論考

Thesis

チベット避難民

当塾理事曾野綾子先生と共にしたインド・ネパールの視察のなか、(1)ネパールでのチベット人避難センター、(2)南インドの大都市バンガロールより北西400キロに位置するムンドゴットでのチベット人入植地を視察する機会がありました。わが国でダライ・ラマ14世は誰でも知っていますが、あまり論じられないチベット問題の一面の現場を見ることができた貴重な機会でした。今月は、チベット避難民についてレポートしたいと思います。

   

チベット仏教    

チベット仏教はラマ教ともいわれ、チベット土着の宗教であったボン教とインドよりの密教が結びついたものである。仏・法・僧の三法に師(ラマ)を加えて四法として帰依する。宗主はダライ・ラマ(現ダライ・ラマは14世)。観音菩薩の化身と信じられている。

   

チベット自治区問題    

1951年、中国はチベットを自治区とした。先だってダライ・ラマ14世はラサを脱出し、インドに亡命した。90年代には独立要求のデモも起きている。しかし、辛亥革命以降、チベットは独立国家であったという解釈もある。

   

チベット避難民の数(非公式数としてのデータ、ネパールUNHCR)

     

   

   

   

   

   

総数 120,000~150,000
インド 100,000
ネパール 20,000
ブータン 不明
スイス 3,000

 

今回の訪問地 

TIBETAN ASYLUM CEMTER(チベット人避難センター)

CLINIC(診療所)

TRANSIT CENTER(仮住居)

 チベットから官憲の目を盗み、ヒマラヤ越えをした人々がやってくるのがカトマンズにあるこのセンターである。しかし、殆どの人々がまず診療所に行かねばならない。過酷なヒマラヤ越えは、何人も凍傷を免れることができないからである。訪問したときも4人の青年が治療を受けていた。熱湯で薄めたWOKADINEという凍傷治療薬に足を浸していた。
看護婦のツェリンさんによるとこれまでの最年少は5歳の少年だった。そこで治療中であった18歳の青年に曾野理事が「大丈夫ですか、頑張れますか?」と聞くと、笑顔で「はい!」と応えた姿が印象的であった。

 ここでの滞在は基本的に1週間のみである。その間にスクリーニングや治療が行われる。滞在費は1日25Rs(1ルピー=およそ3円)。スクリーニングでは身元調査も含めいくつかのインタビューが行われ、

  1. 6~12歳を基本とし、ダライ・ラマの妹が経営する学校に行く人々、
  2. チベットで教育を受ける機会がなかった人々・自治領になって後にチベット語を習得できなかった人々、
  3. 僧侶になりたい人々、
  4. 基本的には老人でダライ・ラマに会いたい人々(この熱情は我々の想像を絶するようである)、

という4つのカテゴリーに分けられる作業が行われる。

   このスクリーニングで気を使うのは、中国人のスパイ防止も大きな理由の一つであるらしかった。上記4つの内、3に関しては以下12の質問がなされる。本当に僧侶であるか、チベット人であるかを確かめるためのものであるということであった。

  1. 男か女か?
  2. 僧名は?寺院に何人の僧侶がいたか?
  3. いつ僧侶になったか?
  4. だれが師か?
  5. なぜチベットを離れ、インドに行きたいと思ったのか?
  6. インドでは、どの寺に行きたいか?
  7. どの派に属したいか?(4つの派がある)
  8. インドの寺では、共に住む家族はいるか?
  9. ヒマラヤ越えではどの道を通ってきたか?
  10. カトマンズではどこに泊まったか?
  11. 以前、インド・ネパールを訪れたことがありますか?
  12. チベットにいたとき、どこかの政党に属していましたか?

 こうして避難民達はセンターで1週間を過ごし、国連より交通費を支給された上、入植地インドへと向かうのである。ここでつけ加えたいのが、冒頭で述べた入植地である。私自身が見たのは一カ所のみであるが、独立地の感があった。経済的には自立し、立派な寺院もある。生活という面でいえば、現地インド人と比べものにならない。手伝いで雇われているインド人さえいた。我々一行は、インド人のイエズス会神父のアテンドによってコロニーに足を踏み入れることができたのだが、許可無くしてはそれもできないのである。現地人の不満は大きいとのことであった(ネパールのブータン難民キャンプでも同様の状況がある)。

 これまで私自身のチベット関係の知識といえば、多少の歴史認識とダライ・ラマ14世の著書「チベットわが祖国(中公文庫刊)」を読んだこと、そして数人の中国人とチベット問題について語ったぐらいでした。今回の視察で初めて、チベット人と出会い、ヒマラヤ越えの過酷な状況を眼にし、何故出国しなければならなかったかと彼ら自身の口から耳にしました。

 今回もそうでしたが、アジアに行く度に感じるのがわが国日本の偏りです。日本のみならず、政経塾でも「アジアの時代」といわれて何年が経つでしょうか?しかし、我々がアジアと言ったとき、現実にはその殆どが中国であると言えるでしょう。数カ月前、ミャンマーがブームになりましたが、それはアウン・サン・スー・チー=ミャンマーでした。

 全体像が浮かぶような情報・報道が欠けていると思うのは私だけでしょうか?今回、私自身の反省も込めて、わが国のアジア観について再考すべきだと改めて感じました。

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堀本崇の論考

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Takashi Horimoto

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第13期

堀本 崇

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