論考

Thesis

真の政治主導にこそ必要な本物のシンクタンク

「ペンは剣よりも強し。」 ――― この福沢諭吉の言葉はあまりにも有名ではある。しかし、ペンをもっての戦いの装置であるシンクタンクが日本に本当に根付いているだろうか?この夏からワシントンDCに活動拠点を移した私は今、あらためて世界地図と歴史の座標軸の中で戦略を研ぎ澄ますシンクタンクの影響力・重要性に驚かされている。「知」と「治」を結ぶ戦車――シンクタンク――が政策のリーダーシップも伴った真の政治主導を可能とする知的インフラとして、重要な役割を担っているからである。ワシントンDCにあるシンクタンク群は、単に研究と学問の追究にのみ終始するのではなく、「公共政策」という、ある「社会」「国」「地域」「圏域」、または世界の人々の生活と統治をどうするか、という現実の問題に長期的ヴィジョンと戦略をもって取り組んでいる。
明治維新から130年以上経ち、真の政治主導の確立と民主主義の真価が問われる21世紀となった今の日本にこそ、本物のシンクタンクが求められる時はない。

1.なぜ、日本に本格的シンクタンクが育たないのか?

日本はこれまで、世界戦略の中で、独自の舵取りをする必要にあまり迫られてこなかった。そのため、シンクタンクの知的インフラがあまりにも貧弱である。これは、国民そして立法機関をはじめ、大学や他の政策形成関連機関の怠慢がもたらした状況でもある。
日本に本格的なシンクタンクが育ってこなかった理由として、次のような点が考えられる。(注1)

① 日本の大学教育及び大学機構それ自体から政策研究者がほとんど育ってこなかった。
② 政府による援助の不足や民間助成財団の規模の小ささ。(公共政策へ助成金を出す認識・社会的土壌がない。)
③ 官僚機構による情報の独占。政策情報へのアクセスの悪さ。
④ 政治や政策に対して自己を主張しそれを変えていこうとする国民意識の低さ。(デモクラシーが成熟していない。)
⑤ 政策研究者に必要な創造性や、自己の意見を持ち主張する人材を育成するのに適さない詰め込み中心主義の教育とその制度。
⑥ 政策研究を行えるためには多種多様の多くの経験が要求されるが、それを阻んでいる終身雇用。
⑦ 公益法人設立と運営における法的あるいは非公式な拘束。
⑧ 政治家・官僚・マスコミなどにおける真の意味での政策研究成果の消費者の数が少ない。(政策研究市場の不在)。

2.シンクタンクの条件

東京財団・前研究事業部長の鈴木崇弘氏によると、シンクタンクの条件として、次の4点が挙げられる。(注2)

(1)人材 ――― 活動の源泉
政策研究は長期的視野、革新性、さらに国際的視野と感覚が要求される。政策研究者はできあがった政策の枠組みを維持したり、その枠組みの中で問題を処理していく能力だけではなく、新たな枠組みをも形成できる創造性、さらに自己の意見を的確に表現する能力を兼ね備える必要がある。こうした点で、個人の創造性、個性を伸ばすことに弱い日本の教育や研究環境は問題が多い。
シンクタンクの研究員が大学などの研究機関の研究者や学者と違うところは、公共政策研究を実際の社会に適応すべく研究し、そしてその成果を実際の政策の中で実現していくことを目指して、何らかの方法を通じて実際に社会に多大な影響を及ぼしている点である。

(2)財源 ――― 活動を支える源
政策研究は独立性、客観性、そして時代性が要求される。また、それは性質上、利益を生み出す活動ではない。そのため、シンクタンクは経済や景気変動に影響されることなく、また政策に関する独自な調査研究を継続していくためにも、ある程度の基金を有している必要がある。
他方、たえず時代に即した研究を行うために、すべての研究財源を内部の基金に頼るのではなく、外部からの資金を得る必要がある。同様に、シンクタンクの独自性確保と維持のために、多様な事業収益の方法や研究助成金・委託金などの外部財源先の多様化とバランスを保つ必要がある。

(3)情報 ――― 政策研究のインプットとアウトプット
「インプット」の問題 ―― シンクタンクが頭脳集団として、優れた政策研究を行うためには、その研究のための基礎データや情報が必要である。特に、官庁からの情報とそのアクセスが問題となる。
「アウトプット」の問題 ―― 日本では、政策形成を行う官僚機構によって政策研究も行われており、政策情報・データと政策研究の成果から生まれる情報は、情報収集者であると同時に政策研究者(機関)である当事者によって消費されている。しかし、シンクタンクが官僚機構の外に形成されると、その「政策研究」と「政策形成(過程)」との接点、つまり政策研究をいかに政策形成過程へ影響できるか、が大事になる。そのため、政策案の対象者(市民・有権者、政治家、官僚など)によって受け入れられる土壌を形成していかなくてはならない。そのため、マスコミの活用・人脈づくり、「政策」に対する有権者の意識を高めるなどの啓蒙活動なども必要となってくる。

(4)役割 ――― 社会的立場
アメリカをはじめとするいくつかの国々においては、そのヴィジョンづくり、少なくともその素案作りは、シンクタンクによってなされる。また、シンクタンクがアジェンダ・セッター(公的議題設定者)的役割を担うことも多い。日本では、従来そのようなことはなく、シンクタンクはヴィジョンをつくるものというよりも、情報の整理屋的存在になっている。また、政権交代のある国々においては、シンクタンクが人材プールとしての機能も担っている。

 

 

3.一元的政策過程の行き詰まり

日本における最大かつ最高のシンクタンクは、官僚機構である点は誰もが認める事実である。しかし、明治維新以来、日本の頭脳として、“優秀”で“権力”があると皆が信じてきた官に対する信頼が、最近、揺らいでいる。政府の護送船団方式にどっぷり浸り、自ら考え、判断する必要性に迫られなかった企業・産業は、グローバリズムの大波を受け、弱体化している。そして、住専問題等にみられるように、官製の政策がこの10年、次々と頓挫し制度疲労を起し始めている。そして、今日まで日本は混迷を極めてしまった。
日本の官僚機構は、極言すれば、政策研究、政策形成、さらに政策執行のすべてを独占してきた。その官僚機構は、東西冷戦構造のような大きな世界の枠組みがある程度固定し、短期効率的に先進国の仲間入りをするキャッチ・アップの経済成長では実に効果的に機能した。またこうした社会や教育現場では、画一性や前例主義が尊ばれた。そのため、「創造性」やその下地となる「自由」や「挑戦」の価値観はかえって邪魔なものであった。しかし、詰め込み・暗記といった機械的な能力のみを重視するペーパーテストの一側面だけで“優秀”と評価する日本の社会風土のおかしさにも最近、多くの人々が気付きつつある。

4.漂流し、変革が必要な時代にこそ求められる21世紀の本物のシンクタンク

一方、官僚が政策をすべてお膳立てしてくれた時代には、政治家の役割はいかに国から予算をぶんどってこれるかといった点に集中した。国民も、それが政治の仕事なんだと考えていた。しかし、東西冷戦の枠組みや右肩上がりの経済成長神話が消え、頼るべき方向性を見出しにくくなった今、グローバルな長期的視点に立ったヴィジョン・政策で政治がリーダシップを取る必要性に迫られている。
象徴的なケースは、慶応大学総合政策学部教授で東京財団理事長であった竹中平蔵氏が、経済財政担当大臣に就任し、内閣の主要メンバーに加わっている事実である。竹中氏の大臣起用は、従来の永田町の処世術論理であった国会議員の「当選回数主義」や「派閥によるポスト配分」を超越し、今後の日本のリーダーシップ構造のあり方に大きな一石を投じた。“ドッグ・イヤー”とも言われる変革のスピードの速い冷戦後のグローバル経済・社会において、ますます一国の経営陣には実質的なリーダーシップとスピーディーな意思決定が必要となってくる。もちろん立法府に選出される議員は、しっかりと行政をチェックして行くべきではあるものの、国家を経営する行政府のトップ陣は「イチロー」のように本物の実力がある「オールスター」でなくては、21世紀を先導する世界戦略をもった国家経営はできないのではないだろうか。
アメリカでは、民主的に選出された大統領が、大臣クラスをはじめ、数々の行政ポストにベストの人材を各界から「回転ドア」のように、政治任用している。そのため、人材供給や政策過程が多元化しており、ヴィジョン、政策、人材といった点でシンクタンクがその重要な役割を担っている。また、同じ議院内閣制の国、イギリスではブレア首相が大統領的な“強い内閣”のリーダーシップによって、経済を好転させてきているが、ブレア内閣を支える舞台裏には数々のシンクタンクが存在している。

5.民主主義のインフラであるシンクタンク

アメリカやイギリスなどのシンクタンクは、地球上の様々な問題を、政府とは異なった観点やより自由な立場から考察している。そのため、政府の政策を事前に、かつ機動的に国際社会の中で討議し、政策的合意の形成や政策調整の基礎固めをあらかじめ行え、政策形成過程においてきわめて重要な役割を担っている。
また、世界各国のシンクタンクは、相互依存関係の増大するグローバル社会において、共同研究、会議の共同開催、研究者の交流と交換、データの相互利用などを通じて、相互連関性を高めている。しかし、日本には真の意味でのそのパートナーになりうるシンクタンクがまだまだ少なく、あるいは脆弱なために、日本には政府間レベルの政策論議・交渉前に既に始まっている民間レベルの話し合いに参加できていない。そのため、政府間レベルの議論が開始され、いざ日本が議論に加わろうとしても遅い、ということも起こりうる。このことは、知らず知らずのうちに日本が国際的ハンデキャップを追うことにもなりかねない。
混迷を極める日本に、希望の明かりを灯すためにも、「知」の競争が今こそ必要である。その競争が不在の時、1990年代の日本のように、社会はさまざまな失敗を繰り返し、問題の解決を困難にする。こうした意味においても、「知」の競争ができるだけの独立性、対等性、対抗性をもったシンクタンクが必要だ。鈴木崇弘氏は次のように述べている。

現在をよしとし、それを変更する必要がないと思うならば、またその治め方と治められ方に満足なのであれば、シンクタンクは存在する必要はない。満足であればただ研究分析していれば十分である。社会の治め方、治められ方に問題があるのではないか、それを変える必要があるのではないかと思う時、そして何らかの変革をめざしてアイディアを持つ時、そのアイディアを民主主義制度を有する社会において実現しようと願う時、論争を挑む必要が出てきた時、そのような時にはバラバラの個人であるよりも組織である方がよく、装置が必要となり、シンクタンクがそうした装置として有効なのである。
だから変革の必要性を認めない社会、変革のための論争をする必要がない社会ではシンクタンクは存在する必要がないと断言できる。そして、「治め方」と「治められ方」が一元的に決められる社会では、シンクタンクは不要である。民主主義という場と、そこでの「治」の戦いがなければ、シンクタンクという戦車は用をなさない。(注3)

 かつてビル・クリントンは、「デモクラシーは解答がない果てしないマーチだ。」と言った。日本に本格的なシンクタンクが育ち根付くか否かの本質は、日本が真に民主的な社会に脱皮できるかの挑戦なのである。

(注1)鈴木崇弘・上野真城子、『世界のシンクタンク』、サイマル出版社、1993、232頁
(注2)鈴木崇弘・上野真城子、23~29頁
(注3)鈴木崇弘・上野真城子、前掲書、5~6頁

(参考文献)
米本昌平、『知政学のすすめ』、中央公論新社、1998
寺島実郎、『国家の論理と企業の論理 ― 時代認識と未来構想を求めて』、中公新書、1997
小池洋次、『政策形成の日米比較 ― 官民の人材交流どどう進めるか』、中公新書、1999
日興リサーチセンター・ワシントン事務所、『アメリカ政治・経済ハンドブック』、ダイヤモンド社、1997

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下斗米一明の論考

Thesis

Kazuaki Shimotomai

下斗米一明

第21期

下斗米 一明

しもとまい・かずあき

PwCコンサルティング合同会社 ディレクター

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