論考

Thesis

『やり直しの教育』~失業と職業能力開発~

失業の時代

 失業率は5.4%と過去最悪を記録している。さらに政府が進める構造改革、不良債権処理で多くの離職者が出てくる一方で、IT不況、アメリカテロと景気回復の見込みがない今、雇用情勢はかなり苦しくなっている。家族を支える中高年層がリストラされるケースなども目立ってきた。国の緊急地域雇用特別交付金制度では、失業者を一時的に雇用はしても、6ヶ月未満の雇用期間では次の就職までのつなぎとしてしか意味をなさない。個人は安定した雇用につくためには手に職の技能をつけることが求められるようになった。

 一方で日本に比べて賃金が30分の1と言われる中国がWTO加盟を果たし、世界の自由貿易ルールの中に正式に入ってくることで、今後ますます日本の国内産業は空洞化が進み、従来の製造業では雇用は期待できなくなってくる。政府は、即効性のある雇用対策だけでなく、中長期的に日本の産業構造を転換させ、安定した雇用を生み出すことが求められている。

 こうした状況下で今その役割が最も見直されているのが職業能力開発ではないだろうか。個人が技能を身につけ安定した職につくためにも、新しい日本の産業への労働力の流動化を図るうえでも、この職業能力開発は鍵となってくる。今月は個人にとっての職業訓練の意義と埼玉県の課題についてまとめてみる。

『やり直しの教育』

「技能専門校は『やり直しの教育』という意味があると思います。」と静かに語りだした。埼玉県立中央高等技術専門校の仲村先生(?)は同校の空調システム科を担当している。生徒は8名だ。「6・3・3・4の既存の教育、その先のレールから外れてしまったら、それで終わりという教育でした。でも私達の技能専門校はそんな社会に対して、別のルートを作っている。それが大きな役目だと思っています。」現在、中央高等技術専門校は、自動車整備・空調システム・インテリア・建築・ の5つの技能研修を、30歳までの若年者を対象に行っている。新規高卒者の中には大学に行けなかったといってネガティブな気持ちで入ってくるものも多いという。それをポジティブシンキングに変えるのも教師の重要な役割の一つだ。生活指導にも力を入れているそうで、廊下を歩くと「おはようございます。」と元気良い挨拶が飛び交っていた。しかし、『やり直しの教育』を求めてきた生徒は、新規高卒だけではない。仲村先生の空調システム科の生徒には、就職していた前の会社を辞めて来た生徒も多い。クラスによっては大学4年で就職活動に失敗し、手に職をつけようと思い立ち入学してきた生徒もいる。昭和55年の開校当時は新規学卒者だけを対称にしていた中央校も、現在その比率は6割強にすぎない。雇用保険をもらいながら、次の就職を目指して技能を身につけに来る者が多くなっている。

 職業開発校の役割は時代とともに変遷し続けている。戦後すぐには職業安定所の中の職業補導という名で、失業者の休職斡旋を補助するための技能研修として成立した。ところが高度成長にこれからさしかからんとする昭和33年、職業訓練法を制定されたことで、目的が新規学卒者対象の職業訓練へと変わった。これが現在まで、主に新規高卒者対象の技能訓練所として続いている。ところがこの大失業時代にあたって、またその性格を変えることが求められているようだ。

 日本の長期不況と構造改革の波は、6・3・3・4制の教育、良い大学を出てよい会社に一生勤めるという既存のレールを通用しないものにしつつある。大学は出たけれど職が見つからない若者、40代になってリストラされた中高年、そんな人々が急増している今、『やり直しの教育』というもう一つのレールの役割はますます高まっている。現在埼玉県内には、この中央校も含めて12の高等技術校があるが、年齢制限をはずした一般コースが数多くおかれ、川口・熊谷などでは中高年齢層の再雇用を助ける中高年コースも設立されている。6・3・3・4のレール以外のもう一つの『やり直しの教育』は、その役割をさらに拡充することを求められている。

埼玉県の職業能力開発の今後

 現在、埼玉県は12校の体制整備計画を立てている。県立の12校の中には自動車だけでも4校ある。各学校一学年で20人であるから、当然施設に空きが出る時間が多い。こうした現状をふまえて、学校を7~8校にまとめようという計画が検討されている。これは指導官にとっても非常に重要だ。技術校の指導員にとって、外部の研修に参加して新技術を学んでくることは命であるそうだ。生徒が就業して求められる技術は、常に変化している。そのニーズに合わせた教育をするには、指導員自体の技術向上が求められている。

 こうした体制整備計画を中で、今後注目すべき点は、現在民間の職業能力開発を行う業者が数多く存在する中で、県が公費を出して無料で教育するという現行の方式を続けるかどうかであろう。科によるが民間の専門学校の規模がかなり大きい分野も存在する。例えば自動車整備では、1校600人もの生徒を抱えた民間の専門学校がいくつもある。そんな中でなぜ全県でたった80人を県立で育てる必要があるのかという点は、十分検討しなければならない。

 各科の担任の先生に、民間との差異をうかがってみたところ、共通して挙げられるのが、少数で基礎を幅広く、みっちりと学ぶことができるということだ。確かに20人での授業を行える、科によっては5人に1人の担当教師がつくという環境は生徒にとっては魅力的だ。また民間では目にみえる結果を出さねばならないため、どうしても資格試験中心となりがちだが、公立では手を動かして実際の作業をきっちり教えられるという。実際、卒業者の就業率も若年コースではこの不況下でも100%近い。県立は優秀な生徒を輩出するという定評があるのだろう。こうした教育の充実は、行政の効率化という側面から見ると矛盾も抱えている。このバランスをどこでとっていくか、今後さらに考察を深めたい。

 もっとも大きな公立の特徴は、全く無料ということだ。民間の専門学校に行く場合、年間200万円近くの学費払うにも関わらず、公立が全く無料というのは差がありすぎる。優遇されすぎているのではないだろうか。これにはメリット・デメリットの両方がある。まずメリットとしては、これには集まる生徒のモチベーションの問題もある。無料・少数教育という非常に優遇された学校であるが、入学にあたっての倍率はもっとも人気のある自動車整備コースでも2.3倍ほど。なかなか高校生などに認知されていないという問題もあるが、新規学卒者自身、試験のある公立の学校を忌避して、200万円を親から出してもらっても民間へ行くという傾向があるそうだ。その意味でやる気のある生徒が集まり、少数精鋭でみっちり授業ができるといえる。しかしこの特徴は視点を変えれば、民業の圧迫になりかねない。こうした流れを受けて、他の自治体では公立の職業能力開発校も有料化を進めている。

『やり直し』からチャレンジへ

 今後、ますます公立の職業能力開発校の存在意義としてますます大きくなってくるのは、ハンディキャップを持つ人々への支援としてではないだろうか。無料であるいは民間よりも定額で県が行う意義はそこにあると思う。例えば埼玉県の一部の専門校では、身体障害者のための自動車運転科を設けている。また、このハンディキャップとは何も身体的なものに限らない。失業者もまたそうであろう。特に家族を抱えた中高年の再就職への支援は緊急の課題だ。

 しかし残念ながら、好調な若年コース修了者の就職に比べ、中高年コース修了者の再就職は非常に厳しい状況におかれている。中高年コースの造園、表具(襖がえなど部屋内の軽メンテナンス)の修了生の就職率は格段に落ちる。3割から5割といったところだ。若年コースよりも就業への意欲も切迫感も強いだけにいっそう悲惨だ。この理由の一つは、こうした技能専門校での6ヶ月~2年の訓練で学べる範囲は基礎に限られており、すぐに即戦力とはいかないという点が挙げられる。若年者はその上の技能研修を内弟子として書く職場で学んでいくことになるが、給与も高くなりがちで、年齢的にも教える側がやりづらいということで中高年は忌避されてしまう。

 これに対する一つの解決策は再雇用を望むのではなく、自分で創業することであろう。中高年コースを持つ川口校の吉本校長はこう語っていた。「これまで職業訓練と言うのは人に雇用されるのが前提だった。しかしこれからはここで学んだ技能を持って自ら新しい創業をする。そんなチャレンジが求められていると思う。」こうした点もふまえて公立専門校の短期コースには、創業支援コースというものが設けられ始めている。基礎を幅広くやるため、応用が利くという公立教育のもっている特徴はプラスに働くかもしれない。

 ただここでもネックは中高年層の技術力だ。6ヶ月・1年・2年の研修だけで。はたして必要な技能が身につくかという点だ。特に住宅ローンも抱えて一日も早く収入の糧をえたいという中高年のニーズと、長期教育は矛盾するだけに解決が難しい。基礎コースの後に既存業者の実際の現場で研修を積みながら、生活維持分の給与(会社と行政で折半する)をもらえるような仕組みを作るなど、いっそうの工夫が必要だ。

『やり直しの教育』は個々人にとっては、新たな人生へのチャレンジである。そうしたチャレンジ精神旺盛な個人がたくさん出てくることこそ、不況にあえぎ先の見えない日本の構造改革であり、再生への道だ。

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森岡洋一郎の論考

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Yoichiro Morioka

森岡洋一郎

第20期

森岡 洋一郎

もりおか・よういちろう

公益財団法人松下幸之助記念志財団 松下政経塾 研修部長

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