論考

Thesis

現代中国人の思想

(調査研究の趣旨)

本年度の中国中央政府の主要な政策目標は「精神文化の建設」である。香港の新聞による 報道によると、今夏にも共産党中央委員会総会を開くことになっており、その主要題目に 「道徳文化」が挙げられている。いや、「道徳文化」の建設に向けた政策確立のために開 くといても過言ではない。それだけ、改革開放政策の実施以降、特に90年代に入って凶 悪犯罪、風俗の乱れ、官吏を巡る賄賂の横行など道徳の荒廃、また、人民を律する思想無 き無秩序な金儲けへの傾倒(拝金主義)による「先富論」の有名無実化が甚だしい。農村 における祈とうや占いの流行など、辛辣な評論家に言わせれば、易姓革命前夜の様相を見 せているという。そこで、今回、中国人の思想の原点を求めて中国は山東省を訪問し、民 間宗教のメッカ泰山、儒教の始祖孔子の故郷曲阜、道観太清宮のある青島の労山などで、 現在の中国人の思考に影響を与える思想について考察してみた。

(やはり儒教)

中国思想の現場訪問に先駆けて、北京にて宗教、哲学、文化関係の研究機関の協力を得て、伝統的中国人の思想の変遷をまとめた。
一般的に中国人の思想には儒教、道教、仏教が影響しているといわれている。
儒教は、聖人として倫理を身につけ「修身斉家」を行い、王者として倫理を以って政治を 行い「治国平天下」を行うことを説く。つまり、この思想の特徴は権力者になるために「 学華高貴」を旨としており、つまり制度的には「科挙」という制度に代表されるように、 出世することを美徳としている。また、君臣、父子、夫婦の関係を専制封建的に、つまり 主従の関係で規定している。これらは、孔子の出世欲の強さ、専制的な性格をよく反映さ せていると感じる。とにかく、儒教とは平たく言うと、中国人の死生観、つまり来世の快 楽を信じず、現世の快楽を追求するという思想に基づいており、現世における出世を美徳 として示しており、その結果、最終的には道徳を兼ね備えた君主の専制を認めている。な んとも中国人らしい思想なのである。

さて、では道教、仏教についてはどうであろうか。道教とは民間信仰に儒教や老荘思想、 仏教が合流してできた中国土着の宗教であり、長寿、養生を目指し、神仙、風水師、方士 に代表されるように、「祈とう」、「命算(占い)」などを特徴としている。実は、儒教 的現実的な人生出世競争に敗れた、または挫けた人がこの道教に救いを求めるという構図 になっているのだそうである。現世に快楽を求める中国人であるからして、最初からこう いった道教だけに走る中国人はいない。あくまで自分の力で現世における快楽を求めるの である。ただ、人生の競争は厳しい。その中で敗れた人は勿論、厳しい戦いを続けている 人がこの道教にすがるという。東南アジアの華僑がこうした道教にすがっている光景を思 い浮かべると理解しやすいであろう。厳しい異国の地、こうした道教の神神に祈りながら 現世の快楽を追求したのである。ただ、こうした道教にすがるのは、まだ現実世界に望み の有る階層の人々で、例えば出世競争には失敗したもののある程度の資産家であるとか、華僑のように中国大陸の圧力を逃れ新天地で頑張ろうとしている人々で、中国大陸に残り 厳しい環境の下に置かれている農民など現世にもう望みが持てなくなった階層の人々は、 来世つまり死後に快楽を見出す教え仏教に走った。したがって、どうやら本来の中国人の 思想と仏教の思想とはどうも相容れないもののようである。

さて、以上のような儒教、道教、仏教の中国人における位置づけ、特に儒教が本来の中国 人の思想の基軸を形成、または良く表していることを確認した上で、次にこの儒教が大き く影響する中国の思想の展開を歴史的に見て行こう。

(中国思想の歴史的変遷)

孔子は「学華高貴」な皇帝の専制を認めた。しかし、孟子は「道」が無くなり暴君になる と易姓革命の必要性も認めた。つまり、専制主義は平常時(正常時)においてであり、平 均主義は不正常な時であり、農民の蜂起を促す。つまり、その折衷(中庸)により、緩や かな専制主義を確保しようとするものである。近代以前の王朝の栄枯盛衰はこのサイクル が繰り返されたといえる。

さて、中国の近代はイギリスによって呼び起こされた。そう、アヘン戦争の敗北である。 その結果、中国は近代化の必要性を痛切に感じ、西洋の技術を導入して再び西洋に攻しよ うとした。1840年代である。しかし、1860年代になって、技術だけではなく制度 も西洋のものを導入する必要があるという主張がなされるようになった。精神はこれまで の中国の伝統を活かすものの、その他のものについては西洋を用いようという「中体西用 」論である。そして、1890年代になって、日清戦争の影響を強く受け、1898年に は中国は古来の精神をも捨て、西洋化しようという中国維新運動が起こった。日本の明治 維新に例えられるが、中国の場合は結果的には失敗し、俗に「百日維新」と呼ばれている。1911年にはとうとう辛亥革命により清王朝が滅亡する。1919年5・4運動によ り、儒教が虐げられ、西洋の思想とくにマルキシズムが注目され、その流れの下、中国共 産党が誕生する。これは、農民と労働者をベースにしていたことは言うまでもない。しか し一方でこの中国共産党は、西洋の思想から生まれたにも関わらず、平均主義、暴力革命 という中国伝統の易姓革命をその思想のベースとしていた。一見西洋の思想を受け入れた ように見えて、実は中国の伝統思想を継承したものだった。一方で、中国の伝統思想とし て儒教、専制主義、資本主義をベースにして成立したのが中国国民党だと言える。これは 、地主と資本家をベースにしていた。

中国共産党と中国国民党の争いは、一見共産主義と資本主義の争いのように見えるが、実 は、「専制」と「農民」といった中国古来の易姓革命の構図の延長線上にあったといえる 。そして、その結果は易姓革命の成功、つまり1949年中華人民共和国が成立する。思 想は共産主義を標榜していたが、これまでの易姓革命後の王朝同様、経済は平等主義を敷 きながらも政治の面では専制的であった。そして、これも昔の王朝同様、中央での権力争 い、官吏の腐敗などからの民衆の不満などを原因とし、1958年の大躍進、1966年 の文化大革命が起こることになる。

そして、1976年に文化大革命も終わり、1978年から改革開放政策が採られること になる。この改革開放政策はとりあえず平均主義を捨てたという位置づけがなされる。つ まり、豊かになれる一部の人からまず豊かになるという思想である。そして、最終的に共 同富裕を実現するということを目標にしている。しかし、現状にはその最終目標は民衆の 間ではたいへん希薄となっており、その代わり「拝金主義」が蔓延し、モラルの低下、社 会秩序の低下をも招いている。歴史的に見ると、平均主義のない状況での専制王朝のモラ ルの低下は、再び強い平均主義と暴力革命思想を呼び起こした。現在の中国の状況に近く、今たいへん危険な状況にあるといえる。中央政府が社会貢献、個人の責任、規律などを 求めて、精神文化を建設しようとしているのは、歴史的に当然のことなのである。

そして、毛沢東時代に何度も儒教を否定した共産党が、最後に国民に一番しっくりくる思 想として、90年代に入り、その研究を奨励し、今後の思想建設に使おうとしている現状 を、大変おもしろいと思う。そして、今更ながら儒教と中国人の本質のつながりの強さを 認識せざるを得ない。というよりも逆に、中国人の古来からの思想(原儒)をうまく理論 体系化したものが儒教だとも言える(大阪大学 加地教授)。ただし、原儒の上に儒教の 上層部、つまり封建的だといわれて近代になって批判を浴びている部分を孔子が形つくっ てきたので、その部分をそのまま読むのではなく、勿論その部分も強く中国人社会に影響 を与えているが、それよりもどんなに社会制度が変わろうと、時代が変わろうと中国人の 底流に脈々と連続的に流れてきた深層部分を見なくてはいけない。つまり孔子が儒教を理 論的に構築したその中国人の思想のベースを見るということだ。それはつまり現世に快楽 を求める、よって出世競争が激しい、その競争の結果得た専制は認める、しかし、その専 制が道を外れた場合は平均主義に基づく易姓革命が許される。

だとすると、中国社会には欧米的な民主主義がどうも育たないのではないだろうか。シン ガポールがそのいい例だが、今回の民主選挙を実施した台湾と香港の今後の行方が注目さ れてならない。

(精神文化の建設)

今年の中国共産党の最重要政策は「精神文化の建設」である。現在信仰の危機が叫ばれて いる。ここで言う信仰の危機とは、マルクスレーニン主義に対する信仰の危機をさしての ものとして定義される。単純に現在流行りつつある祈とうや占いを単にさして使っているのではない。そもそも、祈とうや占いはマルクスレーニン主義よりも歴史が古いものであ るから、宗教管理処(葉小文処長)では祈とうや占いの流行はおかしなことではないとい うつらえ方をしている。つまり、これまでは、共産主義体制の下、政策的にそれらを押さ えてきていたものの、改革開放以降、その圧力は減った。故に、復活して当然のこととし ている。

しかし、一方、単なる圧力からの解放ととらえるだけでない、別の見方もできる。つまり 、文革時代は、例えば都市部の人々の給与は38・6元と平等であった。老子の「使民不 争、不貴有財之貨」ではないが、毛沢東時代はこのように競争がない時代であった。つま り、自分の現世における出世を願った祈とうや将来を占う必要はなかった。それが、現在 、改革開放政策によって市場競争原理が導入されて以来、これら祈とう、占いが流行した といえる。よって、過度の個人主義の現れ、改革開放政策の浸透のし過ぎの証拠となって いる。これを修正するための「精神文化の建設」からすると、祈とうや占いの流行は危惧 すべき問題となっている。しかし、宗教管理処はこのことについて明らかに言明していな い。なぜなら、中華人民共和国憲法第35条に「公民の信教の自由」を保証する規定が有 るからだ。革命1期、つまり毛沢東や朱徳が中華ソビエト政府を樹立したときは、この基 本法の4、13条に信仰の自由の規定はあった(1931年)。大戦後、1945年に国 民党と共産党と民衆で連合政府をつくろうという気運の中で、毛沢東はその思想を「論連 合政府」にまとめた。その中でも、宗教の信仰の権利を主張している。その後、新中国成 立後、憲法上にも「公民の信仰の自由」が入っていた。しかし、文革期に江青ら4人組に よって、これまでの政策が完全に否定されたため、「信仰の自由」も否定された。この1 0年間、宗教と関係を持ったら、有無を言わさず逮捕された。文革期の後半、周恩来の努 力で少し回復したものの、完全なる回復は桔小平の時代まで待つことになる。1982年の憲法改正によって、「第2章公民の義務と権利」に詳しく35条の信仰の自由が規定さ れた(ここで、他の諸外国の規定と異なるのが、本条の最後に「外国からの干渉を排除す ること」という表現がある。つまり、今回の私の中国人の思想調査も厳密に言うと、この 35条の最後の規定に触れる可能性がある。)。

さて、最近の祈とう占いであるが、中国人は死んだ人を祈った場合でも、その死んだ人を 神様に見た立てて、自分の現世の幸せを祈っていることからも明らかなように、夢をどう しても実現したいから祈る、その現象なのである。よって、出世欲のある人か、病気の人 が祈る場合が多い。「恭喜発財」などはその典型である。最近の祈とう占いの流行は、自 由に金儲けができるようになった(競争の解禁)、貧富の格差がその原因と考えられてい る。特に、後者の貧富の格差は治安の悪化につながる最大の原因である。最近、中国の治 安の悪化が指摘されるが、世界的に見れば、まだまだ犯罪は少ない。祈とうや占いの流行 も、治安の悪化よりはマシだという考えも政府内にはある。また、もう一つの理由として 、伝統文化が家庭内で親から子へと受け継がれていることが挙げられる。1949年以前 の老人から子へ、そして孫へと中国の伝統的風俗やタブーが確実に伝わっている。社会制 度は変化しても、人民の思想の底流には中国の伝統思想が連続的に流れている。それを無 視することはできない。今年、中国政府は「精神文化の建設」を至上命題としているが、 その内容については共産主義思想だけでなく、中国の伝統思想つまり儒教を活用したもの になることが予想される。実際、2年前から北京大学に対して政府から国学(儒教)の研 究を行うよう指示があり、ブームにもなっている。可能性は高い。しかし、一度、共産主 義に反する封建的な思想として糾弾された儒教をどのような形で復活させるのだろうか。 古来から学童の教育の書として親しまれてきた「三字経」が1昨年、「新三字経」として 復活した。それ以前は毛沢東語録が代わりの教材となっていたが、この度「新三字経」として復活した。内容については共産党に指導者が盛り込まれかなりの部分が改訂されてい るが、孔子を始めとする儒家もしっかりとその重要な部分を占めている。現在の中国の社 会状況を加味すると、どうやら既に共産主義と儒教の教えは問題無く同居できているよう である。

(儒教の故郷曲阜の現状)

 孔子の故郷曲阜は中国山東省中央部に位置する。孔子を祭った孔廟と孔子の子孫が代々 暮らした孔府、そして孔子や孔子の弟子、子孫たちの墓の有る孔林が現存している。中華 人民共和国建国以前は儒教伝承のメッカであったが、建国後、孔一族は大陸の別の土地、 そして台湾などへと離散し、現在は名所旧跡としての観光地となっている。孔子基金会に よると、文化大革命の最中は特に悲惨で、孔子を祭った本殿などが破壊され、また孔子像 が持ち去られたという。文革後、中華民族の伝統文化としてその地位が認められてから、 徐々に修復したという。特に、90年代に入って、孔子基金会の設立によって儒教の伝統 を伝える博物館として、孔廟、孔府が修復された。儒教は中国人の生活に深く染み込んだ 思想であるが、ベツレヘムに参るキリスト教徒と違い、一般の中国人には孔子の出生地に 参りたいという意識はあまりないようである。あくまで、観光目的での参観で中国人は曲 阜を訪れていた。しかし、外国人の観光客と違い、中国人の観光客は至る所にある碑に食 い入るように見入っていた。そこには、「論語」の一部や、「孟子」の一部などが書き込 まれている。そして、中国人は口々に「道理、道理」といって、中国伝統思想の正しさを 再確認していた。

(道観 労山)

 道教の寺、道観が残る山東省青島の労山を訪問した。道観は仏教寺院と違い、こじんま りとしているのが特徴だ。ここ労山の道観はその中でも規模の大きいほうである。ざっと 30人ほどの道師を抱える。文革中は道師は職業として認められていなかったが、現在は 身分証が発行され、その地位が認められている。やはり、ここでも占いが流行っており、 周易、手相などを融合した算命を道師に依頼する中国人観光客を多く見かけた。道観の裏 手にある道師の住居を見学したが、そのあり様はまさに新宿西口の浮浪者の住処のような 感じだった。風貌は仙人とまではいかないものの、髭は伸び放題で、特に高齢の道師は観 光客にはまったく感知しない、一種独特の雰囲気をもっていた。

(最後に)

 今回の研究調査を通じて、マルクスやレーニンや毛沢東思想の時代から、21世紀の孔 子の時代の始まりを予感した。それは決して中国人の思想の変化ではなく、連綿と流れて いたものが再び表層に現れてきたと理解した方がいい。改めて2500年という年月の重 みを感じた。在中40年という中国社会科学院哲学研究者の藤原素子さんは中国社会の連 続性を強調する。「外国人にとって、中国は頻繁に制度を変え不安定な国だという印象が 強いようだが、中国人にとってはその変化がちゃんと予見できる。外国人は変化の表層し かみていない。」と。中国社会の表層の変化に翻弄されるのではなく、中国人の深層部分 を理解し、その連続性をつかむことで、今後の中国の行方というものを正しく認識すべき であろう。中国をトータルにかつファンダメンタルに理解しようという「中華通論」を我 が塾で講義してくださる我が師鳴海国博先生に改めて敬意を表するしだいである。

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高橋幸也の論考

Thesis

Koya Takahashi

高橋幸也

第15期

高橋 幸也

たかはし・こうや

Executive Vice President, Panasonic Energy of North America

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企業経営、管理会計、ファイナンス、国際経済

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