論考

Thesis

「夢」のある地方を目指して

今年度前半は松下政経塾出身の横尾俊彦・佐賀県多久市長、河内山哲朗・山口県柳井市長と二人の下で研修をさせていただく機会に恵まれた。2~3週間ご一緒する中で、自分なりに哲学を体得できるよう務めたつもりである。今回は松下政経塾出身の二人の市長の共通点、またインターンの経験から「夢」のある地方づくりへを目指しての提案をする。

松下政経塾出身市長の共通点

 松下政経塾出身と言っても地域や個性の違いもあり、スタイルも違う。しかし、多くの共通点もみられた。

1.「現場第一」

「現地現場主義」は松下政経塾の研修方針であるが、二人の市長は見事に実践されている。「火災」を例に挙げると7月の月例報告でも述べたように横尾市長は火災が発生すると極力現場に駆けつける。河内山市長は火事の消化後にも火事にあったご自宅のみならずお手伝いいただいた周辺宅を訪問されているとのことである。

 自動車・二輪車などのメーカーのホンダには「三現主義」という言葉がある。「『現場』で『現物』を見て『現実』に即した対応をする」ことである。戦後の偉大な経営者として並び称される本田宗一郎氏と松下幸之助氏が共に「現場」を大事にしていること、また現在の経済不況の中でも世界的競争力を保持する企業も共通して「現場」を重視していることは大変興味深い。

 また、「現場」で「自習自得」するためには普段から問題意識を持ち続け、勉強しておくことが不可欠であることを実感した。なぜならば、現場にいると問題が多く見ることができる反面、自分の問題意識を持たないと自分に必要な問題が見えてこないからである。

2.掃除

「日本をよくするために毎朝早く起きて掃除をするように」、「身のまわりの掃除もできない人間に日本の掃除はできない」とは松下幸之助塾主の言葉である。柳井市役所では河内山市長、企画部長他職員有志の方々が「環境美化クラブ」をつくり定期的に市役所周辺の掃除をされている。私も市庁舎の周りを昼休みを使って炎天下の中掃除をしたが、市役所の回りは缶、ビンはなく、大変きれいに保たれている。横尾市長も初登庁前に市役所の周りを掃除して登庁したり、毎月一回掃除の会を今でも定期的にされるなど掃除に取り組まれている。また、中田宏・横浜市長も衆議院議員時代から「トイレ掃除」に参加されているなど、松下政経塾出身首長に「掃除」という共通項があるのは単なる偶然とも思えない。

3.その他

 両市長とも会議等では積極的に発言をされている。今回、それぞれの県市長会、県市町村職員共済組合などの会議も傍聴させていただくことができた。通常市町村長が言いにくいようなことでも県に対してしっかり意見を言われており、住民の現場を一番理解している市町村長の重要な役割を果たされているのではないか。また、普通であれば安易な形で終わる会議になりがちであるが、突っ込んだ発言があることで、いい意味の緊張感が走る。それは「パフォーマンス」としてではない。本当によいものを求める結果である。

 市長を支えるスタッフの方々の大変さは以前に述べたが、スタッフの方々から信頼が厚いのも二人の市長の共通点である。私が数週間ながら随行させていただいてもわかることであった。小さな一言でもねぎらいの言葉があると報われるのが人間の心情である。身勝手な政治家や経営者も多い中で、松下幸之助氏が大事にされていた「人情の機微」を知るの重要性を改めて感じた。

 孔子の里である多久市の横尾市長はもちろん、河内山市長も市役所のトップとして論語を大変大事にされている。お話の中に論語の言葉が何度も出てきた。やはり二千年の長い月日を生き残ってきた言葉は重く、多くのトップリーダーが大事にしているはずである。

夢のある地方へ

1.農業・林業・漁業

 人間は「食」なくしては生きていけない。これは誰もが知っている。しかし、高度な文明社会の中で、戦後の驚異的な経済発展の中で、我々日本人の多くはこのことを忘れてしまってはいないだろうか。人間は生きていくために「自然と闘い」ながら食料を確保してきたが、技術が発展した今となっては「当たり前」になってしまっている。そのことは農業・林業・漁業のいわゆる「第一次産業」に対して低く見る傾向があることにもあらわれている。

 日本人は二千年以上の長きに渡ってこの豊かな自然を持つ日本列島の中で生きてきた。自然への敬意と畏敬の念から神道が生まれ日本人の自然崇拝の精神性を形作ってきた。日本人こそ自然の中で生きていることに敏感であるはずだが、近年の様相はそうとも言えない。しかし、狂牛病問題や食品メーカーの不祥事、アトピーなどの病気により、「食の安全」に対する意識が高まってきたのも事実である。「価格」は重要な側面ではあるが、安全性や食文化をしっかり守るためにも「地産地消」は欠かせない。これは各地域でもそうだが、日本全体でも同じことが言える。そのためには、生産者と消費者の交流の仕組みづくり必要であり、産地や農薬などあらゆる情報が消費者に示され情報共有ができなければならない。「情報共有」の必要性は行政に限ったことではない。

 これらの問題を考えるとき、解決できるのは地方だけである。人類の生存という最も根本的な、最も崇高な事業に携わっているという誇りを農業・林業・漁業に従事される方々に持ってもらえるようにする必要がある。

2.活動する市長会

 各県の市長会でもあらゆる分野について意見書が出されている。住民に最も近い「先端行政」である基礎自治体の現場の声が意見として出ることは大変歓迎すべきことである。しかし、市長会の存在やそこで話し合われた中身について一般の市民の多くが知っているとは思えない。また、マスコミの取り扱いも小さいのではないか。私は市長会、町村会の議論の中身がより多くの住民に伝わるよう自治体の広報やHP、マスメディアでの取り扱いを大きくするべきだと考える。そうすることにより、住民の自治意識がより高まるように思う。知らされなければなかなかわからないことだからこそ必要ではないだろうか。

3.情報発信能力

 地方では地域活性化のために、いろいろな取り組みを素晴らしい多くの方々がされている。しかし、現在の日本では地方のいろいろな取り組みも一般の国民はほとんど知る機会がない。地方自治での取り組みでも首都圏に近い自治体の方がマスコミの取り扱いが多いのではないか。伝わらないのは情報発信能力の差である。平成14年度情報通信白書によると情報流通量の都道府県別シェアのうち、発信情報量では東京都が16.9%と断トツに高い。人口シェアが約10%と比べても高い。一人当たり情報量の全国平均を「1」とした場合の値も東京都は1.9と2倍近い。国レベルの問題も含むので簡単にはこの課題は解決できないが、インターネットや電子メールを使うなどより積極的な取り組みが必要である。

4.夏服の見直し

 今回、6~9月にインターンをさせていただき、その間に沖縄を訪問したことから、日本の夏服のあり方を改めて考えるきっかけになった。

 柳井市は周辺の7町村広域事務を行っているが、柳井市沖に浮かぶ周防大島の大島郡の4町も含まれる。会議など出席される際には4町の町長さんはアロハシャツを着用されている。初めは不思議に思ったが、大島郡からは多くのハワイ移民の歴史があり、「日本ハワイ移民資料館」がある。昭和38年(1963年)6月、大島郡とハワイ州カウアイ郡は「姉妹島縁組」に調印している。大島郡4町の町役場や銀行、郵便局などで、夏の制服としてアロハシャツを着る「アロハキャンペーン」は毎年6月20日から9月20日まで行われている。国際交流意識の高揚と、親しみのあるまちづくりを目指し、大島郡国際文化協会が呼び掛けて行っており、平成5年(1993年)から4町が揃って取り組んでいる。また、松下政経塾のある神奈川県茅ヶ崎市でも7月から8月にかけてアロハ推進月間を設けている。ちなみに、ハワイへ渡った移民の方々が着物をほどいてつくったのがアロハシャツの起源と言われている。

 私は大島郡のような取り組みはそれはそれでよいと思うが、地域経済との兼ね合いやデザイン、地域文化の向上という視点で見ると、沖縄の「かりゆしウェア」をモデルに各地域が取り組みを進めてはどうかと思う。「かりゆしウエア」の誕生のきっかけは、今から30年前の昭和45年頃である。沖縄らしい服が提唱され「おきなわシャツ」が売り出された。初めは価格が高く、デザインも少なかったので、人気が出なかった。平成2年、名称公募の結果「かりゆしウエア」に決定した。沖縄県ではアロハシャツや輸入シャツと区別するために「かりゆしウエア」の定義を設けている。(1)沖縄で縫製されたものであること、(2)沖縄らしさを表現する柄であること、の2点である。平成7年、沖縄県が“沖縄県観光立県宣言”をし、かりゆしウェアの普及を目指したのを皮切りに、県職員や 観光・旅行業等の夏のユニフォームに採用した。現在では、郵便局・役場から銀行・泡盛醸造メーカー・土産物店・一般企業まで着るようになっている。さらに平成12年、九州沖縄サミット開催時に各国首脳が着用したことで、知名度がさらに向上した。認知度も上がり、価格帯も下がったため、急速に『かりゆしウエア』は普及した。約30年間の関係者の努力が実ったのである。

 沖縄は夏が長く、9月に入って暦の上では秋と言っても、連日気温は30度を超え、日射しも容赦なく照りつける。本土の感覚では夏服の期間は6月から9月いっぱいまでだが、沖縄では5月から10月いっぱいまでである。実質は1年の半分以上、あるいは1年中を半袖で過ごすことも不可能ではない。ただ、本土でも6月から9月だけでも4ヶ月、一年の3分の1を占めるのである。例えば、東京の6~7月の気候は、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロの年間の気候とよく似ている。また、東京の7~8月は、東南アジアであるインドネシアのジャカルタやシンガポールと似ている。つまり、東京の6~9月の気候は、熱帯地域の気候に似ている事が分かる。また、8月の平均気温は北海道や東北地方を除くほぼ全ての地域で 27℃を超えており、日本の多くの地域は夏に高温になると言える。

 私はこのように亜熱帯の日本で夏服を着るのは東京―大阪間を今時新幹線にも乗らずに「東海道53次」同様に歩いていくようなものではないかと考える。「我慢比べコンテスト」ならまだしも通常で考えると正気の沙汰ではない。明治時代に西洋の文化を取り入れたのはいいが、スーツは日本の気候に合ったものではない。近年では軽装を奨励している自治体や企業も多く、ネクタイを外せば体感温度が2度ほど違うとのことである。私はそれはそれでよいとも思うが、何となくだらしなく、あまり格好のいいものではないように見えるのは私だけであろうか。日本には浴衣や甚平のような風土や気候に合った衣類がある。現在の社会環境でこれをそのまま使うのは難しいかもしれないが、日本の気候に合わせたものがあってもよいのではないか。沖縄の「かりゆしウェア」はその先陣とも言うべきヒントを与えてくれているように思う。

 私は環境的、経済的、健康的観点だけでなく、「新しい文化の創出」という意味で地域毎の夏服文化の創造を地域の繊維・被服業と連携してできないかとの認識を改めて強くした。「どこでもつくれる」同じものを着ていたのでは、グローバリズムの波には勝てない。しかし、「ここでしかつくれない」独自のものは、地方文化の向上と地域経済活性化の両方を担う可能性を持っている。

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福原慎太郎の論考

Thesis

Shintaro Fukuhara

福原慎太郎

第22期

福原 慎太郎

ふくはら・しんたろう

株式会社成基 志共育事業担当マネージャー

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「地域主権国家・日本」の実現 ~人と地域が輝く「自治体経営」~

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