここに日本の伝統精神の一つの源泉を私は感じるのであるが、日本という実に自然、気候に恵まれた国土のなかで、天皇が治める日本という国をより良く高めていくためには、自分に与えられた道がなんであるのかを深く求めていく日本人の姿を見ることが出来る。それが、この時代では、その先端をいく「中国」の「仏教」であると判断されたわけである。

3.儒教や道教といった中国の思想と仏教

 ここで空海も苦悶した儒教、道教、仏教といった三教合一は、隋や唐の時代に中国で出来上がり、それが遣唐使などを通じて、同時代の日本の正統思想となっていたわけであるが、日本人が学ぶような『論語』をはじめとした修身というような儒教文化が、中国の思想であると考えても、なかなか理解しがたい。ここには、日本と中国における思想形成における相違を見ることが出来る。

 中国は単一民族ではなく、多くの民族によって形成されている。古代中国の戦乱の時代から儒教が生まれ、漢民族の同化と膨張とともに儒教が漢民族、中国人の正統思想へとなっていったわけである。この儒教は、祖先崇拝の孝と、支配層に対する忠を重んじるが、その先にあるのが即ち天帝(伝説、神話をさらに遡った天という究極の存在)となり、統一国家を形成することになる。そうしたなかに孔子は、仁や忠恕の重要性とそれによった徳治主義的な政治が安定した国家運営を実現するとした。

 これらは、どれも政治の力、政治行政の万能主義であり、指導者としての帝王の元、官僚体制を強めていくものであるといえるが、これに対し道教は、その相対に、被支配者である庶民におけるものとして存在している。

 中国の歴史を観ると、その昔から官僚体制を強く持ち、指導者が変わるとともに、国家の方向も大きく変わっていく。共産主義を受け入れやすい社会であるともいえるし、この構造は経済発展を遂げつつある今もその影を強く残している。

 こうした思想と社会のなかにおいて仏教は、国家仏教として政治によって制御される立場になり、政治によって廃仏毀釈が行われたり、復興されたりする。そこには、仏教のよき思想が、儒教や道教のなかに取り入れられ、社会思想を新たに形成していくというのではなく、儒教の枠組みのなかに、仏教という思想体系も取り入れていったというようにいえるだろう。

4.空海が弘めた密教と日本仏教の現状

 さて、空海は、中国において恵果阿闍梨から真言密教を受法するが、その僅か2年の中国において、漢語に長けた真言密教の空海阿闍梨となる。このときの空海は、財を積まず、弟子に対して親切に密教の法を授ける慈悲深く、誠実な恵果阿闍梨に会えたことをその恵果和尚への葬儀に際して、次のような碑文を残した。

「波濤万万にして、雲山幾千ぞ。来ること我が力に非ず、帰ること我が志に非ず。」
(但し、原文は漢文)

 この通りに、20年の期限であった留学僧にも関わらず、偶然の日本からの船によって帰国することが出来る。

 密教そのものは、『大日経』とともに、インド仏教の最終形として表れ、ヒンズー教やバラモン教といったものにおける呪術的なものも含まれているが、欲望を肯定した上で様々な祈祷とともに即身成仏を得、曼荼羅においてその宇宙に対する対峙と、それらによる神秘主義を持つものである。

 インドでは、密教を最後に仏教が衰滅してしまうが、不空三蔵から恵果阿闍梨へと伝わり、中国で流行し、そして中国では仏教が衰退した今でも、日本においては真言宗として広がっている。

 私はまだその真言密教なるものを深く知りえているわけではもちろんないが、この密教というものに、空海はその人生をかけて、かつての志のもとに、日本においてさらに大きく発展、進歩させていったといえるであろう。俗世での手芸種智院や満濃池、呪術といった俗世間へ活動とともに、高野山では、人間の知性、仏性を高めることを追究していく。そして、これの密教は、人間の欲望を肯定し、それをどう国家や人類の繁栄の道へと導いていくかという意味において、有る意味先進的な思想へと向かっていることを感じる。

5.これからの日中両国の繁栄に向けて

 中国と日本の仏教を通じて、日本と中国の思想の違い、文化の違いの一面を見てみたわけであるが、いわゆる中華思想といわれるもの、あるいは戦前の日本が強くもった天皇崇拝というもの、こうしたものにおいて、インドから伝わってきた仏教はともにそれぞれの国において、独特の形で取り入れられていった。

 この個々人の悟りを促し、全ての衆生を救っていくという仏教の真理においては、それぞれの国家の正統思想というものとにおいて大きな衝撃を加え、政治のありかたに影響を与えてきた。現在の日本においても、教育という上で、その仏教の進歩の歴史と日本という国家の伝統精神というものを伝えていかなければならないのはもちろんのことであるが、政治は、その先にある、アジアや人類のあり方というものを、観ていかなければならない。それは、人間というものにたった国家のありかたを考え、教育していくことであろう。宗教はまた、檀家制度に甘んじるだけでなく、その教育において本来の役割を遂げなければならない。

 日本と中国の間においては、戦後において、靖国問題や教科書問題といった友好における課題を残しており、依然として中国人の若者における反日感情というものも強い。

 密教では、人間の悩みや争いは、「無知」や「妄想」によって起こるとする。塾主の「新しい人間観」においても「衆知を集め」られていないことによるとする。経済学でいえば、「情報の非対称性」となろうか。日本と中国でのこうした不調和も、これまでの両国の議論をありのままにみれば、つまりは、両国間の情報の非対称がもたらすものであるということに気づくのではなかろうか。互いの文化や歴史、立場や考えを「人類の繁栄」を第一に見直してみることが重要であろう。

 経済でのグローバル化とともに東アジア共同体の構想も叫ばれているが、その実現のためには、日本と中国が、隣り合う両国の長い歴史を、単に戦争という国家間の利権争いに陥った短い関係のみに観るのではなく、ともに文化を繁栄させていくべき協調相手の国家、思想、文化として信頼関係を築いていくときに、経済、金融、環境、エネルギーなど、両国の補完的な進歩、生成発展がなされることと実感する。

【参考文献】

『松下幸之助発言集』 (PHP)
『人間を考える』 松下幸之助 著 (PHP文庫)
『東アジア共同体 -経済統合のゆくえと日本』 谷口誠 著 (岩波新書) 2004年
『三教指帰』 空海 著 福永光司 訳 (中公クラシックス)2003年
『空海と密教』 頼富本宏 著 (PHP新書) 2002年
『密教経典・他』 中村元 著 東京書籍 2004年
『世界がわかる宗教社会学入門』 橋爪大三郎 著 筑摩書房 2001年
『日本人のための宗教原論』 小室直樹 著 徳間書店 2000年

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前川桂恵三の論考

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