論考

Thesis

和歌と小倉百人一首かるたの提案~益田市における「柿本人麻呂」

2002年度より、2~3年生の塾生が、新入塾生に対し、講義をする「塾生講座」を行うことになった。私は小学校のとき以来、「小倉百人一首競技かるた」に取り組んでおり、これを題材にすることにした。ただ、「かるた取り」をするだけなく、小倉百人一首や和歌についても勉強できるよう改めて勉強しなおした。「小倉百人一首と日本文化」と題して、講義をさせてもらった。一年生の方々には事前に小倉百人一首に関するテキストを配布し、一人三首ずつ好きな歌を選んできてもらった。

日時:2002年4月26日(金) 15:30-17:30
場所:松心庵・和室

目的

 小倉百人一首を通して日本の伝統文化である和歌に親しむ。また、日本人の美意識、古人の心情に触れ、茶道など他の日本文化にも通じる感性を養う。

講座内容

  1. 和歌と国歌「君が代」
  2. 小倉百人一首の成り立ち
  3. 各自選んだ3首の歌を発表、理由と感想
  4. 小倉百人一首かるたの遊び方、競技の成り立ち
  5. かるた取り大会・表彰
  6. 和歌をつくってみよう!
終了

1.和歌と国歌「君が代」

 和歌は元々は「漢詩」に対する「日本の歌」である。短歌(五七五七七)を主として、長歌(五七五七五七…五七七)、旋頭歌(五七七五七七)、片歌(五七七)などを含んでいるが、最近は短歌がほとんどである。「万葉集」「古今和歌集」「新古今和歌集」など多数の歌集が古来よりつくられてきた。

 また、日本国国歌「君が代」も和歌である。最初の勅撰和歌集「古今和歌集(905)」に「賀歌」として入っている。

「わが君は千代に八千代にさざれ石の 巖となりて苔のむすまで」(読み人知らず)

 上記のように初めは「わが君は…」と歌われていたのが「古今集註」(1185)、「和漢朗詠集」の写し本(1228)には「君が代は…」と書かれるようになった。この歌はお祝いの席の愛唱歌として全国で身分を問わず親しまれた。神社の祭礼、寺の行事での歌や舞や物語に取り入れられたのをはじめ、室町時代には謡曲(能楽の脚本)、江戸時代には小唄や長唄、落語、仮名草子、浄瑠璃、琴曲、琵琶歌、詩吟などあらゆる歌謡に歌われた。

 岐阜県と滋賀県の県境に近い伊吹山の麓、岐阜県揖斐郡春日村には伝説が残っており、「さざれ石公園」が整備され「国歌君が代発祥の地」の碑が建てられている。

2.小倉百人一首の成り立ち

 藤原定家(1162-1241)の日記「明月記」の1235年5月27日に、息子為家の岳父・宇都宮頼綱のために百首選んでしたためたとある。百人一首とは、百人の歌人の歌を一首ずつ集めたもの、和歌の名歌を集めたものとして伝わった。現在は「狂歌百人一首」、「愛国百人一首(1942)」、「近江百人一首」などと区別して「小倉百人一首」と呼ばれている。

 小倉百人一首は和歌の入門として広がった。江戸時代には錦絵、歌かるた、異種百人一首、狂歌・ペンネーム、川柳、落語など様々な広がりを見せた。現在でも東洋大学が主催する「現代学生百人一首」などに代表されるように日本国内で広く認知されている。

3.各自選んだ3首の歌を発表

 事前に配布した本の中から一人ずつ、選んだ歌と理由と感想を述べてもらった。小倉百人一首の中に43首ある「恋」の歌を選んだり、想像される景色、故郷の歌、掛詞などの技巧表現など多様な歌が選ばれた。普段見られない感性がわかったりして、相互理解にも役立ったように思う。

4.小倉百人一首かるたの遊び方、競技の成り立ち


 16世紀、ポルトガルより札「カードcard」を意味する「カルタcarta」が三池(現在の福岡県大牟田市)に伝わった。17世紀中頃(江戸時代初め)には「歌かるた」として遊ばれるようになり、王朝和歌の入門としてもてはやされた。そして、やがて庶民の間にも広まるようになった。「金色夜叉」にも登場するように、男女が出会う数少ない場であったらしい。

 まったく違う二つのものが一体となった面もあったように思われる。一つは、江戸時代の画家・尾形光琳がつくった「光琳かるた」である。「美術」と「文学」が一体となった新しい総合芸術の出発点にもなったであろう。二つは、鎌倉時代から伝わる「日本の伝統文化・和歌集」とポルトガルからの「西洋のカードゲーム」の融合である。大きく言えば「東西文明の融合」と言えるかもしれない。

 現在は1996年に文化庁より認可を受けた、(社)全日本かるた協会が「競技かるたの普及」と「小倉百人一首の調査研究」に取り組んでいる。「競技かるた」のルールは、1904年(明治37年)、当時の新聞・萬朝報の社主、黒岩涙香が考案した。萬朝報に「かるた早取り法」の特集記事を掲載、第1回の全国競技会を開催した。

 簡単にルールを説明すると、100枚の内互いに25枚ずつを無作為に選び、幅87センチ、縦3段に並べる。つまり、場には50枚しか並ばない。残り50枚は読まれても場にない「空札」となる。並べ終わった後、15分間の暗記時間が取られる。その後、読手によって読みが始まり、試合開始となる。「お手付き」「決まり字」という言葉が鍵を握る。

 競技の読みは下の句(七七)から始まり、次の歌の上の句(五七五)に入る。よって、最初の歌は下の句がないので、もう一首読まなければならない。全日本かるた協会ではこれを「序歌」と呼び、以前は「君が代」を使っていたが、佐々木信綱博士に依頼し新たに次の歌を選定した。

「難波津に咲くやこの花冬ごもり 今を春べと咲くやこの花」

 この歌は王仁(わに)が難波に都を造営した仁徳天皇をたたえた歌とされ、「古今和歌集」の仮名序で、選者の紀貫之が「和歌の父母のように、これを手本とすべし」と紹介した歌である。佐々木信綱博士は選定理由として、(1)天智天皇以前の作歌であること、(2)和歌の手本とされていること、(3)戦後日本の状況を示唆していることを挙げられた。

 大阪市はこの歌と大変関係が深く、浪速区、此花区、住之江区咲洲(さきしま)の名前はこの歌に由来している。また、1990年の国際花と緑の博覧会(大阪花博)でつくられ、現在も利用されている「咲くやこの花館」も同様である。「大阪市歌」にも歌われているのである。

 小倉百人一首かるたのその他の遊び方としては「ちらし取り」「源平合戦」などがある。

5.かるた取り大会・表彰

 ここでは、実際にかるた取りをして遊んでもらった。方法はチームで楽しめることから「源平合戦」を行った。久しぶりにかるたに触れる人も多かったが、一枚取る毎に大きな盛り上がりを見せた。かるたはやはり取ることが一番面白さをわかってもらえることが改めて認識できた瞬間だった。

6.和歌をつくってみよう!

 瞬間的に浮かんだことを表現してもらうために、15分ぐらいで即興で全員につくってもらった。その中で相互に一番よいと思った歌を選んでもらった結果選ばれた第23期特別塾生の鳥飼広敬氏の歌を紹介したい。

「茅ヶ崎の 衆知を集め 創り出す 我が子に残す 日本の未来」

益田市においてどう活かすか

 「柿本人麻呂」おそらくこの名前を知らない日本人はいないと言ってよいであろう。天智・持統両天皇に仕えた宮廷歌人であり、「歌聖」と呼ばれている。益田市には雪舟のみならず、歌聖・柿本人麻呂の生誕・終焉の地との伝説があり、先月の月例報告でも紹介したように、「美しい自然 人麻呂と雪舟の町」と自らキャッチコピーを掲げている。

 そのような中で、昨年より和歌のコンテスト「よんでひとまろ『柿本人麻呂大賞』」が始まった。昨年は約1,800首、今年は3,551首もの作品が寄せられた。8月3日(土)の「人麻呂フェスティバル」には冷泉家第25代当主・冷泉為人氏をはじめとして一行が益田を訪問された。冷泉家とは平安・鎌倉時代の歌人、藤原俊成・藤原定家を祖にもつ「和歌の家」である。俊成以降明治維新まで、和歌をもって宮中に仕え、800年の長きにわたって伝統を守り続け、今に伝えられている。慶長11(1606)年以来、京都御所の北に位置する邸宅は、現存する唯一の公家住宅として重要文化財に指定されている。

 今回は「よんでひとまろ『柿本人麻呂大賞』」の入賞作品を柿本人麻呂を祭る「柿本神社」に奉納し、その際、冷泉家の方々による披講の座「人麻呂」詠の発表会が執り行われた。また、選者を現代歌人協会理事長に務めていただき、表彰式・講演会など多くの関連行事も行われた。しかし、私は市民の皆さんにもっと関心を持っていただき、多くの方々にもっと足を会場に運んでいただいてもよいのではないかと思う。

 そのためにも、「和歌」や「短歌」に気軽に親しめるしくみが重要ではないかと思う。そのきっかけに、私が講座で取り上げさせてもらったものが少しでも役に立つのではないかと思い、紹介させていただいたのである。気軽に歌を詠む。また、古来より和歌に親しむために大事にされてきた「小倉百人一首」。そして、それを現代の遊びにした「小倉百人一首かるた」。益田市内では益田市かるた協会が「競技かるた」の普及に取り組んでいる。和歌をつくる団体もある。ただ、これまでに連携はあまりしてこなかったのである。これらのものを気軽に親しめるようにするために、「柿本人麻呂」を「歌」というキーワードで結んで、一体となって企画をしていけるよう来年に向けて努力していきたい。

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福原慎太郎の論考

Thesis

Shintaro Fukuhara

福原慎太郎

第22期

福原 慎太郎

ふくはら・しんたろう

株式会社成基 志共育事業担当マネージャー

Mission

「地域主権国家・日本」の実現 ~人と地域が輝く「自治体経営」~

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