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2000年1月

第3部 財政再建結論としての行政システム ~第3報「脱分化ノスタルジア」
大串正樹/卒塾生

 
§0.はじめに

 前回までの報告で、これまでの活動に対する認識と提言をほぼまとめた形になりました。そこで、残された時間を頂いて、今後の活動に関与する、様々な概念を綴っていきたいと思います。今回は生物メタファーの調和モデルについて少し詳しく踏み込んでみます。多少難解な言葉も含まれますが、そこは読み飛ばして頂いて、本報告の意図するところを少しでも読みとっていただければ幸いです。(取材協力:広島大学理学部発生生物学講座 吉里勝利教授)

§1.細胞の系譜

 はじめに、細胞について少しお話ししなければなりません。そもそも、生物メタファーの調和モデルを社会システムに応用する際に、前提となる概念の整理が必要だからです。そして、特に問題としたいのは、なぜ、受精卵という一つの細胞が、分裂を繰り返していくうちに、様々な機能(手であるとか、目であるとか)が間違いなく「発現」していくかという点であります。本来、手であっても目であっても、すべて受精卵と同じDNAが細胞の中に入っているわけであります。しかし、受精卵からの成長の過程で、そのDNAの中の必要な機能だけが、必要な場所で、必要な時に発現するのです。すなわち、DNA内にある一部の機能だけのスイッチがオンになるわけです。もちろん、これは、一つの機能だけで完結はしません。様々な機能が段階的に働いてこそ、はじめて、様々な部分が生まれるのです。これを、遺伝子カスケードというのですが、この遺伝子カスケードのスイッチがオンになるためには、誘導物質が必要なのです。正確には、遺伝子カスケードのスイッチを入れるための、マスター遺伝子のスイッチをオンにする誘導物質が必要となります。残念ながら今の生物学では、このマスター遺伝子は特定されていません。しかし、ショウジョウバエのマスター遺伝子(ホメオティック遺伝子)はすでに100個ほどが発見されているので、今後の研究に期待が寄せられます。

 しかし、これはメタファーなのです。

 着目すべきは、まず、すべての部分が同一に全体の設計図集を持ちつつ、それぞれが自分に必要な設計図をつかって、自分を組み立て、あるいは、行動するのです。しかも、部分同士が互いに調和を取り合いながらなのです。さらに重要なのは、その全体の設計図集には、部品図から組立図、さらには、工程表までありとあらゆる情報が含まれている点です。同一システム内に、サブシステムからメタシステムまですべてのシステムが含まれているということなのです。

§2.有尾両生類の四肢再生

 イモリの四肢は失われても再び生えてきます。これを「再生:regeneration」といいます。イモリは四肢だけでなく、尻尾、水晶体や網膜なども再生します。しかし、これはイモリやサンショウウオといった有尾両生類に特徴的なもので、同じ両生類でもカエルのよう無尾両生類にはこのようなめざましい再生能力はありません。「なぜ」カエルはダメなのかという問いかけは置いておくとして、それでは、どのようなメカニズムで、有尾両生類の四肢再生が行われるのか見ていきたいと思います。

(1) 切断~傷の修復
 初めに、切断された傷が修復されます。切断面は周囲の表皮が集まってきて傷表皮という表皮で覆われます。ヒトでも、けがをしたとき、周りの皮膚がつっぱった感じになるのはこのためです。

(2) 脱分化
 傷表皮が厚みを増すと、先端キャップという構造を形成し始めます。しかし、その下部では、これまでの成体組織が脱分化という現象を起こします。脱分化とは、すでに、自分に必要な機能が発現して、それぞれの組織として成体したはずの細胞(分化細胞)が、再び、新たな分化形質を獲得することを言います。わかりやすく言うと、骨や筋肉に特定された組織が、再び分解されて、新たな組織に変化していく可能性を秘めた細胞に生まれ変わるということです。とっくの昔に眠っていた遺伝情報が再び役に立つときが来るのです。もともと骨だった細胞がこの、脱分化を起こして、今度は筋肉として再生することを、分化転換とも言います。

(3) 再生芽の形成
 脱分化した細胞はやがて、前駆細胞集団、すなわち再生芽として新たな組織を形成し始めます。

(4) パターン形成
 再生芽が活発に増殖、伸長し、やがて、手なら手の形が形成されます。これをパターン形成というのですが、この機構がまた複雑なのです。ご承知のように、形体形成では、3次元的にその形を決定しなければなりません。5本の指の向きがきちんとそろっているのも、形成過程できちんと、それぞれの細胞がx、y、z軸を認識しているからなのです。この機構をつかさどる遺伝子は、ソニックヘッジホグ(Shh)と呼ばれ、これは、レチノイン酸(ビタミンAの活性型代謝産物)やFGF(繊維芽細胞増殖因子)によって誘導されるようです。これらの因子が引き金になって、正確な位置情報に基づく遺伝子(ホメオボックス)を発現させるのです。難解ではありますが、ここで知っていただきたいのは、ある遺伝情報が発現するためには、その引き金になる遺伝子があり、さらに、それを誘導する因子が存在して、さらに、その因子を誘導する因子も存在して...と繰り返していることです。すると、その一番初めはというと、まだ、そこまで至っていないのが現状です。そして、その探求の旅の最後にたどり着く場所については、最後にお話しします。

§3.肝細胞増殖因子~HGF

 パターン形成の項で触れたように、遺伝情報の発現にはその引き金になる因子があるということです。ここでは、少しだけ、ある一つの因子に触れたいと思います。HGF(肝細胞増殖因子:hepatocyte growth factor)という物質です。前項でイモリの四肢再生について触れましたが、ヒトにも再生能力があります。有名なのは肝臓の再生です。肝臓はその3分の2が切除されても再生して、もとの大きさまで戻ります。それだけ大切な臓器であると言えましょう。しかし、再生機能のない心臓が大切でないかと言われると、やはり大切なので、「なぜ」肝臓だけが再生するのかは説明できないことでしょう。しかし、その再生能力のおかげで、肝臓移植が上手く行くわけです。切除して他人に移植しても、すぐに再生するからです。ちなみに、肝臓の3分の2が失われても、残された3分の1の肝細胞は平均1.5回分裂すれば、もとの大きさに戻るわけで、3分の2という損失が致命的に大きなものとも一概には言えません。その分裂の引き金になる因子がHGFなのです。肝臓の機能が失われると、急速にこのHGFが作られます。これが引き金になって、肝細胞が増殖するのです。もっとも、なぜこのHGFが増加するか、すなわち、この因子の引き金になる因子はまだわかっていません。また、付け加えるならば、この肝細胞の分裂は無限に進行するとこれはガンとなってしまいますから、十分に機能が回復した時点で、増殖を抑制する必要があります。これにも、TGF-β(形質転換増殖因子:transforming growth factor-β)という因子が関わっていると言われています。その因子の分泌過程についてもわかっていません。しかし、我々がわかっていなくとも、我々の中で、再生のシステムとしてうまく機能しているのです。

§4.再生~脱分化のアナロジー

 1995年1月、6400人を越える死者を出した阪神大震災は記憶に新しいでしょう。その経済的損失は10兆円にものぼると言われていますが、5年という歳月を経て、着実に再生を始めています。失われた機能が再生する過程は、まさに、生命の再生を見るようです。その際、着目したかったのは、多くの若者達がボランティアに殺到したことです。何事にも無関心、自己中心的と悪いレッテルばかりを張られた若者達が、眠っていた機能を呼び覚まされるように、助け合い、力を合わせて、失われた社会の再生に取り組みました。行政があまりにも無力で、不信感が高まる中、人々はそれぞれが自分に必要な、また、自分に出来ることを求めて、再生に参加したのです。まさに、「脱分化」が起こったのです。では、なぜ、彼らは脱分化に走ったのでしょうか。そのきっかけになる因子が存在したのでしょうか。その回答はいまだに見いだせないのですが、おそらく、その因子(もちろん、あるとすればの話ですが)が分泌されるきっかけになる事象が、震災によって破壊された社会の調和だったのでしょう。人と人との連携による調和(これを水平的調和と呼ぶことにしましょう)が崩され、これを立て直したわけですが、行政のシステムがその水平的調和と調和していなかった(これを対比的に垂直的調和と呼ぶことにします)ことが、人々の不満を増したと同時に、水平的調和をより強める増殖因子となったのではないでしょうか。そして、危機の最中に、人々は調和することによってのみ社会が維持されることを直感的に悟ったのではないでしょうか。

§5.部分と全体

 生物の細胞には同じDNAが存在して、全体を形成していることは冒頭に触れました。もちろん、その機能は、部分的に使われるのみで、そのすべてが有効ではありません。つまり、非常に無駄なことを敢えてやっているわけです。しかし、そのおかげで、再生という機能を獲得しているのであります。この冗長性こそが、全体の調和を維持しているカギとなります。前項で、水平的調和と、垂直的調和という言葉を導入しましたが、生物メタファーの調和モデルとは、単に、一システムの調和を意味するものではありません。それでは、生命の一側面だけに着目したに過ぎません。システム間の調和、すなわち、垂直的調和こそが大切なのです。今回は再生のシステムについて触れたのですが、生命のシステムは、免疫のシステムもあり、神経系や、循環器系、消化系、生殖系など様々なシステムが複合的に存在しながらも、すべてが垂直的に調和しているのです。このシステム間の垂直的調和こそが、メタファーとしていわんとする調和モデルなのです。繰り返しになりますが、そこで重要なのは、部分が全体の設計図を持っていることでもあります。部分が全体であり全体が部分である。そこに、はじめて調和が生まれてくるのです。

§6.「なぜ」への問いかけ

 パターン形成の話の中で、遺伝情報を引き出すきっかけとなる因子のおおもとは何かという話に触れました。おそらく、突き詰めていくと、初めの物質が見つかるかも知れません。そこで、最後の問いかけは、「なぜ」その物質が分泌されたのかということになるでしょう。システムそのものについても、「なぜ」このようなシステムが生まれたのか、あるいは、「なぜ」そんなことをするのかと考えると、疑問が後を絶ちません。ヒトも「なぜ」肝臓だけが再生能力をもつのか。答えは見つかっていませんし、見つかるとも思えません。この取材に協力していただいた、吉里教授がこのように答えてくれました。「『なぜ』という問いかけに対して、サイエンスはあまりに無力である。」と、さらに、「サイエンスは現象を説明する、すなわち、現象を読み替えるだけの作業でしかない。」とも付け加えてくれました。つまり、現象が起こった原因は突き止められます。ある物質が作用して、次の作用が起こることは説明できるのですが、それが「なぜ」起こったかというともはやお手上げなのです。しかし、あえて問うてみたいのですが、生命は「なぜ」調和しているのでしょうか。もし、答えがないとするならば、生命は調和することによってのみ存在できるということにはならないでしょうか。社会もまた同じような気がしてなりません。

つづく


参考文献
1. 吉里勝利,「再生-蘇るしくみ」, 羊土社, 1996
2. 多田富雄,「生命の意味論」, 新潮社, 1997

2000年1月 執筆
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