論考

Thesis

日韓中文化観光推進協議体構想-政経塾の全過程を終えるにあたって-

いよいよ今月をもって最後の月例報告となった。ここで政経塾において3年間にわたる研修を振り返って、その上で一つの私なりのアイデアを呈示して研修を締めくくりたい。

1. 政経塾生活概観

(1)政経塾入塾を決意

 大学卒業後、第一志望の日本航空に入社し、小さな不満はあったものの、おおむね満足した会社員生活を送っていた私に転機が訪れたのが97年のことである。当時大蔵省の腐敗体質が世間では問題になっていたが、日本航空を管轄する運輸省についても報道はされないもののひどいものがあった。そんななかで起こったのが日米航空交渉の合意である。
 ここで以遠権(普通航空協定は2国間で行われるが、相手国を経由して第3国へも航路を獲得できる権利が例外的に存在し、それを以遠権という。昔は航空機の航続距離が長くなく、途中給油のためにランディングしなければならないという経緯から生まれた過去の遺物だが、米側はこれを既得権益として航続距離に飛躍的向上を遂げた現在でも行使し続けている。)をアメリカ側には無制限に認め、日本側にも(ヨーロッパを除いて)無制限に認めるという結果になった。こんな不平等があっていいものかと思っていたときに、運輸省は「(お互いが無制限となったので)これでやっと平等な協定が結べた」とのコメントを出したのである。
 実際、双方に無制限という文言が加えられたものの、その中身は雲泥の差があるのは明白である。なぜなら日本の先にはアジアの大市場が控えており、それに対してアメリカの航空会社は無制限に路線を引くことが出来るのに対し、アメリカの先にあるヨーロッパマーケットには日本は全く手をつけることが出来ないからである。しかし、運輸省はそれを詳らかにせず、無制限という言葉だけを強調して平等感を出した。そして、マスコミ各社もそれを非難することなくまったく鵜呑みにした報道を行ったのである。
 国の命運を左右する人たちが自分の責任回避のために国を売っていいものかと憤りを感じ、政治を目指すべく政経塾の門を叩いた。

(2)座学の一年目

 政経塾1年目は同期全員一緒で座学中心の過程を受けた。今まで全く勉強したこともない政治学、経済学、外交・安全保障の問題を扱った。同期はそれぞれ外交、安全保障、紛争解決、法律、経済とそれぞれアカデミックに得意分野があり、私だけセールスマンあがりといった感じでアカデミックとはかけ離れていたが、ここに来たからには今まで勉強してない分を全て取り戻すつもりで勉強した。
 逆に全ての面で自分の得意分野がなかった分、偏りなく吸収が出来たように思う。座学の中でも松下幸之助の経営哲学はセールスマン時代に是非知っておけば良かったという珠玉の言葉がちりばめられていた。

 しかし、そのころから「政治」そのものに対して疑問符をつけるようになってきた。果たして官僚主導から政治主導にしたときに世の中はいい方に変わるのだろうか。世の中のためになる仕事というのは何も政治だけではないのではないか。そう感じ、2年目からの研修は政治から距離を置き、日本という国のアイデンティティを文化、芸術的観点から再構築したらどうなるだろうという雲をつかむような命題を立てた。
 その時に感銘を受けたのが英国ブレア首相の若きご意見番マーク=レナードが提唱した「登録商標としての英国」だった。国家のアイデンティティを大切に守るべき財産と考え、すべてをCool Britaniaという発想でこれからの国家のアイデンティティを再構築しようと試みているという。なかでもポップミュージックはその中心に据えているとのことで、私は英国MTVにて研修すべく、英国へ飛んだ。

(3)英国での紆余曲折

 しかし、英国生活は最初からつまずくことになる。
 まず悪徳不動産屋にだまされた。そして、MTVも下見のときにはどうぞどうぞと言ってもらえていたのが、いざ行ってみると全く相手にしてくれない。そういうこともあるだろうと思い、もう一つ研修先になるところを押さえていたものの、それにも振られてしまった。

 どうしようか迷っていたときに、電通ヨーロッパの一倉副社長から、日本のシンセサイザー音楽の大御所冨田勲氏作曲、そして自らタクトを振る「源氏物語交響絵巻」コンサートとそれに連動して行われる瀬戸内寂聴氏による講演のプロデュースをやらないかという誘いを受けた。これは面白そうだと思い、英国最初のプロジェクトはコンサートプロデュースになった。
 コンサートは琵琶、笙など日本の伝統楽器とロンドンフィルの共演であることだけでなく、バックに京都の四季折々の美しい情景が最新鋭ハイビジョンで映し出されるというクラシックコンサートとしては例を見ない凝った演出が功を奏し、チケットも完売大成功に終わった。
 演奏会終了後、オペレーションセンターにいた私に多くの英国人が質問に来た。「この映像は日本のどこに行ったら見られるのか?」殆どが自分達の目でもう一度見てみたいというものだった。彼らからしてみると東洋の端っこ、中国、韓国、日本に風土の差があるなんて全く想像だにしていなかったに違いない。実際、英国のテレビで日本スペシャルと銘打った番組が中国の音楽をバックに放映されていたりすることは日常茶飯事であることからも窺える。

(4)観光学との出合い

 コンサートの翌日、私は英国の街の旅行会社を廻ってみた。しかし、どこにも日本へのパッケージツアーは置いていない。私はその時、観光が国家のアイデンティティをアピールする最高の手段になるのではないかという仮説を立てた。しかし、どうやって他国は観光をプロモートしているのか。
 そこで、英国には観光学という学問が体系的に成立していることを知り、調査した結果、中でも優秀な教授陣を誇るノースロンドン大学のMBA観光学専攻課程が適当であると判断し、応募したところ、入学許可が下りた。

 ノースロンドン大学ではMBAの必須科目だけでなく、MA観光学の授業も積極的に聴講した。ロンドン近郊の観光学の教授や大学院生が集う「Wednesday Tourism Seminar」にも毎週欠かさず出席した。
 当初私が観光に興味を持ったきっかけというのは、いかに国としてインバウンド観光客を増やすかという命題に対する答えの追求であった。しかし、世界的な観光学者であるデビッド=ハリソン教授の「サスティナブル ツーリズム」の授業を興味深く受講したのち、私の興味範囲はいかにサスティナブルな観光開発を行うかという方面に移った。

(5)観光におけるサスティナビリティ

 問題は「数を伸ばす」という発想それ自体にある。訪問客数が増えても、その訪問客が地元の文化を尊重しなければ、観光地は汚されて終りである。そこで、数の追求をせずに商業的に成り立たせることが出来る観光開発の在り方はないものか、修士論文を観光開発学の第一人者ロバート=クレバドン教授に師事し観光開発における国際観光コンサルタントの関与について執筆した。

 夏ころから観光開発の正常化を求める世界的NGOであるツーリズムコンサーンに出入りするようになった。ここで開発途上国における欧米の観光開発の手法があまりに地元民のためになっていない現実を目の当たりにした。私はここでアジア太平洋地域を間違った観光開発から守り、真に地元民にも利益がもたらされる観光のあり方を追求しなければならないと痛感した。
 往々にして観光開発は世界銀行やEUといったドナーエージェンシーと欧米の多国籍企業体が一体となって開発し、それに乗っかった形で政府観光局が欧米に都合のいいように広報宣伝活動を行っているという図式が成り立つ。そのなかで、もし、政府観光局がもっと自国民のことを考えた観光政策を呈示したならば、今の西側主導の観光開発よりもサスティナビリティは実現されるのではないだろうかと思い、世界の政府観光局の活動を調査した。そのなかで韓国の政府観光局である韓国観光公社は全くの自主財源で効果的に運営されていることを知り、ここでインターンを行うことにより、政経塾における研修活動を締めくくることにした。
 次の章で、この3年間を踏まえた上で、韓国観光公社での研修を通して、あるべき日本の観光の姿を近隣諸国との関わりの中で一つのアイデアを呈示してみたい。

2 日韓中文化観光推進協議体構想

(1) はじめに

 世界全体を見渡してみると経済でも軍事面でもマルチラテラルな協力が多く見られる。一方、日本および周辺東北アジアにおいてはマルチラテラルな協力は今まで積極的には行われなかった。しかし、最近経済面では、アジア経済の安定のために円を基軸通貨とした地域経済圏を作る構想や東北アジア地域の自由貿易圏を作る構想も議論が盛んに出始め、また、軍事面でも米軍の不祥事が露呈するたびにマルチラテラルな安全保障同盟の必要性が唱えられるが、双方ともすぐ実現する状態であるとは言えない。日本はマルチラテラルという関係そのものが苦手だという意見もしばしば見受けられるが、それよりも、中国という存在が至近に位置することによってそれを難しくしている面は否めない。マルチラテラルな安全保障同盟を組んだとしても中国が入ることは現実的に不可能であるし、経済面でも双方にとってメリットのある協力体を作るとなると困難を極める。しかし、中国と反発しあうのは日本の国益にとって大きなリスクであることは自明であると思うので、ここで中国を含めた形でマルチラテラルな関係を構築できる分野をピックアップして、お互いの反目化を防ぐべきであると考える。
 観光はその意味ではお互いの理解を深めるにはまさにうってつけの素材である。そして、中国を含めることにより生ずるデメリットも経済分野や軍事分野と比較して極端に小さい。
 ここで、まず文化観光に限ってマルチラテラルな協議体を作ることで、域内の交流を一段と促進するだけでなく、欧米等ロングホールデスティネーションからの観光客プロモーションを共同で行うことにより、効果的なインバウンド振興が期待でき、日本をはじめとする東北アジア地域のマルチラテラルな関係を構築する一つの成功事例となれば互いの誤解を解くのに効果的であると言える。

(2) なぜ日韓中なのか

 この構想は1999年に韓国観光公社が日本サイドに対してインバウンド観光全てを日韓中共同で扱う協議体として提案したのだが、日本サイドは、韓国との二国間であれば観光協議体を設立することは可能だが、中国が入ることに対して難色を示し、結局頓挫したという経緯を持つ。
 確かに日本側の主張も理解できないものではない。中国を入れるとあまりに広域過ぎてまとまりがなくなる。共通デスティネーションとは考えられない。また中国のしたたかさゆえ、日本ばかりが金を負担して、結局日本の金で中国のプロモーションをしてしまうのではないかという危惧もある。
 しかし、文化観光に的を絞れば日本、韓国、中国を共同でプロモートする意味は大きいと考えられる。

 まず、多くの西洋人は中国、韓国、日本の文化に違いがあることは知らない場合が多い。私がロンドンに在住しているときも、テレビで日本特集をやっていてもバックに流れる音楽は中国の音楽であることなどは日常茶飯事である。
 要は、極東地域の文化はあくまでも中国文化であり、韓国、日本の文化はその亜流との捉え方に過ぎない。そこで、中国の文化で観光客を釣り、韓国、日本へと誘導する方策を考えるのである。実際に目で見て、肌で触れれば、この3国の文化の違いはよく理解できるはずである。
 しかも、西洋人は2週間以上といった長期間をロングホール観光に費やすのが常である。ここで2週間をすべて物価の高い日本で費やすとすると他デスティネーションと比較して価格競争力が極端に劣ることになる。しかし、ここで、物価の安い中国、韓国と組むことにより、割安感とバラエティをと同時に主張できる観光商品を呈示できるのである。

 また、海外において日本のJNTOは日本のインバウンド観光振興に有効に機能しているとは言えず、また実際的なノウハウに乏しいので、いざ振興しろといわれても動けないのが現状である。
 現実、JNTOはインバウンド振興予算がついたからといって、松嶋菜々子の次に出演料の高い酒井法子を起用してのテレビコマーシャルを打つことを決めたそうだが、果たしてそれだけの効果が期待できるのか、Value for Money(効果に見合った費用)の感覚でプロモーションを考えられているとは言い難い。同じ費用を使うのならば、世界の観光フェアで中国、韓国と合同でプロモーションを行った方が少ない費用でより大きな効果が期待できる。とにかく、インバウンド振興では、JNTOよりも実績に裏打ちされた韓国観光公社のノウハウを利用した方が効果的であるのは言うまでもない。
 この日韓中文化観光推進協議体が設立されれば中国にとってもメリットは計り知れない。日本と韓国には観光をつかさどる省庁(NTA)とは別個に政府観光局(NTO)が存在する。しかし、中国にはNTOが存在せず、NTOの役割をNTAである中国国家旅游局(CNTA)がその役割を果たしているが、主たる役割は日本の運輸省と同じく業界指導であるので、効果的にマーケティング、プロモーション活動ができている状態とは言い難い。すなわち、この3カ国の中でNTOが機能しているのは韓国だけだと言える。しかし、中国のインバウンド観光の潜在能力は高いので、ここに韓国のノウハウを利用して3カ国でプロモーションを行えば、3カ国ともに利益を享受することが出来るのである。

(3) 他の地域の観光協議体、共同プロモーション事情

 ここで、世界の他の地域において、実際に機能しているマルチラテラルな観光機構を紹介する。
 まず東南アジアにはASEAN SCOT(Sub-committee on Tourism)がASEAN構成国で組織されている。これは会員国間でインバウンド振興を共同で行う組織であるが、現実的に世界の貿易フェア、観光フェアではタイとシンガポールに香港を加えた形でプロモートしたりしているので、いつでも全ての会員国が一緒にプロモーションをしているわけではない。

 またCOTASURという組織が南米にあり、これは南米を単一観光目的地として広報宣伝活動を行っている。参加国はブラジル、アルゼンチン、コロンビア、チリ、エクアドル、パラグアイ、ウルグアイ、ボリビア、ベネズエラの9カ国である。
 他にもカリブ海共同協力機構、南太平洋観光協会など、島嶼国の共同観光振興を行う組織もある。
 これらを見ると、実際に会員国すべてに廻るよう誘導している組織はなさそうである。これでは旅行会社主導のマーケティング環境は変わらない。ここで、旅行会社ではなく、政府観光局レベルで強力にマーケットを牽引できるよう綿密なマーケティングを行い、モデルコースを設定して誘導するような強力な協議体にしなければ、真に地元に利益をもたらすことの出来る観光は実現しない。そのためには、位置的要因だけでなく、デスティネーションイメージが近い国を限定して組織することが、真にその組織が機能するかどうかの鍵になってくるであろう。

(4)文化観光振興の重要性

 そのなかで、他の東南アジア諸国と比較しても、日本、韓国、中国はリゾート観光で売り出すより、文化観光に偏重したデスティネーションであると言える。日本は沖縄を擁するのでリゾートでも売り出すことは可能だが、リゾートで売るとなるとどうしても中低価の価格帯になってしまう。しかも、リゾート観光では、日常の溜まった疲れを落としに旅行に行くため、客層も相手国の文化、歴史を理解しようという意識とは程遠く、結果として環境にも配慮が足りない客層が中心になってしまう。
 また、国家としての観光プロモーションは数を取りに行ってはいけない。数を目標にすればどうしてもインモラルツーリズムを助長してしまう。ここから観光の負の側面が生まれるからである。
 世界観光機構(WTO)が昨今シルクロードツーリズムを積極的に進めるとの政策を提示しているが、これもまさに文化観光である。ここで、シルクロードの終着点として日韓中3国が共同でプロモーションを行うことで、このWTOの動きを強力に後押しすることが出来る。

(5) まとめ

 この提言は単に3国間の文化観光振興の協調だけが目的ではない。昨今、日韓間ではワールドカップの名称問題や教科書問題など、まだまだこの両国の信頼関係が確固たるものになり得ていないことを露呈する事柄が発生してしまった。日中間においては益々相互不信の感情は高まりつつあるといえる。しかし、韓国はもちろんのこと、中国も日本にとっては付き合っていかざるを得ない隣国である。ここで、お互いの相互不信を取り除き、かつお互いの国益に合致したマルチラテラルな関係を各分野で構築していくことにより、難航している経済面での関係構築の起爆剤になればいいと願うものである。
 マルチラテラルな協力関係を論じるとき、どうしても市場の拡大や構造改革の進展などの動態的効果の面ばかりが着目されがちである。しかし、最も重要な意義は各構成国それぞれの自律性の確保である。自律性を確保するということはまさにサスティナビリティそのものである。サスティナビリティとは未来永劫に持続するという意味だけでなく、普段から乱高下なく安定的に持続するという意味を持つ。今日本とアジアに関する問題点はまさにここではないだろうか。為替は乱高下する。安全保障もちょっとした事件で世論が不安定に左右される。
 観光もマーケット国の情勢、経済に完璧に依存するという面で極めて不安定な産業であるのは言うまでもない。そこで、まず観光の面からマルチラテラルな組織を作り、その効用を他の分野にも広く知らしめること、これができれば、政経塾で「観光政策」を研究したというきわめて亜流なテーマを選んだことが、逆に日本のこれからのゆくえに大きなヒントとなり得ると確信する。

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島川崇の論考

Thesis

Takashi Shimakawa

島川崇

第19期

島川 崇

しまかわ・たかし

神奈川大学国際日本学部国際文化交流学科観光文化コース教授/日本国際観光学会会長

Mission

観光政策(サステナブル・ツーリズム、インバウンド振興

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