論考

Thesis

日本文明の運命

現在テレビ・新聞などマスコミによって伝えられている日本の問題は、外務省の問題、田中真紀子VS鈴木宗男問題、鈴木氏の疑惑、辻本氏の秘書給与問題、などである。また、長引く経済不況、凶悪犯罪、はここ数年の日本のトレンドである。しかしこうした報道は、現在の日本が直面する問題の本質を指摘しきっているだろうか。

 毎日大量に流されるこれらのニュースであるが、ともするとそれに埋もれてしまい事の本質を見失ってしまう。マスコミも所詮は企業体であるから、商品価値をもったニュースによって番組・新聞・雑誌を作り販売していかなければならない。その過程で、事を脚色したり過激性を加えたりして同じトピックを扱った他のニュースと差別化を図っていくのである。本質を見抜く責任は情報を受け取る側にあるのが現代だ。国民にとっては非常に難しい作業であるが、メディアリテラシーを鍛える必要がある。

 現在の世界の根底に流れる潮流はいったい何か?こうした問いを常に発しなければならない。そうでなければ事の本質を見失い、誤った判断を導くことになる。私の最も根本的な認識は、今日大きな文明史的な転換期を人類が迎えている、というものである。数人の国会議員の認識を正したり、金融システムをいらうぐらいでは太刀打ちできない大きな変革期である。

 現代を含めてここ300年の世界は、一言で言うと世界が西洋化することであった、と言っても過言ではない。18世紀の市民革命に始まり、19世紀に本格的に始まる植民地主義、また現在のグローバリゼーションなど、ハード・ソフトの両面で世界は近代西洋に大きく影響されてきた。その時点で人類がなし得なかった物質的繁栄、科学技術の発展、封建制の打破、など現時点で振り返るとこの文明の果たした役割はとてつもなく大きい。

 宇宙の根底に潮流があるとすると、この300年の動きはまさに運命付けられていたと言えよう。人類の発展にとって当時最も望ましかったのが、人間の理性を根本的に信頼・重要視する近代西洋文明であったのである。そのおかげで私たちは、祖先がなし得なかった物質的に非常に豊かな生活を享受しているのである。生活を便利にする文明の利器にあふれ、食料事情も改善され、交通手段が飛躍的に発達し、情報はローコストで獲得でき、医学の発展で寿命が延び、民主政府で圧制がなくなり、まさに理想的な社会を築いている、と言うことさえできそうである。

 しかし、なぜ私は文明の転換期だと考えるか。この問いに最も簡潔な答えを与えてくれるのが「人間観」である。つまり人間をどう見るか、の一言に尽きる。こんな抽象的な概念が人間生活に影響を与えるのか、と疑問に思われるかもしれない。日頃の業務や付き合い、またレジャーや余暇に浸っていると人間は根本的な思考をストップしてしまうが、行動の最も根本的な原理は人間観である。

 近代西洋の人間観は、遠くギリシャ哲学に原型を見ることが出来る。ロゴスに注目し、自然などあらゆる事象を徹底的に解明しようとした探究心は、実はロゴスへの信頼にあった。そしてこのロゴスという言葉の意味は「見る」「説得」であり、いわば目に見える形、論理的に説得できる形での好奇心であった。ここに本質がある。近代の西洋は、中世の教会から人間を解放した。絶対的な権威に縛られていた人間は、自らの理性に信頼を置いて生きることができるようになったのである。ここに民主主義、自由、平等、資本主義、の原理がある。

 翻って日本の人間観はどうか。八百万の神という言葉があるように、日本人は自然に対して常に畏敬の念を持ってきた。農耕社会の中で、自然環境に自らの生活が大きく左右されること、世界でもまれに見る豊かな自然環境に恵まれていること、がその大きな要因であろう。人間の理性を認めつつも、究極的には自然に委ねる、という絶妙のバランスを生活文化の中で守ってきた民族である。つまり人間が傲慢になりすぎることがなかったのである。

 西洋、特にアメリカに見られる一種の傲慢さは、西洋の人間観における理性への信頼が過剰になっている現象であると私は理解する。外交政策、対外経済政策に見られる2枚舌は、典型的にそれを物語っている。9・11事件、中東での紛争は、植民地時代の遺恨・イスラエル建国に端を発する根の深い問題である。世界的な反アメリカテロは、グローバリゼーションの巧妙な押し付けに対する反発である。どれも一筋縄では行かない解決困難な問題であり、引き金を引くとさらに拡大する可能性がある。

 地球環境問題(京都議定書)に対するアメリカの対応は象徴的である。人類の存在基盤である地球を脅かす問題を、人間の理性が編み出した経済というシステムのために先送りしようとするものである。ここに西洋文明の限界を感じ取ることが出来る。

 民主主義はもはや機能しているとは言いがたい。民主主義の前提条件は、万能に近い国民を持ち真剣に考え投票することである。理性への信頼が前提だからである。ワイドショー化し、衆愚政治化する現代日本で民主主義は機能しない。資本主義も同じくである。企業倫理の低下、投機ファンドによる市場の錯乱、など人間の理性に欠陥があれば本質的に破壊する脆さを内包しているのである。資本主義が成熟に近づいている中、これまでの荒削りの成長過程にあった資本主義とは根本的に違う中で、どういう未来があるのか。アダム・スミスも最後には神の見えざる手、という言葉でごまかしているのではないか。

 こういう認識は究極的な悲観論と言われるかもしれないが、そんなことはない。日本文明がのこっているではないか。18世紀に西洋に運命があったのと同じく、現在は日本文明に運命があると、私はそう見ている。これまで私が展開してきた日本文明論を参考に考えていただきたい。そして日本文明を体得する努力をしていただきたい。

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二之湯武史の論考

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Takeshi Ninoyu

松下政経塾 本館

第21期

二之湯 武史

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