論考

Thesis

松下幸之助が伝えたかったこと ~松下政経塾と日本伝統精神の継承~

1.はじめに

 松下政経塾に入塾して一年以上経過した。これまで様々な形で、松下政経塾の創立者である松下幸之助氏(松下政経塾では、松下幸之助氏のことを塾主と呼ぶ。以下塾主。)にまつわることを伝え聞いてきた。私は私なりに松下幸之助塾主の理念や松下政経塾を設立した思いを感じ取ってきた。松下幸之助塾主亡き後の松下政経塾において、その理念を感じ取ることは困難を要するが、残された文献や映像、寄付や寄贈による文化施設などは膨大なものであり、一つ一つを丹念に読み取っていけば、松下幸之助塾主が我々に何を残したかったのか、松下政経塾生に伝えたかったことは何なのかを理解することは十分可能である。松下幸之助塾主はいつまでも、松下政経塾における塾主であり、松下政経塾生は、社会の中で確固とした貢献をしていくことを、松下幸之助塾主と契約を結んでいると私は考えている。本稿では、私が5月から8月にかけて研修活動の中で取り組んだ松下幸之助研究の中から、松下政経塾とは何なのかあらためて問い直し、私にとっての松下政経塾とはどのようなものかを考え、そして松下幸之助塾主が我々に伝えたかったことは何なのかをまとめていきたい。尚、ここで検討する「松下幸之助が伝えたかったこと」とは、当然のことながら松下政経塾の公式見解ではなく、あくまでも松下政経塾第23期生である筆者が研修活動の中で感じ取ったものであり、読者の広範かつ建設的な意見を是非とも伺いたいと考えている。本稿は、2003年8月20日に、松下政経塾第24期生向けに行った私の講義、松下幸之助講座で使用した発表資料をもとに作成したものである。

2.松下政経塾について

(1)なぜ松下政経塾を建塾したのか

 私は、松下幸之助塾主が松下政経塾を建塾した思いは次の二つに集約されると考えている。

  1. 人材の受け皿として
  2. 結局は政治というものが一番大事だ!
 いずれも松下政経塾塾主講話録の中にでてくる塾主の言葉である。塾主は、松下政経塾生を目の前にした講話の中で、はっきりと松下政経塾を創設した熱い思いを語っている。

1.人材の受け皿として

 まず、私が共鳴しつつ一番印象に残ったのは、次の一節である。

「『21世紀の繁栄はアジアにくるから、日本はその受け皿になろう。受け皿になるには、受け皿になるような人材が必要だ。その人材をつくらなくてはいかん』というのが、この政経塾をつくった一つの動機です。」

 21世紀はアジアの時代であるということを塾主は常々語っていた。21世紀にはアジアの繁栄の時代がやってくる。それは半ば予言めいたものではあるが、そのアジアの繁栄の時代に日本が先立って優秀な人材を供給していかなくてはならない。その人材育成の機関として松下政経塾が創設されたのである。

 そして松下政経塾がまだ何の実績もなかった時代に、塾主は松下政経塾を創設して良かったと語っており、「いまはこういう小さい力だけれども、将来は、この政経塾が一つの転機となって、日本は21世紀を背負って立つ大きな受け皿の一つとなる」と述べている。そして高齢だったにも関わらず、塾生との会話の中で、「この政経塾は、政治、経済について、一つの大きな創造者にならなくてはいけない」という一つの信念を持ち、この松下政経塾を運営していった。

2. 結局は政治というものが一番大事だ

 そして松下政経塾を創設したもう一つの大きな理由が、「志」を政治の世界で実現させていこうとする者の育成である。塾主は、講話の中で、「みなさんはここで五年間勉強して、卒業したらそれぞれ志す方面へ進むわけですが、政治家になりたいという人が一番多い。私もそれを望んでいるわけです。」と述べている。

 塾生はそれぞれ胸に込み上げてくる問題意識と、実現するための具体的な「志」を持っているが、塾主は特に政治の世界でその具現化を目指す人材を求めていたのである。さらにその人材を、実際に政治の世界で活躍できるだけの見識を備えるまでに育成していこうとしていたことが、次の発言から読み取れる。「政治的な見識を持って、しかも当選する人がなくてはいかん。そういう人を養成しなくてはならない」。

 塾主はそもそも日本の現状を憂いていた。そしてその憂いは行きつくところ政治に根本的な原因があるのではないかと感じていたのである。塾主は、「日本の当時の現状から将来というものを考えたら、どうも腑に落ちないことがたくさんあった。このままではいかんなぁと考えた。結局は政治というものが一番大事だと感じた」と語り、結局は政治というものが一番大事だということを強調している。

 そしてその政治の世界で、塾主自身が関わっていくのではない。「もし私が40年ほど若返ることができたら、こういう塾をしなくても、政治そのものに入っていけばいいわけです。けれどもこう歳をとってからはダメです。結論は、諸君に代わってやってもらうということです。」

 つまり、日本の現状を憂いていた塾主が、将来の日本、世界のために政治の分野で活躍していく若い人材を育成していこうというのが、松下政経塾が設立されたもう一つの理由であり、塾主の熱い思いであったのだ。

(2)設立趣意書に立ち返る

 松下政経塾には設立趣意書が存在する。その設立趣意書を、問題意識、仮説、結論の三部分に分けて紐解いていくと松下政経塾が設立するに至った塾主の熱い思いがさらにわかりやすく伝わってくる。

◎問題意識・・・現在の日本は、国家の未来を切り開く長期的展望にいささかかけるものがあるのではないだろうか
◎仮説(1) ・・・国家百年の安泰をはかっていくためには、国家国民の物心一如の真の繁栄をめざす基本理念を探求していく必要があるのではないか
◎仮説(2) ・・・人材、とりわけ将来の指導者たりうる逸材の開発と育成こそ、多くの難題を有するわが国にとって課題なのではないか
◎結論・・・正しい社会良識と必要な理念、ならびに経営の要諦を会得した青年が、将来為政者として、あるいは企業経営者など各界の指導者として日本を背負っていくとき、真の繁栄、平和、幸福への力強い道が開けてくる

 現在の日本の状況を、物質的な豊かさは享受しているものの、長期的な展望に欠け、行き当たりばったりでその場しのぎの対応しかしていないのではないかという問題意識に対して、その状況を打開するためには、「物心一如の真の繁栄を目指した基本理念の確立」とその理念を具現化していく「将来の指導者たりうる逸材の開発と育成」の必要性を説いている。

 そしてこの松下政経塾の研修を終了した、「正しい社会良識と必要な理念、ならびに経営の要諦を会得した青年」である松下政経塾生が各界の指導者として日本を背負っていくとき、「真の繁栄、平和、幸福への力強い道が開けてくる」と松下政経塾における人材育成の目的と将来像を述べ、松下政経塾の設立の趣意を述べている。

 それではこの松下政経塾の研修のあり方とはいかなるものであろうか。松下政経塾設立趣意書には次のように書かれている。

◎設立趣意書にみる研修のありかた

「この政経塾においては、有為の青年たちが、人間とは何か、天地自然の理とは何か、日本の伝統精神とは何かなど、基本的な命題を考察、研究し、国家の経営理念やビジョンを探求しつつ、実社会生活の体験研修を通じて政治、経済、教育をはじめ、もろもろの社会活動はいかにあるべきかを、幅広く総合的に自得し、強い信念と責任感、力強い実行力、国際的な視野を会得するまで育成したいと考える。」

 研修で習得する基本的な命題は三つある。一つは「人間とは何か」であり、二つ目は「天地自然の理とは何か」であり、三つ目が「日本の伝統精神とは何か」ということである。そして具体的な研修内容は二つである。一つは「国家の経営理念やビジョンを探求すること」であり、二つ目は「実社会生活の体験研修を通じて政治、経済、教育をはじめ、もろもろの社会活動はいかにあるべきかを、幅広く総合的に自得」することである。

 松下政経塾に入塾すると、この設立趣意書を読み返すことは、何かの機会がないとほとんどないと思われる。しかし、松下政経塾の設立の経緯に触れ、この趣意書を読み返すとき、自らの「志」とこの松下政経塾で研修を通じて身につけた確かなものを自覚し、大きな震えを持って世の中に貢献していくという使命感を感じずにはいられない。

(3)政経塾とは何をする場所か?

 つまるところ松下政経塾とは何をする場所なのかを考えてみたい。そのためにまず松下政経塾が考えるリーダー像とはどのようなものなのであろうか。再度、設立趣旨を読み解くと次の三点が挙げられる。

◎松下政経塾の考えるリーダー像
   1.強い信念と責任感
   2.力強い実行力
   3.国際的な視野

 松下政経塾では、上記の三点を会得するまで育成することが目標とされ、このことは松下政経塾設立趣旨書にも明記されている。そして研修を終了した塾生には以下の三点が会得されていることが必要とされている。

◎研修で会得するもの
   1.正しい社会良識
   2.必要な理念
   3.経営の要諦

 いち塾生として、これまでの研修を通じて、「指導者の資質とは何か」、「自分の考える理想のリーダー像とはどのようなものか」を常日頃から考えてきたが、松下政経塾の考えるリーダー像は私にとって一つの大きな指針となっている。さらに、松下政経塾を卒業し、世の中で活躍する先輩方を見渡してみると、多くの松下政経塾出身者に上記の資質が備わっていると感じることができる。

 さらに研修を通じて会得するのに一番難しいと私が考えるのは、「経営の要諦」である。塾主の考える「経営」とは、単なる損益計算ではない。それは「自己経営」であり、「組織経営」であり、「国家経営」まで含めたすべてにおける経営感覚である。つまるところ一番重要なことは、「人心」である。つまり松下政経塾の研修において身につけることは、いかに人の心に迫ることができるようになるかなのではないだろうか。それは人間に対する深い洞察と理解なしには到底なしえないことであると思う。

 私は、つまるところ松下政経塾は「人間を深く見極めるところ」であると考えている。

(4)政経塾はいつまでも「言い出しべぇ」~松下政経塾の役割~

 次に松下政経塾の果たすべき役割について考えてみたい。松下政経塾はこれまでの24年間で、約200名の卒業生を輩出してきた。卒業生が活躍する分野は、政治家をはじめ、学者、ジャーナリスト、企業経営者など非常に多岐にわたる。そして松下政経塾出身者のこれまで果たしてきた役割は、明らかに「先駆開拓」の精神を持って非常に多くの人々の心に強いインパクトを与えてきた。

 松下政経塾は各界の指導者の育成を目指しているが、その一人一人の指導者がそれぞれ異なる方向性を持っていてはどんなに長期的な展望を持った理念を探求しても意味をなさなくなる。

 松下政経塾の出身者を幕末の動乱期を生き抜いた志士たちと重ね合わせてみると、松下政経塾全体としての役割がみえてくると考えている。幕末の英雄は、坂本竜馬一人ではない。徳川幕府の幕を閉じた徳川慶喜のような人物も必要であるし、地方から日本を変えていった西郷隆盛や高杉晋作、幕府の役人の身分であった勝海舟のような人物もいる。日本の歴史上、世界に誇る改革を成し遂げたのは一人の人間ではなく、まさに一人一人が自分の天分にあった役割を果たしたからに他ならない。

 私はまさに、松下政経塾の出身者も自分の「役割」というものを自己認識し、これからの日本の改革を自らの役割の中で果たしていくべきものと考えている。松下幸之助塾主も講話録の中で、幕末の志士たち、特に松下村塾の出身者を例に出し、「何千人もいりますよ。リーダーというものは。・・・政経塾は一つの『言い出しべぇ』になって、政経塾に準ずるものが、おそらくまだまだできてくるでしょう。だから政経塾はしっかりやらなくてはいかん」と述べている。

 これまでの松下政経塾24年の歴史の中で、松下政経塾出身者の果たしてきた役割は、例えば「カバン、カンバン、ジバン」がなくても、若くて高い志のある者が選挙に立候補し、国政を担うことができるという、一つの先駆的な役割を果たしてきたと言える。

 これからの松下政経塾は、塾員相互のネットワークと絆、さらには塾員に染みついたDNAを、「日本の国を良くする」という名の下に生成発展の道を歩み続けていくにちがいない。

3.私にとっての松下政経塾~人間の本質を見極める場所~

 それでは実際に現在の松下政経塾がどのようなものなのかを考えてみたい。松下幸之助塾主が伝えたかったことを考察するにあたり、まずは、自分の経験から松下政経塾は何をする場所で、どのような場所であったのかを考察していきたい。そのために自分の入塾動機から振り返り、入塾後の一年目の研修で感じたことや新しく松下政経塾を目指す人々に向けて感じたことを述べていきたい。

(1)私の入塾動機

 私が松下政経塾に入塾しようと思った動機は主に以下の三点である。

 1.松下政経塾でなければならなかった理由
   ・確固とした国家観を見据える
   ・指導者たるべき人格形成
 2.松下政経塾に共感するところ
   ・国家百年の大計を考える人材の受け皿を目指している
   ・現地現場主義-シンクタンクではなくドゥータンク
 3.松下政経塾で成し遂げたいこと
   ・21世紀日本のフロンティアを築く

 松下政経塾に入塾する前、私は自分自身に対して、さらなる人格形成が必要であると感じていた。さらに、日本の社会に貢献していくにあたり、確固とした国家観を見据える必要があるのではないかと感じていた。それが入塾しようとおもった最大の動機である。

 さらに入塾前に松下政経塾出身の国会議員をよく知っていたこともあり、松下政経塾が国家百年の大計を考える人材の受け皿を目指していることや現地現場主義を標榜し、シンクタンクよりもドゥータンクを目指していることを知り、深く共鳴していた。そして自分自身の目標の中に、21世紀日本のフロンティアを築いていきたい、特に外交の分野で活躍していきたいと考えていたので、松下政経塾を志望した。

(2)一年目の研修について私が感じたこと

 松下政経塾の一年目の研修については松下政経塾ホームページに詳しいのでここでは触れないが、一年間の研修を通じて私が感じたことは主に四点ある。

 1.『自己経営』ができなければ生きていけない
 2.素直な心-他者との関わりの中で感じる自己の内面-
 3.確固たる目的を持たずして研修はできず-自分にテーマを課してはじめて理解すること
 4.松下幸之助塾主が伝えたかったこと-誰のために何のために政経塾は存在するのか

 まず、すべての行動が自分の活動計画に基づくものであり、究極的には自分の活動計画のみに拘束されるという点から徹底的な『自己経営』ができないと生きていけないということが言えるのではないかと思う。限られた予算の中から、イツまでに、何を、どのように目標を達成していくのか。さらにスケジュール管理、人間関係の構築などその『自己経営』は多岐に渡る。私はこの『自己経営』というものを一番重要視し、現在の研修活動においても常に意識しながら活動している。この小さな『自己経営』というものが、松下幸之助塾主の言う『経営の要諦』を身につけることに通じると考えているからである。

 次に、松下政経塾ではルーティーンワークが存在せず、常に自分から積極的に他人と関わっていくことにより活動を広げていかなければならない。その他人との関わりの中で、何かに囚われていたり、自己の内面に何かの偏見を持っていては積極的に人と関わっていくことができない。つまり松下幸之助塾主の言う『素直な心』を持っていなければ何もすることができないのである。

 そして松下政経塾の研修の中で、例えば茶道や剣道、経済講座など様々な講座が用意されているが、それをただ単に技術や知識を高めていくというだけの目的で受けていっても、私は意味がないと思った。何のためにこの研修をするのか、確固たる目的を持ってはじめてそれらの研修が意味を持つのではないかと感じた。私は常にその時々の講座に対して自分にテーマを課すことにしていた。

 自分にテーマを課すことのほかに、私は常に「松下幸之助塾主が我々に伝えたかったことは何か」を意識しながら研修していった。松下政経塾設立趣意書で読み取ることのできるような、松下政経塾は、誰のために何のために存在するのかということを意識することが塾生としての義務であると考えてきた。

(3)私にとって松下政経塾とはどのようなものか?

 私にとって松下政経塾とはどのようなものか。卒業して世の中で活躍して初めて気づくことのほうが多いかもしれない。しかし現在感じることのできることがいくつかある。

 1.同期の存在
  ・嫌でもいつも一緒
  ・全く別の視点、異なる価値観 ⇒だからこそ価値がある!
 2.自分だけの価値観は通用しない
  ・広い意味での政治
  ・狭い世界での政治      ⇒人間を深く見つめる必要性
 3.何はともあれ政経塾生
  ・一流の人物との交流
  ・小野貴樹ではなくあくまでも政経塾生
 4.時間・空間・経済
  ・感謝してもしきれない
  ・卒塾後社会に貢献するという政経塾との契約関係

 一年目の研修において同期は常に一緒であり、しかも少人数であるので、その関わりは非常に深いものにならざるを得ない。ましてや全寮制なので住む場所も同じであり、嫌でもいつも一緒である。そしてある一定の価値観を持つもの同士が寄って集まったわけでもなく、それぞれの価値観や入塾した背景も異なるので、時には一緒にいることさえ苦痛に感じることもある。一年経過した現在では、だからこそ同期の価値があると感じるに至っている。

 さらに松下政経塾では、様々なところに研修にでて、様々な人々との関わりの中で、研修を行っていく。そこには自分だけの価値観は通用しない。何かの目的を達成したいときや、多くの意見を集約させようとするときには、広い意味での政治というものが必要になっていく。根回しや、物事の言い回し、能力の向上など、考えようによっては一切の人との関わりが政治という枠の中で語ることができると言っても過言ではない。そのような活動の中では、人間を深く見つめる必要がでてくる。

 そして在塾中に常に感じることであるが、どこにいても「小野貴樹」という個人の存在よりも、松下政経塾の塾生として見られることになる。世の中で一流と呼ばれる人と交流する機会が非常に多いのではあるが、それは何はともあれ松下政経塾の塾生であるからこそであることを忘れてはいけない。

 そして私にとって松下政経塾は、社会に貢献していくという自らの志を追求していくための時間と空間を、経済的な支援のもと提供していただいていると言う点において、感謝してもしきれない存在である。私はそれを、私と松下幸之助塾主との、社会に貢献していくという契約関係にあると考えている。

(4)新しく松下政経塾を目指す人に感じること

 松下政経塾の研修の中で、体験入塾や入塾説明会などで、松下政経塾に入塾を希望する人との交流がある。私は、体験入塾において、入塾希望者に対して、次のようなことを述べた。

◎体験入塾参加者に向けて思うこと(松下政経塾とは?)
 1.何かを求めてくる場所ではありません
 2.勉強するところではありません
 3.政治家養成学校ではありません
 4.就職先、転職先としては極めて不適当です

 続けて私は、皆さんに次のようなことをお願いした。

  「誰のために何のために行動を起こすのですか?」
  「胸に込み上げてくる問題意識はありますか?」
  「具現化する、具体的なビジョンはありますか?」
  「単なる夢では終わらせることのできない『こころざし』持参してください。」

(5)松下幸之助塾主が我々に伝えたかった一番重要なこと

 松下政経塾の建塾の精神や、松下幸之助塾主の思いに触れるとき、松下政経塾の塾生として「こころざし」というものがいかに大切であるか常日頃から痛感してる。さらに松下政経塾とは、これからの日本を良くしていくというその「こころざし」を具現化するために、人間の本質を見極める場所であると私は考えている。そしてそれこそが松下幸之助塾主が我々に伝えたかった一番重要なことであると私は考えている。

4.松下幸之助が残したもの

 松下幸之助塾主が伝えたかったことの一つに、関西に点在する建造物などがある。また研修の講座に取り入れられている茶道など、日本の伝統文化に関するものもある。ここでは一年目の研修で行った関西研修をもとに、関西に点在する松下幸之助塾主の痕跡を紹介し、松下幸之助塾主の著書『人間を考える第2巻 日本の伝統精神-日本と日本人について-』から、日本人として大切なことを検討していく。

(1)関西に点在する松下幸之助の痕跡

1.真々庵-根源の社

真々庵の庭園を見学する松下政経塾第23期生


 真々庵は松下幸之助塾主がPHP研究思索の場所として、昭和35年に開所された。真々庵の「真々」とは、真実真理を探求する道場であることを意味している。庭園は細かいところまで塾主の意向により創られており、根源の社も置かれ、松下幸之助塾主の精神的な拠り所となっていた。

2.PHP研究所

PHP研究所・江口克彦副社長

PHP研究所本社内にある松下幸之助塾主の書斎

 PHP研究所は、"Peace and Happiness through Prosperity"(繁栄によって平和と幸福を)という理念を探求するために、1946年に開設された。京都の本社には、松下幸之助塾主の書斎も残されており、昨年の関西研修の際には、長年、松下幸之助塾主の側で仕事をしてこられた江口克彦副社長が、松下幸之助塾主に関して講話してくださった。

3.霊山歴史館

霊山聖域にある坂本竜馬と中岡慎太郎の墓


 霊山歴史館は、全国唯一の幕末、明治維新の専門歴史博物館である。1970年に開館し、母体の霊山顕彰会の初代会長には松下幸之助塾主が就任している。霊山歴史館の向かいにある霊山聖域とよばれる場所には、坂本竜馬と中岡慎太郎の墓もある。ここにはそのほか、維新の志士約3100柱が合祀されている。

4.宗家茶道研修

裏千家家元の今日庵の前で松下政経塾第23期生と茶道をご指導くださっている紺谷先生

 松下政経塾の一年目の研修には、茶道が必修となっている。茶道の研修で使用する教科書『新版 茶道』の「はじめ」の部分に裏千家の家元が、次のように述べておられる。

  • 「現代にいきるわたくしたちにとって、今一番大切なことは何でしょうか」
  • 「それは人間としての本来の心を持つということではないでしょうか。動物のような本能的にいきるのではなく、真・善・美の三位一体を備えた人間となるのが本当の人間らしい生き方といえるのです」
  • 「茶道を身につけることが日本人の心の豊かさと和らぎとを得る最上の方法であったかということを卒業の時に初めて理解できると思います」
  • 「これからは道としての茶、文化としての茶、修行としての茶といった『道(心)・学(茶道学)・実(実技を通じての働き)』の三つを実践しながら、現代のはげしい移り変わりに対処できる、新しい人間像を、茶道の中から見出すことを願ってやみません」
 家元のおっしゃっている、「現代の激しい移り変わりに対処できる、新しい人間像」とは何かを考えるとき、それは松下幸之助塾主の考えてきた新しい人間観に通じるものがある気がしてならない。そして、それを茶道の中から見出すことを願ってやまないのは、塾主も同じだったのではないだろうか。

5.松下電器産業・松下歴史館

 昨年の関西研修において、松下政経塾の理事長でもあり、松下電器産業の松下正治名誉会長が、松下電器産業本社で我々に講義してくださった。また松下正幸副会長も講義してくださった。それらのご講義は、まさにこれからの日本の行く末を真剣に考えたものであり、実際に最先端の現場で活躍されている真に迫る内容であった。

松下正治松下電器産業名誉会長

 松下電器産業は言うまでもなく松下幸之助塾主が創業した、日本を代表する企業である。塾主の築き上げてきた「Panasonic」のブランドは今や世界のどこにいっても目にすることができる。本社は大阪府の門真市にあり、松下歴史館は本社近くの松下電器産業の敷地内にある。松下歴史館は、予約なしでどなたでも参観することができるので、是非とも訪れていただきたいところである。ここには、松下幸之助塾主の生い立ちから、これまでの非常に詳しい資料が展示されている。松下幸之助塾主が松下電器産業において行った講演記録などが残されており、塾主の生き様や経営理念、人材育成への思いが生の声で聞くことができる。

「道」・・・松下歴史館に入るとすぐ目に付く

6.伊勢神宮

 伊勢神宮の宇治橋を渡ってすぐ左側のところに、松下幸之助塾主は、「神宮茶室」を寄贈している。日本の伝統や文化など、日本人として塾主が何を大切にしなければならないかを、このような建造物を通じてしることができる。

伊勢神宮の宇治橋

7.塾主の墓

 JRの和歌山駅から紀ノ川沿いに三つ目の千旦(せんだ)という駅の近くに、和歌山市立松下公園があり、その隣に松下幸之助塾主の墓がある。塾主は1894年11月27日、和歌山県和佐村(現和歌山市)で生まれた。八人兄弟の末っ子で、近くの紀ノ川で魚を釣ったり、鬼ごっこをしたりして平穏な日々を過ごしたという。松下幸之助塾主のお世話になっているものとして、ここは何度か訪れて墓参している。

松下幸之助塾主の墓


(2)日本の伝統精神~日本と日本人について~

 松下幸之助塾主が残してきたものは、建造物などのほかに多くの書著が存在する。新しい人間観の提唱をした著書が恐らく松下幸之助理念の中で、最も代表的な著作であろう。ここでは、塾主自身が新しい人間観のあり方を研究するに先立って、日本人自身が、日本というものに考えておく必要があると考えて書かれた、『人間を考える第2巻 日本の伝統精神 日本と日本人について』を紹介し、あらためて松下幸之助塾主が残したかったものを検討してみたい。

 まず塾主は、人間の本質とは何かという基本の人間観に基づいて、政治はどうあるべきか、経済はどうあるべきか、教育はどうあるべきかという人間の諸活動のあり方について研究する前に、まず日本はどのような国なのか、日本の伝統精神とはいかなるものなのか、日本人の国民性、日本精神とはどういうものかを日本人自身が知らなければならず、「そういうものを知って初めて、そのような日本独特の国民性に基づいた政治なり、その他の諸活動はいかにあるべきかということが、正しく考えられると思うのです」と語っている。

 そして1章から7章までの章立ては次のようになっている。

  1. 日本の歴史と気候風土
  2. 日本の天皇制
  3. 日本の伝統精神-衆知を集める
  4. 日本の伝統精神-首座を保つ
  5. 日本の伝統精神-和を貴ぶ
  6. 失われつつある日本の伝統
  7. 日本人であること
 詳細は是非ともこの本を一読願いたい。ここでは主に私自身が強く印象付けられたことや、松下政経塾と関連して述べられていることを紹介する。

 1章では、日本の建国の理念とは、天皇家の祖先の思想を概して、自分の権力欲のためというよりは、みなの幸せということを中心に考え、いわゆる徳の政治から出発しているのではないかと考察し、「日本という国は一国一民族で、天皇家を中心に二千年にわたる長い間一環して発展してきたというその歴史においても、島国の中で変化に富んだ国土と豊かな四季を持つというその気候風土においても、他の国々とは非常に異なった独特のものを持っているわけです。そしてその上に立って、そうした歴史と気候風土によって育まれ培われてきた日本の国民性とはどういうものであるかを考えていくことが大切だと思います」と述べている。

 2章では、二千年の間、天皇は決して終始一貫権力者として国民を統治してきたのではないが、「祭政一致とでもいいますか、一方で建国の祖、民族の祖である皇祖皇教を中心とした神々を祭り、敬いつつ、一方で徳をもって国民を治めていくという徳政の姿ではなかったかと思います」と建国の理念を天皇の統治のあり方から考察し、「日本の伝統精神というものは、天皇家の姿の中にあらわれているのではないかと思うのです」と述べている。

 そして3章以下で、日本の伝統精神として「衆知を集める」、「首座を保つ」、「和を貴ぶ」の三点を挙げ、6章で、「日本の歴史、伝統を尊び、そこに一切の基礎を置いて物事を行うというのではなく、むしろそれを軽視したり、あるいは否定するようなものの考え方も一部にはみられるように思います。そしてそういうところに、今日の社会におけるもろもろの混乱、混迷が生じてきた大きな原因があるのではないかという気持ちもあるのです」と、終戦以来今日まで次第に失われてきたこと憂いている。

 そして最終章で、まず、「日本人が日本人としての自覚を取り戻し、日本の歴史、伝統を再認識して、伝統の精神を今日の民主主義に則した形で生かしていくことが、今何よりも大切になってきているといえましょう」と、かつて日本が仏教を受け入れ、それによって伝統精神を豊かにしてきたように民主主義においても日本の伝統精神を生かした明日の日本を築いていく必要を説いている。そして日本人としての運命として、「お互いが日本の国に生まれ、日本人であることが一つの運命だとするならば、我々はこの是非善悪以前の事実を素直に認識して、日本人であることに心を定めるということが大切ではないかと思います。その運命はそのまま承認し、その上に立って積極的にこの日本をより好ましい国にしていこうと心を決めるのです」と、素直に日本人であることを受け入れ、心に定めることの大切さ、その上に立って日本を良くしていく必要があることを説いている。

 そして最後の部分で、来るべき21世紀には、繁栄はアジアにめぐってくること、日本はそこで非常に重要な役割を担い、アジアに、ひいては世界全体に貢献していくことが21世紀の日本のあるべき姿であると、松下政経塾講話録で、松下幸之助塾主が塾生を前に講話したことと同様のことを述べている。その上で、「そういう心構えを持って、そのための準備をしていくことが、今日の日本と日本人にとってきわめて大切だといえましょう。いわば繁栄の受け皿作りを早急にしていかなくてはならないということです」と述べている。

 私はまさにこの受け皿とは、松下政経塾講話録や設立趣意書から察して、松下政経塾に他ならないと感じた。松下幸之助塾主は、松下政経塾において、日本の伝統精神といういものをまさに我々に伝えたかったに違いない。最後の一説に塾主は、「そのためにまず第一にしなくてはならないことが、これまで述べてきた、日本人の自覚にたって、伝統精神を取り戻し、これを今日に生かしていくことだと思います」と述べている。

5.結び

 本稿では、松下幸之助塾主が我々に伝えたかったことは何かについて、松下政経塾の設立の経緯から、実際に入塾した私自身の感想を含め、まず松下政経塾とは何かということを考察した。そして松下政経塾とは、「人間の本質を見極める場所」であること、そしてそれこそが松下幸之助塾主が我々に伝えたかったことの一番重要なものであると私は結論づけた。

 次に、昨年の関西研修の中から、松下幸之助塾主が実際に残していった痕跡をたどり、塾主の著書から、日本の伝統精神を取り戻し、日本人としての自覚取り戻し、それを今日に生かしていくことが松下政経塾生に求められているのではないかということを述べてきた。

 これらはいずれも松下政経塾設立趣意書に書かれた、松下政経塾の研修で習得する基本的な命題に含まれているものであるが、松下幸之助塾主が我々に伝えたかったこととして、あらためて探求し、かみ締めてみると、その深みは一層増してくる。

 松下政経塾では、塾生として数年過ごし、卒業したあとも、松下政経塾塾員として世の中で活動していくことになる。松下政経塾との出会いは、まさに松下幸之助氏との出会いであり、その付き合いは一生続いていくことになる。そしてここで取り上げた基本的命題も、一生をかけて追求していくことになるであろう。私は今はまだ、そのほんの入り口にいるにしか過ぎない。

参考文献

 松下政経塾設立趣意書

  • 松下幸之助『リーダーを志す君へ-松下政経塾塾長講話』(PHP研究所、1995年)
  • 松下幸之助『君に志はあるか-松下政経塾塾長問答集』(PHP研究所、1995年)
  • 松下幸之助『人間を考える-新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて』(PHP研究所、1995年)
  • 松下幸之助『若さに贈る』(PHP研究所、1999年)
  • 松下幸之助『指導者の条件-人心の妙味に思う』(PHP研究所、1989年)
  • 松下幸之助『道をひらく』(PHP研究所、1968年)
  • 松下幸之助『素直な心になるために』(PHP研究所、1976年)
  • 松下幸之助『私の夢・日本の夢』(PHP研究所、1994年)
  • 松下幸之助『遺論 繁栄の哲学』(PHP研究所、1999年)
  • 松下幸之助『人間を考える第2巻 日本の伝統精神 日本と日本人について』(PHP研究所、1975年)
  • 松下幸之助『松下幸之助の哲学-いかに生き、いかに栄えるか』(PHP研究所、2002年)
  • 樽床伸二『わが師松下幸之助-松下政経塾最後の直弟子として』(PHP研究所、2003年)

 その他、松下政経塾の蔵書やビデオなど、多数。

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小野貴樹の論考

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Takaki Ono

松下政経塾 本館

第23期

小野 貴樹

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