論考

Thesis

子宝の島

日本一の子宝の島と称される沖永良部島で、高出生率の秘訣を探った現地調査レポート。また鹿児島県庁「あまみ長寿・子宝プロジェクト」についても取材、報告。

2月中旬、沖縄での長い研修を終えた私は、那覇港から朝8時に出航する船に乗り、海路、沖永良部(おきのえらぶ)島に向かった。約7時間の船旅であり、おおしけの東シナ海を渡る寄港できるか懸念されたが、無事目的の和泊港に到着した。日本一の「子宝の島」沖永良部島で調査を行うための長旅である。

 一人の女性が生涯に産む子どもの数の平均を示す合計特殊出生率は、2.08で人口が維持出来るとされる(人口置換水準)。これに対し、少子化問題に直面する我が国の平均は1.32(2002年)。都道府県で見ると、一番低いのは東京都の1.02で、先の研修地であった沖縄県が1.76と一番高いが、なお人口が維持出来る数値(人口置換水準)2.08には及ばない。ところが、驚くべきことに、沖永良部島では、この人口置換水準をも超える2.5前後、全国平均の2倍に近い数字を記録しているのである。

 子宝の秘訣とは何か、これを知りたくて沖永良部島を訪ねることとしたのである。

和泊町ホームページより



沖永良部島の地勢と歴史

 沖永良部島は、行政的には鹿児島県に所属するが、鹿児島市からは500km余りも離れた所に位置している。沖縄本島までは僅か60kmと、肉眼で確認できる程近い。島に上陸しての感想は、出発地であった沖縄とそっくり、というものだった。

 それもそのはずで、沖永良部島は、かつては琉球王国に属していた。約400年前の薩摩の琉球支配に伴い、薩摩藩の直轄領になった。幕末には、西郷隆盛公が二番目に流された島である。

 1953年にいわゆる本土復帰を果たすまで戦後は米軍軍政下に置かれていたが、沖縄の様な悲惨な戦災は免れ、人々の昔ながらの気質や文化・伝統が保たれたという。

 地元の方々は「今年は寒い!」と言われていたが、真冬なのにとても暖かい。年平均気温は22度で、一年中温暖な気候だそうで、見事に育った大木ガジュマルがそこかしこにあり、てっぽうユリを始め、亜熱帯性の花が咲いている。人口は1万6千人、人々の気質は、気候と同じで、温かく親切であった。

一. 沖永良部島での調査

1.和泊町役場での調査

 沖永良部島は、和泊町と知名町という2つの町からなる。両方の町とも合計特殊出生率が2.5を超えているが、今回は日本一の高さを誇る和泊町の方を調査対象とした(なお、もう一方の知名町は全国第5位)。

 上陸してすぐ、松下政経塾の先輩である打越明司鹿児島県議会議員の紹介で、和泊町役場を訪問し、まず泉貞吉町長に御挨拶をさせていただいた。

 続いて、総務課の南実一前課長、保健福祉課の前(ススメ)幸貴課長よりお話をうかがった。

高出生率の要因

 お二人は、高出生率の原因について、以下の3つを上げられた。

(1)農業という確固とした経済基盤があること。
   (温暖な気候を生かした花卉栽培による高収益、集約型農業)
(2)(1)により、Uターンが多い
(3)家族地域全体で子育てを支援する気風が生きていること。

 さらにそれが、公的福祉サービスとかみ合っている状態にあること
 
(1)農業という確固とした経済基盤に関して

花卉栽培の歴史

 温暖な気候を生かした花卉栽培は、既に明治30年代には球根を横浜の商社を通じて、欧州市場に出荷していた。昭和50年代以降は、球根から切花にシフトし、本土の農家が出荷しない時期に良い値段で売れてきたそうである。さらに常に品種改良に取り組み、高収益を上げてきたという。

生き甲斐を持ち、元気なお年寄達

 なお、町にはシルバー人材センターがあり、登録すれば、お年寄りは1日3,000円で働くことが出来る。この制度によって、安価で豊富な労働力が確保されている。約200人が登録していて、最高90歳前後まで働いている。この島は「子宝」と同時に長寿の島でもある。

(2)高いUターン率に関して

 沖永良部島では、高卒後、本土で高等教育(大学、短大、専門学校)を受けるため、18歳の若者達の実に97~98%が島を出る。しかしながら、多くの若者達が高等教育修了後に島に戻って、切花の仕事に従事する。1,000~1,500万円の年収の若い農家も少なくないという。

(3)家族地域全体で子育てを支援する気風について

 子を産み育てる親達から見ると、地域のコミュニケーションがきちんと取れていて、何かあっても助けてくれる安心感があるということである。

 同居世代が多いことも後押しとなり、女性の就業率は、90%を超える。

2.保育園

 次に和泊保育所を訪ねた。

 川畑美保乃所長は、サッカーの中田選手で日本でも有名なイタリアのペルージャでモンテソーリ式の教育法を学ばれた方である。東京の郊外で保育をされた経験も踏まえてか、沖永良部の人々は経済的に豊かであり、子育てにも、就労にもゆとりがある、また島の人間性が穏やかと言われた。

 島では、東京の様にたくさんある中から保育園を選ぶという環境には無い、と言われたが、その分使命感に燃えておられるようにお見受けした。出生率日本一から子育て日本一を目指したいと抱負を語られていた。

 かつてお上の旗振りで、延長保育を導入したものの、希望者は僅か一名であったそうである。沖永良部にあるものを活かし、保育環境を整えていきたいと言われた。地域に見合った施策が必要であると改めて思った。

3.沖永良部島での体験

(1)「子宝の島」の現実・・・人口問題

 来年度の人間観レポートで詳細を記すが、鹿児島の本土からお仕事で見えていた医薬品卸業を営まれる満尾茂治氏と偶然知り合った。その満尾氏の御紹介で、島の大きな病院・福山医院の院長先生、福山茂雄先生を訪ねた。

 夜分の訪問に関わらず、福山院長先生は歓待してくださり、島のことについて、多くのことを教えてくださった。

 中でも驚いたのは、島の人口の実態についてのお話だった。

 沖永良部島は、1955(昭和30)年には、人口が2万6636人を数えたが、2000(平成12)年には、1万5126人まで人口が減ってしまっていること。そして、年少人口も1万人を超えていたのが、約4分の1の2606人まで減っていること。

 この影響で、小児科医から転業する医院が多かったことも教えていただいた。
「子宝の島」をイメージしていた私には、大変意外なお話であった。

(2)子宝の島の秘訣

 和泊役場でお世話になった南元総務課長は、自動車で、西郷隆盛公縁の場所から、歴史館や日本一のガジュマルの木、町内を隈無く案内してくださった上、出発の朝には、空港まで送ってくださった。出会う人々が親切な方達ばかりで、何も無い、将来ここで政治家をするわけでもない、自分たちの一文の得になるわけでもない、私にも本当に親切であった。

 日本一の子宝の島の秘訣は、実はこうした所にあるのかも知れない。

 南氏が言われた言葉で、印象に一番残ったのは、「東京では、人に挨拶してはいけないと子どもに教えるそうだが、本当かね?ここでは、子どもが大人に挨拶するのは当たり前のこととして教えるんだけどねぃ」。

 島を離れるのはとても残念に思えたが、さらなる調査のため、一路鹿児島市に向かった。

二.鹿児島市での調査

1.鹿児島県庁の調査「奄美群島の長寿・子宝の要因分析」

 鹿児島県では、打越明司県議会議員のご紹介で、県庁保健福祉部吉田紀子次長を訪ねた。

 鹿児島県庁では、この吉田次長を中心に「あまみ長寿・子宝プロジェクト」を推進しており、「奄美群島の長寿・子宝の要因分析」を行っていた。

 沖永良部島の属する奄美群島では、他の島々も、長寿、子宝で知られる。長寿面を見ると、人口10万人当たりの100歳以上のお年寄りの数(粗百寿率)は、全国平均61.66人に対し、奄美群島は219.1人(平成10~14年)。子宝面では、合計特殊出生率は上位1~5位までを奄美の市町村が占めていて、群島平均では、2.22。
 
 奄美群島について、自然環境要因、住・移動・安全環境要因、労働・生産・経済要因等、計11の要因、141項目について、調査をされていた。

 調査の結果、子宝の要因として示唆された主なものは、次のとおりである(平成15年9月、鹿児島県庁、奄美群島の長寿・子宝の要因分析中間概要報告)。

(1)自然環境 ・日常的に海洋のエアロゾルを浴びている。地域の水道水の硬度が高い(硬水)
(2)社会環境・共助の仕組み、活動が盛んである。
・地域に子・孫の世話を生き甲斐としている高齢者が多い。
・近隣保健福祉ネットワークが盛ん。
・食生活改善委員が多い。
・民生・児童委員による地域活動が活発。
(3)地域の環境 ・教育や文化を大切にしている。
・社会教育講座が多く開催されている。
・公立図書館の蔵書数が多い。
・住民の学習の場、機会が豊富。
・幼稚園・学校数が多い。
・地域の指定文化財も多い。



 吉田次長は、長寿・子宝に恵まれた奄美群島を研究し、その成果を生かすことで、奄美が21世紀少子・高齢社会対応の社会モデルとして県内外に貢献できるのではないか、と考えておられた。また、地元にあるものを活かして、長寿・子宝産業を興し、振興法に頼ることなく、自立的な発展が出来ないかを探ることも意図されていた。

 次長は、民間のお医者さんの出身で、人の健康や幸せとは何かを常に考えてこられ、これを念頭にプロジェクトを推進されている。スピードタウンの限界という視点など、様々なことをお考えで、実に学ぶ所が多かった。

2.打越明司鹿児島県議会議員からの示唆・・・繋ぐということ

 鹿児島市では、塾の先輩である打越明司鹿児島県議会議員からも多くの示唆をいただいた。

 打越明司県議は言われた。

「郷土愛が強く、先祖を大事にする地域ほど、出生率が高いことであった。これは先祖を守る習慣、先祖と向き合う習慣を常に持つことで、繋いでいくという意識が醸成されるということである。」

 また都市とコミュニケーションについてのお話は、先の南前課長のお話とも重なるものだった。

「都市では、人とコミュニケーションを取らなくても一日過ごせてしまう。一日中会話しなくても過ごせる。しかし田舎はコミュニケーション能力を必要とする。これは、子どもを産むこととも連関があるのではなかろうか。」

 歴史を縦軸に、今いる人々との関係を横軸に考え、縦横に繋ぐことが肝要であろう。

三.沖永良部島、鹿児島市での調査を終えて

 私の結論を一言で述べると、子宝の秘訣は「人が本来の人らしく、幸せに暮らしてる地域・社会に有り」ということである。

 加えて述べれば、沖永良部島では、18歳の若者が100%近く島外に出て、一旦自立していることも何かを示唆しているようにも思えた。

 少子化対策という人口学的なアプローチを超えて、どんな社会をつくっていくか、これを課題に今後研修活動に励みたいと思う。

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橘秀徳の論考

Thesis

Hidenori Tachibana

橘秀徳

第23期

橘 秀徳

たちばな・ひでのり

日本充電インフラ株式会社 代表取締役

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児童福祉施設で現場実習

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