論考

Thesis

東アジア自由貿易圏構築へ向けて

1) 東アジア自由貿易圏構築へ向けて

 「二十一世紀において日韓両国が核となって、EUに匹敵する自由貿易圏を創り出すという夢をぜひ検討してもらいたい」。1999年3月20日、ソウル市内の高麗大学で、小渕首相は東アジア自由貿易圏構築を提唱した。具体的な提案の伴わない打ち上げ花火と言ってしまえば、そこまでだが、日本の首相が東アジア自由貿易圏構想に言及した意義は大きい。今回の月例報告では、私の研究テーマである東アジア自由貿易圏構想について、

1何を、そしてなぜ目指すのか(自由貿易圏とは何を示し、なぜ日本に必要なのか)
2現在の日韓関係と日韓自由貿易圏構築へのプロセスについて
3私自身のアプローチ(現在の研修と東アジア自由貿易圏構築との関連)について

の三点について検討したい。

2) 何を、そしてなぜ目指すなのか

 東アジア自由貿易圏構築へ貢献するという研修テーマを検討するにあたり、はじめにその目標、つまり自由貿易圏とは何を意味しているのか、そしてなぜそれが必要なのかについて整理しておきたい。

a) 東アジア自由貿易圏について
 まず、経済統合のプロセスについて整理しておきたい。Vinerによれば、経済統合のプロセスは以下の四つに分類される。第一のプロセスが、自由貿易地域。これは域内関税や非関税障壁の除去をその主たる内容とする。例としては

 EFTAやNAFTAなどがこれに該当する。第二のプロセスが、関税同盟である。関税同盟の加盟国は域外の第三国に対しても共通関税を適用することをその特徴とする。そして、第三のプロセスが、1992年にECにおいて達成された共同市場である。この段階においては、域内における人・モノ・金の自由な移動が保証されることになる。そして経済統合最後の段階が、1999年1月にEUにおいて導入された経済通貨統合である。私が、東アジア自由貿易圏といった際には、この第一のプロセス、自由貿易地域を東アジアにおいて達成することを差すものとする。

b)必要性について
 続いて、東アジア自由貿易圏の必要性について確認しておきたい。必要性については以下の三点を挙げたい。はじめに(i)世界的な自由貿易圏構築の動き、(ii)世界経済のグローバル化、最後に(iii)アジアにおける日本の信頼回復である。

 まず(i)世界的な自由貿易圏構築の動きについてであるが、現在、世界中を見渡して何らかの自由貿易圏が形成されていない地域は東アジアのみであるといわれている。ヨーロッパにおけるEUやEUと東欧諸国との関係はいうまでもなく、北米のNAFTA、そして南米のMERCOSUR、アジアに目を転じればASEANと世界は、自由貿易圏だらけともいえよう。さらに、EUとNAFTA、さらにはMERCOSURをも加えた大自由貿易圏も近い将来には形成されることになっている。また最近ではEUとメキシコの間でも自由貿易圏の形成についての合意が発表されている。

 このような状況下において、日本のみがなんらの自由貿易圏にも参加していないのは外交戦略上も好ましくない。WTOとの整合性が危惧される向きもあるが、そもそもWTO加盟諸国のほとんどが、なんらかの自由貿易圏に参加していることを忘れてはならない。今回のシアトル閣僚会議を見てもわかるように、各国の保護主義勢力はかなりの力を持つ。GATT24条に、自由貿易圏とWTOとの関係について規定があるものの、今後、WTO加盟各国が自らの自由貿易圏をWTOの交渉カードとして使う可能性、そしてなんらかの形での市場の囲い込みが行われる可能性は、絶えず想定しておく必要がある。このような状況下で、アジア周辺諸国との自由貿易圏締結は、外交戦略上もその必要性は大きい。

 また、WTOとの整合性については、WTOでは発展途上国をも含めた世界170ヶ国共通のルール作りが必要とされており、その結果、どうしても、ルール作りに時間がかかるとともに、ルール自体が大枠になりがちであることは否めない。また、各自由貿易圏で先行して作られたルールが、その後、WTOでのルール作りの基礎となっている事例も多い。その意味でも、自由貿易圏形成は、必ずしもWTOの枠組みと相反するものではないことはいうまでもない。

 第二に、(ii)国際経済のグローバル化が、日本が自由貿易圏を必要とする理由として挙げられる。インターネットの普及などの事例を挙げるまでもなく、世界は急速にグローバル化している。このグローバル化された世界において、関税の相互撤廃にとどまらずに、非関税障壁の相互撤廃(競争政策のハーモナイゼーションをも含む)、および直接投資規制のルール化などが、東アジア自由貿易圏形成によって加盟諸国内で実施されるならば、その経済効果は明らかである。

 これは筆者が、今期前半研修を行った法律事務所においても痛切に感じさせられたことであるが、EU内、そしてEU企業対米国企業の提携・合併は毎日のように、新聞紙上をにぎわせている。日本もこれらの急速なグローバル化に対応してゆくためには、単にWTOにおける全般的なものだけではなしに、さらにつっこんで投資規制や競争法などの分野におけるルール作りを周辺諸国と進めるとともに、そのルールに基づいた経験を一刻も早く積むことが不可欠である。ルールはつくっただけでは意味がなく、その執行を繰り返していくことで、事例が積み重ねられ、本当の意味でルールとして機能することが可能となるになる。さまざまな技術革新(法実務を含めた)が想像を絶するスピードで展開されている現在、一刻も早い着手が必要とされている。

 そして、第三番目の理由として挙げることができるのが、(iii)アジアにおける日本の信頼回復である。戦後50年を経た現在、日本はその経済力にもかかわらず、周辺アジア諸国から信頼を勝ち得ているとは言い難い。また、その強大な経済力にもかかわらず、日本の国際舞台での発言力の弱さが指摘されることは多い。

 現在でこそ、EUはその経済的な側面に焦点が当たることが多いが、そもそもEUは独仏の和解を目的として設立されたことはわすれられてはならない。初期欧州統合進展の背後には、一般には不可能と思われていた独仏間の統合による平和創出という統合推進派による理念の共有があった。そしてこの一部知識人による理念の共有が、50年という歳月を経て次第に社会一般にまで浸透していったと考えられる。実際に戦火を交え、互いに刃を交えた独仏両国が、現在のように友好的な関係を築き上げることにEUが果たした役割は計り知れない。

 日本にとっても、東アジアにおける自由貿易圏構想を周辺諸国の知的サークルと共有し、その理念を相互に建て上げてゆくことが重要である。このような営みにより実際の相互信頼醸成は達成され、日本の国際舞台での発言力を高める土壌が形成されてゆくことになるであろう。このような意味でも、昨今の政治主導による日韓の経済ルール作りへの積極的な取り組みは、日韓双方の相互理解を深めているものといえ、評価できよう。

3) 現在の日韓関係と日韓自由貿易圏構築へのプロセスについて

 上記のように、日本にとって、周辺アジア諸国との自由貿易圏づくりが不可欠であることは明らかになったと思われる。本節では、続いて日韓関係の現状と、さらに今後の自由貿易圏成立へ向け、想定されるプロセスを検討したい。

(a)現在の日韓関係について
 日韓自由貿易圏構想に関する日本側の研究機関であるアジア経済研究所の林理事によれば、同構想は、アジア経済危機および韓国のIMF危機、AMF構想のアメリカの横やりによる頓挫等をその背景に持つ。このような状況下において、韓国の小倉大使が従来から温めていた構想を、98年の前半頃から、金大中大統領の経済スタッフなどと詰めたものである。そして、昨年十月の金大中大統領の訪日により、日韓の過去の問題に区切りがつけられ、日韓自由貿易圏構築へ向けて共同研究が始まった。金大中大統領は、国内の困難を対日批判によってかわすという韓国の従来の政治手法をとらず、経済危機の中、対日関係の改善を実現した。その功績は大きいといえよう。

 その後、金大中大統領によってはじめられたこの「未来志向」の日韓関係は、両国政府の努力によって着実に深まりを見せている。本年三月には、小渕恵三首相が韓国を訪れ、金大中大統領との会談で「日韓経済アジェンダ21」に合意した。アジェンダ21には、日韓の貿易、投資にかんする障害を取り除くための五つの協力テーマが盛り込まれている。すなわち、(1)投資協定交渉のほか、(2)昨年十月に調印した租税条約の早期発効、(3)基準・認証分野での協力促進、(4)知的所有権に関する関係強化、(5)WTO次期交渉に向けての協力である。これらのうち相互の直接投資促進には不可欠な投資協定に関しては、年内の締結を目指して交渉されている。

(b)日韓自由貿易圏構築へ向けて
 このような「かつてないほど良好」(小渕首相)な日韓関係を受けて、日韓両政府は「これらの分野から日韓協力の実績を重ねていき、最終的に両国間の物・サービスに関する自由貿易圏の構築に発展させたいとの思い」(日本経済新聞1999年3月21日)があるとされている。相互の関税撤廃には時間がかかるであろう。けれども、現在なされているような、投資協定や基準認証などに関するルールづくりといったできるところからのひとつひとつの積み重ねによって、何年後かには自由貿易圏を形成してゆくのが、もっとも現実的な方法といえよう。そして、将来的にはこの日韓の諸協定をベースとして、台湾や中国などをも巻き込んでいくことも可能であろう。また、今年11月に入りシンガポールから自由貿易圏の形成に関する打診があったとの報道もなされている。東アジアに対象国を限定せずに、政治・経済などの諸要因を勘案の上、徐々に自由貿易圏を広げてゆくのが、今後の日本には不可欠である。

4) 現在の研修と東アジア自由貿易圏構築との関連について

 現在おこなっている研修が、どのように東アジア自由貿易圏構築へ関係してゆくのかについて、最後に検討したい。まず(a)現在の研修内容、(b)なぜ競争法なのか、そして(c)なぜヨーロッパなのかの三点について簡単に言及し、本報告のまとめとしたい。

(a)現在の研修内容について
 まず、現在の研修についてであるが、今年度前半は、イギリス系法律事務所にてEU競争法に関する研修を行い、後半は、EUの政策立案および執行機関である欧州委員会のWTO課において、競争法の国際ルール作りに関する研修をしている。これらの研修のテーマを一言でいえば、競争法に関する国際ルール作りということになる。

(b)なぜ競争法なのか
 つぎに、なぜ競争法に関して研修をしているのかについて説明をしたい。説明にあたり、急速なグローバル化による各国経済における直接投資の重要性の高まりが念頭におかれなければならない。つまり、各国政府にとっていかにして海外からの直接投資を獲得するか、また反対にいかにして海外へより安全に直接投資を行うかが大きな課題となっている。この問題を扱うのが、投資協定と競争法である。このような状況の中で、投資協定と競争法の国際レベルでのルール作りの必要性が高まっている。このことは、この二分野における国際ルール作りが、UNCTADやOECDをはじめとして数多くの国際機関において議論されていることからも明らかである。さらには、WTOにおける最近の動向も、これを裏付けている。過去半世紀にわたるGATTにおける合意によってモノに関する関税はかなり、引き下げられてきた。今後の課題としては、サービスに関する関税のほか、知的所有権や投資、そして競争法に関する共通のルール作りになりつつある。自由貿易圏は、WTOの諸ルールからさらに突っ込んだルール作りを一定の国々と模索してゆくものである。このような性質上、日韓、さらには東アジア自由貿易圏においては、今後、これらの分野での自由化が問題になることは間違いない。

(c)なぜ、ヨーロッパか
 最後に、なぜヨーロッパでの研修かについて三点、その理由を指摘し締めくくりたい。

 第一に、競争法の国際的な潮流がその理由のひとつとして挙げられる。現在、競争法の執行が高度に発達しているのは、アメリカとEUであり、日本も含めた世界各国の競争法執行のモデルとなっている。今後、日本が自由貿易圏を形成し、加盟諸国との間で競争法に関する共通ルール作りを行う際にも、当然これらのグローバル・スタンダードたる欧米のルールに基づいた競争法に関する共通ルールづくりが求められることになる。これが第一の理由である。

 第二に、EU競争法自体が競争法の国際ルールであることが挙げられる。EUは、周知のとおり、主権国家の共同体である。EUに加盟する主権国家が、自らの主権の一部、つまりこの場合には競争政策の執行、をEUに委任している。今後、日本が周辺諸国などと競争法のルール作りを行うに際して、EUがその競争法を加盟国間で執行してきた経験には学ぶところが多いであろう。

 第三に、WTOにおける「貿易と競争」に関する議論をリードしているのがEUであるという事実も重要である。詳細は、次回月例報告に譲りたいが、現在、WTOでは新交渉分野として「貿易と投資」と「貿易と競争」の二分野が検討されている。このうち、「貿易と競争」に関する作業部会設置を働きかけたのは、EUであり、実際にその場において議論をリードしてきたのもEUである。今後、WTOにおいて競争法のルール作りが扱われることになるかどうかは、余談を許さない状況にある。けれども、この次期交渉を目前に控えた時期に、「貿易と競争」に関する議論をリードしている人たちの下で研修できていることの意義は、とても大きいと感じている。

5)おわりに

 「ドイツとフランスや米国とメキシコが不幸な戦争の歴史を背負いながらも共同市場を築いているのに、日本の周辺だけが例外になっている。」
(畠山襄、日本貿易振興会理事長.99.1.7.日経)

 人類は進歩しているのであろうか。華々しいEUの成功の陰で、旧ユーゴスラビアではエスノナショナリズムが蔓延し、大規模なジェノサイドが行われている。けれども、私たちは知的な営みを駆使して、剥き出しの暴力行使を阻止し、反対に相互信頼を高めてゆく枠組みを形成してゆかなければならない。日本が周辺諸国とともに、戦争の過去を背負いつつ共同市場、そして信頼醸成の枠組みを形成し、世界でリーダーシップを発揮することができるようになるために私自身も微力ながら貢献してゆきたい。

 以上、東アジア自由貿易圏構想について、現在のところ考えている概要を述べてみました。まだまだ、途上段階ですので、皆様のご指導を賜れれば幸いです。次回は、WTOにおける「貿易と競争」について報告したいと考えています。

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小林献一の論考

Thesis

Kenichi Kobayashi

小林献一

第19期

小林 献一

こばやし・けんいち

Philip Morris Japan 副社長

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産業政策(日本産業界の再生) 通商政策(WTO/EPA/TPP)

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