論考

Thesis

ユニバーサルデザインを学ぶ ~いわてUD学校 ピポ・ユニバーサルミニ駅伝~

今回は、盛岡でのイベント「いわてUD学校」と新宿の戸山公園でのイベント「第2回 ピポ・ユニバーサル ミニ駅伝」に参加し、その中でどうやってユニバーサルデザインを学ぶのかについて感じたことを書いていきたい。

 20世紀前半は自動化・機械化が進められてきたが、その前提となったのは、若くて健康な成人男子を基準とした、いわゆる「ミスター・アベレージ」と呼ばれる層であった。一般的に最も元気にあふれ、効率的に働くことのできる層を基準に、まちやものは作られてきたのである。
 進展する高齢化の中で、健康な成人男子だけを考えたまちやものが、必ずしもすべての人にとって使いやすいとはいえなくなってきたのが80年代であった。
 「ユニバーサルデザイン(以降、UD)」という概念は、アメリカでノースカロライナ大学の故ロナルド・メイスが80年代から提唱したものである。
 この概念は、この「ミスター・アベレージ」を基準に、そこから使えなかった・使いづらいという人たちを使える形に増やしていくバリアフリーの考え方ではなく、最初から女性・子ども・高齢者・障害者などができるだけ使えるよう、デザイン段階から配慮していこうというものである。

 私は、「バリアフリー」に対して疑問を感じ、悩んでいたときにこの考え方に出会ったのである。


◆ユニバーサルデザインを学びだした経緯 ~バリアフリーへの疑問から~

 「バリアフリー」に対する疑問とは、「バリアフリー」が実施面において、障害者の特別対応になりやすく、その結果として、障害者が特殊な存在になってしまい、結果的には「バリアの再生産」になってしまうのではないかということである。

 私は、昨年の夏に鎌倉の市議会議員である重度脳性まひの友人の議員活動の介助として神戸まで同行したときに「バリアの再生産」に気づいたのである。(注1)
 今は、東海道線は交通バリアフリー法により、かなりの駅にエレベーターがついているが、このときはまだ未整備な状態で、階段の上り下りには、階段横に備え付けられた白い昇降機に乗るか、エスカレーターを止めて車椅子用に変えて、それに乗って行くという形が大半であった。
 彼に同行した際に、何度もこの昇降機と車椅子対応のエスカレーターに乗ったのだが、幾度となく周りの視線を感じ、すこし不快な思いをした。
 階段の上り下りというありきたりな行為のはずだが、昇降機等の特別な対応により彼は特殊な存在になってしまうのであった。
 この疑問を抱き、悩んでいたときに出会ったのがUDで、その考え方を知り、学びだしたのである。


◆UDを学ぶ

 はじめから、成年男子だけでなく、女性・子ども・高齢者・障害者などができるだけ使えるようにしようという「UD」の考え方は、言葉で表せばとても簡単であるが、実際に理解することは難しい。
 それは単に書物を読んで理解できるものでもなく、講演会で諸先生の話を聞くだけで理解できるものでもない。また、誰もが使えるスロープの角度はX度という形で杓子定規に暗記するものでもない。
 私自身学び始めて、どうやって学び、そしてそれを伝えていくのかについて悩んでいたのだが、今回参加した2つのイベント「いわてUD学校」と「ピポ・ユニバーサル ミニ駅伝」にヒントを得たので、その方法について考えてみたい。

1.いわてUD学校 ~対話を通して~
 このイベントは、アクセシブル盛岡(注2)という市民団体が創立10周年記念イベントとして10月17・18日に盛岡市内で開催したものである。

(1) 概要
 建築・旅行・都市・情報・ファッションの分野でUDに取り組んでいる第一人者を集め、その人たちからUDを学ぼうという内容であった。
 講師陣は以下の通り

  • 建築のUD:古瀬敏氏(静岡芸術文化大学 教授)
  • 旅行のUD:草薙威一郎氏(JTMバリアフリー研究所 所長)
  • 都市のUD:高橋儀平氏(東洋大学 教授)
  • 情報のUD:関根千佳氏((株)ユーディット 代表取締役)
  • ファッション店舗のUD:鈴木淳氏(ユニバーサルデザインファッション協会 副理事長)
 二部構成で行われ、第一部は盛岡市立北松園中学校において中学2年生を対象に、講師5名が分かれて授業する形で行われた。第二部はホテルメトロポリタン盛岡において一般市民を対象に、参加者が希望するテーマの講座に参加する形で行われた。

(2) 授業風景・講義風景から
 UDを学ぶという意味でこのイベントで印象に残ったのは、対話の大切さである。

 第一部は中学生限定であったが、第二部は市民向けということで、大学生・NPO関係者・障害者・行政等々、さまざまな人たちが参加していた。
 その中で、都市のUDでは、講師の話よりも、具体的に盛岡のあり方についてユニバーサルデザインの観点から考えてみるという形で進められていた。
 障害者が実際に困っていることや、行政が取り組んでいること、また取り組みに際して困っていることを話し、講師がそれにアドバイスをし、それぞれの立場でまちについて考える対話形式で行われていた。

 まちには、いろいろな人が住んでいる。また、まちづくりにはさまざまな人たちが、NPO・個人ボランティア・学生団体・障害者団体・市民団体・行政等のさまざまな立場で関わっている。
 誰にとっても住みよいまち(ユニバーサルデザインに基づいたまち)にするには、お互いに力を合わせ、ときには立場を超えての協力が必要である。そのためには、まずはお互いの立場を理解しあわなければならない。理解しあうためには対話が必要なのである。
 ユニバーサルデザインは、「最初から女性・子ども・高齢者・障害者などができるだけ使えるよう、デザイン段階から配慮していこう」というものであるから、対話が重要なのである。

2.ピポ・ユニバーサル ミニ駅伝 ~触れ合いを通して~
 このイベントは、NPO法人コミュニケーションスクエア21(注3)が主催したもので、「心のユニバーサルデザイン」の実現を図るべく、9月27日に東京都立戸山公園にて行われたものである。

(1) イベント概要
 車椅子使用者・小学生・視覚障害者・高齢者・健脚者の5名が1チームとなって、1区間1.2キロで計6キロの駅伝を行うものである。
 駅伝といってもチーム同士の速さを競うのではなく、それぞれのチームが話し合い、試走してみて目標タイムを設定し、そのタイムの誤差が少ないチームが優勝という駅伝である。
 チームも基本的にはその場でいきなり組み合わされるということで、初めての人同士、まずはコミュニケーションから始めるのである。

(2) イベントに参加して
 UDを学ぶという意味でこのイベントで印象に残ったのは、触れ合いの大切さである。

 私はこのイベントに視覚障害者の友人とともに選手として参加した。この友人とは同じチームであったが他の人たちとはまさにこのイベント当日が初めての出会いであった。
 当然、自己紹介から始まった。知らないもの同士がチームとして駅伝を走るためには、まずはお互いのことを知らなければ始まらない。試走や目標タイム設定は二の次である。
 私たちのチームは、小学生・中学生(健脚者)・私(健脚者)・友人(視覚障害者)・高齢者という編成で、車椅子使用者がいなかった。実は全体的に車椅子使用者の方の数が足りなかったらしく、結局、私が車椅子に乗って、ボランティアの中学生に押してもらうということになった。
 出走順を、小学生→私(車椅子使用)→友人→高齢者→中学生にして、試走から1時間35分を目標にスタートした。
 出走順も各チームで設定するため、同一区間においてばらばらで、小学生・車椅子使用者・視覚障害者・高齢者・健脚者が入り混じって走っていた。
 私の場合は、ボランティアの中学生二人に1.2キロを押してもらった。中学生と話すとこの日のために車椅子の押し方を勉強したということを話してくれた。
 私のチームは、試走時に歩いていたためあまり正確な時間をつかんでいなかったのと、かなり弱気に設定した結果、20分前後の前倒しとなり、優勝とは程遠い大きな誤差であったが、初めてであって、楽しめたことにはとても満足であった。

 走者は目標タイムに向かって一生懸命に走り、待っているもの・走り終わったものは走者を応援する。車椅子使用者・小学生・視覚障害者・高齢者・健脚者がそれぞれの違いを乗り越えて一つの目標に向かって走り、終わったあとはお互いをたたえあう。
 このイベントを通して、年齢・性別・能力・状態の違いというのを頭ではなく、本当の意味で腑に落ちる形で理解するには、やはりこういった触れ合いこそが大切だということを大いに実感した。


◆まとめ

 ユニバーサルデザインは、デザインが付いているゆえか、よく建築・設計関係だけで捉えられてしまう嫌いがある。しかし、これは、年齢・性別・能力・状態の違いに関わらず、すべての人が社会に加わることが出来るようにしようという考え方であり、心のあり方を問うている考え方なのである。
 心のあり方というのは、本を読むことや一方的に話を聞くということでは身に付かないのではないだろうか?
 ユニバーサルデザインの意図するものを本当に理解するには、「いわてUD学校」のように、当事者たち(障害者・行政・NPO関係者・高齢者など)がそれぞれの立場を語り、理解しあう「対話」や、「ピポ・ユニバーサル ミニ駅伝」のように、障害や年齢、性別、職業、国籍の違う人たちがチームを組み、そして走る。同じ目標に向かって一つになる「触れ合い」がとても大切なのである。

 私の学び方は、今まではどちらかというと、書物を読み、ユニバーサルデザインに関する講演会に出席して話を聞くという形であったが、この心のあり方を学び、伝えるためには、それだけではまったく不十分であり、具体的な内容での対話や同じ目標に向かっての触れ合いこそが大切であるということを気づかされた。
 これからの活動の中で、対話や触れ合いの中で理解を深めていき、そして広めていきたい。



(注1)同行の詳細は 2002年7月月例「バリアフリーを考える ~車椅子議員との2日間の随行から~」 参照
(注2)アクセシブル盛岡は、平成5年(1993年)10月に12人の市民によって設立された市民団体でNPO法人格をとっていない任意団体として活動をしている。盛岡で商店街のバリアフリーやバリアフリー観光、ユニバーサルデザインの活動に取り組み、平成14年度には、バリアフリー活動功労者表彰「内閣官房長官賞」を受賞。
   アクセシブル盛岡 URL http://www.acc-m.com/
(注3)コミュニケーションスクエア21は、1999年に設立された団体で、「共生」を活動コンセプトに年齢・性別・能力・状態の違いに関わらずすべての人が集える場として、また「心のユニバーサルデザイン」を実現すべく、誰もが楽しめるスポーツイベント等に取り組んでいる団体である。東京青年会議所の2002年NPOアワード優秀志民活動賞を受賞。
   コミュニケーションスクエア21 URL http://www.npocs21.com/

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海老名健太朗の論考

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Kentaro Ebina

松下政経塾 本館

第22期

海老名 健太朗

えびな・けんたろう

大栄建設工業株式会社 新規事業準備室 室長

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「ノーマライゼーション社会の実現」

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