論考

Thesis

一人一人を生かす小学校教育

小学校教育の改革を目指し、新しい教育のモデルを求めて国内・海外の学校を訪ね歩いている。その活動の中で出会った感動的な学級の様子をレポートする。

そのクラスには、なっちゃんというダウン症の子どもがいます。授業中席を立ったり廊下にふらふらと出て行ったりするのは日常茶飯事です。両親はなっちゃんを普通学級で育てたいと願っています。しかし教育委員会の立場としては、隣の学校の特殊学級か養護学校に転校するように理解してもらうのが仕事です。
 そんな話を去年の7月、埼玉県川島町教育委員会での研修中に聞き、学校教育課長と共にそのクラスを訪ねました。

 その時間は道徳の授業でした。
 先生が問いかけます。「校庭のつばめの巣、今どうなっていますか?」
 子どもたちが次々に手をあげて自分の見た様子を紹介します。
 授業の前の雑談かな、と思っていると、やおら先生が袋の中からつばめの人形を取り出しました。先生はその人形と声色を使ってお芝居を始めます。
 今日の題材は「また、こんど」というお話です。甘えん坊のつばめの子が飛ぶ練習を「また、こんど」と怠けていたので上手にならず、ついには墜落してしまいます。死んじゃうのかな、と思ったら運良く海の上に浮いていた板につかまって「ああ、助かった」そんなお話です。
 1年生の子どもたち全員が目を輝かせて先生のお話に聞き入っています。私は先生の子どもたちをひきつける力量にびっくりしました。
 なっちゃんも先生から借りた小さな黒板にチョークで絵を描きながら聞いています。隣の席のまいちゃんはなっちゃんにせがまれて色々な絵を描いています。
 先生が問いかけます。「どうして飛ぶ練習をしなかったんだろう?」子どもたちからどんどん意見が出ます。まいちゃんもなっちゃんに絵を描いてあげながら、もう一方の手をあげて発表しました。先生の話を聞いたり、発表したり、なっちゃんの相手をしたりと、とても忙しそうですがまいちゃん本人は涼しい顔です。
 なっちゃんも手を挙げました。
 「なつみさんはどう思いますか?」 私は、どうなるんだろう、と内心ドキドキしていました。教育委員会の課長さんも見ている前で、この先生は堂々として立派だなあ、と感心していました。
 なっちゃんはニコニコして前に出てきて、一言「ダア」と言いました。
 先生はそれを受けて、「なつみさんも『そうだ』と言っています」。
 子どもたちから大きな拍手が沸きました。私の様子を気にしていた男の子が、心配そうに私にそうっと聞きました。「あの子がしゃべれないこと知ってる?」なっちゃんをかばおうとしているのです。
 私はなっちゃんが一生懸命授業に参加している姿と、こんなに心優しい子どもたちと先生の姿とに感動して、涙が出ました。子どもたちが友たちを助けようと心を砕いている場面は他にもたくさん見られて、なんてすごい1年生だろう、と感服してしまいました。そして、頭と心が柔らかいうちに、なっちゃんと一緒に子ども時代を過ごすことができるこの子たちはなんて幸せなんだろう、と羨ましく思いました。

 先生がこんな風に本当の意味で一人一人の子どもを生かした授業ができるのは、きっと日頃から子どものことをよく見ているからです。
 今までに「がんばったこと」を発表したときのこと。えんどうくんは勢いよく手を挙げたのですが、先生に指名されると緊張のためか立ちすくんでしまいました。すると先生はすかさず「先生ね、知ってるよ。えんどう君はね、最初はお掃除が大嫌いだったんだけど、今では頑張って誰よりも早くお掃除にとりかかって、一生懸命お掃除してくれてるんだよ」。こうして先生が助け船を出してくれると、えんどうくんも不思議にすらすらと言葉が出てきます。「そうなの、いやだけど、つらいけど、がんばってるの」。 ああ、この先生はどんなに忙しくても、一人一人の子どものことをしっかり見ているんだなあ、だからこんなに素晴らしい授業ができるのだなあ、と思いました。私の思い描いていた「理想の先生」に、こんな小さな町で出会えたことに感謝しました。そして、この素晴らしい子どもたちと先生が日頃どんな学校生活をしているのか、どうしても知りたくなり、その場で校長先生にお願いしました。
「ぜひ、この学校に通わせて下さい」。
 八ツ保小学校は、川越市の北、川の中に浮かぶ川島町にある全校生徒150人余りの小さな小学校です。ここで、今年の1月のある1週間、1年生の子どもたちと学校生活をともにしました。

 毎日、毎日が感動の連続でした。なんと言っても、担任の中村真澄先生(40歳)も子どもたちも、そしてなっちゃんもとてもタフでポジティブなのです。
 なっちゃんは機嫌がいいと机に座って絵や字を書いたりしています。ときには声を出して、なっちゃんにしかわからない言葉で本を読んだり、オルガンを弾いて大きな声で歌ったりもします。
「ほかの子のじゃまにならないのかな?」
と思うでしょう?
 でも、子どもたちは平気な顔で順番に本読みをしています。彼らの集中力たるや、すごいものです。そしてなっちゃんの番がくると、必ず誰かが気づいて、
「なっちゃんの番だよ!」
 なっちゃんは、調子がいいときは先生の本をひったくるようにして読みます。
「やだ~」というときは、「なっちゃんは今、なっちゃんの勉強をしているんだねえ」と、誰かが代わりに読むのです。
 実際のところ、なっちゃんはすごい頑張り屋さんです。なっちゃんの勉強は大抵、みんなが勉強をした次の時間に始まります。2時間目に音楽で楽器の練習をしていると、その間なっちゃんはみんながしていることをじっと見ています。そして次の3時間目はなっちゃんの音楽の時間。休み時間にみんながなわとびをすると、次の時間はなっちゃんがなわとびの練習。そんな勉強を続ける中で、なっちゃんは物凄い成長を遂げています。私も半年前に出会ったときに比べてコミュニケーション能力が飛躍的に発達しているのにびっくりしました。
 犬の絵を描いてほしいとき、まず言葉で訴えます。それでも伝わらないと、四つんばいになって、「ワン!ワン!」。自分のしたいこと、してほしいことを、全身を使って必死に訴えるのです。そんななっちゃんが何か進歩を見せるたびに、子どもたちは大喜びです。

 算数の時間、
「10が5つ、1が2つ。全部でいくつ?」
 なっちゃんが手をあげて、黒板に「の」「み」と書きました。
「ワーッ! なっちゃん、ひらがなで、のみ、って書いたよ!! すごいっ!!」
 教室中が、拍手の嵐になりました。答えが合ってなくたって、なっちゃんがまた一つ新しいことをできるようになったことが、みんなはとても嬉しいのです。
 子どもをほめ、皆の見本とすることで自信をつけさせ、力を伸ばす。私が、一年生の頃通っていたオーストラリアの学校で、姿勢よく座っていただけで
「みんな、見てごらん!トモコみたいのを本物のレディーというんだよ!」
と先生にほめちぎられて、どんなに誇らしかったか、どんなに自信がついたか。そのことを今でも覚えている私は、中村先生は本当に子どもの気持ちがわかるんだな、と嬉しくなりました。

 こんなことがありました。
 八ツ保小学校のお昼の放送の人気番組は教務主任の深沢先生の英語教室です。研修の最終日、私はゲストに招かれ出演しました。まずは会話の練習から。
「“Thank you”と言われたら、“It’s my pleasure.”と返すと、喜ばれますよ。練習してみましょう」。
 全校の教室から放送室へ、割れんばかりの声で“It’s my pleasure!!”の大合唱が届きました。私もがぜん、やる気が出てきます。
 そして、全校の皆さんへお別れのメッセージ。
「皆さん、親切にしてくださって、ありがとうございました。皆さんに会えてよかったです。期待通り、八ツ保小学校は素晴らしい学校でした。毎日学校に通うのがとても楽しかったです。さようなら、また会いましょう!」
 これを英語と日本語で言い終えて、ホッとして放送室で給食を食べていたら、中村先生がとんできました。
「1年生の子どもたちが、しらい先生を拍手で迎えよう!ってはりきって待ってるんです」。
 先生と二人ですっ飛んで教室に帰ると、みんな、目をキラキラさせて、満面の笑顔で、大拍手で迎えてくれました。
「しらいともこ先生、英語、上手だったよ!!」
「すごい!! すごい!!」
 小学1年生といったら、人にほめられたくて仕方がない頃です。どうしてこの子たちはこんなに人をほめるのが上手なのかな? と思いました。
 きっと、先生の影響です。中村先生にほめてもらって、ほめられるのがどんなに嬉しいことか、よく知っているから、私のことも一生懸命ほめてくれるのです。私もそんなみんなの思いが本当に本当に嬉しかったです。

 もう一つ、1年生なのに人間ができてるなあ、と感心したのが、子どもたちの我慢強さと、限りなく前向きな姿です。
 図工の作品に余分なテープをペタッと貼られてしまったみかちゃん。
「なっちゃん、それは貼らないで~」。
って頑張ったけど、やっぱり抵抗しきれずに貼られてしまったのです。でも、みかちゃんは泣きそうな顔でも、
「ありがとう、きれいになったね」。
 寒さが厳しい冬のある日、なっちゃんにうちわでバタバタあおがれたたかだくん。無理して、
「涼しくて気持ちいいよ」。
 そう言われると、みんなもなんだかそんな気になっちゃうから不思議です。
 ときにはノートいっぱいにペンで色々な文字を書かれてしまうこともあります。いつもは黙ってなっちゃんのやりたいようにやらせてあげているみほちゃんも、今回はたまらずに先生に言いました。
「こんなに書かれちゃったの……」。
すると先生は、
「あとでホワイトで消してあげるね」。
 先生は子どもたちが自分のノートに何か書かれて本当はどんなにいやか、ちゃんとわかっているのです。そして、先生にホワイトで消してもらうのが、どんなに嬉しいことかも。

 文部省の人たちに是非このクラスを見てほしい、と思って八ツ保小学校に連れて行ったのは、偶然そんななっちゃんの機嫌の悪い日でした。どんな感想を言われるかな、と思っていたのですが、
「私もね、この先生は子どもの気持ちがわかるんだな、って思ったんです」。 文部省の素敵な女性からこんな感想を聞いたとき、見てもらって良かった、と思いました。
「なっちゃんの姿を見て、みんなも頑張るんですよ。私の力じゃない」。
あくまで謙虚な中村先生ですが、私はそんな先生の姿を見ていて「教育とは感化である」と改めて確信しました。p> 「人にやさしくしましょう」と言うのも、そう言う先生自身が人に優しく、個を大切にする人だからこそ、大きな説得力を持って子どもたちに迫ってくるのです。そうでなければ子どもはその矛盾に敏感に気づくものです。
 子どもたちは先生や周りの大人たちの背中を見て育っているのです。
 この学級はあらゆる好条件が整った上に成り立っています。素晴らしい力量を持った先生が二つ返事で担任を引き受けてくれたこと。家庭教育がしっかりしている土地柄で、PTAの理解も得られたこと。校長先生はじめ、先生方の適切な支援。条件を整えれば、ここまで「個を生かした」授業や学級づくりができるのを見て、私は勇気が湧いてきました。
 これを特別な例とするのではなく、どうすればこんな素晴らしい子どもたちが育つのかを考えて、子どもをとりまく環境や条件をできる限り整えていくこと。それが私たち大人の願いであり、務めであると信じています。

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白井智子の論考

Thesis

Tomoko Shirai

白井智子

第16期

白井 智子

しらい・ともこ

NPO法人新公益連盟 代表理事

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教育・ソーシャルセクター

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