論考

Thesis

ワシントンの公共政策を支える科学者集団

1. 科学的知見を必要とする近年の政治・行政課題

 BSE感染牛問題をめぐる失政、くりかえされる薬害事件、バイオテロへの遅れた対策、安全への信頼が揺らいだ原発事故…。高度に専門化した科学技術とグローバリゼーションが進展した今日、日本では、科学とからんだ数々の行政課題に後手後手の対応が露呈されているように感じる。

 日本の行政機構の中では、個別の科学的専門的知識を有するスペシャリストよりも、法学系を中心としたジェネラリストが厚遇されてきたことは周知の事実である。しかしながら、BSE問題やバイオテロ、薬害、環境ホルモンやクローン技術の規制など、正確な科学的知識と先見性に基づいた政治・行政がかつてないほど必要となってきている一方で、政治家・行政官の最先端の科学的見識が不十分ではないだろうか。特に、BSE感染牛問題や薬害問題のように、市民に直接の被害や不安をもたらした政治家・行政官の判断と現実に直面するにつけ、21世紀を迎えたわれわれはこれまでの科学と公共政策過程のあり方を再考すべき時に来ていると感じざるを得ない。

 そこで今月は、科学者と政治家・官庁を結びつける米国のAAASフェローの存在を紹介したい。

2. “科学”と“公共政策”を結ぶAAASフェロー

 米国には、AAAS(American Association for the Advancement of Science:全米科学振興協会、通称”トリプルエーエス”)という科学者の団体(本部・ワシントンDC)がある。世界的に有名な「Science」誌の発行元でもあり、科学振興の他、ワシントンの政治家、官庁、シンクタンクなどに科学的知見を提供し、科学と公共政策を結びつける重要な役割を担っている。特に、最近、全米有数の大学で科学分野の博士号を取得した若手科学者に1年間、ワシントンの政治家や官庁、シンクタンクなどで公共政策立案の機会を提供するAAAS科学技術政策フェローシップは、数々の科学的専門性、専門的知識を必要とする現在のワシントンの公共政策立案過程において、必要不可欠な存在となっている。

 このAAAS科学技術政策フェローシップは、1973年、全米各地の大学で科学技術分野の博士号または同等の学位を最近取得した若手の科学者が、ワシントンDCの科学技術政策の立案や意思決定を補助する目的で開始された。これまで1500人の科学者や技術者がこのフェローシップを経験している。
 志願者はアメリカ市民でなければならない。それぞれの科学技術情報や専門的知見を連邦議員や連邦政府に提供しつつ、彼ら/彼女ら自身も、政府が動く仕組みや科学技術の社会への影響を学ぶことができる。

 フェローは、連邦議員事務所、全米科学財団(NSF)、国立衛生研究所(NIH)、国務省、国防総省、米国国際開発庁(USAID)、環境保護庁(EPA)、農務省、食品・医薬局(FDA)、司法省、エネルギー省などのオフィスに配属される。

 このフェローシップには毎年、約50人のフェローが選抜され、1年間に1人当たり5万5000ドル(約750万円)の給費が支払われる。分子生物学、コンピューター・サイエンス、材料工学、環境科学などそれぞれの科学の専門分野において、プリンストンやMITなど全米でもトップ・クラスの大学で博士号を取得した優秀な若手たちで私も驚いた。

 このフェローシップは毎年9月1日から始まり、それぞれの連邦議員事務所や省庁に派遣される前の2週間はフェロー全員が一堂に会し、集中的なオリエンテーション・プログラムが提供される。このオリエンテーション・プログラムでは、現実の第一線のワシントンの政治家、行政官、政策スタッフ、シンクタンク研究員、大学教授などが講師となり、生の政治の動きや心得など政治・行政の要諦を集中的に伝授する。昨年9月上旬、このオリエンテーションに私も特別参加するチャンスをいただいたが、その後も、年間を通じて科学技術と公共政策に関するセミナー、勉強会、パーティなど様々なイベントが頻繁に開催され、交流・情報交換が活発に行われている。

 AAASフェローの3分の2は、大学や研究機関に教授職あるいは研究者として戻り科学者としてのキャリアへ戻るものの、3分の1は、ワシントンにその後も残り、それぞれの政策過程で科学的知見を提供する重要な役割を担う。連邦議員事務所へ派遣されるAAASフェローは、特定政党に偏ることなく、共和・民主両党へバランスよく派遣されている印象をもった。ある下院議員は「われわれの政治的判断、政策決定において、今やAAASフェローはなくてはならない存在となった」とその重要性を話していた。情報ハイウェー、ヒトゲノム計画など、時代を刷新する先見的な政策が生まれ、開花してきた背景に、政治と先端科学の相互協力があったことを看過してはならない。

3. 「象牙の塔の科学」から「人々のための科学」へ

 私自身、AAASフェローと交流する中で、彼ら/彼女らは、”象牙の塔”の中での科学の探求だけではなく、「自分たちが研究してきた科学技術をいかに人々のために貢献できるのか」「自分の科学的専門性を社会のために役立たせたい」という情熱をもった真摯な若者たちであることを強く感じた。こうした実社会の経験や社会性をも備えた若き科学者たちが、米国の現実の公共政策過程において重要な役割を担っている。また、彼ら/彼女らが「科学者の世界」へ戻ったとしても、AAASフェローの経験を生かし、時あるごとに科学アドバイザーとして現実の公共政策立案の一翼を担っている。

 日本にも、”Science for the People(人々のための科学)”を願う若き科学者たちはたくさんいるはずである。今後、こういった科学者たちの公共精神を育て発展させる受け皿としてのAAASフェローのような装置や仕組みが日本には必要ではないだろうか。

Back

下斗米一明の論考

Thesis

Kazuaki Shimotomai

下斗米一明

第21期

下斗米 一明

しもとまい・かずあき

PwCコンサルティング合同会社 ディレクター

プロフィールを見る
松下政経塾とは
About
松下政経塾とは、松下幸之助が設立した、
未来のリーダーを育成する公益財団法人です。
View More
塾生募集
Application
松下政経塾は、志を持つ未来のリーダーに
広く門戸を開いています。
View More
門