論考

Thesis

日本外交の要諦 ~「国力」を再検討し「国益」を見据えた外交を~

1.はじめに

 前章(5月度月例報告)では、国益とはどのようなものかを概観した上で、日本の国益を考えるキーワードとして「生き残りをかけたせめぎあい」であると述べた。さらに「国益は国力によって支持されなければならない」というモーゲンソーの言葉の重みを確かめるために、先の大戦中に斎藤隆衆議院議員が行った粛軍演説を抜粋して当時の日本の中枢を担っていた人々が、国益と国力を見誤ったがために、斉藤隆夫の言う「国家百年の大計を誤るようなことかありましたならば現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない」ということが現実のものとなってしまったことを述べた。

 本章では、国益を考える上で重要な国力について検討していく。まず、戦後日本政治の中で国力がどのように使われてきたのかを外務大臣の国会内における外交演説などから概観し、その上で国力とは何かという基本的なことを整理する。最後に松下幸之助塾主の論文から日本の国力をどのように高めていくべきなのかを述べていきたい。

2.戦後日本外交における「国力」の意味

 本節では実際に日本外交の中で、「国力」という言葉がどのように使用され、「国益」としてどのようなことが述べられてきたのかを検討していく。日本外交の場で使用されてきた「国力」という言葉を検討するにあたって、国会内における外務大臣演説を検討資料とした。

 戦後内閣の歴代外務大臣の中で、国会内で行った外務大臣演説で「国力」という言葉を使用した外務大臣は意外と少ない。戦後、国会内における外務大臣が行われるようになった第二次吉田内閣(1949年4月)以降、歴代内閣の外務大臣29人(二度就任した外務大臣も一人と数える)のうち、国会内における外交演説の中で「国力」という言葉を使用しているのは、重光葵、藤山愛一郎、椎名悦三郎、愛知一揆、福田赳夫、大平正芳、宮沢喜一、桜内義雄、安倍晋太郎、倉成正、渡辺美智雄のわずか11人だけである。さらに通常国会、臨時国会、特別国会おける外交演説が合わせて68回行われたうち、「国力」を使用している演説は、下記で紹介する19回のみである。

 そして1993年1月の宮沢内閣における渡辺美智雄外務大臣を最後に、今日まで国会内における外務大臣演説から「国力」という言葉は一言も言われていない。「国力」の使用のされ方を時系列で考察していくと、社会心理学のマズローの欲求段階説に似て国益の段階が徐々に変化してくる。第一の段階は、自主独立の段階であり自国の安全と繁栄を追求する段階、第二の段階は経済的な成長を背景として自国の安全と繁栄は世界の安全と繁栄に帰すると自覚し国際社会への貢献を追求する段階、第三の段階は経済的な成長だけでなく、技術や人的・知的なものも含め国力を自覚し、国際社会に対する指導力を発揮しようとする段階である。

 第一の段階は下記の(1)から(19)のうち、(1)と(2)の重光葵外務大臣演説に見られる。重光葵外務大臣は「総合国力の向上」を訴えている。これは当時の日本の国益が、「自主独立の精神を作興すること」や「国防を全うする」ことが国益に他ならなかったからである。

 第二の段階は下記の(1)から(19)のうち、(2)から(18)までの外務大臣演説に見られる。かなり大雑把な分類ではあるが、一貫して経済成長を背景とした国際社会への貢献を訴え、世界の安全と繁栄によって日本の安全と繁栄がもたらされることを国益としている。

 第三の段階は下記の(19)の渡辺美智雄外務大臣演説に見られる。もはや経済的な国力だけでなく、技術力や人的・知的な協力を通じ、積極的に努力することにより、「国力にふさわしい指導力を発揮」することを目指している。国益として「平和と自由と繁栄」が述べられている。

 1993年以降に外務大臣演説の中で「国力」が述べられていないのは、実は第四段階といえるかもしれない。経済的にも停滞しながらも、国際社会における役割は増大してきている。それがゆえにそれまで「国力」という言葉が使用されるときに多くの場合に併せて使用された「国力にふさわしい役割と責任」という言葉が欠如している。

 国力と国益の関係を鑑みながら外交を行って行く上で、今こそ「国力」というものを再認識し、その増強に努めるときなのではないだろうか。

<資料>「国力」を使用した国会内における外務大臣演説(抜粋)(下線部は筆者によるもの)

(1)第一次鳩山内閣 重光葵外務大臣 第21回通常国会(1955年1月22日)

わが国際的地位の向上に最も必要なものは総合国力の涵養であることは言うまでもありませんが、いずれにしてもまず自主独立の精神を作興することがその前提であります。自主独立の完成こそわが民族の悲願でありまして、われわれは敗戦の跡を一掃して自衛の体制を整え、経済の自立を実現し、社会不安を除去して新日本の建設に努力を結集する決意を有するものであります」
(2)第三次鳩山内閣 重光葵外務大臣 第24回通常国会(1956年1月30日)
「防衛問題はもとより日本自身の問題であり、日本において自衛上必要なる国防を備えることは、独立国家として当然のことであります。しかしながら、現代における国防は、単に武力のみを持って論ずるわけには参りません。国防を全うするためには、総合国力の向上をはかることが不可欠の要件であるとともに、国防は他国との連係においてのみこれを考えうることができるのであります」

国力の伸張に伴い、わが国の国際的な地位は次第に向上しつつあるのでありまして、これがためには、アジアの新興諸国との親善に特に重きを置き、手近なところから実際的に施策を進めていく必要があると思うのであります」
(3)第二次岸内閣 藤山愛一郎外務大臣 第31回通常国会(1959年1月27日)
わが国力も漸次回復するとともに、自衛力の漸増も行われ、国際社会におけるわが国の地位も向上して参りました結果、現行安全保障条約に合理的な修正を加える必要が一般に痛感されて参ったのであります。米国政府が、この点に十分の理解を示し、今次改定交渉に応ずるに至りましたことは、同国がわが国の自主性をあらためて確認し、対等の協力者としてその立場を尊重しつつ、相ともに、極東、ひいては世界の平和維持に貢献しようとする意図を示すものであると考えるのであります」
(4)第二次岸内閣 藤山愛一郎外務大臣 第34回通常国会(1960年2月1日<衆院>、2月2日<参院>)
わが国力の許します限り、東南アジア諸国を初めとする新興諸国の経済発展に貢献していく所存であります。現在、政府は、経済協力のための特別基金の活用を企画いたしておりますが、国会の御承認を得ました上は、その積極的運用をはかりたいと考えております。長い目で見ますれば、これこそ、わが国経済発展の基盤を確保するゆえんであり、また、世界平和の促進に積極的に寄与するものであると信ずるものであります」
(5)第一次佐藤内閣 椎名悦三郎外務大臣 第47回臨時国会(1964年11月21日)
著しい国力の充実を見たわが国としては、その主体性をあくまでも維持しつつ、国際政局の上で、わが国の国際的地位にふさわしい責務と役割りを果たさなければなりません」
(6)第一次佐藤内閣 椎名悦三郎外務大臣 第48回通常国会(1965年1月25日)
世界の平和と繁栄を実現するためには、各国がそれぞれの国力と国際的地位にふさわしい貢献をしなければならないのであります。わが国は、世界の平和の中に日本の平和を見出し、世界の繁栄の中に日本の繁栄を見出さなければなりません。今や戦後二十年、わが国は増大した国力を背景として、国際社会において正しい権利、利益はこれを堂々と主張し、確保しなければなりませんが、同時にまた、世界全体の平和と繁栄のために、向上した国際的地位にふさわしい責任を果たさなければなりません」
(7)第一次佐藤内閣 椎名悦三郎外務大臣 第49回臨時国会(1965年7月30日)
「世界の平和と繁栄の中にわが国の安全と繁栄を求めんとするわが国外交の第一歩は、アジアの平和と繁栄を追及することでなければなりません。アジアの緊張緩和と平和的建設のために、わが国の増大した国力と向上した国際的地位にふさわしい寄与を行うことは、アジアに国をなすわれわれの使命であり、責任であります」
(8)第一次佐藤内閣 椎名悦三郎外務大臣 第51回通常国会(1966年1月28日)
「わが国とアジア諸国との関係を見まするに、私は、アジアにおける不安の解消とアジアの人々の福祉の向上が、とりもなおさず、わが国の安全と繁栄に連なり、ひいては世界の平和に寄与することを確信するものであります」

「現下の世界情勢を考えますとき、国際社会の一員としてわが国の果たすべき責務と役割は、きわめて重大かつ大なるものがあります。私は、かかる世界の期待にそむかざるよう、また、わが国の国益増進のために、わが国の充実した国力と向上した国際的地位を背景として、積極的に諸般の施策を推進していく所存であります」
(9)第三次佐藤内閣 愛知一揆外務大臣 第63回特別国会(1970年2月14日)
「わが国がとるべき外交上の基本的指針は何でありましょうか。私は、それは、国際緊張の緩和と平和のための秩序の形成という目標に向かって、国力の充実に伴いとみに重きを加えている国際責任を積極的に果たすことであると考えます」

「思うに、国際情勢は依然として複雑かつ流動的であります。1970年代は、わが国が増大しつつある国際責任を自覚し、理想を忘れず、現実を見失わず、国際協調のうちに日本の安全と繁栄を確保すべくさらに格段の努力をいたすべき時期と考えます」
(10)第三次佐藤内閣 愛知一揆外務大臣 第65回通常国会(1971年1月22日)
わが国の安全と繁栄を確保するためには、世界全体の平和と発展が不可欠の条件であります。イデオロギーや国情の差にかかわらず諸外国との間に調和ある友好関係の増進につとめ、国際協力を通じて平和の維持と相互の繁栄をはかり、かつ国際緊張の緩和に寄与することこそ、平和に徹するわが外交の基調であり、私がかねがね平和への戦いと呼ぶところのものであります。しかしながら外交政策の策定にあたっては、わが国力が近年著しく充実し、わが国の国際的責任がますます増大しつつあることを特に自覚して行動する必要があるかと思われます。いまや、わが国は国際社会において、求める立場から与える立場へと移行しつつあります。わが国の決意と行動は世界の体勢に少なからざる影響を及ぼさないではおかないのであります。したがって、ひとりみずからの利益のみ追うことなく、諸外国との間に調和ある相互協力の関係を進めることによって相互の利益の増進を図り、もってわが国の長期的かつ大局的な国益の伸長をはかることがますます重要となってきたと存ぜらるのであります」
(11)第三次佐藤内閣 福田赳夫外務大臣 第68回通常国会(1972年1月29日)
「国際社会が多元化し複雑化すればするほど、またわが国の国力が充実すればするほど、日米両国の世界の対する責任と役割は重きを加え、日米両国の提携は、一層その必要のみならず、アジア、ひいては世界全体の平和と繁栄にとっても、すこぶる大きな意義を持つものであります。」

「わが国は、諸国民の公正と信義に信頼してその安全と生存を確保するとの理想を掲げ、経済上その力を持ちつつも、軍事大国への道は選ばないことを決意しておるのであります。これは史上類例を見ない実験への挑戦であります」
(12)第一次田中内閣 大平正芳外務大臣 第70回臨時国会(1972年10月28日)
「私は、わが国の国力の充実に伴い、今日世界におけるわが国のもつ責任と役割が年とともに増大しておることを痛感するものであります。内外にわたるかような責任を果たして、初めてわが国の安全が保たれ、その国益が維持されるものと信じます」
(13)第二次田中内閣 大平正芳外務大臣 第71回特別国会(1973年1月27日)
「わが国は、戦後、幸いにして国際的な紛争の圏外にあって、みずからの国力をつちかい、いまや国際社会の平和と繁栄をささえる主要な柱の一つとして、応分の役割りと責任を果たす立場になりました。政府としては、このような認識に立って、急速に拡大した外交的基盤を固めつつ、新たな構想と決意をもちまして、責任ある外交を進めてまいる考えであります」
(14)三木内閣 宮沢喜一外務大臣 第75回通常国会(1975年1月24日)
「わが国としては、かかるアジア地域の情勢にかんがみ、今後とも国力の許す限り協力を行い、平和と安定を分かち合うよき隣人としての努力をいたす所存でございます」
(15)鈴木内閣 桜内義雄外務大臣 第96回通常国会(1982年1月25日)
「わが国が積極的外交を展開していくに当たっては、自由と民主主義という基本的価値観を共有する西側先進諸国との連帯と協調が不可欠であります。国際社会が直面する種々の課題に積極的に対処し、世界の平和と繁栄の枠組みを構築していく上でとりわけ重要なことは、西側諸国が不断の協議、連絡を保ちつつおのおのの国力、国情にふさわしい役割りを分担し合い、全体として最大限の力を発揮していくことであります」
(16)第一次中曽根内閣 安倍晋太郎外務大臣 第98回通常国会(1983年1月24日)
「いまや、世界は、その平和と繁栄を構築するために、わが国の積極的な行動を求めており、わが国が各国の期待にこたえてみずからその国力にふさわしい役割りを果たし、世界の信頼を勝ち得ていかない限り、国際社会において孤立する事態を招きかねないと言っても過言ではないでありましょう」
(17)第二次中曽根内閣 安倍晋太郎外務大臣 第101回特別国会(1984年2月6日)
「相互依存関係の深まった今日の国際社会において、国際関係の動向は直接間接に我が国の政治、経済、社会に多大の影響を及ぼす状況となっておりますが、とりわけ現下の厳しい国際環境の中で、我が国の平和と繁栄を確保していくために、外交に課せられた使命は極めて重大であることを改めて痛感する次第であります。他方、今日、我が国は自由世界第二位の経済力を有し、その国力と国際的地位は著しく高まっており、これに伴い、我が国の果たすべき国際的責任も大きなものとなっております。特に我が国が確固たる主張を持ち、東西関係初め世界の直面する諸問題について明確な姿勢を打ち出してきたことは、我が国の国際社会における重みを改めて諸外国に認識せしめてきたところであります」
(18)第三次中曽根内閣 倉成正外務大臣 第108回通常国会(1987年1月26日)
「我が国が、平和と繁栄を維持していく上で、自由と民主主義という基本的価値観を共有する西側先進諸国との連帯と協調は不可欠であります。重要なことは、我が国を含む西側諸国が緊密な協議と連絡を保ちつつ、おのおのの国力、国情にふさわしい役割と責任を分担することにより、全体として最大限の力を発揮していくことであります」
(19)宮沢内閣 渡辺美智雄外務大臣 第126回通常国会(1993年1月22日)
「日本外交の目標について申し上げます。国際社会は、このような歴史の転換期の諸問題を着実に克服し、平和と自由と繁栄を世界のより多くの人々が享受できるよう努力しなければならないという歴史的課題に直面しております。我が国は、そのような国際社会の課題にこたえて、明るい未来を開いていくため、その国力にふさわしい指導力を発揮していく必要があります。そのため、経済力、技術力のみならず、人的及び知的な協力を通じ、積極的に努力してまいります」

3.国力の定義

 前節では、戦後日本の外交の中で「国力」という言葉が実際にどのように使用され、どのように変遷してきたかを検討してきたが、本節では、「国力」の定義という概念的なものから考察を加えていく。国益の第一次的定義として「他国からの脅威に対する自己保存」であると述べたハンス・モーベンソーは、国力の要因として次の九つを挙げている。

モーゲンソーの定義する国力の要因

  1. 地理的要因
  2. 天然資源(食料・原料)
  3. 工業力
  4. 軍事力(科学技術・リーダーシップ・軍隊の量と質)
  5. 人口
  6. 国民性
  7. 国民の士気
  8. 外交の質
  9. 政府の質
 この九つを分類すると、1から5までの、地理的要因、天然資源、工業力、軍事力、人口は、ある程度数量化することができ、ハードパワーとでも換言することができるであろう。それに対して、(6)から(9)までの、国民性、国民の士気、外交の質、政府の質などは、到底数量化することができず、ハードパワーに対するソフトパワーと換言することができる。

 次にジョージタウン大学のクライン氏の国力の定義を概観する。クライン氏は国力を戦略的、軍事的、経済的、政治的な強さと弱さの結合であると考え、それに基づいて国力算出の方程式を導いた。

クラインの定義する国力の算定式

Pp=(C+E+M)×(S+W)
※ Pp;他国によって認知されたパワー
C:人口と領土(クリティカル・マス)で基本要素と呼ぶ
E:経済力
M:軍事力
S:戦略目的
W:国家戦略を追及する意思

 上記の式では、CとEとMという数量化できる量的な要素(ハードパワー)に、SとWという数量化できない質的な要素(ソフトパワー)を掛け合わせたものが「国力」であると定義されている。

 モーゲンソーとクラインの国力の定義から、日本の国力を鑑みると、いわゆるハードパワーの部分について次のようなことが言える。

  1. 人口…2006年をピークに人口減少時代が到来する
  2. 領土…変更なし
  3. 経済力…人口減少時代が到来すれば、右肩上がりの経済成長は見込めない
    (経済成長の三大要因の一つである、「労働人口の増加」が見込めないため)
  4. 軍事力…歴史的経験を踏まえて、増強する意思がない
 つまり、国力の定義のなかで、数量化できる量的な要素(ハードパワー)に関して、日本は国力を増すことが、将来的に厳しくなってきているのである。この国力の増強の物理的な問題を念頭に置いて、先の大戦という歴史的経験を踏まえて、日本の将来像を考えるとき、次のようなことが考えられるのではないか。

  1. 質的要素(ソフトパワー)の増強(国民の士気、国家戦略)
  2. 量的要素(ハードパワー)を他国(多国間)との連携によって、他国(多国間)のパワーと自国のパワーを統合する。他国のパワーを自国のパワーに内在化することによって他国のパワーを抑制する。
  3. 人口減少の抑止政策をとる(少子高齢化対策、移民政策)
  4. 科学技術力を高めることによる、ハードパワーそのものの質的向上
 上記の四つは詳細なデータから導いたものではなく、さらなる考察が必要となってくる。しかしながら、上記で取り上げたような国力の定義に従って日本の国力を考えたとき、日本が生き残っていくための国益は如何なるものなのかが見えてくるということが言えるのではないか。

 次節では、松下幸之助塾主の著書の中から、塾主が外交のあり方としてどのような構想を描いていたかを検討していく。

4.松下幸之助「繁栄の哲学」より

 松下幸之助塾主は、『PHP』の1967年2月号において、「国の総合国力を高めよう」と題し、日本外交のあり方について書いている。

 松下幸之助塾主は外交に一番重要なものとして、「基本方針の確立」を掲げている。そして基本方針の確立のために、国家経営の理念を確立することの重要性を次のように述べている。

「国家経営の理念が明確になっている国では、外交の基本方針もおのずと確立され、逆に、その理念があいまいな国では、外交の基本方針というものもやはりはっきりと打ち出されず、その結果、外交活動は消極的になったり、いわゆる行き当たりばったり式の筋の通らぬものになって、他国の侮りを買うことになりがちである」

 そして国家経営の理念として、「単に一国のみの繁栄を前提としたものではなく、全世界の共存共栄に結びつくものでなければならない」として、それが「自主独立国として力強い外交を行うための第一の基盤、要諦だ」と述べている。

 外交の第二の要諦として、「実力相応の外交活動」を掲げ、「一国がそのもてる力の程度というものを正しく自己認識し、その力に応じた外交を行う」ことの重要性や、「総合国力は全世界の共存共栄に役立つ外交を力強く推し進めていくために高いほど良い」と述べている。

 そして「国力」に関して、「自主独立の国家としての安全を守り、生存を確保していくために必要な自衛力というものもその一つであるし、その国の政治力、経済的な生産力や記入力といったものも含まれる。また国民の教育の程度、民度の高さ、あるいは文化の発達の度合いといったものも、国の総合力を形成する大事な要因だと思う」と定義づけている。

 そして私が一番共鳴した箇所が、「居ながらの外交を」の節である。これは個人の付き合いにたとえると「十人のお客さんがあったとき、自然に床の間を背にした席につくことができるような実力の持ち主」になることであるという。つまり、「どの国も認めるほどの総合的な力量を備えているならば、他の国々からの信頼も集まる。他の国が進んで意見を求めてくるようにもなる。自ら他の諸国に出かけなくても、いわば居ながらにして外交ができる」ということなのだ。

 そして日本の現状として、『PHP』1966年6月号に掲載された「国是が忘れられている」で述べているように、国家国民が目指す目標が明確でないこと、国論が一つにまとまっていないことを問題にあげている。

 さらに、総合国力に関しても、「経済は発展し、学校教育も普及しているが、その半面で政治家を含めた憲法の遵守精神、道義道徳心の低下、あるいは治安の乱れなど国全体として、アンバランスな姿が随所に存在している」と述べて、「国の総合的な力量をバランスの取れた形で高めていく必要がある」と訴えている。

5.結論

 本章では、まず2節において、戦後日本外交の中で、「国力」という言葉がどのように使われ、どのように変遷してきたのかを分析した。その結果、戦後の日本は「国力」の発展段階をたどったものの、1993年以降の外交演説から消えてなくなり、今こそ、「国力」を再検討し、国力の増強に努めるべきであることを述べた。

 そして3節において、「国力」に関する概念的な定義を概観し、それを日本に当てはめて「国力」の現状を把握したときに、今後の日本が生き残っていくための国益というものが見えてくるのではないかと述べた。

 さらに4節において、松下幸之助塾主の外交に関する基本的な考え方を著書から検討し、外交の要諦として第一に「国家経営の理念を確立すること」、第二に「総合国力を高めること」であるという教えを受けた。

 私がここまで検討してきた、「日本の国益を考える」の結論として導くことができるのは、以下の通り整理することができる。

  1. 私の考える国益のキーワードとして、「生き残りをかけたせめぎあい」であること。
  2. 「国益は国力によって支持されなければならない」ということ。
  3. 今こそ、「国力」を再検討し、「国益」を見据えた外交が必要であること。
  4. これまでの国力概念のうち、量的な要素(ハードパワー)の物理的限界を認識し、質的な要素(ソフトパワー)の増強や、他国(多国間)による連携によって、自国の力を高めるなど、国力増強の方策を考える必要があること。
  5. 新しい日本の外交は、「居ながらの外交」が可能になる段階にまで達するように、国論の統一やバランスのある総合国力の高揚を目指すべきこと。
 今後の松下政経塾の研修の中で、私は、日本外交の現場のほか、米国や中国、韓国などを訪問して、日本外交のとるべき「道」を模索することになる。そのときに、あらためて本稿を読み返し、再検討していきたいと考えている。

参考文献

  • 松下幸之助「国の総合力を高めよう」『PHP』(PHP研究所、昭和42年2月号)
  • 松下幸之助「国是が忘れられている」『PHP』(PHP研究所、昭和41年6月号)
  • 松下幸之助『遺論 繁栄の哲学』(PHP研究所、1999年5月)
  • H・J・モーゲンソー著、平和研究会訳『国際政治学』(福村出版、1986年)
  • J・フランケル著、河合秀和訳『国益―外交と内政の結節点』(福村出版、1970年)
  • D・Eネクタライン著、鹿島平和研究所訳『変化する世界とアメリカ』(鹿島出版会、1976年)
  • 高坂正堯『国際政治―恐怖と希望』(中央公論社、1966年)
  • 花井等『国益と安全保障』(日本経済新聞社、1979年)
  • 花井等『国際外交のすすめ』(中公新書、1986年)
  • 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室Webページ『データベース日本』より、「国会内の外務大臣演説」『戦後日本政治・外交データベース』:
    http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/
Back

小野貴樹の論考

Thesis

Takaki Ono

松下政経塾 本館

第23期

小野 貴樹

おの・たかき

Mission

北東アジアスタンダードの構築に向けた日本の取り組み

プロフィールを見る
松下政経塾とは
About
松下政経塾とは、松下幸之助が設立した、
未来のリーダーを育成する公益財団法人です。
View More
塾生募集
Application
松下政経塾は、志を持つ未来のリーダーに
広く門戸を開いています。
View More
門