論考

Thesis

「学問の独立」についての私的考察

昨今、教育界において自由化という言葉を目にする事が非常に多い。地方分権化論が強くなるとともに、教育界においても自由化の傾向が強くなりつつある。そもそも教育委員会は、教育行政の一般行政からの独立性を保つ事がその主旨であった。ここで、学問と自由、独立の関係について、史実から私的考察を深めたい。

1.はじめに

 政府・与党による三位一体改革の全体像が決まった。争点となっていた義務教育費国庫負担金について、地方六団体が求めた通り8,500億円の削減が明記された。地方案が裁量権を地方に委ねることを求めたのに対し、中山文科相や森前首相をはじ自民党文教族などは、質の低下などを理由に強い反対を示した。森氏は「教育は国の基本政策として、防衛・外交と同様に地方に任せるべきものではない」と発言している。また中教審専門委員の天笠茂氏は国会での参考人として「国家戦略」「国家社会の形成者育成」「人材の確保」などを挙げて削減反対の意見を述べている。

 つまり、国家の規格による全国一律の教育を目指すべきか、地方それぞれが特色のある教育を実現していくべきかを争点として議論が分かれた。

 本論においては、教育・学問の目的について、国家の思惑を実現する為の物なのか、それとも各地域や各個人のニーズ特色を活かして行われるべきなのか。そして教育の主体は国家か地方かという点について、歴史的論議や経緯を踏まえつつ私の意見を述べると共に、自身の考察を深める機会としたい。

2.国策よりも個人の幸福追求

 私は教育とは究極は個人の幸福追求の為であると考える。自身の人生は他の誰の物でもなく国家の物でもない。また幸福の尺度はあくまでも個人の価値観に由るものである。更に言えば個々人が幸せを感じた時に、結果的に国全体も幸福に包まれるのであって、その逆ではない。個々人の生活を考えた時に、国家形成がまずありきでその結果個人の幸福が従属的に実現されればよいと考える人は少ない。これは鶏と卵の議論ではなく、個人の幸福が優先であるという事は確度の高い事実と言えるのではないだろうか。

 経済面を見ても、国営企業が国の展望に従って経済界の基盤を形成しているのではない。個々の私企業が、独自の方針と独自の経営、独自の製品によって、新しい価値を生み出し、国内外において凌ぎを削っている。その結果税収も上がり、日本というブランドも上がるのである。政治や行政の体制においても、「官から民へ」という方針の下、規制改革や特殊法人の廃止・民営化などが進められている。

 この様に、国の方針や戦略を全うする為に個人が存在するのではなく、個々人が立つことで国家をつくっているのだ。社会主義ではなく、自由主義経済、民主主義国家である日本においては当然のことであろう。

 しかしながら古典をみると、この「個人」か「国家」か、という議論には、なかなか明確には優先順位を付けられないのが現実の様だ。例えば「エミール」で有名なルソーでさえも、その両論を併せ持っていた。

 「エミール」では、社会秩序のもとでは、地位や職業の為に教育がなされている状況を批判し、『生きる事』こそが天職であると述べている。つまり個人の形成こそが教育の目的であると述べた。

 反面、実はそれより先年に、国家による国民形成の為の教育の必要性をも述べている事に注目したい。彼は著書「政治経済論」(1755年)の中で、「子供の教育を父親の知識や偏見に委ねてはならないし、子供の教育は父親にとってよりも国家にとってはるかに重要である」とも述べている。

 また「ポーランド統治論」では「教育の任務は人々の心に国民的様式を与え、彼らが気質、情念、必要という点において、愛国者となるように彼らの考え方や趣味を誘導することである。」と述べ、「子供は祖国のためにのみ生きる」とまで言い切っている。国家社会の一員として、自分自身のことはなに一つ要求せずに、国家の為にのみ生きる存在であるべきだと言っているのである。エミールとこれら二つの論文とでは全く正反対の立場を論じている。

 ここから確認できる事は、教育について2つの相対する考え方が存在するという、この重要な難問は、近代社会の教育に求められ続けている永続的な課題である、という事だ。ルソーはそのことをありのままに純粋に描いたのである。

 もうひとつ、個人の自主性、自発性という視点で考察したい。日本国憲法では、「等しく教育を受ける権利」と「保護する子女に教育を受けさせる義務」が規定されていて、それを受けた教育基本法においては「自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して」と教育の目的を明確に示している。教育基本法に従うならば、わが国における教育が目指すところは「自主的精神」なのである。つまり、わが国の教育がどうあるべきかを考察する時には、この「自主」というキーワードを念頭におかなければならない。

 では、この自主的精神の涵養にはどのような教育姿勢であるべきであろうか。あるいはその教育主体は誰であるべきであろうか。

 この事について、J.S.ミルは自由が大切である、と述べている。個人に規制を加えると個性が育たなくなり、個人の才能も育まれなくなり、その社会が発展しなくなってしまうからだ言う。だから教育を国がするのはよくない、国は教育の機会さえ平等に与えていればよいとして、その中身に国は口出しすべきではない、と述べる。その様なことをすれば、同じ教育を受け同じ様な人間しか育たなくなってしまう。そうすると、個人は不幸になるし、国は発展しなくなる、と述べている。そして「個性の自由な発展が、幸福の主要な要素の一つである」と述べている。

 この様に、個人の幸福と国の発展を望む為には、国が教育をしてはならない、とミルは断言している。

 国内においても福沢諭吉が「学問のすすめ」で同様の事を言っている。自己一身の独立が人間の権利だ、と述べた上で、「一身独立して一国独立する事」と述べる。国中の人民に独立しようとす気力が無いときには、一国独立の権利を全うできない。続けて「一国の文明は庶民から生まれる」と題した第五編で、人民独立の気力が無いのは、政府がささいなことまで関わり、指示をした事が原因としている。「まるで人民は国の居候である」と述べている。そして冒頭の第一編で、人民が独立の気力を養い一身の自由を達する為に、学問をして才能と人格をみがくことが何よりも大切である、と主張する。

 つまり、個々人が学問を通じて独立と自由を達することこそが、国の独立につながると述べているのだ。

3.国策による教育

 ところで日本における教育は、いったいいつから国家主導になったのであろうか。

 明治以前の日本では、寺子屋からはじまり藩校や私塾が隆盛した。そこから多くの逸材が輩出されたし、識字率など識度、民度は他国から比べても決して劣るものではなかった。明治期に入り新政府の意向では当初、大学に最高学府と同時に中央教育行政機関としての機能を持たせていたが、二、三年の間にたびたび組織変えが行われ、結局1871年に中央教育行政機関として文部省が設置された。文部卿(文部大臣の前身)は単に物的条件整備を行うだけでなく、国策にそって日本の教育の進路を定めるという任務を負う事となった。

 明治政府は近代国家の建設には人材の育成が急務であるとして、明治5年(1872年)に学制を公布し、全国的に学校を設置して義務教育の制度を確立し教育の普及に努めた。教育を受ける機会が広く平等に与えられるとともに、その内容も、それまでの様々な教育主体の特色を失い、全国一律同じものとなっていった。ここが国家主導教育の始まりだと認識する。

 続く1886年「帝国大学令」発布により、東京大学は帝国大学とその名称が改められた。その目的は「帝国大学令」第一条の「国家の須要に応ずる学術技芸を教授し、及び其の蘊奥を攻究する」にある。つまり、国家主義教育体制が明確に強調された。師範学校令・小学校令・中学校令などが相次いで制定されるが、いずれも勅令として発せられた。これは、教育は国家目的に従属すべきものであって、国民の教育要求や利害に左右されるべきではないという考えを表している。端的なエピソードとして、初代文部大臣の森有礼(1847~1889 )は死の二週間ほど前の演説で「生徒其の人の為にするに非ずして国家の為にすることを始終記憶せざる可らず」と述べている。

 そして1890年には教育勅語が発布されるなど、より国家統制が整っていく。教育勅語の内容の良し悪しは別に十分な議論が必要であるが、内村鑑三不敬事件などに見られる通り、国家による教育統制の助であったと私は捉えている。

 つまり明治期の教育において、国家統制がかなり色濃く教育を支配している。このことは開国により文明開化、富国強兵が望まれた当時の国家情勢を考えれば、ある意味当然のことと言えよう。国を挙げて国力を向上しなければ、それこそ諸外国からの侵略を受け、国家の存立自体が危ぶまれた。当時はそういう時代であった。

4.私学建学理念

 しかし、明治政府による新しい社会が進むにつれ、学校教育を政府に依存するだけでは自治独立の気風が育たないと考える人たちが、自ら学校を開設するに至る。福沢諭吉はそれより以前、1868年に慶應義塾を創設した(前身は’58年)。「義塾」というこの言葉に福沢は、あらゆる権力から独立した公共の学塾、という意味を込めた。その教育方針の基本は「独立自尊」である。独立は「国家権力や社会風潮に迎合しない態度」、自尊は「自己の尊厳を守り、何事も自分の判断・責任のもとに行うこと」を意味する。つまり今後の日本人にとって、「独立」と「自尊」が重要であるという問題意識からの建学と言える。

 続く代表的なものの一つが大隈重信らの東京専門学校(後の早稲田大学)である。一国の独立は国民の独立に基づき、国民の独立はその精神の独立に根ざすとし、さらに「国民精神の独立は実に学問の独立に由る」(開校式における小野梓の演説)と、何よりも学問の独立を主張するところにその建学精神がある。

5.考察

 さて、教育の目的について歴史的経緯を確認してきたが、私は教育が国の根幹をつくるものであるという認識はもっている。国家にとって人材育成は重要である事を認める。しかしながらその事は、国が直接教育を担うべきだという事とはつながらない。私は個の尊立があってこそ国家形成が成り立つと考える。福沢や大隈の姿勢に近い。

 仮に国家がこの考え方に賛成し、「個の尊立が重要である」と考えたとき、では国家主導の教育か、というとそうではない。国が口を出せば、個は国に依存する。そしてその内容を規定すれば、国が期待した以上の人材、以外の人材は生み出されにくくなるのである。

 教育行政において、地方が自ら考え、個が自ら考えることで、地方が成長し個が育まれる。そしてその様に考えに考えた教育でこそ、リーダーシップが育まれると考える。

 私は、今のこの世の中、リーダーシップというものが大切であると考えている。エリートやリーダーは集団組織の中でごく限られた存在である。しかし、リーダーシップというものは全ての人間、全ての子供たちに必要な要素であると考える。

 価値観も産業形態も多様化した現代では、様々な場面で様々な資質が望まれる。つまり場面場面によって、求められるリーダー像も様々である。

 そしてさらに、自分を律するという事、つまり自分自身に対するリーダーシップを発揮するという事。この観点からもリーダーシップは全ての子供たちに育まなければならない必須の要素であると考える。私の考えるリーダーシップとは(1)自律 (2)創造力 (3)決断 (4)統率・牽引力 (5)痛みを厭わない他への貢献・協力 である。これらの要素は他人から与えられて成長するものではない。リーダーシップを育む為にも自発的な学びが重要である。自発的な学びは、国による一律的な教育では実現できない。

6.終章

 教育主体については、私は最終的には親がその責任を負うべきであると考える。親が我が子をどのような人間に育てたいかである。国がどのような人材を育てたいかではない。国は親からの信託を受けて代行しているに過ぎない。

 しかし現実には、親は教育は学校がやってくれるものという認識で、自主的な意識は非常に薄い。今回の税源移譲、つまり権限の移譲が実現すれば、こういう親の自覚を促す良い起爆剤となる事が期待できる。

 これまでの、国がこうしなさいという教育から、各市町村がこういう教育をしたいと考える教育に移す事、その姿勢を親が身近に見る事で、その教育課程決プロセスに親が参加する姿勢を持つ事を期待したい。少なくとも教育行政に関心を持ち意見や質問を投げかける姿がごく自然となる事を期待したい。

 学力ナンバーワンの国フィンランドでは、教育指導要領にあたるスオメンラキという国家による教育指導書を約三分の一に減らした。ベースとなる部分や大きな枠組みだけ国が決めて、あとは地方と学校がそれぞれの責任で考えなさい、とした。その結果各学校や教師が、真剣になって教育方針や内容を考えた。そしてその事が親の教育への監視と関心を強め、学校への参加を大いに促したと聞く。

 今回、予算が地方に渡される事になるわけだが、そういう金銭面以上に、親の自覚を目覚めさせ、教育への積極的な姿勢を生み出す事につながる好機であると捉え、その実現を期待する。

以上

参考文献

1.中央教育審議会」第二次答申 1997年6月
2.「ルソー全集第5巻」(「政治経済論」「ポーランド統治論」) ルソー著 白水社
3.「エミール上・中」 ルソー著 岩波文庫
4.「自由論」 J.S.ミル著 岩波文庫
5.「学問のすすめ」 福沢諭吉著 岩波文庫
6.「なぜ、今、学問のすすめなのか?」 加藤寛著 PHP文庫
7.「慶応湘南藤沢キャンパスの挑戦」 加藤寛著 東洋経済新報社
8.「教育は何を目指すべきか」 加藤寛、江口克彦ほか全7名 PHP研究所
9.「臨教審と教育改革」 ぎょうせい
10.「教育データブック」佐藤晴雄ほか全7名 時事通信社

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高橋清貴の論考

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Kiyotaka Takahashi

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