論考

Thesis

日本の安全保障戦略構想

これほど批判することが簡単な分野があるだろうか。一方で、これほど自ら構築することが困難な分野があるだろうか。数多くの論説において安全保障戦略の不在が指摘される。しかし、往々にして、そこに対案はなく、抽象論の批評にとどまる。

1.はじめに ~「建物の基礎とウワモノ」~

 戦略の不在。外交や安全保障においてしばしば用いられる批判である。その指摘に同意することはしばしばあるが、あるべき具体的な戦略とは何かとの問いに対する具体的な回答は非常に少ない。そもそも、体系的・網羅的に戦略を明文化した文章がどれほどあるだろうか。不在への批判、戦略の内容への批判はたやすい。しかし、その対案となり得る戦略を明示することは非常な困難を伴う。

 私は日本の安全保障に関して、過去から未来への時間軸のなか、二つの視点から観察している。第一に未来へ向けた視点である。これから先、日本という国がどうあるべきなのか、その為の課題はなにか、課題の一つとしての安全保障の位置付け・戦略はいかにあるべきなのか。追求の対象はあるべき安全保障戦略と、具現化に向けた具体策である。

 第二には、過去からの連続性を踏まえた現在への視点である。未来に向けた戦略が建物のウワモノであるとすれば、ここでいう現在への視点の焦点は、日本人の意識・安全保障観という建物の基礎部分にあたる。内容については後述するが、基礎なくして建築物が成り立たないのと同様、日本人の意識・安全保障観という部分に踏み込まない限り、いかなる合理的な戦略も机上論の域を出ない。

 今回のレポートにおいては、この第一の視点を中心に現段階のたたき台を文章化することを試みたい。将来にわたる諸環境の変動を見据えつつ、あるべき国家像を考え、それに依拠する安全保障戦略の大枠を描く。全ての面において自らの定まった見解と整合性のある論理のみに基づいて文章化するわけではない。むしろ、今後のたたき台としての位置付けであり、具現化の為の具体策を追及するスタートラインということになるだろう。安全保障戦略という「ウワモノのデザイン」に引き続いて、日本人の意識・安全保障観という「基礎」構築を見据えた取組について若干触れて、次回への導入とする。

 今回のアウトプットは、私の人生のこれまでのストック等に加えて、特にこの4か月程の活動に負うところが大きい。国会研修における各種勉強会・委員会、国民保護法制審議の追跡調査、私的な安全保障戦略研究会での共同研究、多くの識者との意見交換、100人超による戦略研究セミナーでの議論経験、防災実務者・自主防災組織運営者との議論、防災関連活動への参画などを踏まえたものである。全てを文中には用いきれないが、予め付記しておく。

2. 日本の安全保障戦略 ~「ウワモノのデザイン」~

(1) 安全保障戦略を考えるにあたって

 安全保障とは何か。狭義の安全保障は、国家の領域と国民の生命・財産を、他国の攻撃・侵略から、軍事力によって守ることを意味する。長い人類の歴史において、国民の生命・財産が必ずしも守るべき存在として定義されていなかった時代もあったが、伝統的な定義として、かつ現代においても最も基本的な安全保障の定義として有効であろう。軍事のみが安全保障でないとの言は日本でよく用いられる表現だが、軍事を抜きにした安全保障は昔も今もこれからも成立しない。一方、安全保障を広義に捉えようとすると、定義は果てしなく拡大する。昨今では「人間の安全保障」という言葉により、国家でなく個々人の貧困や社会不安を紛争の根源と認識し、非軍事的手段を用いて対処しようとする領域も存在している。様々な「安全保障」の違いは、その主体として「国家」をどの程度強く認識するかの相違である。

 ここでは、あらゆる「安全保障」を網羅するのでなく、国家が主体として担うべき安全保障を軍事・外交・通商等の側面を有機的に捉えることとする。守るべき対象は、領域・生命・財産は言うに及ばず、日常の経済活動及びストック・フローとしての経済的利益であり、国際社会の関係性のなかで存在する日本のポジションでもある。手段としての軍事力を排除せず、しかし軍事力のみに限定しない方法により具現化を図り、対象とする脅威も軍事的脅威はもちろん、国家の成立基盤を成す経済面へのインパクトを含むこととする。安全保障を以上のとおり認識することを前提に、以降の議論を進める。

 ここで論じようとするのは安全保障戦略であるが、戦略とはなにか。しばしば言われるように、戦略と戦術は異なる。戦争における大局観が戦略であり、個別の戦闘手法が戦術であるとすれば、本論においては安全保障から見た国家間の関係性を主眼とすることであり、安全保障「政策」と区別するということである。また、戦略は次に述べる国家のビジョン、目標を達成する手段であるとの認識に立ち、以下の論を進めていく。

(2) 日本の国家ビジョン

 安全保障戦略について考察する前提として、まず日本の国全体としての目標・ビジョン・戦略について触れたい。安全保障なり安全保障戦略は、国としてのあるべき・ありたい姿を具現化するための一つの手段である。言わずもがな、国としての独立の維持という観点においては、安全保障そのものが目的であるが、現代においては一段高次の国家目標具現化の手段を意図した広い意味での安全保障の位置づけが重要であろう。

 現時点において収斂されたビジョンはまだ存在しないように思われる。また私自身もそれを完全に確立するには至っていない。しかし、国家ビジョンなき安全保障戦略は、目的としての安全保障(国家の独立)を除けば意味を成さない。従って、雑駁ながらビジョンに類する国家像をまず描き、その上で安全保障戦略についての考察を行うこととする。

 その視点から日本を考えたとき、まず「関係性」という言葉が思い浮かぶ。日本はアメリカや中国のように、広大な領土と市場・資源等を抱え、万一の際は自己完結も不可能ではないという大国ではない。経済をはじめとして、あらゆる観点において周辺国および世界各国との関係性のなかで生きていくことが必須である。自己完結を前提とした日本のビジョンは成り立たない。日本のビジョンは、どのような関係性を構築するか、そしてその関係性のなかでいかなるポジションを得るか、という観点より発想されるべきである。もちろん、関係性の条件のみから発想し、「こうありたい」と主体的に構想する発想を捨ててはならないことは言うまでもない。

 対外的な関係性の主な基盤は外交・通商・安全保障にある。それぞれは相互に連関しあうが、今後の構想において共通するのは「アジア」であり、地理的にも近い「東アジア」という要素であろう。輸出入を併せた貿易額は既に対アメリカ以上の4割を超える割合を占めている。日本の国内産業も、工程分業によって各国に設置した工場との強力な結びつきを持つ。また、エネルギー・食料・生産資源の9割近くがこの地域を経由して日本に至っている。東アジアの安定なくして、日本は食っていくことができない。

 あらかじめ強調しておきたいが、「東アジア」の要素を考慮することは「アメリカ」との二者択一を意味しない。安全保障・外交・通商それぞれにおいて、アメリカは日本の最重要「関係先」であったし、今後もそれは変わらない。ただし、今後の日本の姿を考えるにあたって、これまでと最も異なる点が、東アジア地域の変動という新たな関係性の重要性が更に増すことにある、と述べるものである。

 平和であること、現在の経済水準をできるだけ維持していきたいことは、改めて強調するまでもない日本の目標である。今後、具体的に得続けたいものは、地域の安定であり、それによる自由市場へのアクセス確保、食料・資源等の安定確保などである。そして、そこから最大限の経済的利益を得ることである。経済・通商を前面に押し出し、そこにあらゆる資源を投入できる環境を作り出すことが日本としての目標となる。

 日本のビジョンは、東アジアという地域を視野に加えたなかに存在する。そこで、国益のためにも、また公共財としても、地域の安定化装置として機能することが日本の対外ビジョンになる。そして、公共財を提供するなかで、自由や民主主義といった価値観、場合によっては新たな価値観を取捨選択して各種システムに反映させうる発言力を得ることを目指すべきである。

 もちろん、これは慈善活動が目的ではない。日本という国がより豊かに存立していくことが目的である。地域の安定は、豊かさという利益のための、死活的国益であるという認識である。

(3) 採るべき安全保障戦略

ア. 想定すべき脅威と回避すべき事態

 世界の平和も地域の安定も、自国の安全あっての話であり、安全保障における最優先次項は自国防衛である。まず、自国防衛という観点において見通しうる脅威は、北朝鮮の核・ミサイル・テロである。核については、その存否も含めて公には不明な点が多いが、保有の意思とそれに向けた開発を行っていることだけは間違いない。プルトニウムの抽出を終え、一説には数発の核を保持しているとの説もあるが、仮に保有に至っていないとしても、いわゆるDirty Bombとしての脅威は確実に存在している。ミサイルに関しては、テポドンの試射以降、日本でも認識が高まったが、それ以前から日本のほぼ全域を射程におさめるノドンは配備されていた。現在の配備状況は200基とも言われるが、発射から10分足らずで日本に着弾するミサイルは現在の北朝鮮における恫喝外交の主力であるように思われる。

 また工作船で有名になった北朝鮮の武装工作員によるテロは、起こりうる現実性と日本が受ける被害の甚大性から最もケアが必要な脅威であろう。多くの工作員が潜伏しているであろうことは昔から指摘されてきたことではあるが、原発をはじめとしたライフライン等へのテロは国民生活に計り知れない被害を及ぼしうる。やや長期的に考えれば、半島統一時、統一後の「6か国」を巡るパワーバランスにもケアが必要であろう。

 北朝鮮の次に挙げられるのは、尖閣諸島に象徴される島嶼部における中国との局所紛争の脅威であろう。2009年の国際海洋法条約、地下資源、台湾をにらんだ戦略拠点など複数観点から紛争の火種として継続しうる。過去、南沙諸島であった、調査船・民間船の出現、軍関係船の回航、実効支配のプロセスを想起すると、発展性のある脅威として認識すべきである。

 自国防衛から若干範囲を拡大したときには、台湾問題の発火がある。日本にとっては最大の貿易相手である東アジア各国への輸送路が絶たれ、産業・経済への打撃、原油をはじめとしたエネルギー、各種の原材料となる資源、多くを輸入に依存する食料の途絶など、多くの点で日本に死活的ダメージを与えることとなる。これは台湾問題に限らず、南沙諸島等を含むASEAN周辺地域における紛争においてもしかりである。

 世界的に目を向ければ、産油地域としての中東の混乱、それに起因する原油価格の高騰や途絶も大きな脅威であり、今回の自衛隊イラク派遣もその観点から有意義であった。またアメリカが「新しい戦争」と称するテロリズムの脅威も、日本にひたひたと迫るものとして強く認識すべきである。

 こうした脅威の事実関係を踏まえ、日本にとってマクロな観点から回避すべき事態とは何か。これら脅威への日本としての対応は同盟相手国としてのアメリカ、または地域におけるプレゼンスとしてのアメリカの存在抜きには語れない。見通しうる将来からは若干逸脱する可能性もあるが、アメリカがプレゼンスを弱める・撤退するということは、日本にとって最も回避すべき事態であろう。もう少し視点を手前に置いたときには、最も避けるべき事態は米中対立であろうと思う。両国の対立は日本のスタンスの二者択一を迫ることになると思われるが、政治・経済両面において日本はいずれの国を排除しても、「関係性」のなかで生きる日本を存続し得ない。日本にとっては、アメリカの確保、米中対立の回避が中長期的な死活問題であり、個々の脅威への対処もその点を意識しつつ進める必要がある。

イ. 取るべき戦略とは

 アメリカとの同盟関係をより確たるものとし、その中で自国防衛と地域安定を目指すこと。その上で、中国との関係を対立でなく協調の方向で維持していくこと。これが、当面の戦略の基礎を成すと考える。一点追加すれば、当面「後」を考えたときの日本としてのフリーハンドをいかに確保するか、当面「後」のための発言力をいかに確保するかという観点も戦略的に意識すべきことである。

 アメリカの世界戦略を考慮すると、近い将来に東アジア地域から撤退することは全く考えられない。統一後の朝鮮半島を巡る中国・ロシア、場合によっては韓国とのパワーバランスは現代の主要な関心事であろうし、経済発展が一段落した中国の動向・変動はアメリカの世界戦略における最大の変数である。その意味で、向こう2~30年のスパンでアメリカの東アジアにおける戦略的価値観は維持されると考える。

 しかし、日本がそれに甘んじていられるかと言えば、そうでないことが既に認知され、ガイドラインの改定にはじまり、周辺事態法の制定や有事法制への動きに結実した。冷戦期とは異なり、また戦後が歴史として語られる時期に入った今、なしうることは独自に対応しなければならない。これは、日本が国家として主体的な意思を持って行動することの回復であり、同盟国アメリカの要請でもある。また、できるだけ長期にわたってアメリカを「確保」するための戦略としても意識しなければならない。

 自国防衛の観点からは、本来整えられてきてしかるべきであった自衛隊の軍事力としての体裁整備は前提である。戦略とはいえないレベルかもしれないが、ROEの整備などは政治の責任に位置づけられる。その上で、同盟の実効力を高めるための、情報の共有、インターオペラビリティの向上など現在も行われている様々な取り組みは着々と推進すべきであろう。その過程において、集団的自衛権は当然是認すべき事柄である。

 ここで若干気になるのは、自衛隊と米軍との「役割分担」の話である。陸海空それぞれでレベルの差はありこそすれ、半世紀以上にわたって、大枠での攻めと守りを分担してきた。つまるところ、専守防衛をどう考えるかに結実する。ミサイルを念頭に、敵地打撃能力を持つべきとの論を合理的に理解はできるが、一方で日本がその準備を整えるに際して何を失うのか。また、MDについても同様に、アメリカの情報にトリガーの多くを依存するシステムの導入によって日本の独自性が減退することの「当面」後の意味と、ノドン迎撃による自国防衛完遂という効果とのバランスは潜在的に大きな課題である。

 次に、地域安定を目的とした戦略を考察したい。今後の日本は自国防衛の戦略と整合性を得つつ、東アジア地域の安定に最大限の努力を払うべきであろうと考える。その目的は、日本が「食っていく」為の市場・流通である。先にも触れたが、日本の貿易相手としての東アジアは輸出・輸入の両面で既にアメリカを超え、それぞれ4割以上である。人口減少が確実である日本にとっては、国内市場の拡大が望めない以上、海外しかも周辺である東アジア諸国との通商関係が「食っていく」ための糧を得る最重要拠点である。市場という観点以外にも、エネルギーの9割超が通過するルートであり、更に食料自給率40%の日本が多くの食料を輸入する地域でもある。あらゆる面で、死活的な利害がこの地域にあることが明白であり、これからの安全保障の根幹を成す地域であろうと考える。

 ヨーロッパとの比較でよく言われるように、東アジアでは多国間安全保障の基盤が脆弱である。NATOとOSCE(旧CSCE)によって、いわゆる協調的安全保障を具体化してきた西欧に対して、東アジアはいかなる方策で地域安定を図るのかは、特に冷戦後の課題となってきた。ARFは唯一の安全保障機構であるとされるが、まだ信頼醸成・軍備管理を議論する段階であり、当面は限定的な効果にとどまる。一方で、経済・通商の論理から、FTA等を介在した東アジア共同体の構想を日本も提示し、その検討課題の一つとして安全保障は示されているが、まだその輪郭は見えない。また、現在行われている6か国協議も単に北朝鮮の核問題のみならず、各国は統一後、北朝鮮崩壊後を念頭に置いていると考えられる。

 東アジアの死活的重要性を強調する以上、これらの取り組みは当然推進していくべきと考えている。しかし、現時点においての現実的な安全保障としての機能は限定的であると言わざるを得ない。これを考慮すると、地域安定機構としての日米同盟をスタートラインに将来の可能性としての東アジア多国間安全保障の発展性を考えることが、日本にとっての戦略になりうるのと考える。そして、中国との安定した関係を維持するシステム構築をこの流れの中で図ることが主眼であろう。

 現在の中国は国内経済の発展を最大の目標にして、外交の方針を組み立てている。そのため、日本ともアメリカとも可能な範囲で摩擦を避けようとする態度がしばしば見られる。一方で、台湾問題・尖閣諸島の例で明らかなように、軍事力の活用は全く否定していない。将来の布石も打ちつつ、今なすべきことを着実に進めようとする態度であると理解できる。従って、日本としての戦略は、中国が「今なすべきこと」をある程度終えて次のステップに移る前に、中国が軍事力に訴えるオプションを合理的に選択しない状況を作り出すことである。現在議論されている「東アジア共同体」は、まだその中身がない。何を目的とするのか、どの分野・レベルの共同体を目指すのかは空白であり、関係各国も同床異夢である。例えば、これまでに行われてきた地域的な安全保障を模索する動きに加えて、EUのスタートとなったヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)に倣った、食料もしくはエネルギーの協力体は一考に値する。

(4) まとめ

 根底に流れるべき意識は、海洋国家として自覚と他の海洋国家群との連携である。既に強調してきたように、東アジア地域の安定は日本にとっての死活的国益である。そして、その安定は単なる安定だけでなく、そこで制約なく、自由に動き回ることのできる安定である。利益と利益が衝突し、コインのごとく表と裏が存在する世界だけに、すべてを明文化することは難しいが、あくまでもここが基本認識である。

 具現化を考慮すると、この将来ビジョンという「ウワモノのデザイン」の具現化だけでなく、建物の基礎である日本人の意識・安全保障観という部分にどうしても踏み込む必要がでてくる。以下、「ウワモノ」を一旦横に置き、「基礎」の構築に関して簡潔に記述することとしたい。

3. 日本人の意識・安全保障観 ~「基礎の構築に向けて」~

 日本人の国民性を評して「水と安全はタダ」と述べたのは山本七平である。イザヤ・ベンダサンのペンネームで書いた『日本人とユダヤ人』においてであった。日本人とユダヤ人それぞれが置かれた歴史的環境に起因して、安全に対する正反対のコスト意識を持つことを指摘したものである。改めて言うまでもなく日本人はタダ、ユダヤ人は食費を削っても高級ホテルで生活するのである。

 こうした根源的背景のみならず、日本人の意識において、特に戦争や人為的攻撃に対する意識が希薄である背景には、半世紀前の戦争と戦後の歴史がある。そして冷戦という時代が、希薄な安全保障意識の持続を可能にしてきた。自らの安全を自ら図らずともアメリカが守ってくれたのである。

 アメリカが「守ってくれた」のは、日本の安全イコールアメリカの安全であった冷戦と言う時代があったからである。未来永劫、アメリカに依拠することはできない。ましてや、先に記述したように一定の繁栄を手にした日本の安全保障は、単なる独立や領土の保全を図れば済む話ではない。複雑な国益どうしのぶつかり合いを想定しつつ、更なる繁栄のためにしたたかに手を打っていかなければならない。自分で飛行機を何機持てば良い、という単純な軍事の発想ですらない。

 民主主義国日本においては、国民世論の合意・後押しがなければ、いかなる戦略も実行に至らない。これまでのごとく、政府は対立的な存在であり、安全保障・防衛などは他人事であり、「軍」という文字には拒否反応、という態度のままでは、安全保障戦略などはまさしく絵に書いた餅以外のなにものでもない。現実を変えようとする意思を私が持つ限り、「ウワモノのデザイン」だけを追求してもだめで、ウワモノの「基礎」づくりを考え、実践し続けなければならない。

 この観点において、一つのきっかけとなり得るのが先に行われた通常国会において成立した、いわゆる国民保護法制(武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律)である。国内での戦闘やテロに際して、国民の避難・救助などのあり方を大枠で定めたものである。今まで目をつぶってきた戦争やテロを具体的に想定することにより、「水と安全はタダ」という意識に変化をもたらしうるのではないか。

 現在は法律をもとに政府が国民保護のための「指針」を策定している段階であり、最も身近な市町村での検討状況はゼロに等しい。一部の県を除けば、県単位でもまだ具体的検討にはいっていない状況である。ちなみに、私の住む神奈川県および近隣市町においてもしかりであった。政府の「指針」をもとに、県が国民保護のための「計画」を作り、その後、市町村レベルの「計画」が練られるまでには約3年がかけられるスケジュールになっている。

 成立した法律だけでは、国民一人一人の生活にどう関わってくるか見えにくいが、この「計画」は、いずれ「防災」という観点から我々一人一人の生活に関わってくることになる。「水と安全はタダ」の日本においても、こと地震など自然災害を主に念頭に置いた災害への対応は積極的に進められてきた。特に地域単位での防災組織である自主防災の取り組みは海外からも注目され、アメリカの地域防災組織CERT(Community Emergency Response Teams)は静岡県などの自主防災組織がモデルとなっている。しかし、これまではあくまでも「自然」災害への対応がメインであった。原発立地地域などで例外はあるものの、生命・財産に危機をもたらす危険性に「人為的な攻撃」という要素を含めてこなかったのが実情である。

 自然災害と人為的な攻撃では、対応が全く異なるとの論もある。確かに、避難一つとっても、「武力攻撃事態等」にあっては、より広範に集団での移動が必要でかつ迅速性が求められ、自衛隊の救援を得にくいなどの相違はある。しかし、根本的に重要であるのは自助であり、その上に共助・公助が機能するという本質や、避難後の生活基盤確保など、多くの側面で既存の防災体制は有用に機能する。国民保護法制の具体化は、自主防災組織を含めた既存取組への機能追加という形で行われるべきである。

 私個人は、そうした取組に関わりつつ、「水と安全はタダ」という国民意識に挑戦していくつもりである。ここ数か月の関わりのなかで、自然災害のみを念頭に置いた自主防災組織においても、既に多くの問題があることは認識している。旧来の自治会組織に依存しているため、数値上の組織率は高くとも、災害時に必ずしも機能しないこと。高齢化進展に伴って災害弱者が増加し、「共助」の枠組である自主防災組織のみでは災害弱者への対応をまかないきれないこと、など様々である。災害弱者の件については、新潟で発生した水害で亡くなったほとんど全員がお年寄りであったことからも明らかだろう。問題・課題は山積しているが、「水と安全はタダ」への挑戦は、地震国日本、原発保持国日本、そして世界各国との関係性のなかで強かに食っていく日本にとって必須である。

4.おわりに

 第一回の個別テーマレポートにつき、今回は総論を出すことを意識した。総論と言っても、全て確立した論に基づいているわけではない。日々迷い、悩み、考え続けている時間のある一点で切り出した総論である。今後、各論を一つ一つ詰めていきながら、随時フィードバックし、更新していくつもりである。

Back

神山洋介の論考

Thesis

Yosuke Kamiyama

神山洋介

第24期

神山 洋介

かみやま・ようすけ

神山洋介事務所代表

プロフィールを見る
松下政経塾とは
About
松下政経塾とは、松下幸之助が設立した、
未来のリーダーを育成する公益財団法人です。
View More
塾生募集
Application
松下政経塾は、志を持つ未来のリーダーに
広く門戸を開いています。
View More
門