論考

Thesis

問われる日本人の人生観

高福祉国家として名高い北欧。スウェーデンやノルウェーに比べると知名度は低いがデンマークの福祉政策も見逃せない。日本と同じ高齢化や財政問題を抱えるこの国が行った大改革は国民に好評である。日本が学べるものはないか。

■デンマークの福祉制度

 海外の福祉制度に詳しい厚生省のシンクタンクに勤める研究者からデンマークを紹介され、昨年の11月から1カ月間訪れた。滞在したのは、首都コペンハーゲンのあるシェットランド島の隣りのヒュン島北端の港町ボーゲンセ市。人口6000人の小さな町だ。
 デンマークの人口は約520万人、面積はほぼ九州に匹敵する。この国の高齢化率は1990年にすでに15%に達し、2020年には20.5%という予測がなされている。
 政治行政組織は、日本と同じく国会・県(アムト)議会・市(コミューン)議会の3つに分けられ、国全体に関わる事項を国会および内閣が担い、公共市民サービスを14のアムトと275のコミューン(2つの特別市も含む)が担っている。そして、その公共市民サービスを地域の身近なサービスと、ゴミ問題や医療や障害福祉など広域にまたがるサービスとに分け、前者をコミューン、後者をアムトが担当している。このシステムが整えられるまでデンマークでも長い道のりがあった。
それまではデンマークの福祉制度も、日本と同じように利用者の利便性を軽んじ、国民の不満を募らせていた。たとえば日本で車に跳ねられ身体障害者になってしまい何らかの行政(福祉)サービスを受けたいと思うと、なにより先に必要となるのは障害者手帳である。障害者手帳は、行政の障害福祉課での複雑で面倒な手続きを踏んで、ようやく手にすることができ、これを手にして初めて身体障害者福祉法に基づくサービスが受けられる。同様に、祖父母を老人ホームに入所させたいというような場合でも同じ手順が必要となる。これが各種サービスを受ける際に、我が国が行っている福祉だが、このように年齢や対象によって窓口が変わるのは、初めてサービスを利用する人やどんなサービスがあるのか知らない人にとっては不親切窮まりない。「利用しにくい。窓口を一つにしてほしい」という声が出るのも当然である。同じ問題を、現在は高福祉国家と言われるデンマークもかつて抱えていた。
 デンマークは1974年、それまで適用していた福祉関連の法律を一本化し、その2年後に「生活支援法/Bistandslov」を施行した。これによって「すべての人が何らかの原因で日常生活に支障をきたす」ことがあっても、“一つの窓口で”それまでよりも少ない手間と時間で各種福祉サービスを受けられるようになった。我が国でも細かくなり過ぎた組織や役割を見直し、インテグレーションへの試みが行われようとしているが、デンマークではすでに20年以上も前からその取り組みが始まっていた。
 政府はこのために大きな改革を進めた。地方分権がそれだ。それによってそれまで1300あったコミューン(市)を275にまで減らして、政治行政組織を再編した。コミューンの平均人口は約2万人となり、より効率良く・より素早い福祉サービスの提供が可能となった
。地方分権によって福祉行政機構が簡素化されたのである。国は、政策の方向性の決定および法律の大まかなガイドラインの作成と予算の管理を担当するだけとなった。そして実際にそれを実行するのは、障害福祉(県が担当)以外は各市町村(コミューン)が任されることになった。
 コミューンの予算は市町村税、固定資産税と国・県からの地方交付税で構成されるが、国のガイドラインに沿っていれば、その使い道は独自の判断に委ねられた。つまり「国は金は出すが、使い道に関しては口出ししない」。デンマークの国家予算に占める社会福祉費の割合は約43%。各コミューンの場合はもっと上がり60%くらいになる。そのうち高齢者福祉費は3分の1以上を占めている。デンマーク在住30年を超える千葉忠夫さん(56歳)から、ボーゲンセ市の年間予算書を見せてもらった。それによると、1997年の社会福祉費は全国水準をやや下回る55%となっていた。
 コミューンの高齢者福祉の方向性を決める際、その中心的な存在となっているのは、選挙で選ばれた高齢者で構成される「高齢者委員会」だ。そこでは、行政や市議会に対して提言したり、高齢者住宅の建設要望書を出すなどの活動を行っている。1997年1月1日よりすべてのコミューンに設置が義務付けられ、役人や政治家といった特定の人だけで高齢者福祉の方針が決定されないところが大きな特徴である。

■誇りにできる高齢者福祉とは

 デンマークでは高齢者が福祉のサービスを受ける場合、費用は基本的に無料だ。そしてそれは3つの大原則に基づいて行われている。「継続性」がその1つ。体の機能が低下し普通に生活することが困難になった時、従来はナーシングホーム(特別養護老人ホームに相当)に入所することが考えられていた。しかし、「高齢者は住まいが変われば変わるほど、老化現象(痴呆症など)が進む」と指摘されるようになったことや、ホーム建設に伴う費用の増大などから、「できるだけ住み慣れた環境で長く生活する」ことを原則に、それを可能にするためのホームヘルプや住宅改造補助へとサービスの質が変えられた。現在では、「生活の継続性」を重視するため、自宅と環境が大きく変わるナーシングホームの建設はどこのコミューンでも行っていない。「在宅福祉」が基本である。仮にナーシングホームで生活することになっても、家具、電話、テレビ、衣類、日用品など、自宅で長く愛用していたものをホームに持ち込むことが出来、2DKとお年寄りの能力(ADL:Activities of daily living)に合せて改良されたバス・トイレ付きの個室に入居(入所とは言わない)することになる。これがこの国のナーシングホームのスタンダードモデルだ。
 ボーゲンセ市のあるナーシングホームでは、ホーム内の廊下を市が正式に一般の公道として認め、各部屋の入口にそれぞれの番地を示す番号と氏名を表示している。しかもそれぞれの部屋のドアには郵便受けが付き、配達員はここまで手紙を届けに来る。また、手紙を書いた時は、ホーム内に設置されているポストに投函するだけでいい。まるでナーシングホームの中に入居者の「自宅」があるといった具合である。4人部屋が当たり前とされ、私物もあまり持ち込めない日本の老人ホームとのギャップにカルチャーショックを受けてしまった。「高齢者は今までと同じ場所で生活を続けることができる」ことをしっかりと保障している取り組みに、人間の尊厳を重んじる文化を感じた。

 2つ目が「自己決定」だ。お年寄りの人権や立場を尊重し、身の周りの問題はあくまでも本人が自分自身の考えや希望に応じて、主体的にサービスを決定することに変えた。これに伴い老人ホームに入居する場合、原則としてたとえ本人が痴呆症であっても本人の承諾とサインが必要になった。またそこでかかる食事、クリーニング、娯楽代といった費用の支払いは、それまではそこに勤めるスタッフが代行していたのを本人自らが行うようにした。朝食を摂る摂らない、映画を見る見ないも、すべて本人の判断だ。各々が自分の予算内で決めればいい。日本の老人ホームでは、お金や日中の過ごし方を施設で決めている所が多いと聞く。
 そして、この国のどの老人ホームへ行っても必ずと言っていいほどあるのが、そこに入居している人たちだけで構成する「利用者委員会」だ。入居者だけのパーティーを企画したり、生活環境の見直しを討議するなど活発な活動をしている。私はそこに「自分たちの生活は自分たちで考え、快適な生活を自主的に作り出していこう」とするデンマーク人の積極的な生き方と力強さを見た。
 コミューンに設置されている「高齢者委員会」といい、施設にある「利用者委員会」といい、当事者の立場や意見を尊重する文化をデンマークは持っている。
 3つ目が「自己資源の開発」。デンマーク人は「何らかの能力や機能がある限りはそれを開発して活用していく」という考えだ。アンデルセンが生まれた町として知られるオデンセ市のあるデイセンターを訪れた時、ゆっくりとした動きで何となく危なっかしく廊下を歩いているお年寄りを見かけたが、スタッフはちょっと離れた場所からじっと見守っているだけだ。私がスタッフだったらすぐにでも手を差し延べているところだ。「あのお年寄りは大丈夫ですか?」とそのスタッフに尋ねると、「何でもしてあげることは、その人の持っている能力(自己能力)の芽を摘んでしまうことになってしまいます。本人には害になっても得にはなりません。手を貸さないことも大切な仕事の一部です」と説明してくれた。食事の時でも、移動の時でもスタッフはあまり手を出さないのがとても印象的だった。同行した千葉さんが、「自分で出来ることは自分でする。自立支援のための援助をこの国ではモットーとしています」と教えてくれた。
 「デンマークには寝たきり老人はいない」と噂には聞いていたが、正直なところ半信半疑だった。しかし、施設やデイセンターなどで車イスのお年寄りはよく目にしたが、どこへ行っても最後まで寝たきり老人を見かけることはなかった。寝たきり老人の介護が大きな社会問題となっている我が国と比べ、その違いは雲泥の差である。

■一体何が違うのか

 今回の視察で、私は「すべてにおいて日本とデンマークは違い過ぎる」と強く感じた。この違いを私には両国の歴史や文化の差によるものだけとは簡単に割り切れない。それは「日本になくデンマークにあるもの」が存在するのではないかと考えるからである。デンマークという国家には「どのような国家にするのかという社会全体の合意」が毅然と存在している。「高福祉高負担」にそれが象徴されている。国民は高い税金を払ってもいいから、「その恩恵として生活に関することすべてを社会から保障してもらう」ことを善しとしている。ここには国民全体の合意が存在する。
 この国を訪れるまで、「高福祉高負担を果たして皆が本当に納得しているのだろうか」と、とても懐疑的だった。大勢の人に「負担感を感じますか」と聞いてみた。返ってきた答えは「負担を感じないと言えばウソになるが、保障されているから何ともない」というものが一番多かった。「今のままでいい」と言う意識の合意形成が社会の隅々までいきわたっていたのは、大きな驚きである。
 翻って日本はどうだろうか。福祉の在り方一つをとってみても社会的合意はなされていない。政府は2025年の国民負担率を50%を超えない範囲にすると発表した。しかし少子・高齢化がますます加速する中、有効な対策を打てていない現状では、そう遠くない将来、経済力が低下し、国民負担率が50%を超えてしまうのは必至だと見る専門家は多い。

 スウェーデンの国民負担率74.5%(1991年)に比べて、現状の日本の負担率は38.2%(1997年)。国民負担率50%を中福祉中負担と仮定した場合、国民の中にはいやもっと高福祉高負担で行くべきだ、いや低福祉低負担で自助努力を求めるべきだと、様々な意見があるだろう。
 中福祉中負担、高福祉高負担、低福祉低負担、どれになるかはわれわれの判断次第である。ここで問題なのは、どういう判断を下すにせよ、その判断の拠り処として「どのような国家にしていくか」という国民の合意による価値観の平準化をできるかどうかという点である。判断を下す前に、国民の合意による「めざすべき国家像」というものをわれわれは確立しえるのかどうか。それが大きな問題である。それがなければ、どんなに素晴らしい制度を作ってみても、“仏作って魂入れず”である。
 そして、「どのような国家にしていくのか」という国民共有の国家像を描くには、「人は如何に生きるべきか」という個人としての生き方の理念を確立できていなければならない。デンマーク人にはそれがあった。「ヒューマニゼーション」だ。どのような人間でも皆同じだとする考え方だ。彼らはたとえ障害者であろうとお年寄りだろうと、普通の人と可能な限り同じように生活するのは当然だと考えている。そんな人生観を大事にして「高福祉高負担」がある。

 日本はどうか。福祉のあり方を考える前に、まずそこから出発し、社会的合意に基づいた日本独自の考えを確立していかなければならない。我が国に今必要なことは、外国の福祉制度を取り入れることでもニューゴールドプランを実現することでもない。「人は如何に生きるべきか」という人生観作りこそ何よりまして大切だ。
<参考資料:千葉忠夫『高校生たちが見たデンマーク』自分流選書 小島ブンゴート孝子/沢渡夏代ブラント『福祉の国からのメッセージ』丸善ブックス>

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草間吉夫の論考

Thesis

Yoshio Kusama

草間吉夫

第16期

草間 吉夫

くさま・よしお

東北福祉大学 特任教授

Mission

福祉。専門は児童福祉。

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